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第9話

作者: 黒羽ミント
私はうつむきながら、土の上に小さな円を指でなぞる。

——命もまた、ひとつの円なのだろう。

彼らはみんな、私に「さようなら」を言ってくれた。

そして、すみれの子どもも、少しずつ大きくなっていった。

彼らが私に手を振ると、木蓮の木がざわりと揺れる。

まるで、私の代わりに挨拶してくれているように。

何年が経ったのか、もうわからない。

私の魂は、だんだんと透けるようになっていった。

風に運ばれ、時には戻れなくなることも増えた。

「すみれ……じゃあね。小さな子も、またね」

私は精一杯、彼らに手を振った。

消えていく寸前、すみれが涙を浮かべながら、同じように手を振ってくれた。

「結月……さようなら。来世では——また姉妹になろうね」

私の存在が光の粒になって、風に溶けた。

番外編:朝霧湊一視点

俺は、結月を愛していた。

でも、その愛は、今となってはただの皮肉だ。

あの日、思羽が両親を連れてきて、「最期の願い」だと言って結婚を懇願された。

「湊一さんは立派だ、きっと結月も理解してくれる」

そう言われ、俺はその場の感情でうなずいてしまった。

——でも、忘れていた。

結月は子どもの頃からずっと「譲って」ばかりだった。

その日までも、結婚相手まで譲らなければならなかったのか。

彼女が何度も口にしていた偏愛の苦しさ。

俺は、それに目をつぶり、

仲間となって、彼女を追い詰めた。

——俺は、人間のクズだ。

ハネムーン先の海辺で、思羽が抱きしめてきた。

でも、波の音の奥に、俺は結月の気配を感じた。

美しい景色、豪華な料理。

すべてが色褪せて見えた。

「帰ったら……すぐに謝ろう」

そう思った。

けれど、家に戻っても、いつものように迎えてくれる人はいなかった。

誰もいない家を前に、得体の知れない不安に胸がざわついた。

最初は、結月が怒っているだけだと思った。

いつものように、俺が下手に出て謝れば、すぐに元通りになるはずだと——

でも、いくら待っても、連絡は一向に来ない。

まさか、結月が……この世からいなくなったなんて。

七年も愛し合ってきた恋人が、本当に、俺の前から永遠に去ってしまうなんて——

想像すらしていなかった。

警察から電話がかかってきたとき、俺は必死に祈った。

「どうか、結月じゃありませんように。どうか、ど
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