All Chapters of 婚約者に売られ、親友に顔を奪われた私は、二度目の人生で全てを取り戻す: Chapter 101 - Chapter 110

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預ける場所

 ホテルを出てからも、女性の言葉が頭から離れなかった。『持ち帰ったあと、御影の家には置かない方がいいと思う』 母も、家に置けないと思ったから彼女に預けた。 なら、自分も同じようにした方がいい。(でも、どこに……) 銀行の貸金庫に入れることも考えた。 けれど、母の貸金庫はまだ相続手続きの途中だ。 すぐには使えない。 新しく自分で契約するにしても、今日明日で用意できるとは限らない。 綾香は駅へ向かいながら考え続けた。 そして、ふと一人の顔が浮かぶ。「……遥臣」 母の手紙を預かっていた九条先生の息子。 御影家の外にいる。 それに、少なくとも今の綾香が信頼できると思える相手だった。 けれど。(誰にも言わないでって言われたのよね) 女性との約束を破ることになる。 綾香はスマートフォンを取り出しかけて、やめた。 明日、書類を受け取ってから考えよう。◇◆◇ 屋敷へ戻ると、玄関に理央の靴があった。(もう帰ってる……) できれば今日は顔を合わせたくなかった。 綾香はそのまま自室へ向かおうとした。「綾香」 やはり、呼び止められた。 廊下の奥から理央が歩いてくる。「おかえり」「ただいま」「出かけてたんだ」「ええ」 綾香はそれだけ答え、歩き出そうとする。「どこ行ってたの?」 まただ。 綾香は足を止めた。「理央」「何?」「この前、話したでしょう」「……聞いただけだよ」「答えたくないって言ったの」「でも、最近ずっとそうじゃないか」
last updateLast Updated : 2026-08-22
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星印の意味

『理央が来た』『理央、夕食』『理央、泊まり』 綾香は何度もその文字を見返した。 間違いなく母の字だ。 けれど。(待って) これだけで理央を疑うのは早い。 母自身も、最後まで誰かを名指ししてはいなかった。「この星印……お母様が何のためにつけてたのか、聞いてませんか?」「いいえ」 女性は首を振った。「その書類自体、私は今初めて見たから」「そうですよね……」 綾香はもう一度、記録を最初から確認する。 星印がついている日。 ついていない日。 体調が悪化した時間。 食事や飲み物。 薬。 そして、その日にあったこと。 理央の名前がある日と、ない日がある。 逆に、理央が来ていても星印のない日もあった。「……違う」「何か分かった?」「理央が来た日につけてる印じゃないみたいです」 女性も書類を見る。「本当ね」「だったら、この印は何……?」 一枚ずつ並べていく。 星印がある日の記録には、必ず体調の変化が書かれていた。『強い眠気』『吐き気』『めまい』『動悸』 症状は一定ではない。 けれど、普段より明らかに体調を崩した日に、星印がつけられているように見える。「体調が悪かった日……?」 綾香は呟いた。 だとすれば、理央の名前が何度も重なっていることには意味があるのだろうか。 偶然。 そう考えることもできる。 当時の理央は御影家へ頻繁に出入りしていた。 母と顔を合わせる機会だ
last updateLast Updated : 2026-08-22
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預けたいもの

