花が咲き誇る小さな国の王女・ジゼルには、十四歳になったある日、ライナーという十歳の弟ができた。 楽しい日々を過ごすジゼルだったが、ある日ライナーに好きな人がいるらしいことを聞いてしまう。 そこでジゼルは、自分がライナーに恋心を抱いているのだと気がついた。 しかしライナーにはもう好きな人がいる。 恋を知った途端に失恋も知ったジゼルは、自分の気持ちを押し込めるためにライナーから距離を取り、自身の婚約者候補を探し始めるが……。 ・表紙イラスト&タイトルロゴ:むなかたきえ様(@kkkie_m)
もっと見るフラヴィの死後、『竜の子』であるライナーは名義上の父である貴族から、きっと冷遇された。 その事実をピエールは知り、いてもたってもいられずにこの国へ引き取って自分の子としたのだ。 そう考えればすべての辻褄が合う。 あんなに素直で可愛らしいライナーは、これまで寂しい人生を送ってきたはずだ。 だけどこの国に来たからにはもう不幸になんてさせない。ジゼルはライナーを全力で幸せにするつもりでいたし、ライナーにも幸せになってもらいたいと心から願っていた。 今日もジゼルは出会った騎士から「ライナー様の武術に関する賞賛」を聞いて良い気分だった。 せっかくだから父にも教えてあげようと考え、ジゼルは部屋へ向かう予定だった足を城の外方面へ向ける。この時間なら父は外の庭園にいるはずだ。 窓の外に広がる青い空を見ながら足取りも軽く石の廊下を歩いていたジゼルは、厨房横の小さな部屋でライナーの侍女を見かけた。 彼女とは昨日、会っていない。もしかしたらライナーの新しい話を聞けるだろうか。 ジゼルは小部屋に入り、侍女の横に立つ。「こんにちは。今日の花茶を選んでるの?」「ええ、そうです、ジゼル様」 ライナーの侍女は難しい顔のまま、花茶を収めた棚から視線を外さずに答える。「今日は天気も良いですし、爽やかなものにしようかなと思うのですが……昨日や一昨日とはまったく違う香りにしたいですし……」「ライナーは好き嫌いがないものね」「はい。どれも好きだと仰っていただけますし、感想も丁寧にくださるので、生産者たちにとっても、私どもにとっても、非常に嬉しいことです」 侍女からそう聞かされるジゼルもとても嬉しい気分だ。「ところであなたは、ライナーに仕えてもうじき一年になるでしょ? 何か気になったことはある? 何でもいいわ」「何もございません」 しかし口に出した後で、侍女はふと棚から視線を上げる。「ああ、でも……ライナー様がお着替えもお風呂もお一人でなさると知ったときは最初は少し戸惑いました。帝国の方だと聞いていましたから余計にです」 感慨深く呟く侍女の言葉にジゼルは目を丸くした。初耳だ。 隣の帝国はとても大きく豊かなので、貴族や王族たちに仕える者たちも多いそうだ。おかげで着替えや入浴などはもちろんのこと、窓を開けたり、机の本を端へよけるといった程度ですら間近に控える召使たち
「『竜の子』? ってなに、叔母様?」「帝国の皇帝の子のことよ。実はね。帝国の皇帝というのは人ではないの。黒い竜なのよ」 意外なことを聞いて呆然とするジゼルを気にすることなく、フラヴィは帝国の話を続ける。 竜は不思議な力を持つ存在だが、人との間に子を成した竜は子に与えるため大半の力を失う。 代わりに生まれた子は大いなる力を持つ『竜の子』であり、成長してからは新たな竜になる。 そしてその子が次代の皇帝となり、つがいとなる人間を見つけて結ばれて子を授かり、こうして帝国は続いて行く。 つまり帝国の皇帝というのは全員が竜であり、人の間に生まれた『竜の子』なのだと。「私は子どもの頃から分かっていたわ、自分が竜のつがいとなる運命として生まれたのだって。だから私の息子は、大いなる力を秘めた『竜の子』。……どう、ジゼル? あなたは従弟が『竜の子』であっても、ずっと仲良くしてくれる?」