「……どういうことだ」
幹仁と朝仁は再び緊張を取り戻した応接室で、じっと耳を傾ける。自分たちが想像していたよりも、事態は複雑で、それゆえ混沌としている。
「冴利さまのご実家は古都律華の水嶌家。世間では伊妻が滅んでから神皇帝のもとへ嫁入りされたこともあり新たな御三家とも言われているけど、彼らはその地位をありがたがることをせず、迷惑そうにしていたわ」
梅子は憎らしげに口を開き、自分が導いた推理を披露していく。
「伊妻の反乱が北海大陸で起きたのは十八年前。当時、北海大陸は伊妻、水嶌両家が開拓の先陣を切っていたわ。帝都清華は出遅れた形になって、結局、土地の大半は古都律華によって支配されてしまった。けれど、前神皇帝が病に倒れ、名治神皇が皇位を継いだことで、帝都清華の勢力が強まった。それを危惧した伊妻は後先考えず皇一族に反旗を翻し北海大陸の陸軍駐屯地へ宣戦布告。一時的に北海大陸一帯を占領されたものの、帝都より派遣された討伐軍によって騒ぎは鎮圧された」
言葉を切り、梅子は幹仁たちの反応を確かめる。梅子の隣に座っていた大松は従者が呼んだ冴利を迎えに扉の前へ足を運んでいる。
「このとき、水嶌家は無関係とされている。この家は古都律華に属しているとはいえもともとは北海大陸の先住民であるカイムの民によって興された『雨』の傍流。『雨』を婚姻で強引に自分たちのもとへ引き込んだ伊妻とは異なり、立場的には『雪』に近いとされていたから」
だから神皇帝は伊妻一族だけを滅ぼすことにした。そして大陸へ渡ったのが梅子の父、樹太朗と故向清棲前伯爵である。
「でも、それが仇になった。当時、伊妻霜一には生まれたばかりの娘がいた。彼女は水嶌家の乳母に預けられていたのよ!」
だから伊妻の娘は命をつなぎとめた。そして、自分が成長した暁にはこの国を乗っ取ろうと、復讐を誓ったに違いないのだ、と。
梅子の悲痛な叫びを嘲笑うかのように、甲高い靴音が廊下に木霊する。複数の足音にもみ消されることなく響く靴音は、梅子の傍でぴたりと止まる。穢れを知らない白の西洋服ドレスを鎧のように纏い、銀色に煌めく靴を履いた正妃が、漆黒の闇を彷彿させる黒真珠の首飾りを
* * * 暖炉にくべられた薪がパチリと爆ぜる。「ん……」 来客のために暖められた部屋の、長椅子(ソファ)で微睡んでいた少女はその激しい音に驚き、意識を覚醒させる。「いけない!」 ちからを使ったばかりで体力が消耗していたようだ。女中服姿のまま長椅子に身体を凭れうとうとしていた少女は頭上に気配を感じてハッと顔をあげる。「ごめんね、起こしちゃったかな」 端正な顔立ちの紳士が目の前にいた。野性的な部族の民とは異なる帝都の華族。たしか、后妃を拘束したときに見かけた、向清棲伯爵家の。兄、幹仁の方だ。「いえ……お見苦しいところを失礼しました」 客室で居眠りをしていたこちらに非があるのは明確である。立ち上がり、女中服の裳裾スカートをはたきながら、少女は幹仁に謝罪する。「そんなことないよ。許されるものならもっと眺めていたかったな」 ふふふと笑いながら幹仁は少女の瞳を見つめる。無表情ながらも灰色がかった双眸の奥に煌めく琥珀色の虹彩が彼女が人形ではないことを証明している。「何か?」 じっと見つめられて少女の頬がほんのり桜色に染まる。それでも、表情は変わらない。まるで筋肉が死んでしまったかのように。「きみが、『雪』の部族、美生家の一姫か……表情を殺したという」「いまは結婚して覗見(うかがみ)と名乗っております、幹仁さま」 美生蝶子、こと覗見蝶子はやんわりと名乗り、幹仁の前へ跪く。