Alle Kapitel von 死ぬために嫁がされた私、二度目の転生で冷酷御曹司と運命を変えます: Kapitel 181 – Kapitel 190

208 Kapitel

第181話 あなたの不幸にならない③

 美津子の実家も、かつては名家と呼ばれていた。けれど内実は借金まみれで、体面を守るために娘を天野へ差し出したのだという。「わたくしは、お前の父親に嫁いだのではないわ。家に血を入れる器として買われたの」 婚礼の日、夫は彼女の顔より持参金の書類を見ていた。義父母は、最初の食事から跡継ぎを産む時期を口にしたという。 美津子は笑って受け流した。そうしなければ、実家へ送り返され、借金の責任まで背負わされると分かっていたからだ。 その声に初めて、生身の痛みが混じった。「何を着るか、誰と話すか、何時に眠るか。少しでも当主夫人らしくなければ笑われた。意見を言えば、波風を立てるなと黙らされた。わたくしが何を訴えても、扱いにくい女の戯言にされた」 前世の会議室で味わった息苦しさが、胸の奥に蘇った。言葉の意味を、力を持つ側に勝手に決められる恐怖。その構造だけなら、私にも分かった。「このままでは、いつか用済みにされる。心を病んだことにされ、見えない部屋へ追いやられる。そうなる前に、わたくしがこの家のやり方を覚えるしかなかった」「この家では、先代当主へ逆らった女性が『療養』と発表され、それきり誰も名前を口にしなくなったわ」 そこで彼女は学んだのだろう。記録から消される側になる前に、記録を作る側へ回らなければならないと。 美津子が私たちに使った手口は、彼女一人の発明ではなかった。不都合な人間を病人にし、記録から消す。それは天野家が長く使ってきた方法だった。「だから、透を産んだ時に決めたの。この子を、誰にも逆らえない当主にする。完璧で、冷たくて、誰にも弱みを見せない人間に」 透の手が強張る。「僕は、あなたが生き残るための道具だったのか」「道具だなんて。お前はわたくしの証明よ」 美津子は微笑んだ。そこに母親の温度はなかった。 愛情がなかったわけではないのだろう。だからこそ厄介だった。彼女は愛していると信じたまま、透が自分と違う人間であることだけを認めなかった。「わたくしを見下した者たちが間違っていたと、誰にも文句を言わせない形で示す、たった一つの証明」「だから、僕が誰かを大切にす
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第182話 母の告白①

「僕が離れに逃げた日、外から鍵をかけたのも、あなたなのか」 透の問いに、美津子はためらわず頷いた。「ええ。あんな埃っぽい場所に隠れて、わたくしから逃げるなんて許せなかったから」「火が出た後も、助けを呼ばなかった」「少し反省させるつもりだったのよ。理沙さんが入ってくるのは予定外だったわ」「火が見えた時、鍵を外そうとは思わなかったのか」「騒ぎになれば、使用人が助けると思ったわ」 あまりにも軽い返事だった。自分が閉じ込めた子どもが煙を吸う時間を、彼女は教育の延長として数えていた。 透の爪が私の手の甲へ食い込み、すぐに力が緩んだ。傷つけたことに気づいたのだろう。私は手を引かなかった。 透の顔から血の気が引いた。「予定外……?」「でも、結果としてお前は学んだでしょう。誰かに手を伸ばせば、その人は壊れる。二度と勝手なことをしなくなった」「理沙を、僕への戒めにしたのか」 声が震えたのは、恐怖ではなかった。長く自分を責め続けた時間が、母の口から「効果」として語られたことへの怒りだった。「理沙は、僕を助けようとしただけだ」「だから困ったのよ。あの子は、お前に余計な希望を持たせたから」「あの方たちも同じよ。お前のそばに置けば、皆、お前を迷わせた。凛花さんもそう」「理沙の後の二人にも、薬を使ったのか」「眠れないと訴えていたから、休ませてあげただけよ」「訴えるように仕向けたのは、あなたでしょう」 美津子は答えなかった。その沈黙が、医師と組み、孤立させ、正常な判断を奪ったことを認めていた。 美津子は焦げた花を一輪摘み、形を確かめるように眺めた。「弱いものには管理が必要なの。温度も、空気も、誰が近づくかも。守るというのは、そういうことでしょう」 その視線が透の右腕へ落ちた。「その傷さえ残らなければ、もっと完璧だったのに」 透の肩から力が抜けた。崩れたのではない。長く自分を縛っていた言葉を、ようやく自分の外へ置いたように見えた。 私は彼の腕を掴んだ。
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第183話 母の告白②

