「はい。ちょっと仕事のことで、相談が……」 ……ほら、やっぱりね。「そうだと思った。 なんなの?なんかトラブルでも起きた?」「……あの、実はですね」 英二困惑したような顔で口を開く。「なによ? 早く言いなさいよ」「……実は、僕が取引してる会社が、突然契約を取り下げたいって言ってきたんです」「ええっ!? ちょっと、どういうことよそれっ!」 なんで突然、そんなことに……!?「実は、取引内容が、あまりにも条件が悪すぎると言われまして……」「ええ?あれのどこが条件悪いって!? どこの会社よりも条件はいいじゃないの!……なのになんで、そうなった訳?」 急に考えを変えてくるなんて、ありえない!「僕にもそれは、分かりません。……ただ、もっとサービスがほしいという要求が、ありました」「なにふざけたこと言ってるの!?うちの会社は、一応トップの業績なのよ? それなりのサービスはしてるつもりだけど?」 ちょっと、ありえない。あれで条件が悪いですって……?「でもサービスが足りないって言われた以上、これ以上は僕にも、どうすることも出来ません」「なに言ってんの。アンタが弱気になってどうするの!これはアンタの取引が初めて上手く行くチャンスなのよ!? 名誉がかかってるの」 一体、どうしたらいいのかしら……。「でも僕、もう自信がありません。……どうしたらいいのか、分からなくて」「寝ぼけたこと言わない!なにがなんでも、成功させるのよ!」「……先輩?」 困惑した英二に向かって、私は「いい?せっかくアンタに、チャンスが回ってきたのよ? このチャンスを逃してもいいの?」と問いかける。「……それは」「アンタ、私に憧れてあの会社に入ってきたんでしょ? なのにもう、弱音を吐く気?」「……でも、自信がなくて」 弱気な英二に、私「いい?英二、よく聞いて」と英二を見る。「私だって会社に入った頃は、まともに仕事させてもらってなかったのよ。 毎日ずーっと雑用ばっかり、押し付けられてただけだったんだ」 こんな会社、くそくらえと何度思ったことか。「でも自分が入りたいと思ったから、雑用でも頑張ったの。 そしたら、私も仕事がもらえるようになって、任せてもらえるようになったの」「……そうなんですか?」「そうよ。だから仕事するってことのありがたみが、分かるの。……それが
* * *「……んっ」 翌朝朝ゆっくりと目を覚ますと、昨日まで隣にいた課長の姿はなかった。 その代わり、書き置きしてあるメモが置いてあった。《瑞紀へ瑞紀は今日仕事休みだよな。俺は今日大事な仕事があるので、もう仕事に行きます。気をつけて帰れよ》「……課長」 疲れてるのに、心配してくれてるんだ。 課長、私はずっと、課長のそばにいますからね。 課長に"愛してる"って言われると、なんだか恥ずかしい。 でもその言葉、すごく嬉しいんだ。 その後私も、ホテルをチェックアウトして家に帰った。「ただいま」 家に帰ると、留守電が入っていた。「あれっ……留守電?」 誰だろう。……もしかして、課長かな? 私は、スーツの上着を脱ぎながら留守電を再生した。「もしもし瑞紀?お母さんだけど。アンタ最近全然連絡よこさないけど、元気にやってるの? ちゃんと食べてるの?それと、あんまりムリはしちゃダメよ。たまには、連絡よこしなさいよ」 なんだ、お母さんか……。でもお母さんにも色々迷惑かけちゃってるんだな、私。 ごめん、お母さん……。 私はお母さんの留守電を聞いた後、お母さんに電話をかけた。「もしもし瑞紀?」「あ、お母さん? 留守電聞いたよ。心配してくれてありがとね」「それはそうと、アンタちゃんと食べてるの? ちゃんと寝れてるの?」「大丈夫。ちゃんと食べてるし、ちゃんと眠れてるから」 お母さんは電話越しに、「そう?ならいいんだけど」と心配してくれる。「ありがとう、お母さん」「え?どうしたのよ、いきなり」「なんか、いつも心配ばかりかけちゃって、悪いなって」「なに言ってるのよ。いいのよ、そんなこと」 お母さんの存在が、今になって本当にありがたいと感じる。「……私今まで、お母さんは私の心配なんてしてないんだと思ってたよ」「なに言ってるのよ。そんな訳がないでしょ」「ほらお母さんはさ、私が一人暮らししたいって言っても、反対はしなかったでしょ。自分のやりたいことをしなさいって、言ってくれたし」 お母さんは本当に、心強い存在でしかない。「それはアンタのためを思って、言ったことよ。アンタがお母さんに初めて、自分のしたいと思うことを話してくれたんだから」「……お母さん」 お母さんがいてくれるおかけで、私は頑張れる気がする。「アンタなら一人でも
