葛西先生は星に目をやり、口元に笑みを浮かべた。「ずいぶん自信があるようじゃな。噂では、小林家の娘はかなり学歴が高いと聞いておるが」彩香は片目をつむり、いたずらっぽく答える。「ふふん、すぐに星が清子の鼻を明かしてくれるわ。楽しみにしてて」「そりゃ面白い!わしは打ちのめされる顔を見るのが大好きでな!」二人が清子を打ち負かす場面を想像して盛り上がっているのを見て、星は苦笑を漏らした。葛西先生は年齢こそ重ねているが、心はまるで子どものように無邪気だった。やがて先生に呼ばれ、星と怜は舞台袖へと向かった。今回は珍しく、勇や雅臣たちに邪魔されることもなく、驚くほど順調に準備が進んでいく。――まるで嵐の前の静けさのように。怜でさえ不思議そうに周囲を見回した。「星野おばさん、あの悪いおじさんとおばさん、今日はどうして邪魔しに来ないの?」「勝てると思い込んでるんでしょうね」翔太は彼女が英語すらおぼつかないと思っている。清子たちも中卒の女だと見下し、まともに相手にしていないのだ。二人が舞台に上がると、照明がぱっと灯った。その瞬間、観客席で綾子が鼻で笑い、あざける声を漏らす。「豚に真珠とはまさにこのこと。中卒の女が、子どもをダシに神谷家に入り込み、今度は神谷家を踏み台に別の金持ちに取り入るなんて――厚顔無恥もいいところだわ」雨音が慌てて制した。「お母さん、翔太くんもいるんだよ。そんなこと言わないで」だが綾子はまったく悪びれない。「事実じゃない。少しでも本当に力があるなら、どうして翔太に他人を付き添わせるの?あの女は神谷家の恥さらしよ!」雨音は繰り返し目配せして止めようとした。「お母さん!」その様子を見た清子が間に入り、声を落とした。「お母さま、もう始まりますから......まずは見てからにしましょう」綾子もこの言葉を受け、ひとまず口を閉ざした。舞台上では、星と怜の発表が始まる。星は美しい容姿に加え、澄んだ声で流れるように台詞を紡ぎ、所作も堂々として気品があった。まるで清風が吹き抜けるように、観客の心を洗い、場内に新鮮な活気を与えた。発音は完璧で、言葉の響きも明瞭。まさに満点の出来栄えだった。怜もまた見事だった。声の抑揚は豊かで、感情表現
今回の外国語発表会は、まさに百花繚乱。選ばれた言語も実にさまざまで、なかには極めてマイナーな言語を選んだ子どもたちまでいた。もっとも多いのはC語と英語だが、G語やF語、S語といった人気の言語も相変わらずの定番だった。音楽発表のように天賦の才が大きくものをいうものとは違い、語学の発表は努力次第で補える部分が大きい。十分な準備期間さえあれば、丸暗記でも高得点を狙えるのだ。音楽の発表が才能勝負なら、語学の発表は努力勝負――星は、この名門幼稚園が企画するプログラムのレベルの高さを、改めて認めざるを得なかった。どうりで上流階級の家庭が、こぞって子どもをここに入れたがるわけだ。とはいえ、参加しているのはまだ幼い子どもたち。準備してきたとはいえ、実力には大きな差がある。緊張のあまり覚えた単語を飛ばしてしまう子もいれば、親から教わった発音が標準的でないケースも少なくなかった。そのため、最初に登場した数組の最高得点は八十五点にとどまっていた。彩香が小声で驚きを漏らす。「星、ここの発表会って毎回こんなに審査員が多いの?うわ、半分以上は外国人じゃない!」ざっと数えただけで、二十名を超える審査員団。実際に採点を下すのは五人だが、その五人も背後の審査団の意見を取り入れる仕組みらしい。以前、星が怜の音楽発表に付き添ったときも、二十人を超える審査員がいて、しかも全員が専門家だった。――さすが名門幼稚園、財力の桁が違う。星は静かに頷いた。今回も審査員の多くは言語学の専門家で、多言語に精通しているようだ。マイナーな言語での発表に備えて、専門家を招いているのだろう。でなければ、公平に評価できるはずがない。やがて、翔太と清子の組が登場した。予想どおり、翔太は安定した実力を見せ、非の打ちどころがない。同じ組の清子もまた、発音は正確で、抑揚も堂々としたものだった。こうした大会は、簡単といえば簡単だが、難しいといえば難しい。国内で言えば、各地の方言が異なるために標準語が設けられているのと同じで、外国語にも発音の揺れがある。たとえ学業で満点を取っても、実際に現地で通じるとは限らない。外国人は文法よりも発音を重視する傾向が強い。星もかつて留学していたM国で、富裕層の子弟たちが留学生の発音を鼻で笑
