บททั้งหมดของ 婚約者を奪った妹が泣き崩れた夜、御曹司は私に跪いた: บทที่ 41 - บทที่ 50

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第41話 投薬記録の違和感

 施設を出たあとも、欄外の鉛筆書きが頭から離れなかった。  鷹宮邸へ戻る車の中で、私は複製した投薬記録を膝に広げた。差し替え前の紙は端が汚れ、担当者の走り書きが残っている。差し替え後の一枚だけ、印も文字も同じ濃さで揃っていた。 「保管庫Bは、今も残っていますか」  向かいに座る財団職員へ尋ねると、女性はすぐには答えなかった。 「建物は残っています。ただ、保管庫は数年前に閉鎖されました」 「中の記録は」 「移管されたと聞いています」  どこへ、とは言わない。  征臣が口を開きかけた。私は先に記録の下段を指した。 「この番号、薬剤名ではありませんよね」  英字と数字が八桁。ほかの薬にはついていない。  職員は唇を湿らせた。 「研究用試料の管理番号に似ています」 「似ている、ですか」 「私は研究部門の人間ではないので、断定できません」  逃げる言い方にも聞こえた。けれど、名札を押さえる指が震えている。嘘をついているというより、口にした後を怖がっているようだった。  私は声を少し落とした。 「お名前は出しません。分かるところだけでいいです」  女性は窓の外を見たまま答えた。 「患者さんに使う番号ではありません」  車内の空調音が急に大きく聞こえた。  母の投薬記録に、研究用試料の番号がある。  征臣の手がスマートフォンへ動く。 「相沢に確認を――」 「待って」  彼の指が止まった。 「連絡はお願いします。ただ、今の方の名前は出さないで。まず、この番号だけ見てほしいです」  征臣は職員を見ず、私を見た。  征臣は職員の名を尋ねず、番号だけを自分のメモへ写した。  鷹宮邸へ着く頃、瀬里奈さんから茶会の招待状が届いた。母の投薬記録について、家族だけで誤解を解きたいと書かれている。  家族だけ、と言いながら、同封された出席者一覧には白鳥家と親しい夫人たちの名前が並んでいた。誤解を解く席ではない。私が感情的な姉だと見せるための席だ。  招待状の封を裏返す。青い鈴の刺繍が入った白いハンカチの写真が、小さく印刷されていた。  母の図案と同じ角度だった。  私は投薬記録の複製を封筒へ入れた。 「明日の茶会に行きます」  征臣は理由を聞かなかった。 「俺も一緒に行きたい」 「話は、私からします」 「ああ。君が話す間、
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第42話 「人のもの」の失言①

 翌日の茶会は、白鳥家と親しい夫人たちだけの小さな集まりという名目だった。  けれど小さな集まりにしては、スマートフォンを伏せて置く人が多い。伏せているのに、画面の端がこちらを向いている。録音しているかもしれない。そう考える自分が、かすかに嫌になった。  でも、嫌になるだけで済ませる段階はもう終わっている。  私は紅茶に口をつけず、カップの縁に映る自分の指を見ていた。  莉々花は開始から三分で泣いた。 「私、何が悪かったのか分からないんです。お姉様は、どうしていつも莉々花の大切なものを取ろうとするの」  周囲の夫人たちが、気の毒そうに息を合わせる。征臣は隣にいたが、口を挟まない。私が話す場所を空けている。  莉々花はそれが気に入らないらしい。涙の向きを少し変え、征臣に見える角度でハンカチを押し当てた。 「昔からそう。私が大事にしているものを、お姉様はすぐ自分のものみたいにするんです」  カップの底が、ソーサーに小さく触れた。  私ではない。  悠真だった。  彼は何かを言おうとして、やめた。昨日の鏡の前の声を思い出したのかもしれない。  私はハンカチの刺繍を見た。莉々花が持つ白い布には、青い鈴が小さく縫われている。盗まれた図案と同じ角度。 「莉々花」  名前を呼ぶと、彼女はびくりと肩を揺らした。 「私が欲しがった、あなたのものって何?」 「え……」 「悠真さん? 母の指輪? 銀鈴の図案? どれも、先に私のところにあったものです」  声は荒らげなかった。けれど、最後の一言だけは思ったより硬くなった。  莉々花の口元が引きつる。 「そんな言い方、ひどいです」 「答えて」  夫人たちの視線が泳ぐ。誰も助け舟を出さない。莉々花はハンカチを握り直した。いつもなら、その白い布だけで誰かが味方につく。けれど今日は、布がただ皺になるだけだった。 「……お姉様は、我慢できるでしょう」  ぽろりと落ちた声に、茶会の空気が変わった。甘い涙声ではない。叱られた子どもが、最後に本音をこぼす時の声だった。 「ケーキも、ドレスも、部屋も、いつも譲ってくれたじゃない。だったら今回も、少しくらい……莉々花にくれたっていいでしょう」 「少しくらい?」  聞き返すと、莉々花の目が泳いだ。夫人の一人がカップを置く音が、やけに大きく響いた。  その時
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第43話 「人のもの」の失言②