 女性と別れた綾香は、そのまま病院へ向かった。 バッグの中には、母が残した封筒が入っている。 電車に乗っている間も、何度か手で確かめてしまった。(大丈夫。ちゃんとある) 三年間、母の友人が守ってくれていたものだ。 自分が受け取ったその日に失くすなんて、絶対に嫌だった。 病院へ着くと、遥臣にメッセージを送る。『着いた』 しばらくして返信が来た。『一階』 ロビーへ入ると、少し離れたところに遥臣が立っていた。「遥臣」「来たか」「仕事中なのにごめん」「少しなら空いてる」 遥臣は綾香の顔を見たあと、その手元へ視線を落とした。「預けたいものって何だ」「これ」 綾香はバッグから茶色い封筒を取り出した。 遥臣が受け取ろうとして、綾香は一瞬手を止める。「……中、見ないでね」「分かった」「聞かないの?」「何を」「何なのか、とか」「見ないで預かれって話だろ」「そうだけど……」 相変わらずだ。 綾香は封筒から手を離した。「大事なものなの」「ああ」「家には置いておきたくなくて」 遥臣の目が綾香へ向く。「何かあったか」「……まだ分からない」「そうか」 それ以上は聞かない。 綾香は少し迷ってから続けた。「それと、お願いがもう一つあるの」「何だ」「この中に、お母様の昔の検査結果が入ってるの」 遥臣が封筒を見る。「検査結果?」「それだけは見てほしい」「さっき見ないでって言っただろ」「だから、全部じゃなくて
last updateLast Updated : 2026-08-22
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検査結果

『親父にも確認したい』 綾香はそのメッセージをしばらく見つめていた。 遥臣がそう言うということは、何か気になるところがあったのだろう。『分かった』 返信する。 すぐに電話をかけようかとも思った。 けれど、遥臣自身もまだ確認したいと言っている。(今聞いても、分からないわよね) 綾香はスマートフォンを置いた。 焦ってはいけない。 母も、分からないから記録を残したのだ。 今度は自分が、一つずつ確かめる。◇◆◇ 翌日の昼過ぎ。 遥臣から電話がかかってきた。「もしもし」『今、話せるか』「うん」『昨日の検査結果、親父にも見せた』 綾香は姿勢を正した。「何か分かった?」『断定はできない』「……うん」『ただ、何度か肝機能の数値が悪くなってる』「肝臓?」『ああ。そのあと戻ってる時もある』「それって、病気だったってこと?」『それだけじゃ分からない』 遥臣の答えは端的だった。『薬でも変わる。体調でも変わる。検査結果だけ見て原因を決めるのは無理だ』「じゃあ、お母様が赤い線を引いてたのは……」『そこが気になってたんだろうな』 綾香は母の記録を思い出した。 何を食べたか。 何を飲んだか。 何時に薬を飲んだか。 そして、その日の体調。「遥臣」『何だ』「記録の中に、お母様が飲んでた薬の名前もあるの」『ああ』「それを見れば、もう少し分かる?」 電話の向こうで少し間があった。『可能性はある』「じゃあ、見てもらっていい?」『他の書類も見ることになるぞ』「あ……」 綾香は黙った。 昨日は、検査結果以外は見ないでほしいと頼んだ。 けれど、薬の記録は母が残した一覧の中にある。「分かった。薬のことが書いてあるところは見て」『いいのか』「うん」『分かった』 そこで会話が途切れる。 綾香は少し迷ってから尋ねた。「九条先生は何て?」『親父も同じだ。結果だけじゃ分からないって』「そう……」『ただ』「何?」『昔、お前の母親から相談された時のことを、もう一度確認したいらしい』「どういうこと?」『記録にある薬と、当時聞かれた内容が繋がるかもしれない』 綾香の指に力が入る。「今日、分かる?」『診療が終わってから見る』「私も行った方がいい?」『来なくていい』「でも――」『分かったら連絡する
last updateLast Updated : 2026-08-22
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父は殺させない