星の表情は冷ややかで、声には冷淡な響きがあった。「遠慮するわ。誰かがやったものを、また私に押しつけるなんて......そんなの、気持ち悪いだけよ」雅臣の目が一瞬にして鋭さを帯びる。「星!」しかし彼女はもはや振り返らず、そのまま背を向けて歩き去った。そのとき、背後から男の氷のように冷たい声が響く。「三谷グループは、すぐに破綻するだろう」三谷グループ――健太の一家か。星の足はわずかに止まり、けれども振り返ることなく、そのままゆっくりと去っていった。抽選の合間、勇は清子を呼び寄せ、唇に陰険な笑みを浮かべた。「清子、もう手は打ってある。あとで必ず、星に恥をかかせてやる」清子のまぶたがぴくりと震える。「手を打った?どういうこと?」彼女は勇に何も指示していない。むしろこれまでの勝負で、勇は一度も星に勝ったためしがない。一攫千金を狙ってかえって損をする――仕掛けたつもりが、裏目に出るばかり。とくに印象的だったのは、星が雅臣に離婚を切り出そうとしたあの夜。勇は彼女に「星は雅臣とデートするつもりだ」と告げた。結果、清子が阻止に入ったせいで、雅臣はその場に現れなかった。もし彼女が妨害しなければ、雅臣はとっくに星と別れていたはずだ。そしてあの二百億は清子に渡されただけで、星が得ることはなかった。だが、あの騒動をきっかけに黒歴史がひっくり返り、彼女は慈善大使として祭り上げられ、瞬く間に大量のファンを得た。さらに山田グループと神谷家は世論の火消しのため、むしろ星を宣伝する羽目になった。星は確かに金を費やしたが、名声と未来、そして熱狂的な支持を手に入れた。この先よほどの大スキャンダルでもなければ、多少の醜聞はファンによって擁護されてしまうだろう。――もし当時、星と雅臣があっさり離婚していたなら、彼女がここまで駆け上がることはあり得なかった。むしろ雅臣と勇が手を組めば、彼女は一歩も進めなかったに違いない。清子はふと、勇が星の内通者ではないかと疑いたくなるほどだった。勇の得意げな声が、そんな思考を断ち切った。「清子、安心しろ。もう手は打ってある。あいつ、わざわざ怜と出る事を事前に知らせてくるとは、間抜けにもほどがある。今回は徹底的に叩き潰してやる!」清子は
星の表情は冷ややかで、その瞳も揺らぐことなく静かだった。「私たちはもう関係のない人間よ。これ以上、言い訳なんてしなくていい」雅臣は彼女を見つめ、低く言った。「ただ知ってほしい。俺と清子は、お前が思っているような関係じゃない。あれはメディアが誇張して書き立てただけだ」かつてなら、彼はこんな弁解すら面倒がってしなかった。だが今、星が無表情で聞き流す姿を前に、声を落とすしかなかった。「......すまない。勇の友人の件が、お前や翔太にあそこまで影響を及ぼすとは、思わなかったんだ」星は短く笑い、その声音には嘲りが滲んでいた。「一朝一夕でこうなったわけじゃない。彼らが私を軽んじる理由が、一件の出来事だけだとでも思ってる?勇があなたの目の前で私を侮辱したのは、一度や二度じゃない。あなたはいつだって『もういい、これで終わりだ』と無意味な言葉を繰り返すだけ。それ以外に、あなたはいったい何をしてくれた?」星の瞳は淡々としていた。「その結果、翔太は私が見下されているという理由で、いじめに遭った。ようやく事の重大さに気づいたようね。――私は初めて見たわ。自分の家庭と子どもを犠牲にしてまで、友人を庇う人間を。このまま勇を放任し続ければ、翔太はいつか、あなたたちに殺されるわ」後ろめたさを感じたのか、雅臣は反論もせずに言った。「......これからは勇にきちんと言い聞かせるよ」星は唇をわずかに歪めただけで、もう何も言わなかった。息子がいじめられた末に返ってきたのは、この程度の言葉。彼女の胸に広がるのは、骨の髄まで染みついた絶望だった。「ほかに何か?なければ、私は行くわ」そう告げて立ち去ろうとした星の手首を、雅臣が掴んだ。「星、翔太はまだ幼い。母親の手が必要なんだ。お前がいなかった間、ずっと塞ぎ込んでいた。俺も......お前を疎かにしてきたことは分かっている。これからは家庭を優先する。子どものために、もう拗れるのはやめてくれないか」――拗れる?まだ彼は、自分が「駄々をこねているだけ」だと思っているのだ。星は皮肉な笑みを浮かべた。「それが私を連れ戻すための誠意?あなたは、ただ少し頭を下げて甘い言葉を並べれば、私が恋愛脳な女みたいに尻尾