 莉々花が先に沈黙へ耐えられなくなった。 「そんなこと、みんなの前で言わなくてもいいでしょう」 「みんなの前で始めたのは、あなたでしょう」  言い返した声は低かった。  ハンカチを目元へ運びかけた莉々花の手が止まる。今までなら、その動きだけで誰かが私を諭した。今日は、夫人たちの視線が青い鈴の刺繍へ落ちたままだった。  私はテーブルの縁に置いた指を一度だけ引いた。爪の先が冷えている。言い過ぎたとは思わなかった。ただ、言ったあとで声が低くなっていたことに少し驚いた。 「お姉様、そんな言い方……」  莉々花はまた涙を作ろうとした。けれど、目元を押さえる前に征臣の視線がハンカチへ落ちる。青い鈴の刺繍。母の図案に似せた、不自然に整いすぎた糸目。 「その場を選んだのは君だ」  征臣は声を荒げなかった。それでも、カップを持っていた夫人の手が止まる。  莉々花は唇を噛んだ。悠真は彼女の隣で、何かを言いかけて、やめる。庇う言葉を探している顔ではなかった。自分が何を信じていたのか、急に分からなくなった人の顔だった。 「帰りましょう」  私は椅子を引いた。謝罪会と呼ばれた場所に、謝罪は一つも落ちていない。代わりに、青い糸と嘘の匂いだけが残っていた。  車に乗ってからも、征臣はしばらく黙っていた。窓の外にホテルの灯りが流れる。ガラスに映った自分の顔は、泣いたあとでも、怒ったあとでもなかった。頬だけが妙に乾いていて、長く我慢しすぎた人間はこういう顔になるのかと思った。 「怖くなかったか」  少し遅れて、征臣が言った。 「怖いというより……疲れました。あの子が泣くたび、まだ私が何とかしなきゃって思ってしまうんです」  征臣は窓の外へ目を向けた。 「分かった。今夜は、もうあの二人の話はよそう」  たったそれだけで、彼はそれ以上踏み込まなかった。励ましも、説得もない。車内の革の匂いと、私の手元に残った紅茶の冷たさだけがある。  鷹宮邸に戻ると、玄関ホールの卓上に細長い箱が置かれていた。濃い青の包装紙。銀の細いリボン。 「明日の夜会用だ」 「宝石なら、要りません」 「宝石ではない」  箱を開けると、そこには青い手袋が入っていた。光沢は控えめで、手首にだけ小さな銀の糸が入っている。母の指輪の跡を隠すには、十分だった。  でも、隠されるのとは少し違った。
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第44話 温室の鍵

