あ⃞な⃞た⃞の⃞側⃞は⃞、⃞心⃞地⃞が⃞い⃞い⃞。⃞ *** 「侑さん、ただいま。」 「お帰りなさい……?」 普通に、今まで何年も共に暮らしてきたかのように「ただいま」と言う昴生に、私はまた不可解な感情を抱いた。 靴を脱いだ彼のコートを自然と受け取る自分にも驚いている。 「今日ね…撮影でリテイクが結構続いて疲れたんですよ。」 「大変だったね。お疲れさま。」 「だけど侑さんの顔見たら全部吹き飛んだ」 「私の顔で…どうしてかは分からないけど回復できたんだったら…良かった。 もしかして私の顔が面白い…とかで?」 何て言ったらいいんだろう。 彼の求めてるものが今だに良くわからなくて。 「ぷっ…侑さんの顔が面白い? 何それ…… 侑さんの顔は凄く美人さんですよ。」 何かウケたらしい。でもやっぱり最後の一文は理解できなかった。 「ねえ、侑さん。 ちょっと甘えてもいいですか……? 俺が抱きつくのは平気?」 口元は笑ってるのに。疲れた顔に疲れた声。 最近、私の事でもバタバタさせたしドラマの撮影も忙しい筈だ。 こんな私に抱きついてやはり彼が得するとは到底思えないけど。 「……大丈夫だと…思う。」 「やったあ。」 ————弾むような声が聞こえた瞬間、私の体は昴生の腕の中に包まれていた。 久しぶりに誰かに抱き締められて、心臓がバカみたいに早くなる。 「うわあ。侑さんの抱き心地、さいこう。」 「そ、そんなに……?」 「うん、興奮する。」
*** 撮影は予定より随分遅くに終わった。 アイドルの子のリテイクが続いた為だ。 スマホの時計を確認して、昴生は足早にその場を離れようとする。 「綿貫さん、お疲れ様です。」 共演者が互いに挨拶を終えて解散、スタッフが機材などを片付ける中、足を止めたのは、人気女優の浅井まりかだった。 「今日の撮影もすごく良かったです〜 さすが綿貫さんですね。」 「浅井さん。ありがとう。 浅井さんも良かったよ。」 やたら距離感の近い彼女。人当たりの良い昴生は営業用の顔で笑ってみせる。 「ねえ…綿貫さん。この後ひま…ですか? まりかと、飲みに行きません?」 ちらり、とまりかは昴生を上目遣いで見上げる。 一瞬、昴生も彼女を見下ろし、身振りをつけて口を開いた。 「あー…ごめんね。俺の帰りを待ってる人がいるから。」 全く隠す様子もなく、昴生は笑顔でまりかの誘いを断る。 「え……それって……」 「うん。そう。大事な人。」 「え、待っ……綿貫さん、もしかしてお付き合いしてる人がいるんですかっ?」 追撃を逃れるように身を躱した昴生の前に、まりかはひつこく食い付いた。 背の高い昴生を、うるうるとした瞳でじっと見上げた。 両拳を握ってあくまでもいじらしく、可愛らしく。 「それって一般人の方ですか? それとも————」 進行方向を遮るまりかの行動に、昴生は普段見せない、冷ややかな瞳をした。 「浅井さん————人のプライベートはそうやって暴くもんじゃないよね。 それくらい、浅井さんなら分かるでしょ?」 口元は微笑んでるのに。
温かい。だけど人の家のお風呂で私は一体何をやってるんだろうと思う。 湯気でぼやけた視界の中で、微かに汲み上げた湯を見つめる。 手の中から少しずつお湯は溢れていく。 それでもまたすくえば、湯は必ず私の手の中に。 光に反射して揺めきながらも存在していた。 日本一売れてる俳優は今はいないのに。 1人なのはいつもと変わらないのに。 なぜ彼の家にいるというだけで、こんなにも気持ちが変わってくるのだろう。 死にたかった。 ————あの夜は、確かに死にたかった。 もう全てが終わりだと思った。 空っぽの自分が嫌になって、この世から消えてしまいたかった。 なのに今は… 何もかもを失って、自分には価値がないという焦燥感は確かにあるのに。 それでも何で、こんなに穏やかな気持ちでいられるんだろう。 * 夕方————家事代行サービスの人がやってきた。 「あらあ。もしかして常盤侑さん!? 初めて生で見た!何てラッキーなのかしら。 可愛い〜可愛い〜わあ〜。 あ、ご紹介が遅れました。私家事代行サービスの米本って言います。 どうぞ宜しくね!」 お茶目な…乙女心を持った男性《ひと》だった。 見た目は中年のイケメンなのだが、自分はLGBTだとあっけらかんと明かす人だった。 ここが昴生の家だと分かっている人に、私の存在が気づかれてもいいんだろうか。 「うふふ。私はねえ、昴生くんとは旧知の仲なの。 だから彼のプライベートな事を誰かにベラベラ話したりしないから心配しないで♡」 「…そうなんですか。……助かります。」 もし今私がここにいる事をマスコミとかにリークされたら、間違いなく昴生に迷惑が掛