『雪』の部族にいた蝶子にとって向清棲の人間は上客にあたる。家から外れたにも関わらず、自然と身体が動くのは、目の前にいる伯爵が圧倒的な活力を秘めているからであろう。 彼は伯爵という地位で満足する人間ではない。更に偉大なことをするに違いない。 一目見て感じた蝶子は、彼の存在を受け入れた。そして幹仁もまた、不思議なちからを使う蝶子に抗えない魅力を感じていた。「后妃さまがきみのことを『逆さ斎』と呼んでいたが、それはどういうことだ
* * * 三七十(みなと)区司馬浦港、二十一時。 見送るものの姿もない、貨物のための富若内行き最終便がゆっくりと動き出す。街燈が揺らめく水面を感慨深そうに見つめながら、最低限の灯りしか設置されていない薄暗い甲板の上で柚葉は隣に立つ男の声に耳を傾ける。 異母妹を暗殺しようとし、柚葉の母実子に手をかけた黒幕は名治神皇の正妃である冴利だったという。どうりで、川津家の動きが鈍るわけだ。「そなたの母君には申し訳ないことをした。だが、后妃は天神の娘を執拗に狙っている。川津当主が手を引いたからといってあっさり諦めることはないだろう」「そうですね」 きっぱりと言い切る柚葉に、男はすまなそうに身体を縮める。「こちらの不手際だ」「……皇一族の動きが活発だとのはなしはうかがっていましたが、まさかこういった形で火の粉がかかるとは思いませんでしたよ」 凪いだ海の波音は静かで、小声の柚葉とぼそぼそと喋る男の言葉は問題なく伝わっていく。「水嶌の女は扱いづらいんだ」「古都律華の人間を利用できるだけ利用したあなたの言葉とは思えませんね」「柚葉どのも」「僕はいいんです。でも、帝都のごたごたに巻き込まれるような形で『雨』である種光さんがこんなことをする必要はなかったはず。何が、あなたをここまで動かしているのですか?」 深い夜の闇に、ふたりの男の影が飲み込まれていく。規則的に寄せては返す波しぶきが船体へぶつかる音が、夜の黒に沈んだ船内を震わせている。 ふいに、種光が零す。「――娘が、いるんだ」 柚葉が異母妹を大切にするように、大事にしている娘が、種光にもいる。 けれど、その娘は、両親をはじめとした血族の復讐の焔に燃えている。 彼女の無念を晴らすため、カイムの地を蹂躙するようなかたちで国土とした皇一族に一矢報うため、『雨』の部族を統括し、潤蕊一帯を買い占めた鬼造一族よりも強い支配をつづけている梧家が動きだしたのだ。「慈しみの雨、って書いて慈雨っていう、
* * *「お前……鬼造あられか?」 先に言葉を発したのは小環だった。 いつもふたりでいる鬼造姉妹の、背丈が低い方が姉で、高いのが妹である。小環に手を握られたまま、桜桃も目の前で松明を掲げて立っていたあられの姿を凝視する。「ええ。姉上は寒河江さんの食事を片しに行っているわ。いまのうちに、中に入って」「え?」 てっきり咎められるのだと思っていた桜桃は間の抜けた声を出して目を瞬かせる。「三上さん。あなたが天神の娘で、『雪』の望む天女であるなら……わたしはあなたを信じてみようかな、って思ったのよ」 あられは微笑を浮かべたまま、怪訝そうな表情になった小環に伝える。「わたし、『雨』の強引なやり方に疑問を持っちゃったの。『雪』の雹衛(ひょうえ)や逆さ斎にいろいろ吹きこまれちゃったから」「吹きこむとは失礼だな」 桜桃と小環を追いかけてきた四季とかすみが合流したのを見て、あられは苦笑する。