「母さん」  透は、美津子をまっすぐ見た。 「あなたがこの家で怖い思いをしたことは、否定しない」  美津子の目に、かすかな期待が灯る。 「やっと分かったのね。なら、わたくしのところへ――」 「でも、許さない」  透の声は大きくなかった。それでも、美津子の言葉を止めた。 「あなたが傷ついたからといって、理沙も、過去の婚約者も、凛花も、代わりに傷つけられていいはずがない。。  僕を守ったと言うなら、なぜ僕が苦しむことを利用した。理沙の名前を出せば、僕が逆らえなくなると知っていたからでしょう」  美津子は否定しなかった。 「お前には、忘れないための傷が必要だったの」 「必要だったのは、あなたにとってだ」  彼は右腕の火傷痕を見下ろした。 「僕はずっと、この傷を、自分が人を不幸にした証だと思っていた。でも違った。これは、あなたに閉じ込められて、それでも生き残った傷だ」  美津子の唇が震える。 「お前は、わたくしがいなければ何もできない子だったのよ」 「そう思わせたのは、あなたです」  透は私の手を取り直した。 「僕はもう、あなたの恐怖の続きを生きない。誰かを遠ざけることを愛とも呼ばない」  一度、言葉を探すように息を吸う。 「僕は凛花を守ると言いながら、勝手に遠ざけようとした。あなたと同じやり方を選びかけた。もう、繰り返さない」  透はそこで私を見た。許しを求める目ではなかった。自分が何をしたかを、逃げずに見せるための視線だった。  私は頷かなかった。火とガソリンの前で答えを出す話ではない。けれど、聞こえなかったふりもしなかった。  その言葉は私への謝罪ではなく、まず自分自身への宣言だった。けれど、彼が初めて自分の過ちを母の支配と切り分けずに認めたことが分かった。  美津子の顔から微笑みが消えた。 「……お前は、もうわたくしのものではないのね」 「最初から、あなたのものではなかった」  その言葉を聞いた美津子は、初めて年齢相応に見えた。肩が落ち、ショールの端が土へ触れる。  けれど弱ったのは一
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第184話 燃える箱庭①

「美津子様、やめて」 私が言うと、彼女は子どもを宥めるように首を傾げた。「お前は本当に分からないのね。整わなくなった庭は、一度まっさらにして、作り直すしかないのよ」「人は庭ではありません」「名前も、痛みも、あなたが剪定していいものではない」 私は美津子の手だけを見ていた。言い返すためではない。火が動く瞬間を見落とさないためだった。「わたくしにとっては同じよ」 乾いた答えだった。 銀色のライターと、床に濡れた黒土との距離は数歩しかない。飛びかかれば止められるかもしれない。けれど、手から落とされた瞬間に終わる。 透も同じ計算をしているのだろう。重心を前へ置きながら、動かない。私たちが焦るほど、美津子の指は火へ近づく。 透が私を庇う位置へ動く。「母さん。ライターを置け」「命令するの?」「お願いしている。まだ間に合う」「警察へ話せ。理沙のことも、過去の婚約者のことも。あなたが受けたことも、全部」「わたくしを、他人の前で裁かせるの?」「僕が裁くんじゃない。あなたがしたことを、あなたの言葉で話してほしい」 透は母を赦してはいなかった。それでも、焼け死ぬことを結末にしようとはしなかった。 透の声には、母を救いたいという幼い期待はもうなかった。それでも、目の前の人間が炎の中へ入るのを黙って見てはいられない。彼の優しさは、美津子に削り取られずに残っていた。 美津子はその顔を見て、ひどく悲しそうに笑った。「やっぱり、お前は優しすぎるわ」 温室の外から、遠く誰かが扉を叩く音がした。報知器はまだ鳴っていない。それでも黒瀬たちが私たちの不在に気づいたのかもしれない。 美津子もその音を聞いた。助けが近いと知った瞬間、親指に迷いがなくなった。 カチリ、と小さな音がした。ライターの先に、青い火が揺れる。 透が私の手を引いた。「出口へ走るぞ」 私たちは同時に身体を反転させた。まだ火は足元へ落ちていない。ガソリンの撒かれていない通路を選べば、間に合うかもしれない。 背後で、美津
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第185話 燃える箱庭②