 鍵は、今の鷹宮邸には似合わない古さだった。真鍮の色はところどころくすみ、鈴の形をした飾りには細い傷がある。触れると、指にかすかなざらつきが残った。  金属なのに、少し土の匂いがする。そう言うと変だろうかと思って黙っていると、征臣が先に口を開いた。 「土の匂いがするか」 「……します。今、言おうか迷っていました」 「俺も、昔そう思った」  それだけの会話なのに、鍵が証拠品ではなく、誰かが使っていた物へ戻った気がした。 「これは?」 「昔の温室の鍵だ」  征臣はカフスに触れた。彼が困るときの癖だと、もう分かる。冷たい顔をしていても、手元だけがかすかに忙しくなる。 「温室……」  言葉にした瞬間、湿った土の匂いが鼻の奥に浮いた。古い記憶は輪郭が曖昧で、色だけが強い。曇ったガラス。雨のあとに光る葉。誰かの荒い息。  私は鍵を箱に戻そうとして、うまく置けなかった。小さな鈴が、布の上で短く鳴る。 「思い出せなくても、焦らなくていい」 「思い出したいです」  征臣が黙る。  相手の顔を見るより先に言葉が出たことに、少し驚いた。白鳥家にいた頃なら、きっと先に相手の顔色を見た。今言っていいことか、相手を困らせないか、場を乱さないか。そうやって一度飲み込んで、飲み込みすぎて、何を言いたかったのか分からなくなる。  けれど、この鍵だけは違った。母の帳簿や銀鈴と、どこかでつながっている気がした。 「鷹宮さんは、その温室で何を覚えているんですか」 「怪我をした」 「誰かに助けられた?」  征臣は短く頷いた。  短い返事。けれど、その先が続かない。  征臣は窓の外へ視線を逃がした。夜の庭は暗く、石畳の端だけが外灯に浮いている。 「雨の日だった。息が苦しくて、うまく立てなかった。大人を呼ぶ声がした。泣いていたのか、怒っていたのか、よく分からない声だった」 「女の子?」 「たぶん、女の子だった」 「莉々花は、その話を知っているんですか」  征臣の口元が少し動いたが、笑いにはならなかった。返事まで、わずかに間が空く。 「断片だけ知っている。誰かが話したのだろうな」  誰か。  その言葉が、母の図案帳の余白に残っていた針穴と重なった。偶然にしては、細すぎる糸が多すぎる。 「その鍵を、どうして私に?」 「君と、もう一度行きたかった」  
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第45話 鍵の先に残る匂い

 翌朝、温室は邸の北側にあった。今は使われていないらしく、庭師が通る小道から少し外れた場所で、ガラスの屋根だけが薄く白んでいる。  征臣は鍵を差し込む前に、私を見る。 「ここから先は、無理に入らなくていい」 「ここまで来て、外で待てるほど器用じゃありません」  征臣は鍵を回しかけ、手を止めた。 「……入ります」  征臣が鍵を回した。  錠前は一度引っかかってから、鈍い音を立てて開いた。扉の隙間から、湿った土と古い木の匂いが流れてくる。胸の底ではなく、喉の手前に何かが触れた。  中は、取り残されたような場所だった。割れた鉢。乾いた蔓。曇ったガラスの下に、まだ緑を残した小さな葉。  私は一歩入って、右手の棚を見た。白い札がいくつか下がっている。文字は薄れていたが、その一枚に見覚えがあった。 「ミズキ……」  水城。母の旧姓だった。  声に出した途端、足元の砂利が鳴った。征臣が一歩動き、そこで止まった。  私は棚の前にしゃがんだ。札の裏に、小さな数字が鉛筆で書かれている。二十三、七、十一。図案帳の針穴と同じ並び。 「母は、ここにも来ていたんですね」 「書類上は、鷹宮財団のチャリティー事業の相談役だった」 「書類上は?」 「実際には、白鳥家の帳簿も見ていた可能性がある」  また、先に対策を口にする声だった。慰めるより先に、確かめるための資料を差し出してくる人。  でも、今はそれがありがたかった。泣くより先に確認したい。そういう自分を、責められずに済む。  温室の奥に、小さなベンチがあった。脚の一本が少し曲がっている。近づくと、古い木肌に薄く傷が残っていた。指でなぞると、ひらがなの一部のようにも見える。  み。  たぶん、ただの傷だ。そう思おうとしたのに、指が離れなかった。 「そこに座っていた」  征臣が言った。 「誰が?」 「俺が。たぶん、泣いていた」 「たぶん?」  征臣はベンチの傷を親指で一度なぞった。 「覚えていたくないことは、都合よく薄くなるものだ」  口元だけが少し動いた。「便利だな。こういう時だけ」 「君の声を、前にも聞いた気がする」  温室のガラスに、曇った私の顔が映った。返事は、唇の手前で止まった。  私は返事の代わりに、青い手袋の手を胸の前で握った。布越しでも、指輪の跡は消えない。消えないま
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第46話 前にも聞いた声

