モニカ・マルテキーズはいつも俺を緊張させた。
淡い水色のロングドレスで現れた彼女は誰にも見せたくないくらい美しかった。
ゴテゴテと宝飾品で着飾り、自分たちを少しでも美しく見せようと必死な貴族令嬢たちが滑稽に見えた。 皇妃の艶やかなプラチナブロンドの髪が、ステップを踏むたびに揺れてキラキラ揺れて見惚れた。大勢の人間が舞踏会会場にいるのに、俺には彼女しか見えなかった。
俺にそっと体を預けながら踊る彼女を愛おしく思った。しかし、そんな夢のような気分に浸れたのは束の間だった。
俺とのダンスが終わるなり、彼女は他の男と連続して踊り出した。
体をくっつけて、見つめあって、まるで恋人同志のようだ。
彼女はそうやって相手を誤解させて、籠絡する天才なのだろう。
(俺も危うく騙されるとろだった⋯⋯)そして、カイザーに何か声を掛けたかと思うと、よりによってレイモンド・プルメル公爵の息子ジョージア・プルメル公子と舞踏会会場を出ていった。
「皇妃殿下はプルメル公子と休憩室に向かわれたようです」
侍従が耳打ちしてきた言葉に脳が沸騰するのを感じた。 彼女はジョージア・プルメル公子を籠絡して、プルメル公爵家と結託し俺を貶めようとしているのではないだろうか。直ぐにでも休憩室に向かいたいが、カイザーの挨拶を聞いてからにしようと思った。
いつもより、表情が暗いカイザーは徐に俺の隣に来た。
「カイザー、5歳の誕生日おめでとう」
「兄上、今までご迷惑お掛けしました」(迷惑? なんのことだ?)
カイザーの返しを不思議に思っていると、彼は徐に口を開き挨拶を始めた。
「皆様、本日は僕の誕生日を祝いに来て頂きありがとうございます。僕は5歳になりました。僕は罪人の息子です。その責を負って僕は皇位継承権を放棄する事をここに宣言します」
周りがカイザーの思っても見なかった宣言に騒ぎ出す。
(皇位継承権を放棄するだと?)俺は彼に彼の母親エステラが俺の母タルシア・バラルデールに、毒を長期に渡り盛っていた事で処刑されたことを秘密にしていた。
いずれ真実を知られてしまうかもしれないが、5歳の子が背負うにはあまりに悲惨な出来事だ。
悪いのは彼の母親であって、カイザーには何の罪もない。
どうして、急に彼が皇位継承権を放棄するなどと宣言したのか理解できなかった。 (もしかして、今朝、俺の母上が死んだことを知ったんじゃ⋯⋯)公にしていない情報が漏れて、その死因から自分の母親の罪を知った可能性がある。
俺の母が死んだことを知っているのは、現時点で皇宮医と俺だけだ。
(モニカ・マルテキーズにも話してしまったか⋯⋯)本当は皇妃のことが心配で、1週間ほとんど意識が戻らない彼女に付き添っていた。
そのような中、急に母が息を引き取ったと情報が入った。
気持ちが酷く落ち込んで、つい目覚めた皇妃に弱音を吐いてしまった。
彼女は天使の顔をした悪魔で油断をしてはいけなかった。俺は直ぐ様、休憩室に赴いた。
すると、まるで恋人のようにジョージア・プルメル公子と親密になっている皇妃がいた。
俺は気がつけば、思いつく限りの罵詈雑言を彼女に浴びせていた。
彼女が謝ってきたが、俺は許すつもりがなかった。 俺が彼女に心を許したせいで、大切な弟が傷つけられた。休憩室を出たところで、カイザーと出会した。
「カイザー、何であんなことを⋯⋯皇妃に何か言われたのか?」「兄上、素敵な方を妻に迎えられましたね。皇妃殿下は僕が孤立していたら、側に来てくれてお祝いの言葉をかけてくれました。兄上、実は僕はずっと知っていたのです。僕の母上の罪を⋯⋯兄上は僕を想い真実を隠し続けてくれていましたよね。それでも、もう5歳になったのだから、自分でけじめをつけようと思っておりました」
(ずっと、知っていた?)確かにカイザーの母親が処刑されて以来、彼はずっと孤立していた。
母親の罪があっても、幼さを理由にカイザーの皇子の身分は剥奪されなかった。
それでも、誰もカイザーのことを皇子として扱わなくなった。そのような不自然な状況が続いていたのに、俺はどうして真実が隠し通せると浅はかなことを考えていたのだろう。
たった今、俺は頭に血がのぼって全てを勝手に皇妃のせいにして彼女を責めてしまった。
よく考えれば、皇妃は母の死因までは知らないはずだ。(俺は彼女に何を言った?)