「走れ!」 透の叫びと同時に、私たちは通路を駆けた。 揮発したガソリンへ火が走り、白灰蘭の群生が一息に燃え上がる。熱波が背中を殴り、空気そのものが膨張したように身体が前へ押された。 数秒遅れて火災報知器が鳴り始める。耳を刺すベルの中で、植物の水分が弾ける音とガラスの軋みが重なった。 自動散水設備は動かなかった。天井の配管から落ちたのは数滴の水だけで、すぐ蒸気に変わった。美津子があらかじめ止めていたのだと気づく。 偶発的な火災に見せるつもりでも、私たちを逃がす安全装置だけは潰してある。最後まで計画された殺意だった。 私は袖で口元を覆った。薬の残る身体では、数歩走るだけで肺が悲鳴を上げる。「下を向け。煙を吸うな」 透は自分の袖を口元へ当てるより先に、私のカーディガンの襟を引き上げた。自分が咳き込んでも、手を離さない。 その動きに、以前のような「一人で残る」覚悟はなかった。二人分の出口を探す人間の焦りがあった。 透は私の腕を掴み、燃え移っていない通路を探した。着火前に出口の位置を見ていたはずなのに、炎の光と急速に広がる煙で、緑の壁は別の迷路へ変わっている。「右だ」 透が鉢植えの列を蹴り倒し、石敷きの通路を作った。割れた陶器が足元へ散る。私は裾を片手で持ち上げ、彼の背中を追った。 一歩ごとに視界が狭くなる。煙は高いところから降りてきて、温室の天井を黒く塗り潰していた。 背後を振り返ると、美津子は燃える花の前に立っていた。白いショールへ火の粉が落ちても、逃げようとしない。「母さん!」 透が一度だけ叫んだ。 美津子は答えず、炎の奥へ一歩下がった。自分が作った箱庭と一緒に消えることを、最初から決めていたような顔だった。 透の身体がそちらへ向きかける。「今、戻ったら二人とも死にます」 私は咳き込みながら彼の手を引いた。「助けを呼ぶためにも、外へ出るの」 透は歯を食いしばり、前を向いた。 外側から扉を叩くような音が、報知器の隙間に聞こえた。黒瀬か、使用人の誰かが異変に気づいたのかもしれない。「聞
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第186話 春に向かう火①

 ジリリリリリリリリッ……! 火災報知器のベルが、炎の爆ぜる音と混ざり合い、温室の中に響いていた。 さきほど崩れたガラス屋根の隙間から外の酸素が流れ込み、炎はさらに勢いを増していた。 熱波が、目に見えない壁のように全身を押した。 露出した首筋や腕が、熱に細かく刺される。吸い込む空気は熱く、喉がひりついた。 私たちは、燃え盛る炎の向こう側――美津子が姿を消した暗闇の奥――から背を向け、私たちがやってきた入り口方面の「緑の壁」へと向かって走り出していた。 けれど、退路は見えなかった。 乾いた葉や積もった腐葉土に火が移り、退路を塞ぐように燃え広がっていた。「ゲホッ、ゴホッ……!」 私はカーディガンの袖口で口と鼻を覆いながら、黒煙の中でむせ返った。 目に染みるような刺激臭。薬の残毒で軋む身体は、酸素の薄いこの空間では一歩踏み出すたびに鉛のように重い。「凛花! 姿勢を低くしろ!」 透が、私の腕を強く引きながら叫んだ。 彼は私を庇うように半歩前を歩き、燃え上がるシダの葉やツタを、自身の腕で強引に払い除けていく。 けれど、視界は最悪だった。 炎の照り返しと渦巻く黒煙で、昼間に歩いた一本道がどこにあるのか、もうわからなかった。 バキィッ! 頭上で、低い破砕音が響いた。 見上げると、炎に舐められて脆くなった太い木の梁――おそらく温室の骨組みの一部――が、私たちの行く手を阻むように、斜めに傾いて崩れ落ちてこようとしていた。「危ない……!」 私が叫ぶより早く、透が動いた。 彼は私の身体を強く突き飛ばし、地面の柔らかい黒土の上へ転がした。 重い音とともに、炎をまとった太い梁が、私たちの目の前の小道を塞いだ。 火の粉が舞い、熱風が頬を撫でた。 私は咳き込みながら土の上で上体を起こし、透の姿を探した。「透さん……!」 彼は崩れ落ちた梁のすぐ手前で、片膝をついていた。
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第187話 春に向かう火②