 征臣の目がかすかに揺れた。 「赤い靴下は、たぶん俺だ」 「あなたが?」 「雨の日だけ、祖母が目立つ色を履かせていた。片方を濡らして、温室の暖房管に掛けた記憶がある」  ぼんやりしていた赤だけが、急に誰かの足元へ戻った。証明にはならない。それでも、私の記憶の中にいた子どもが、ようやく輪郭を持った。 「鷹宮さんは」  名前を呼びかけて、少し迷った。 「そろそろ、征臣と呼んでくれないか」 「急に言われると困ります」  征臣は濡れた土へ目を落とした。困らせた自覚だけはあるらしい。  あまりに真顔なので、変なところで力が抜けた。笑う場面ではないのに、息だけが少し漏れる。征臣もそれを見て、まぶたを落とした。 「私を選んだのって……あの時のことがあったからですか」  聞いた瞬間、空気が少し変わった。  温室の外で庭師の鋏が鳴る。小さな金属音が、何度も短く続いた。 「最初は、確かめたかった」 「最初は?」 「今は違う」 「今は違う」だけでは何も片づかなかった。最初はどうだったのかが、かえって耳に残る。否定されなかったことにも腹が立った。  私は青い手袋をはめた手を見た。母の指輪があった場所は、布の下に隠れている。隠れているのに、熱だけは残っていた。 「昔の私ばかり見ないでください。今の私まで、あの頃に合わせられるのは嫌です」  征臣はすぐに頷かなかった。 「……それは、気をつけるだけじゃ駄目だな」 「ええ。たぶん」  征臣が言葉を失う。いつもならすぐ対策を並べる人が、ここでは何も出せない。  すぐに答えが返ってこなかったことに、息を吐いた。 「それに」  私は温室の棚を見た。母の旧姓が残った札。数字。小さな傷。 「昔のことを追うなら、私のことだけじゃなく、母のことも知りたいんです」  征臣は一度、温室の棚へ目をやった。 「何か分かったら、先に君へ話す」 「全部調べ終わってから渡すのは、やめてください」  征臣のまつげが一度下りた。痛いところに触れた顔だった。 「努力する」 「……約束、とは言わないんですね」 「できない約束はしない」  温室を出る時、扉の脇に置かれた古い傘立てが目に入った。底に、白鳥家の封筒と同じ青い封緘シールが一枚、乾いて貼りついていた。  約束できないと言われた方が、かえって返事に困った。
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第47話 剥がれない青

 その声を聞いて、背中が少し冷えた。私には触れる前に確認を求める人が、相手が白鳥家だと分かった瞬間、ためらいを消す。怖いと思うより先に、ああ、この人はこうやって生きてきたのだと思った。 「怖いか」 「……少し」 「君に向けたものではない」 「分かっています。でも、私に向いてなくても……怖いです」  征臣はスマートフォンを下ろした。  征臣はすぐに言葉を返さなかった。  親指で端末の側面をなぞる。そこで謝らないところが、彼らしかった。  代わりに、次の声は少し低さが抜けていた。 「悪かった。そばで聞いている君のことまで、考えていなかった」  温室から戻る途中、スマートフォンが震えた。画面に出たのは、知らない番号ではない。白鳥家の使用人頭、遠山の名前だった。  出るか迷う。  迷っている間に、着信は切れた。すぐに短いメッセージが届く。  お嬢様、新聞の件で、奥様がお怒りです。明日の朝刊をご覧にならない方がいいかもしれません。 「新聞?」  小さく呟くと、征臣の視線がこちらへ来た。 「見せてくれ」 「まだ何も」 「白鳥家が先に動いたなら、何もないはずがない」  彼の言い方は冷静だった。けれど、膝の上の指は固く組まれている。  数分後、鷹宮家の秘書が持ってきたタブレットに、掲載前の記事の画面が映った。見出しは大きい。  白鳥家長女、御曹司を誘惑か。  その下に、私が夜会で征臣の隣に立つ写真があった。青い手袋の手元だけが、不自然に切り取られている。  征臣は怖い。そう思うのに、優しい声を作られるよりは、今の無愛想な顔の方がまだ見ていられた。自分でも少し変だと思う。  写真の中の私は、笑っていなかった。ただ隣に立っていただけだ。なのに、切り取られた手元と見出しが並ぶと、まるで私が何かを奪い取ったように見える。  青い手袋の指先が、征臣の袖に近い位置で止まっている。実際には触れていない。けれど、紙面では触れそうな角度だけが選ばれていた。 「削除させる」  征臣の声が落ちた。 「待って」 「待てない」 「まだ、私が読んでいます」  征臣の目がこちらを向く。怒っている。私にではないと分かっていても、体が少しこわばった。 「君を悪女に仕立てる記事だ」 「怒ってるんですか」  征臣の目が、タブレットへ落ちた。肯定は、それ
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第48話 悪女記事の手元

