母は、私に何を見つけてほしかったのだろう。 図案帳の隣に、寄付帳簿を置く。ページの角は少し焦げている。白鳥邸の暖炉から引き上げた時、火が紙の端を舐めていた。まだ指先の皮膚が、あの熱を覚えている。 一二七ページ。 そこには、児童養護施設への寄付記録があった。施設名の欄だけ、薄く削られている。上から別の紙を重ね、何かで擦った跡だ。 金額は残っていた。送金日も、承認印も残っている。そこだけ消す方が、かえって目立つ。けれど、名前がなければ、誰も追えない。そう考えた人間がいた。「削ったのに、数字だけ残した」 母らしい、と思った。 全部を言葉にしない。けれど、見ようとする人には残す。 背後で、かすかな金属音がした。 振り向くと、征臣が机の端に小さな鍵を置いていた。「帳簿室の奥の棚だ。古い寄付関連の資料がある」「知っていたんですか」 責めるつもりはなかったのに、少し硬くなった。 征臣は一拍置いた。「可能性だけだ。答えを見つけたのは、君だ」 鍵は私の方へ滑らされない。机の端で止まっている。取るかどうかは、こちらに残されていた。 それが優しさなのか、用心なのか、まだ分からない。 私はその小さな銀色を見つめた。母の針穴が、まだ光の中で細く並んでいた。 針穴を読み取るには、紙を少し斜めにしなければならなかった。真正面から見ると、ただの傷にしか見えない。角度を変えた時だけ、母の残した数字が浮く。 白鳥家での私も、そうだったのかもしれない。真正面から見れば、聞き分けのいい長女。少し角度を変えれば、削られた欄や、伏せられた名前ばかりが見える。 考えすぎだと、昔の自分ならそこで閉じた。 けれど今は、閉じなかった。 寄付帳簿の焦げた端をそっと押さえる。燃え残った紙は、思ったより脆い。息を吹きかけただけでも崩れそうで、私は呼吸を浅くした。 征臣の視線が、その呼吸まで拾った気がした。何か言いかけて、結局、言わない。言われなくてよかった。今優しくされると、手元が揺れる。 鍵は、思ったより冷たかった。
Last Updated : 2026-07-13 Read more