 電話を切ったあとも、綾香はスマートフォンを握ったまま動けなかった。『可能性の一つとしてはな』 遥臣はそう言った。 母が残した記録だけでは、三年前に何があったのかを証明することはできない。 けれど、綾香には引っかかる言葉があった。 前世で、理央が口にした言葉。 ――母の死の真相。「……まさか」 声が震えた。 これまで、その言葉が何を意味するのか分からなかった。 母の死にも何か秘密があった。 その程度にしか考えられなかった。 けれど今は違う。 母は亡くなる前、自分の体調不良を不審に思っていた。 薬まで疑い、自分で管理した日は症状が出なかったと記録している。 そして、その頃から御影家には理央が出入りしていた。(お母様の死の真相って……) 綾香の指先が冷たくなる。(理央がお母様を殺したってことだったの?)「……ひどい」 母は理央を昔から知っていた。 幼い頃から御影家へ出入りしていた理央を、家族同然に迎えていた。 一緒に食事をしたことも何度もある。 母が理央を邪険にしたところなど、綾香は一度も見たことがない。 それなのに。「なんで……」 自分を陥れた。 御影家を奪った。 父のことまで狙った。 それだけでも許せなかった。 けれど、そのずっと前から。 理央は母にまで手をかけていたのだとしたら。(絶対に許さない) 怒りで身体が震えた。 母はもう帰ってこない。 今さら何が分かったところで、三年前には戻れない。 どれだけ理央を憎んでも、母を助けることはできない。 その時。 綾香の頭に、父の顔が浮かんだ。「……お父様」 心臓が跳ねた。 父はまだ生きている。 今世では、すでに一度倒れている。 あの時、綾香は父の様子がおかしいことに気づいた。 そして薬を遥臣のもとへ持っていき、グレープフルーツとの相互作用が分かった。 誰が仕組んだのか、証拠はない。 それでも綾香は、ずっと理央を疑っている。(もし、お母様にまで手をかけてたなら……) 理央は、綾香が思っていた以上に危険な男だ。 一度失敗したからといって、父を諦めるとは思えない。 それどころか。 自分が父の薬の異変に気づいたことで、次は別の方法を使うかもしれない。「駄目……」 綾香は立ち上がった。 母の死について調べることも大切だ。 
last updateLast Updated : 2026-08-23
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静養

 翌日。 綾香は病院を訪れていた。 昨日からずっと考えていた。 父をどうすれば守れるのか。 一日中そばについていることはできない。 食事も薬も、すべてを綾香が確認するのは現実的ではなかった。 それなら、まず理央から離せばいい。 少なくとも、今よりは安全になる。「遥臣」 診療を終えて出てきた遥臣に声をかける。「何だ」「ちょっと相談があるの」「またか」「何よ、その言い方」「最近多いだろ」「仕方ないじゃない」 遥臣は綾香を見る。「それで?」「お父様のことなんだけど」 遥臣の表情が少し変わった。「また具合悪いのか」「ううん。今は大丈夫」「じゃあ何だ」「少し静養させたいの」「静養?」「この前倒れたでしょう?」「ああ」「今は元気だからって、もう普通に仕事してるの。家に帰ってきても書斎にいるし」 実際、それは嘘ではない。 昨日だって父は遅くまで書斎で仕事をしていた。「だから、少しくらいちゃんと休んでもらった方がいいんじゃないかなって」「本人は?」「絶対、大丈夫だって言うと思う」「だろうな」「でしょう?」 綾香は小さく息を吐いた。「家にいたら仕事するし、普通に旅行へ行こうって言っても、忙しいって断られそうだし……何かいい方法ないかな」「何で俺に聞く」「お医者さんなら、そういうの詳しいかと思って」「雑だな」「でも間違ってないでしょう?」「まあな」 遥臣は少し考える。「別に、どこかに入院する必要はないだろ」「それは分かってる」「仕事から離したいな
last updateLast Updated : 2026-08-23
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静養先

「そういえば」 帰ろうとしていた綾香は、ふと足を止めた。「静養って、どのくらいさせた方がいいの?」 遥臣が振り返る。「本人の状態による」「それは分かってるけど。二週間くらい?」「それじゃ旅行だろ」「そうなの?」「静養させたいなら、一か月くらいは考えてもいいんじゃないか」「一か月……」 思っていたより長い。 けれど、綾香にとっては都合がよかった。 一か月もあれば、その間に理央から父を守る方法を考えられる。「もっと長くてもいい?」「本人が嫌がらないならな。最初から期間を決めなくても、一か月くらいで様子を見ればいい」「なるほど……」「仕事を全部やめさせる必要もない。量を減らして、生活を整える方が現実的だろ」 それなら父も受け入れてくれるかもしれない。「じゃあ、どこがいいと思う?」「本人の好みだろ」「一般的に。静養するならどういうところがいいの?」「温泉とかじゃないか」「やっぱり温泉?」「年配には受けるだろ」「お父様をおじいちゃん扱いしないで」「年配と言っただけだ」「似たようなものでしょう」 遥臣は気にする様子もなく続ける。「暑いのが嫌なら避暑地でもいい」「軽井沢とか?」「その辺だな」「一か月か……」 綾香は考え込んだ。 一か月も滞在するのなら、いっそ。「海外はどう?」「海外?」「ハワイとか。気分転換にもなるでしょう?」「あまり勧めない」「どうして?」「この前倒れたばかりだ。長時間の移動もある。何かあった時に面倒だ」「今は元気よ?」「静養させ
last updateLast Updated : 2026-08-23
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父を休ませるために