興奮状態で何を言ったか正しくは思い出せない。
彼女が俺を陥れようとしていたとしても、遠方から嫁いできた王女に浴びせる言葉ではなかったはずだ。
休憩室の扉が開き、ジョージア・プルメル公子が皇妃を愛おしそうに抱き上げているのが見えた。
まるで恋人同士のような姿にイラつくも、皇妃がぐったりしていて心配になる。
彼女の顔は血の気が引いていて、意識を失ったのが分かった。「ジョージア・プルメル公子、余の妻の体に勝手に触るな。無礼だぞ」
「それは失礼致しました。陛下が皇妃殿下を妻として扱っているとは、とても見えなかったもので、そのような注意を受けるとは心外です」
ジョージア・プルメル公子の挑戦的な目に一瞬苛立つも、俺は他の男が皇妃に触れているのが許せず彼女をさっと受け取った。公子と挨拶以外でまともに会話をするのは初めてだが、父親以上にムカつく男のようだ。
プルメル公爵家とは本当に目障りな貴族家だ。 代々帝国の宰相職について行政を司っているせいか、まるで自分たちが皇家と同等と勘違いしているような気さえする。羽のように軽い彼女は本当に天使のようだ。
そして、苦しそうな顔で目を瞑っている。彼女は3時間前まで、1週間も目を覚まさなかったのだから当然だ。
そんな体調の中、舞踏会に出てカイザーにお祝いを言ってくれた。また、言いようのない彼女に対する愛おしさが込み上げてきた。
彼女が目を覚ますまで、きっと俺は彼女からまた離れられないだろう。「退屈なんてさせてくれるつもりはあるのか? モモ、君はかなり愉快な女だぞ。それよりも、君こそ俺と2人きりで良いのか? その⋯⋯ジョージアを連れて来ても⋯⋯」 アレクはいまだに私とジョージの仲を疑っている。 私は彼に近づき唇を軽く舐めた。「えっと⋯⋯それは、俺だけで良いという返事なのか? だったら、口づけで返して欲しいのだが⋯⋯たまに、君の行動が犬っぽくて⋯⋯」 アレクは頭を掻きながら困惑していた。「これだけ一緒にいるのに、まだ私の気持ちを疑っている人には口づけなんてしません」「それは、君も俺だけを好きだと言うことで良いのか?」 いちいち言質をとって来ようとするアレクに深く口づけをする。 もう随分と慣れた私を安堵させる味を感じる。 彼も私を思いっきり強く抱きしめてきた。「アレク⋯⋯カイザーに譲位するまで、解決できる問題は全て解決しますよ。あの子の心を煩わせる全てのものを取り払うのです」「モモは俺以上にカイザーに対して特別な感情を持っている気がするのだが⋯⋯」 アレクは鋭い。 彼の言う通り、私は出会った時からカイザーと元飼い主のルイを重ねている。「当然です。私はカイザーの忠犬ですよ。そして、あなたが愛する妻です」 忠誠を誓う相手、私を家族のように愛してくれる人を見つけた。 私は、今、最高に幸せだ。
「本当に私だけを思い続けてくれますか? この先、私が老いて醜くなっても?」 彼の頬を包み込みながら伝えた自分の声が驚く程、震えていた。 美しさという武器を失えば、犬のモモであった時のように粗末に扱われそうで怖かった。「モモ⋯⋯確かに、君は美しい。だけれど、俺が愛しているのは君の繊細で傷つきやすい純粋な心なんだ。いつも陰で俺のために動いてくれているって知ってるんだぞ。君は尖って見せているが、とても優しい人だ。君がどのような姿になっても、たとえ犬でも愛している」 アレクは私が過去に犬だったことを知らないのに、まるで全てを知っているかのような言葉を伝えてきた。「アレクが他の女と一緒にいるのは本当は嫌です。カイザーが成人したらすぐに譲位し私と2人長いお散歩に出かけませんか? ずっと、2人きりだと退屈するかもしれませんが⋯⋯」 私は初めて包み隠さない心の内を彼に伝えた。 私は彼に12年後には退位をするように迫っている。 これは完全な私の我儘だ。 ずっと神経を張り詰めらせて暮らして来た。 皇宮の創られた空間ではなく、本当は季節を楽しみながら愛する人と色々な事を体験したい。 世界を巡りながら美味しいものを食べたり、喧嘩しては仲直りするような毎日を過ごしたい。 役に立たない存在になった私を彼に愛して欲しいと言う希望。