「莉々花だけでこの文章は作れない」  征臣はタブレットの画面を一瞥しただけで、秘書へ視線を向ける。 「東都経済新聞の出資構成を出せ。直近三か月の広告主も」  息を整えてから、顔を上げた。 「……一つだけ、聞かせてください」  秘書が下がる。ドアが閉まったあと、部屋にはタブレットの薄い光だけが残った。 「……潰したい」 「やめてください」 「しそうな顔をしています」  征臣は黙った。タブレットの縁にかかっていた指が、ゆっくり離れる。 「君は、どうしたい」  すぐには答えられず、私は記事の末尾をもう一度見た。  母の部屋を知る者。帳簿を盗品にしたい者。私が反論すれば、感情的な言い訳に見える。  なら、母の帳簿を使うしかない。 「訂正記事は待ちません。先に、母の慈善帳簿を出します」 「また君が傷つく」 「もう、今さらです」  言った途端、青い手袋の下で指輪の跡がじわりと熱を持った。  私は震える指で、記事の末尾を押さえた。 「帳簿を出します。隠したら、向こうの話だけが残るから」  征臣は何かを言いかけたが、タブレットを私の方へ少し押しただけだった。  画面の中の私は、知らない誰かに名前を奪われているように見えた。  コメント欄は、すでに私の知らない私で埋まっていた。  青い手袋まで計算している。  妹の涙を利用して御曹司に乗り換えた。  名門家の長女って、こうやって全部奪うんだ。  一つ一つの言葉は軽い。けれど、束になると、会場で浴びた視線よりも重くなる。 「訂正文案が来ています」  相沢がタブレットを差し出した。白鳥家広報の名義だった。  ――当方の長女が一時的に感情を乱し、関係各所にご迷惑をおかけしました。  私の名前はない。ただ「長女」とだけ書かれ、加害者に仕立てられていた。 「これを出されたら、莉々花は可哀想な妹で、私はまた、妹を傷つけた悪い姉にされます」  私はタブレットを返さなかった。 「訂正はいりません。私の名前で、先に事実を出します」  帳簿室の鍵を回す音は、夜の邸内で小さく響いた。もう何度も入った部屋なのに、扉を開けるたびに少し緊張する。母の字が残っている場所は、私にとって安全で、同時に痛い。  帳簿室の扉を開けてから、征臣がついてきていないことに気づいた。入口の前で立ち止まっている。
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第49話 慈善帳簿を開く