✱ ✱ ✱「お疲れ様です。課長、これに印鑑お願いします」 仕事をしてる時の瑞紀と、俺と二人で会ってる時の瑞紀は、全然違う。 会社での瑞紀は、部下に対して正確に、そして尚且つテキパキと仕事を教えたりしている。 会社での瑞紀はまさに"出来る女"って感じだ。 仕事は仕事、プライベートはプライベートときちんと公私を分けている。 俺は仕事中でも、瑞紀が気になって仕方ないというのに……。プライベートの瑞紀は、仕事の時と全く別人で、驚くほど違う気がする。「いいでしょう。これで提出してください」「はい。では失礼します」 仕事中の瑞紀は、本当に俺と会ってる時よりも真剣そのものだ。 まあ、仕事なのだから当たり前なのだが。 俺だって一応、公私を分けているつもりではあるのだが……。それに瑞紀とのことは、会社にはバレないようにしてるつもりだ。 でもハッキリ言って、正直辛い。 本当にどうしたらいいのか分からないし、瑞紀のことになると、なぜかいつも頭がいっぱいになる。 ムキになってはイケないと分かっているが、心の中で瑞紀を取られたくないと思っている。 瑞紀のことを悲しませてるくせに、取られたくないなんて、欲望に狩られる。 俺は、どうしたいのだろうか。「……佐倉さん」「はい?なんでしょうか」「ちょっと、お話があるんですが」 瑞紀を呼び出そうと、瑞紀に声をかける。「話……ですか?」「ここではあれなので、別の場所で話しましょう」「はい」 瑞紀は少し、戸惑っているようだった。「あの、お話しとはなんでしょうか?」 瑞紀は俺と、目を合わせようとはしない。「この前の返事、聞かせてくれないか」「……え?」「瑞紀、君が好きなんだ」 俺は泣きそうになっている瑞紀を、思わずそっと抱きしめてしまう。「……課長、離してください。ここは仕事場ですよ?」 瑞紀を離したくないと、思ってしまう。「課長……?」「もうちょっとだけ、こうしてたいんだ」「……じゃあ、もう少しだけですよ?」 瑞紀も俺の背中に腕を回してくれる。「ありがとう、パワーがチャージされたよ」「それは良かったです」 しかし俺は、本当に瑞紀のことが好きなんだな……。「英二、それ出来たら、課長に見てもらってね」「はい」 本当に瑞紀は、仕事熱心で、真面目だな。 俺の前でも後
「……多分、好きだと思う」「好きなのに? それじゃあアンタは、その人に対してなんて言ったの?」「時間がほしいって、言った」 続けて私は「私はその人のことが好きなの。彼はいい人だし、すごく優しい人なのよ。……でも今はまだ、彼と向き合う自信がなくて」と告げる。「自信、ねぇ……」「……なに?」「自信っていうか……それは単に向き合うのが怖いだけなんじゃないの?」 怖い……?「多分だけど、アンタは自信がないんじゃなくて、きっと自分が傷つくのが怖いだけだと思うな」「……傷つくことが、怖い?」 言われてみれば、確かに……。「確かに傷つくのは怖いし、辛いかもしれないよ。……でもね瑞紀、どんなに怖くても、私は傷つくことに意味があると思うな」「傷つくことに、意味がある……?」 それ、どういう意味……?「つまり、傷つくことで得るものがあるってことよ」 傷つくことで、得るもの……?「……傷つくことで得るものって?」「それは自分で向き合わなきゃ、分からないことよ」「向き合うことで、その答えが見えてくるってこと?」 私がそう聞くと、沙織は「つまり、そういうこと」と言葉を返す。 傷つくことでもし何かが変わるとしたら、それは自分のためになるのかな……。 もしそれで答えが見えたら、それは正しい答えと思っていいのかな?「ねぇ瑞紀、これだけは分かってほしいんだけど」 「うん……なに?」 「傷つくことが決していい答えになるとは、限らないのよ」 「……うん、分かってる」 分かってるよ、そんなこと。 それが決していい答えになるとは限らないし、傷つくだけしか得るものがないとしても。 私はそれでもちゃんと、向き合わなきゃイケないような気がする。 いつまでも課長のことを考えてたって、課長を困らせるだけ。 それにいつまでも課長から逃げてると、自分が情けなくなるだけだし。 やっぱりきちんと、向き合うべきだと私も思う。 それが正しいかなんて、私には分からないけど、答えはきちんと出したい。 自分が虚しくなるだけだってことは分かってるけど、向き合う自信だけじゃきっと……自分に素直にはなれないような気がする。「……沙織、ありがとう。少しだけ勇気出たよ」「そう。ならよかったわ」 安心したような声の沙織に、私は「……私、やっぱりちゃんと向き合