 その日の夜。 綾香は自室で、静養先の候補を調べていた。 遥臣に言われた条件を、一つずつ確認していく。 長期滞在ができること。 食事に困らないこと。 仕事ができる環境があること。 近くに医療機関があること。 そして――。(東京から、簡単には来られないところ) これは遥臣には言っていない、綾香だけの条件だ。「箱根は……近すぎるわね」 都内から気軽に行けるのは、本来なら利点だ。 けれど今の綾香にとっては、むしろ欠点だった。 軽井沢も同じだ。 新幹線を使えば、東京からそれほど時間はかからない。「那須は……」 悪くない。 けれど、もっといい場所があるかもしれない。 検索を続けているうちに、候補はどんどん増えていった。 山梨。 長野。 新潟。 東北にも温泉地はいくつもある。(でも、遠ければいいってものじゃないのよね) 父に何かあった時、すぐ病院へ行けなければ困る。 母と同じ目に遭わせないために逃がすのに、体調を崩した時に助けられない場所を選んでは意味がない。「難しい……」 綾香は机に突っ伏した。 しばらくして顔を上げる。「……先に、お父様に聞いた方がいいのかな」 遥臣にも言われた。 結局、本人が嫌がればどうにもならない。◇◆◇ 翌朝。 朝食の席で、綾香は父の様子を窺っていた。「お父様」「ん?」「今年、夏休み取った?」「夏休み?」 父は不思議そうな顔をした。「会社員じゃないんだから、そういう取り方はしてないな」「じゃあ、最近まとまって休んだのは?」「……いつだったかな」「覚えてないの?」「必要があれば休んでるよ」「絶対休んでないでしょう」 綾香が睨むと、父は苦笑した。「何だ、急に」「この前倒れたばっかりなのに、もう普通に仕事してるから」「もう問題ないよ」 予想通りの答えだった。「そう言うと思った」「本当に大丈夫なんだが」「九条先生にも相談したの」 父の手が止まった。「九条先生に?」「うん。少しくらい休ませた方がいいんじゃないかって」「綾香……」「先生も、無理する必要はないって言ってたわ」「それはそうだろうけど」 父は困ったように息を吐いた。 完全に嫌がっているわけではない。 押せばいけるかもしれない。「一か月くらい、どこかでのんびりしない?」「一か月
last updateLast Updated : 2026-08-23
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橘を残す方法