「あら、あなたたちまで来るとは思わなかったわ」「お姉さまひとりだと、何かあったとき心配だもの」 かすみはあられの前で頬を膨らませながら、桜桃と小環の前に立ち、深く頭を垂れる。「逆さ斎の式神として四季に仕えております、古都律華鬼造家三女で『雨』の能力者、鬼造かすみと申します。天神の娘と始祖神の末裔であられるお二方にご挨拶が遅くなり申し訳ありません」 するすると流れるように言葉を口にするかすみを見て、桜桃と小環は圧倒される。「彼女が、逆井の式神なのか……?」「うん。あられの身代わりでしょっちゅうこの学校に潜入してた妹だよ」 小環の言葉に四季は素直に頷く。そして四季からかすみがまだ十三歳でこの学校の生徒ではないこと、彼女だけが鬼造一族のなかでちからを持つ『雨』の能力者であること、それゆえ古都律華の令嬢として扱われていない身分にあることなどを一気に説明される。「…
カイムの古語をうたうように唱え、冴利は梅子を眠らせる。くずおれた梅子の身体を抱きとめながら、大松はかなしそうに継母を見つめる。「母上……」「お前など、妾の息子でも次期神皇帝の器となる者でもない。おとなしくその権利を妾の息子へ譲渡いたせ。そうすれば命だけは助けてやっても構わぬぞ?」 この部屋に飾られている暗褐色の薔薇よりも深い、赤黒いひかりが灰色の双眸から浮かび上がる。カイムの民特有の加護を、『雨』の出身である冴利もまた持ち、ちからを操れる人間なのだと幹仁は悟る。大松の方が冴利を糾弾すべき立場にいるというのに、冴利は自分の罪が暴かれてもうろたえることなく、大松に迫っている。居直っているのか、それとも……「我を消したところで、解決はせぬ。父皇が真の次代として命じたのは、弟だからな」「なに」 目の前の皇太子さえいなくなれば息子が次代の神皇となると信じていた冴利は、忘れかけていたもうひとりの皇子の存在を思い出し、愕然とする。「小環(ショウワ)が……? まさか、そのようなこと、名治さまは妾にひとことも」 うろたえる冴利へ追い打ちをかけるように、新たに現れた人物の声が、部屋に響く。「言うわけないだろ。言ったらお前は彼をも害そうと必死になって彼を大陸に遣ることも阻止しようとしただろうからね」「帝だ……」 事の成り行きを見つめていた朝仁が、信じられないと声をあげる。幹仁も、遠目でしか拝見したことのない彼の登場に、言葉を詰まらせている。 名治は傍らに侍女らしき少女を連れて部屋の中を進んでいく。女中服(メイド)姿の彼女は無表情のまま、応接椅子に横たえられた梅子の傍に膝をつき、冴利がしたように、古語を唱える。すると、呪いはするりと解け、梅子の意識が覚醒する。「ん……梅子は?」「眠らされていただけです。命に別条はございませんわ」 表情を変えることなく梅子にかけられた呪いを解いた少女は、夫である名治
「……どういうことだ」 幹仁と朝仁は再び緊張を取り戻した応接室で、じっと耳を傾ける。自分たちが想像していたよりも、事態は複雑で、それゆえ混沌としている。「冴利さまのご実家は古都律華の水嶌家。世間では伊妻が滅んでから神皇帝のもとへ嫁入りされたこともあり新たな御三家とも言われているけど、彼らはその地位をありがたがることをせず、迷惑そうにしていたわ」 梅子は憎らしげに口を開き、自分が導いた推理を披露していく。「伊妻の反乱が北海大陸で起きたのは十八年前。当時、北海大陸は伊妻、水嶌両家が開拓の先陣を切っていたわ。帝都清華は出遅れた形になって、結局、土地の大半は古都律華によって支配されてしまった。