「それは分かります。……でも、不安なんです」 「不安……?」 気持ちは、ちょっと複雑だ。 課長がどこかに行ってしまうような気がして、急に不安になる。「……瑞紀、不安にさせて悪かった」「いえ……そんな」「でも俺は、もう静香とは何の関係もないし、もう会うつもりもない。……だから俺を、信じてほしい」 課長は私を優しく抱き寄せる。「それでも私は、課長のこと……信じたいです」「ああ、ありがとう瑞紀」 課長が信じてほしいと言うのなら私は、課長のことを信じたい。「瑞紀、俺はもう瑞紀のことを、不安にさせたりはしない」 私は、課長のことが好きだ。 好きだって思うから、信じたいと思うんだ。「だからこれからも、俺もそばにいてほしい」「え……?」「俺のそばに、いてほしい」「……でも」 私なんかで、本当にいいのかな……。「瑞紀には悲しい思いをさせてしまったことは、申し訳ないと思ってる。……でも今の俺には、瑞紀しかいないんだ」 本当に……? 本当に……いいのかな?「俺を"課長"としてじゃなく、"男"として見てほしいんだ」「男と、して……?」「そうだ。身体だけの関係じゃなくて、ちゃんと"恋人"として、俺のそばにいてほしいんだ。俺を見てほしい」 課長の恋人と、して……そばに?「……それって」「瑞紀、俺と付き合ってくれないか」 その言葉を聞いて、嬉しくない訳じゃなかった。 本当は、とても嬉しいんだと思う。 でも……。「……少し、考えていいですか」「え?」「少しだけ、考えさせてください。すみません」 私は、そんなすぐに返事を返すことが出来なかった。 課長の気持ちは、すごく嬉しいの。 でもそんなにすぐに、課長のことを信じられる訳じゃない。 課長の過去を聞いた所で、どうにかなる訳じゃないけど、今は少し時間がほしかった。 それに、藤堂さんのこともあるし……。私はまだ多分、課長のことを傷つけたくないんだ。「私はまだ、課長のことを完全に信じた訳じゃありません。……でも課長のことは、本当にいい人だと思ってます」 課長は複雑そうな顔をして、黙り込んでいる。「私は課長を信じたいんです。……課長が私を信じてくれてるように、私も課長を信じたいんです」「なら……どうしてだ?」 課長が口を開くけど、私は「でも今は、課長と向き合う自信が、私にはな
✱ ✱ ✱ 「おはよう、佐倉さん」「課長!……お、おはようございます」 会社に出勤すると、ちょうどバッタリ課長と遭遇した。「どうした?」「いえ……なんでもありません」 どうしよう……。昨日のことが気になって課長と顔を合わせるのが気まずいな……。「昨日は、電話ありがとう」「……いえ」 課長は私の肩を叩いてから、仕事場へと歩いて行った。「あら、おはよう瑞紀」「おはよう、沙織」 すると、私の顔を見た沙織が「ねぇアンタ、今日メイク濃くない?」と、自分のデスクに座った途端に、沙織にいきなりそう言われた。「えっ!そうかな?」 いつも通りに、メイクしてきたんだけど……。「どう見ても濃いわよ。アンタ一体、どうしちゃったの?」「どうもしないよ? ちょっと寝不足で、クマが出来てたから、クマを隠したくて……」 そう言うと、沙織は「寝不足って……アンタなんかあった?」と、私の顔を見る。「え? あ、いや……。べ、別に!? ただ友達と電話してたら、遅くなっちゃっただけ」「ふーん……?」「え……な、なに?」 なんか、怪しまれてる……?「なんか怪しいわね、アンタ」「えっ!怪しい!?」「怪しい」 すると沙織は、「アンタ、なんか隠してるでしょ?」と私を見る。「えっ!?や、やだなぁ……なにも隠してないって」 ごめん、沙織……。本当は、沙織に相談したいんだ。 でもね、沙織やみんなには迷惑をかけたくない。 だって、課長のことが気になってるなんて言えないよ……。それこそみんなに迷惑かけちゃう。「ウソつくんじゃないよ。バレバレだよ」「……やっぱり?」 沙織は、なんでも分かっちゃうんだな。 「やっぱりって……やっぱ何かあったのね、アンタ」「うん……まあ」 やっぱり沙織には、正直に話した方がいいよね……。「なに? 好きな人でも、出来た?」「好きっていうか……。ちょっと、気になるんだ」「気になるって?」「その人のことが。何ていうか……その人の前だとドキドキしたり、胸が苦しくなったりするの」 すると私は、「そんなの当たり前じゃない。恋って言うのは、そういうものなのよ」と言う。「え……?」「いい瑞紀?恋って言うのはね、ドキドキしたり胸が苦しくなったりするのが、普通なのよ」 やっぱり、そうなのかな……。「だからそんなことで、悩まなくて