「まだあんなに得意げにしていられるなんて!」星は淡々と口にした。「雅臣が少しでも庇ってくれる限り、あの男はずっとああして好き放題なのよ」彩香が言った。「でも、雅臣の忍耐ももう限界みたいよ。勇の取り巻き連中が騒ぎを起こしたときも、彼は庇うどころかきっぱり縁を切ったじゃない」そう言うと、彩香は声を上げて笑った。「ふふ、ざまあみろって感じ!あのしょうもない連中、前から大嫌いだったのよ!」翔太の誕生日会のとき、彩香も会場にいた。彼らが星を転ばせる場面は見ていなかったが、ウェイトレスをからかう醜態はこの目で見ていた。――本当に吐き気がする連中だ。幸い星は泣き寝入りせず、密かに証拠を集めて反撃した。そうでなければ、悔しさで潰れてしまっていただろう。星は勇のことを、もはや真剣に相手取る気はなかった。彼女にとっては、ただの滑稽な道化にすぎない。数人が控室で準備をしていると、ドアがノックされ、抽選の時間となった。星はてっきり清子が現れると思っていたが、意外にも姿を見せたのは雅臣だった。彼は普段、子どもの行事に顔を出すことを嫌っていた。なのにここ最近、二度も現れている。――やはり清子の立場は、自分が思っていた以上に高いのだろう。翔太の願いも、これで叶ったはずだ。彼はずっと、父親に試合や発表を見に来てもらい、応援してほしいと願っていたのだから。今は清子のおかげで、その願いが次々に実現している。星は雅臣に気づかぬふりをし、冷ややかに視線を逸らした。抽選自体は波乱もなく終わったが、星の番号は後半。一方、雅臣は五番目という前半の順番を引き当てていた。順番を登録して控室を出ようとしたとき――「星」雅臣が早足で前に回り込み、道を塞いだ。星の端正な表情に、どこか嘲るような色がにじんだ。「また私に出演をやめろとでも?前はヴァイオリン、今度は外国語の発表を?」雅臣の喉仏がかすかに動き、低く答えた。「いや......聞きたいことがあるだけだ」星は余裕の笑みを浮かべる。「うちは後半だから、時間はたっぷりあるわ。急ぐのはあなたのほうでしょう?構わないなら話して」雅臣の瞳が深く揺れ、声はかすれていた。「翔太の誕生日会の件......なぜ俺に言わなかった?
発表会の日は、あっという間にやってきた。今回は思いがけず葛西先生も園の催しを知り、興味津々で足を運んでいた。「わしのような年寄りは、子どもを見るのがいちばんの楽しみでね。もう引退した身だ、幼稚園でこうした催しがあれば、これからも顔を出したいと思っておるよ」応援に来てくれたと知り、怜は勢いよく葛西先生の胸に飛び込んだ。「葛西おじいちゃん!本当に来てくれたんだ!」葛西先生はにこやかに怜の頭を撫でた。「お前の発表だ、わしが直接応援に来ないわけにはいかんだろう」子ども心を忘れぬ葛西先生は、怜と波長が合い、まるで孫と祖父のように楽しげに言葉を交わしていた。その様子を見つめる影斗の瞳に、かすかな陰が差す。目線に気づいたのか、葛西先生は彼に一瞥をくれ、軽く頷いただけで、また怜の世話に戻った。影斗の眼差しは暗さを増す。――彼は気づいている。自分の正体に。だが互いに言葉にはせず、黙していた。視線を逸らし、影斗は星へと目を移す。怜からよく耳にしていた「葛西おじいちゃん」がどんな人か気になっていたが、ただの医術に長けた老人だとばかり思っていた。実際に会って知ったのは、葛西グループの創始者その人であるということ。長年、人前に出ていなかったため、今では知る者も少ない。影斗が彼を認識できたのも、偶然のきっかけに過ぎなかった。だが――星がこんな人物と縁を持っていたとは。思い返す。幼馴染の奏も、どうやら並みの出自ではない。そして彼女の傍らにいる彩香。彼女については、いまのところ不思議な点は見つからなかったが......星の周りに立つ怜、葛西先生、そして彩香。談笑する姿を見やりながら、影斗の瞳は夜色を映し込んだように濃く霞み、淡い靄が広がっていた。星そのものが特別な存在であるなら、彼女のまわりの人々もまた、ただ者ではないのだろう。――そのとき、不快極まりない声が場を裂いた。「ちっ、榊影斗。お前も榊家の当主だろうに。名家の令嬢にでも子守を任せればいいものを、わざわざ学もない間抜けを選ぶとはな。見てみろ、取り巻きもロクなもんじゃない。脳筋女か年寄りばかり。そんな奴らを息子の応援に連れてきて、恥ずかしくないのか?」一瞬にして、場の笑い声は凍りついた。星らは揃っ