けれど、前神皇帝が病に倒れ、名治神皇が皇位を継いだことで、帝都清華の勢力が強まった。それを危惧した伊妻は後先考えず皇一族に反旗を翻し北海大陸の陸軍駐屯地へ宣戦布告。一時的に北海大陸一帯を占領されたものの、帝都より派遣された討伐軍によって騒ぎは鎮圧された」 言葉を切り、梅子は幹仁たちの反応を確かめる。梅子の隣に座っていた大松は従者が呼んだ冴利を迎えに扉の前へ足を運んでいる。「このとき、水嶌家は無関係とされている。この家は古都律華に属しているとはいえもともとは北海大陸の先住民であるカイムの民によって興された『雨』の傍流。『雨』を婚姻で強引に自分たちのもとへ引き込んだ伊妻とは異なり、立場的には『雪』に近いとされていたから」 だから神皇帝は伊妻一族だけを滅ぼすことにした。そして大陸へ渡ったのが梅子の父、樹太朗と故向清棲前伯爵である。「でも、それが仇になった。当時、伊妻霜一には生まれたばかりの娘がいた。彼女は水嶌家の乳母に預けられていたのよ!」 だから伊妻の娘は命をつなぎとめた。そして、自分が成長した暁にはこの国を乗っ取ろうと、復讐を誓ったに違いないのだ、と。 梅子の悲痛な叫びを嘲笑うかのように、甲高い靴音が廊下に木霊する。複数の足音にもみ消されることなく響く靴音は、梅子の傍でぴたりと止まる。穢れを知らない白の西洋服ドレスを鎧のように纏い、銀色に煌めく靴を履いた正妃が、漆黒の闇を彷彿させる黒真珠の首飾りを
「天神の娘の元婚約者である伯爵どのにも、興味深い話だと思うのだが」 「たしかに、面白そうですが……」 空我侯爵の愛妾の娘と幹仁に面識はない。婚約解消した今、顔を合わせて何になる? 幹仁の葛藤する様を大松は瞬きすることなく見つめている。そんなふたりをよそに朝仁だけは狼狽をつづけていたが、やがて勇気を出して大松に声をかける。「――皇太子殿下、小生だけが大陸を渡ることは可能でしょうか?」 「朝仁?」 「げんざい兄上は帝都清華の頂点である空我侯爵不在の穴を柚葉どのと埋めるので手一杯なのは殿下も御存知の筈。だというのに北海大陸へ兄上を遣るというのは職務を放棄しろというのと同じ。兄上だけでなく小生も帝都で『雪』との商談に応じた経験があります。婚約者を見舞い、状況を確認する人間はひとりで問題ないと思いますが?」 意志の籠った視線が、大松を射抜く。婚約者の安否が気になる朝仁の強気の発言に、大松は大仰に頷く。「そうか。それもそうだな。では、向清棲朝仁に命ずる。我が義兄上を伴い、北海大陸に入り、そなたの婚約者である黒多桂也乃嬢を迎えにゆくのだ」 見舞いではなく迎えに行けと、大松は命令した。それはつまり。「神嫁御渡……」 幹仁の呟きに、大松は知っておったかと軽く頷く。『雪』の部族で花嫁修業と際して鬼造が創設した冠理女学校へ入学した少女が、卒業するために呪術で表情を殺して迎えに来た花婿とともに逃げるように去ったという話を人伝に聞いたのを思い出し、身震いする。 女学校を去る際に乙女は神に供物を渡さなくてはならないのだという。感謝の意を込めた捧げものの習慣は、人間が古の掟を捻じ曲げたため呪いとなってしまったときく。血の味を覚えた神の花嫁として身体の一部を差し出したり、花婿のあてがない乙女は人柱にされてしまうなどという噂もあるが、真実は未だわからず大松は訝しがっている。神の怒りか人間の作為か、果てはその両方か……「黒多子爵にも食事のときにその旨は伝えておる。時期が早まってしまったのは仕方がないが、このままだと彼女、邪神に食われるぞ」 「邪神?」