3⃞食⃞昼⃞寝⃞付⃞き⃞の⃞生⃞活⃞な⃞ん⃞て⃞、⃞し⃞た⃞事⃞な⃞い⃞。⃞ 彼の家に拘束されてから3日目。 具体的に何をしたらいいのか、さっぱり分からないまま。 ダラダラもゴロゴロも…そもそも最近は眠ることさえ苦痛で仕方なかったのに。 *** 昼過ぎには彼はドラマの撮影の為、出掛けて行った。 残された私はというと———— 薬を飲んで寝た後で目が覚めて、まずトイレに行った。 部屋の中は暖房がついていて快適だった。 もう眠る気にならなくて、ダイニングルームにあるふかふかとした高そうなソファに腰掛けた。 なぜかスマホは没収されてる。帰ったら渡すと言われた。 しかも事務所と鳥飼さんにはすでにピロリ菌と胃潰瘍治療のため、当面仕事しないと連絡済みだった。 ネットが開けない。そう考えるとクセになっていたエゴサをする必要がなくなった。 だってしたくてもできないんだから。 静かだった。立派な高層マンション。 階層はかなり上階だったと思う。 夕方近くに窓辺に立てば、綺麗な海が見渡せる。 いつもの煩い喧騒もない。 誰かの声も聞こえない。 大きなテレビはあるけど、勝手につけていいかは分からないから触らない。 私は一体ここで何をやってるんだろう。 謎だ。 「好きな事して過ごして下さいね。 俺の部屋にさえ行かなければ、どの部屋に行っても、何をしてもいいです。 冷蔵庫の中には適当な食材や飲み物が入ってるので、好きに食べたりして下さい。 夕飯には家事代行サービスでご飯を作りに人が来ます。 シャワーもお風呂も好きなように使って下さい。 少し遅くなりますが仕事が終わって俺が帰ったら、侑さんのマンションに一緒に荷物を取りに行きましょうね。」 私の好きな事っ
3食昼寝付きで家事もせずにひたすらダラダラ。 家賃、生活費の心配はない。 欲しいものがあれば買ってもらえる。 どこの世界に、そんな夢みたいな話があるって言うんだろう? 今まで私を欲しがる人には、必ず見返りがあった。 例えば有名女優と交際してるというステータス。知名度。有名になりたいという野心。 有名人を紹介して欲しいという願望。 利用して這い上がりたいという欲望。 そして…昨夜の是枝のように単純に身体を欲しがる事もそう。 「————見返りは何?」 見返りがなければ人は、誰かを助けようなんて思わないはずだ。 「見返りですか?言ったじゃないですか。 侑さんの人生ですよ。」 「その中には体も———————」 「セックスですか?勿論込みです。 侑さんの全てが欲しいんで。」 「隠さないんだね。」 「隠したって得しませんからね。」 目の前で昴生が躊躇なく笑う。 最終目的がそれなら……じゃあなんで、昨夜抱かなかったの? 具合が悪くても、病気でも抱こうと思えばいくらでもできたはずだ。 なのにこうされたら。まるで昴生に、私が大事にされているみたいな気になってしまう。 人に優しくされるの事にはあまり慣れてないのに。 「でもね、侑さん。体が欲しいのは本当だけど俺は——— あなたの心もセットがいいんです。 それに侑さん……まだ元彼の事忘れてないんでしょ?」 どうしてあなたが、聖の事を………? ————何もかもお見通しって?
だけどあの瞬間に死を望んだ自分も、大概おかしくなってるとは思う。 「飼うって…具体的には何するの?」 この前言ってた一緒にご飯食べたり、映画観に行ったりっていうニュアンスとはまた違う気がする。 女性を飼う…つまり飼育とは自分好みに仕立て上げたり調教したりするという意味だろう。 どちからというと、後ろめたい意味で使われるような。 ごくりと喉を鳴らして、昴生を見つめた。 「そうですね。まずは病気を治しましょう。 ピロリをやっつけましょう。 俺といる時は、ただひたすらにダラダラしましょう。 いない時もダラダラしてください。 朝昼晩俺が手料理を作ってあげます。 できない時はデリバリーを頼みます。 掃除も洗濯も俺がします。 できない時は家事代行サービスに来てもらいます。 だから侑さんはこの家で自由に暮らしてみて下さい。」 ……………………え? 「できないと言ってもやるんです。 侑さんは次の仕事が決まるまで、ただダラダラと過ごすのが仕事です。 好きなものいっぱい食べて、ガリガリな侑さんじゃなくて、3食昼寝付きでゴロゴロして、太ってしまえばいいんですよ。」 「え……え? そんな事出来るわけないし、それに私には自分のマンションが。」 「ああ。あそこは今朝早く不動産に電話を入れておきました。 半年分の家賃を入金しておいたので、家賃の心配はしなくて大丈夫ですよ。 必要なら一緒に荷物を取りに行きます。」 「半年分って結構な額だよ…?どうしてそんな……それにあそこには熱帯魚が」 「ここに運んでくればいい。侑さんと一緒に俺が面倒を見ますので。」 「どうして……そこま