あれから1年の時が経った。 私の執務室の机には父からの手紙が机の上に積み重なっている。 私はその手紙の束から1つをとった。『モニカ、なぜ、手紙を返さない! まさか、あの若造皇帝にお前が誑かされたのではあるまいな⋯⋯』 手紙の内容は私を罵倒する言葉が羅列していた。(父は本当に私を道具としか考えていない⋯⋯) 人に忠誠を誓う元犬であった私。だけれども、私を捨てた相手までに忠誠は誓えない。 マルテキーズ王国の規模では私の助けなくバラルデール帝国を責めるのは不可能だ。 私は意を決して、席をたちアレクの執務室に急いだ。 ノックをして部屋に入るとアレクとその補佐官は私の登場に驚いていた。 アレクが手を挙げて補佐官を下がらせる。「モモ、どうした? お腹が空いたのか?」 アレクの的外れな言葉に思わず苦笑いが漏れた。 彼は不思議な人だ。 気性も荒く自分勝手で最初であった時は、対応に困った。 それでも、今は何よりも私を優先してくれているのが分かる。「アレク、カイザーを立太子させてください。私はもう子供を産めません」 今まで何度もアレクに他の女を迎えるよう提言してきた。 その度に彼は私以外は必要ないと言ってきた。 その言葉は私を喜ばせたが、同時にプレッシャーにもなってきた。 カイザーは皇位継承権を放棄しているが、本人とアレクが望めば彼が皇位を継ぐことが可能だろう。「モモ、本当にすまなかった。俺は償いようもない過ちを⋯⋯」 アレクが立ち上がり私をそっと抱きしめてくる。 彼は意外と感受性が豊かで私が苦しい気持ちになるとその気持ちを受け取るように目を潤ませる。 私は泣いている顔を隠そうとする彼の頬を包み込んだ。
「アレクが誰より想っているのは自分でしょ」モモはそう言うと俺の唇を少し舐めた。(これがご褒美ということで、納得しろって事なんだろうな⋯⋯)彼女を縛りつけても日に日に距離は遠ざかるばかりだ。俺ばかりが彼女のことを考えている。 俺が自分勝手で自己中心的であることは自覚している。それでも、俺は自分と同じくらいモモを大切だと思っていた。(毒を盛った俺が何を言おうとこの気持ちが伝わる気がしない⋯⋯)「スラーデン伯爵の爵位を剥奪し国外追放にするにした」俺の言葉にモモが苦笑いする「首を切ると脅せば、何か吐いたかもしれませんよ? 中途半端な処罰ですね。生きるか死ぬかの罰を犯した彼にとってはラッキーだったでしょうね」 モモは俺よりも多くをみえていて洞察力が鋭い。 俺もスラーデン伯爵の裏に誰か潜んでいるのは感じ取っていた。 しかし、そこは曖昧にしてしまってバランスを保つのが良いと思った。プルメル公爵一族を処刑した後で、帝国は処刑に対して敏感になっている。俺が言い淀んでいると彼女は少し呆れたような顔をした。 「アレクは今、私のご主人様です。あなたの意向に従います」 モモがぺこりと頭を下げるが俺が欲しいのはそんな彼女の反応じゃない。(ただ、俺のことが好きだと言って欲しい)「その⋯⋯ジョージアに会っても良いぞ⋯⋯」 情けないことに彼女に好かれる為に何をして良いのか全くわからなかった。だからと言って、彼女の希望を叶える為に浮気相手に会っても良いと言っている俺はどうかしている。「おびき寄せて、彼を殺す気ですか? 結構です。私と彼は会えなくても、心は通じ合ってますので」 モモは俺の傷つく言葉を平気で言ってくるようになった。 そのことから、彼女が早く俺から離れたいと思っていることが伝わってくる。 まるで、近くにいても心の通じない俺と彼を比べられているようだ。 誰かと比べられて劣っていると言われる事はおろか、誰かと比べられること