「だから、原本だけじゃ足りません。写しがどこにあったのかも、一緒に出します」  征臣が口を閉じた。少し目を細める。 「準備していたのか」 「母が。私は見つけるのが遅かっただけです」  言った途端、息が詰まった。母が生きているうちに見つけていたら、何か変わったのだろうか。考えても、紙は何も答えない。  帳簿の間から、薄い封筒が落ちた。青い封緘はない。角に鉛筆で小さく「東都」と書かれている。 「東都経済新聞?」 「いや」  征臣の声が少し硬くなった。 「東都商事の略かもしれない」  聞き覚えのある社名だった。白鳥家の取引先で、母の寄付帳簿の空欄にも何度か影のように出てきた名前だ。  封筒の中には、古い振込控えの写しが数枚入っていた。宛先は慈善団体ではなく、東都商事の関連会社。日付は、新聞記事に出た母の帳簿持ち出し疑惑より、ずっと前だった。 「これを出したら、記事だけでは済みませんね」 「済まない」  紙を持つ指に汗がにじむ。 「……出します。向こうの話だけが残るのは、嫌です」  征臣の手が封筒へ伸び、途中で止まった。 「これは俺が預かる」 「ただ、私に言わずに出さないでください」 「……しない」  返事までに、ほんの少し間があった。征臣は封筒を奪わず、手を引いた。 「怖いですよ。もちろん」 「なら、今日はやめてもいい」 「そう言われると、余計に出したくなります」 「そう言うと思った。……止め方が下手だな、俺は」  私は封筒を閉じた。紙の角に、指先の汗が薄く移っていた。  翌朝、東都経済新聞の記事は予定より少し遅れて掲載された。見出しは掲載前より柔らかい。けれど、悪意は消えていない。  白鳥家長女、御曹司との急接近に波紋。  急接近、という言葉の下に、青い手袋の写真が使われていた。母の指輪の跡を隠すための布が、人を誘惑した証拠のように並べられている。  私はスマートフォンを伏せた。 「食べている間だけでも、読むのをやめないか」  向かいに座る征臣のトーストは、ほとんど手つかずだった。 「嫌です」 「朝食くらい、落ち着いて食べてほしい」 「夜に読んでも、たぶん同じ顔になります」  征臣は何か言いかけ、トーストへ目を落とした。 「あなたも、食べていませんよ」 「君のことばかり言えないな。俺も食べる」
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第50話 出資者の名前

 短い肯定が、思ったより重かった。  悠真はいつも、仕方なかったと言う。家同士のことだから。状況がそうだったから。君なら分かってくれると思ったから。  でも、分かってくれると思った相手を守るために動いたことは、一度もなかった。  書類の下に、もう一枚だけ付箋の貼られたページがある。秘書の字で、情報提供者候補と書かれていた。そこに並ぶ名前の中に、白鳥瀬里奈と、莉々花の名があった。  そして、最後に有馬悠真。  指が用紙の縁で止まる。 「面会の申し入れが来ている」  征臣が言った。 「誰からですか」 「有馬悠真から」 「……会います」  返事は自分でも早かった。征臣の眉がかすかに動く。 「一人で会うな」 「一人で行くとは言ってません」 「場所は俺が――」 「待って。そこまで決めないで」  スマートフォンを開き、近くのホテルを検索する。会議室の案内図には、廊下側と窓側に一つずつ扉があった。 「出口に近い部屋がいいです。……ここにします」  征臣は画面を見たあと、何も言わなかった。  伏せたスマートフォンが、テーブルの上で震えた。画面には悠真の名前が出ている。  すぐには取らず、先にホテルの予約画面を確定した。指の震えは、まだ少し残っていた。  面会場所に選んだのは、鷹宮邸の応接室ではなかった。  ホテルの小さな会議室。窓はなく、壁は白い。余計な絵も、花も、誰かの家の匂いもしない。テーブルの上には水のグラスが三つ置かれている。私の前に一つ。悠真の前に一つ。少し離れた席に、征臣の分が一つ。  征臣は同席した。けれど、私の隣ではなく、斜め後ろに座っていた。  守るというより、証人の位置だ。  悠真は入ってくるなり、こちらを見て、それから征臣を見た。口元が一度だけ動く。何か言いかけて、飲み込んだ顔だった。 「澪、記事の件は」 「座ってください。立ったままだと話しにくいです」  自分でも驚くくらい、声が平らだった。  悠真は椅子に手をかけたまま止まり、少し遅れて腰を下ろした。高そうなスーツの袖口が、今日は妙に頼りなく見える。 「本当に、僕は知らなかったんだ。あんな記事になるなんて」 「有馬グループが広告枠を買ったことも?」 「それは……広報部が決めたことで」 「あの披露宴の一週間前に?」  悠真の指が、グラスの縁を
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