 父と橘を見送ったあと、綾香はしばらくその場に立っていた。(橘を一緒に行かせるわけにはいかない) 橘が理央に協力しているとは限らない。 むしろ、これまでの様子を見る限り、綾香のことを気遣ってくれているようにも思える。 それでも、理央の父親だ。 何も知らないまま、息子に父の滞在先を話してしまう可能性だってある。 今は少しでも危険を減らしたい。(でも、お父様に橘を連れて行かないでなんて言ったら……) 当然、理由を聞かれる。 うまく説明できる自信はなかった。◇◆◇ その日の午後。 綾香は静養先を探しながら、別のことも考えていた。 どうすれば、父だけを屋敷から離せるのか。「……付き添いがいらない場所?」 一か月も滞在する。 父一人では不便だから橘を連れていく、という話になるのなら。 最初から身の回りのことをすべて任せられる場所にすればいい。 食事。 掃除。 洗濯。 必要なら荷物の受け取りや車の手配まで頼める。 普通の温泉旅館より、長期滞在に対応したホテルの方がよさそうだ。(それなら、橘がいなくても困らないわよね) 綾香は検索条件を増やした。 長期滞在。 ルームサービス。 ランドリーサービス。 送迎。 近隣の医療機関。 仕事のできるデスクとインターネット環境。「結構あるのね……」 候補を見ているうちに、ふと手が止まった。(でも、お父様が仕事をするなら……) 橘は身の回りの世話だけをしているわけではない。 仕事に関する予定や連絡も把握している。 父が「橘がいた方が楽だ」と言えば、それまでだ。「難しい……」 綾香は椅子の背にもたれた。 どうすれば不自然にならず、橘を屋敷に残せるのか。 しばらく考えていると、一つの考えが浮かんだ。「……逆?」 橘を連れて行かせない理由を作るのではない。 橘が屋敷を離れられないようにすればいい。 父が一か月も不在になるのだ。 その間、屋敷の管理をする人間は必要になる。 父がいないからこそ、橘にはこちらに残ってもらう。(これなら、おかしくないかも) むしろ長年屋敷を任されてきた橘なら、自然な役目に思える。 綾香は少しだけ気持ちが軽くなった。◇◆◇ 夕方。 帰宅した父を捕まえ、綾香はさっそく話を切り出した。「お父様」「今度は何だ?」「まだ何も言
last updateLast Updated : 2026-08-24
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遠すぎず、近すぎず

 翌日。 綾香は自室の机にノートパソコンを広げ、昨日よりさらに条件を絞って静養先を探していた。 父から、長期滞在そのものについては反対されなかった。 橘を屋敷に残すことにも、それほど抵抗はなさそうだった。 なら、あとは場所を決めればいい。「軽井沢……やっぱり近いのよね」 静養先として考えれば、悪くない。 夏でも過ごしやすく、長期滞在向けの宿泊施設も多い。 けれど、東京からのアクセスがよすぎる。(理央が来ようと思ったら、すぐ来られる) 箱根も同じだった。 伊豆も場所によっては近い。「もっと遠く……」 そう呟いて、綾香は遥臣に言われたことを思い出す。『医療機関へのアクセスは考えておけ』 遠ければいいわけではない。 父の身体を守るための静養なのだ。 綾香は地図を開いた。 東京からはある程度離れている。 けれど、現地には病院がある。 長期滞在できるホテルもあり、父が仕事をする環境も整っている。「……難しいわね」 いくつか候補を保存していると、スマートフォンが鳴った。 遥臣だった。『親父がお前の父親に電話した』「えっ」 綾香はすぐに電話をかける。「もしもし。九条先生、何て?」『休めって』「それだけ?」『他に何を言うんだ』「もうちょっとあるでしょう」『無理して仕事する必要はない。一度環境を変えて休むのもいいんじゃないかって』「それで、お父様は?」『俺が知るか』「あ、そっか」 綾香は苦笑した。「でも、これで少しは行く気になってくれるかも」『まだ探してるのか』「うん。候補が多くて決められないの」『本人に選ばせればいいだろ』「ある程度は私が絞りたいの」『好きにしろ』「ねえ、遥臣ならどこにする?」『俺が行くわけじゃない』「参考に聞いてるの」 電話の向こうで、小さなため息が聞こえた。『条件は?』「長く泊まれて、仕事もできて、食事に困らなくて、病院も近いところ」『前と同じだな』「あと、東京から少し離れてるところ」『どのくらい』「……結構」『曖昧だな』「新幹線で一時間とかだと、あんまり休んだ感じがしないでしょう?」 口にしてから、自分でも少し苦しいと思った。 けれど遥臣は特に気にした様子もなかった。『なら飛行機使うところでも探せばいい』「飛行機?」『北海道とか九州とか』 
last updateLast Updated : 2026-08-24
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