「だめよ。別の道を探して」「時間がない!」 透が怒鳴った。煙の向こうの目に、昔のような罪悪感はなかった。代わりに、私を外へ出すためなら自分が残ればいいという、まだ抜けきらない癖があった。 梁の下には人一人が這えるほどの隙間がある。けれど支えている細い枝は、炎に炙られて今にも折れそうだった。透が持ち上げれば、一度だけ道は開くかもしれない。その代わり、彼は戻れない。 彼が提案しているのは救助ではなく、順番を決めた犠牲だった。「君の身体は限界だ。僕が梁を上げる。隙間をくぐって走れ」「あなたは?」 透は答えなかった。 私は土のついた手で、彼のシャツを掴んだ。「また勝手に決めるの?」「凛花、今は――」「今だから言っています」 咳で声が途切れる。それでも手は離さなかった。「前にも、私は一人で死にました。誰にも届かないと思って、消える方を選んだ」 透の表情が固まる。詳しく話す時間はない。今、伝えるべきことは一つだけだった。「だから今度は、一人で残る人を見送ったりしない。私だけ外へ出ても、生き延びたことにはなりません」 頭上でガラスが弾け、二人の間へ破片が落ちた。透が私を抱き寄せて避ける。「死なないで、ではありません。一緒に出て」 私は彼の胸を押した。「あなたが守るために残るなら、私は引きずってでも連れていきます」 言い争っている間にも、梁の表面を火が這っている。長く話せないことは分かっていた。それでも、ここで頷けば、彼は迷わず自分を置いていく。「あそこ」 私は梁の左側を指した。シダの葉は燃えているが、根元の石床までは火が届いていない。鉢を倒せば、人が通れる幅を作れるかもしれない。「二人で押せば、通路を作れます」 透は煙の向こうを見て、短く計算するように目を細めた。 透が一度、目を閉じた。「……君は、本当に」「説教は外で聞きます」 咳き込みながら言うと、彼の口元がかすかに歪んだ。笑ったのかもしれない。「分か
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第188話 春に向かう火③

 彼は私の手を取り、炎に包まれた太い梁の隙間をこじ開けるのではなく、まったく別の方向――燃え広がるシダの葉の薄い部分を指差した。「あそこを突破する。……息を止めろ、凛花!」 透は自分の着ていたシャツを乱暴に脱ぎ捨てた。 彼は上半身裸になり、その白いシャツを、私の頭からすっぽりと被せるようにして覆った。 彼の背中に、無数の古い傷と新しい煤が走っていた。 これまで彼が完璧なスーツの下に隠してきたものが、炎の中で何もかも晒されている。けれど、彼はもうそれを恥じるような素振りを見せなかった。 隠すためではなく、生き延びるために衣服を脱ぎ、私に差し出す。 その行動の荒々しい現実味が、彼が初めて「守って死ぬ」ではなく「一緒に生きる」ために動いている証だった。 シトラスの香りと、彼の汗の匂いが、煙の刺激臭をかすかに遮断してくれる。 透は私の手を強く握りしめたまま、炎がまだ繋がりきっていない緑の迷宮へと、強引に突入していった。 熱波が皮膚を舐める。 私は彼の大きな背中だけを視界に捉え、シャツで口元を覆いながら、無我夢中で土を蹴って走った。 けれど、状況は刻一刻と悪化していた。 温室のガラス屋根が、熱に耐えきれずに次々とヒビ割れ、鋭い破裂音とともに頭上からパラパラと降り注いでくる。 私たちはガラスの破片を避けながら、右へ、左へと蛇行して進むしかなかった。 その間に、致命的な変化が起きていた。 黒煙の濃度が、急激に上がり始めたのだ。 視界が、オレンジ色の炎の照り返しから、完全な真っ黒な闇へと塗り潰されていく。 上下左右の感覚が狂い始める。 自分がどちらの方向へ走っているのか。出口のガラス戸がどちらにあるのか。 透の握る手の力だけが、私がこの世界に繋ぎ止められている唯一の座標だった。「透さん……!」 私は煙に咽せながら、前を歩く彼の背中に声をかけた。 透の足が、ピタリと止まる。 彼が振り返った。その顔は煤で汚れ、激しい咳をこらえながらも、周囲を
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第189話 白い花の出口①