スレラリ草の毒に侵されている状態だと聞いたが、突発的な熱と不妊以外は気にする必要がないだろう。 私は私のやるべき事をやるだけだ。 私は朝から、ずっと私と過ごそうとするアレクを引き剥がして部屋で今後の対策をしていた。 アレクは私がブームなのだろう。 本当に人間とはどこの世界でもトイプードル、パグ、チワワとブームによって可愛がるペットを変える。 私はそのようなブームさえもない雑種犬だった。 今は時の皇帝のブームになっているのだから、感謝して彼に尽くすべきだろう。 ノックの音と共に、見知らぬ令嬢がやってきた。侍従に連れられてきたその少女は茶色い短い髪と瞳をした割と地味な女の子だ。 彼女からは私への敵意を感じないので、不思議な感じがした。 「モニカ・マルテキーズ皇妃殿下に、リアナ・エンダールがお目にかかります」 「エンダール伯爵の娘さん。どうぞ、入って」 私の言葉に緊張しながら部屋に入ってくる彼女をみて、私の警戒心はとけていった。「皇妃殿下、しょ、処刑されてしまったジョ、ジョージ・プ、プルメル公子よりお手紙を預かってきました⋯⋯」 泣き出すリアナ嬢はジョージが本当に死んだと思っているのだろう。 明らかに手が震えていて、今、遺言を私に託すとばかりに手紙を渡してくる。「とにかく、そこに座ってくれる?」 リアナ嬢は嗚咽を耐えながらソファーに座った。 手紙の封を開けて私は思わずため息をついた。(ジョージ⋯⋯この手紙の危険性に気がつけないの?) ジョージは私の悩みを解決しようと、私と友人になれそうな令嬢を探してくれていたようだ。 マリリンとは関係がない私の助けになってくれそうな、令嬢や夫人たちがリストアップしてある。 プルメル一族の処刑の後に建国祭があって、私が準備をしなくてはいけない事を心配してくれていたようだ。 リアナ嬢はジョージとアカデミー時代の同期だったらしい。 彼女は見るからに貴族世界で揉まれてきたとは思えない純粋そ
「アレク、起きてください! 重いです」 私の昨日の高熱の原因はスレラリ草の毒だったらしい。 もう、子が望めないと皇宮医が言っているのを聞いて泣いてしまった。 アレクは私を抱きしめて寝てしまったようだが、非常に重い。「モモ、熱は下がったのか」 起きるなり、私の額に手を当ててくる彼は心底私を心配しているようだ。「はい⋯⋯それから、アレクが私に申し訳ないと思う必要はないです。毒を盛られる可能性に気がつけなかった私に落ち度があるのですから」 私はランサルト・マルテキーズの娘で、私に子が産まれたら自分にとって危険だと感じ毒を盛るのは想像できた。 普段の私だったら予想できる事が、犬の記憶が蘇ったことで主人に対する疑念より忠誠の心が勝っただけだ。 「そんなこと言わないでくれ! 俺が毒については絶対に何とかするから」 アレクが私をキツく抱きしめてくる。 彼自身も、毒を何とかできるとは期待できないだろう。 そのような事ができていたらタルシア前皇后は死んでいない。「アレク、それよりもスラーデン伯爵の問題に集中してください。あと、おそらくマルテキーズ王国がまた刺客を送ってくると思います。レイ・サンダース卿より厄介な、ルイーザ・サンダース卿を⋯⋯」 「ルイ! ルイが来るのか?」 ルイーザ・サンダース卿はレイ・サンダース卿の双子の妹だ。 私がルミナを返したので、メイドという設定で送り込まれてくるかもしれない。 (ルイって、なぜ愛称で呼んでるの?)「アレクはルイーザ・サンダース卿をご存知なのですか? 彼女は女性ということで油断されますが、レイ・サンダース卿と並び立つ暗殺術を持っています。本当に女好きなのですね⋯⋯命が狙われるかもしれないというのに⋯⋯」「えっ? ルイーザ? 女? 違う、俺は女は好きじゃない。誤解してないでくれ、モニカだけが好きなんだ!」 アレクの言葉は嘘じゃないだろう。 確かに彼の瞳からは私への好意を感じる。 ただ、その好意はやがて気まぐれのように終わる事を私が知っているだけ