 ゴホッ、ゲホッ……! 黒煙の中で咳き込みながら、私は足元に浮かび上がる白い塊を見つめていた。 白灰蘭。 異常なまでの熱気と湿度がなければ育たない、あの気難しい純白の花が、なぜ出口へ向かっていたはずの私たちの足元に群生しているのか。 視界はオレンジ色の炎と黒煙に塗り潰され、方向感覚はとうに失われている。 煙に巻かれて、知らないうちに元の焼け跡の前に戻ってきてしまったのか? いや、違う。 肺は苦しく、意識も危うい。それでも、違和感だけは消えなかった。 美津子は完璧な箱庭の管理者だ。 彼女は枯れた葉一枚の乱れも許さない。植物の配置にはすべて、彼女の管理のための法則があるはずだ。 なぜ、この花はここに咲いている? 私がシャツで口元を覆いながら思考を巡らせた、そのコンマ数秒の間に。 私と手を握り合っていた透が、足元の白灰蘭を見て、ハッと息を呑んだ。「……そうか」 透の掠れた声が、炎の轟音の隙間を縫って届く。「戻ってきたんじゃない。……この花は、熱源の真上にしか根付かない」 透が、白灰蘭の横の黒土を革靴のつま先で蹴った。 土がえぐれ、その下から、銀色に鈍く光る太い金属のパイプが顔を覗かせる。「温水のメインパイプだ」 透の声に、わずかに力が戻った。「母さんは、白灰蘭のために地下から熱を引かせていた。花は、その真上に植えられている」 それだけで、意味はわかった。 白い花の列は、温室を管理するための線だった。 そして今は、地下へ伸びる、出口へ続く線でもある。 美津子が、花を管理するために作った線。 それは今、私たちが外へ出るための道標になっていた。 白い花の意味が、そこで反転した。「この花を辿るわ」 私は透の手を握り返し、煙の底に浮かび上がる白い花びらを目印にして、再び土を蹴った。 炎が、私たちのすぐ横で爆ぜた。 バリバリッ! という不気味
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第190話 白い花の出口②

 透が扉のハンドルに手をかけ、体重を乗せて押し下げる。 けれど、扉はビクともしない。 熱で歪んだ金属が、枠に噛み込んでいた。「くそっ……!」 透が、煤だらけの顔を歪め、ハンドルを揺さぶる。 背後では、炎がさらに近づいていた。 熱と煙で息が詰まり、視界の端が暗く滲んだ。 このままでは、もう動けなくなる。 私はぼやける視界の中で、扉の横のコンクリート壁に取り付けられた、赤い金属の箱を捉えた。 消火栓のボックスだ。「透さん! あれを!」 私が指差した瞬間、透は私の意図を即座に理解した。 彼は扉のハンドルから手を離し、消火栓ボックスのガラスを革靴の踵で蹴り破った。 中から、重い真鍮製のノズルを引きずり出す。「下がっていろ!」 透はノズルの先端を両手で握り、扉のラッチへ向けた。 彼の右腕の傷跡が、煤と汗の下で強く引き攣った。 かつて炎の記憶を背負っていたその腕が、今は出口を開くために動いていた。 ガンッ。 金属音が響き、真鍮のノズルが歪んだラッチに当たった。 一度。二度。 火花が散る。透は腕の痛みに顔を歪めながら、三度目を打ち込んだ。 鈍い破壊音とともに、金属の枠が外れ、重い鉄扉が外側へ開いた。 そのとき。 開かれた扉の向こう側――本邸の地下通路を抜けた先の、外に通じる搬入口から、冬の冷たい夜気が、私たちの身体へ流れ込んできた。「はっ……ぁあっ……!!」 私は転がり出るようにしてコンクリートの通路に倒れ込み、大きく、大きく息を吸い込んだ。 気管をひやりとした空気が乱暴に通過し、痛みを伴って肺が膨らむ。 痛い。 火傷した皮膚も、煙でやられた喉も、擦りむいた膝も、何もかもはっきり痛んでいる。 それでも、その痛みが、私がまだここにいることを教えていた。 透もまた、私の横に膝をつき、激しく咳き込みながらひやりとした空気を貪るように
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