「それは、もちろん……」 かすれた声で答え、ジゼルは夢見るような目つきのフラヴィを悲しく見つめる。「……だけど叔母様。お話が本当なら、あの子はいつか皇帝になるのよね? この小さな花の国で生きる私からすると手の届かない人物だわ」「平気よ。今日、あなたが仲良くしてくれたあの子は『竜の子』だけど皇帝にはならないし、竜にもならないの。今回はかなり不規則なことが起きているのよ。帝国の長い歴史を紐解いてみてもありえなかったことが。私には分かってるわ。あの子は花の国へ来る運命なの。大好きな私の故郷、いつかあなたが治めるこの国へ、あの子はきっと来る」「そう……」 ようやくジゼルに視点を合わせて叔母は微笑む。それがあまりにも美しかったので、ジゼルは鼻の奥がツンとしてくる。「周りは反対していたけど、なんとか押し切って花の国へ来て本当に良かったわ。ジゼル、これからもあの子をよろしくね」 嗚咽をこらえるジゼルは何も言えなかった。返事の代わりとして引き攣った頬になんとか笑みを浮かべると、フラヴィはジゼルの口の前に自身の人差し指を立てて片目をつぶる。「このことは時が来るまで誰にも言わないでおいてね。あなただから教えたけれど、本来なら竜のことは他国には絶対に秘密の話なの。帝国の最重要機密なのよ」 フラヴィはそう言い残して部屋を去った。 もちろんジゼルはフラヴィから聞いた内容を誰にも話さない。特に父
こうして王女ジゼルの家族に、王子ライナーが加わった。 ライナーは賢く、武術も得意だった。教えを施す者たちが「王子殿下はとても優秀でいらっしゃいます」と言うたび、ジゼルは誇らしく、嬉しい気持ちになった。 また同時にジゼルもいっそう勉学に励むようになったのは、「|義弟《おとうと》は優れているのに|義姉《あね》の方はさっぱりだ」と言われないようにするためだ。おかげでジゼルに対する周囲の評判は良く、ライナーからも「|義姉様《ねえさま》はすごいですね」と尊敬の眼差しをもらえている。次期国王としてだけでなく、姉としての面目もたれているようで、ジゼルとしては上々の気分だった。 ただ一点。ジゼルがライナーの話を聞きたがるということに関してだけは、もしかしたら周囲から呆れられたり笑われたりしているかもしれない。 ジゼルはいま、ライナーのことならどんな小さな話でも聞きたかった。耳にしたことがない内容はもちろんのこと、既に知っている話であっても、何度でも話してもらいたい。 それでライナーの教育係や使用人たちを見つけると嬉々として駆け寄り、「ライナーの話はない?」 と催促を繰り返していた。おかげでジゼルは「弟が大好きな姉」としての地位も確立しているようだ。面と向かって言われたことはないが「ジゼル様は本当にライナー様がお好きで」という声を耳に挟むことがよくある。 しかしそれは当たり前のことだとジゼルは思っていた。 ジゼルはずっと弟や妹が欲しかったのだし、おまけにそれがライナーのように素直で優秀で愛らしい少年なのだから、好きになるなというほうが難しい。 ライナーを見かけるたび、話をするたび、ジゼルは自分の顔が自然と笑顔になるのを感じていた。(そうよ。誰に隠すこともなく言えるわ。私はライナーが好き!) ジゼルとライナーとで楽しい時間を過ごしていると、たまに父のピエールの視線を感じることがあった。 そんなときの父はいつも微笑みを浮かべている。穏やかで、幸せそうで、そしてどことなく安堵したような笑みは、ジゼルをどこか面映ゆくさせた。 新たな王子のことは王宮だけでなく、国中あちこちで話題となっているようだ。 ジゼルやピエールが城下へ視察にでたときも民は集まってくるが、ライナーが視察へでたときはそれ以上の賑わいだ。 新たな王族となった愛らしい王子を一目見ようと、何かし
「そのきっかけがあの庭園よ。ある日ピエールは『ようやく思い通りの薔薇ができました。私が改良した薔薇をどうか見てください』と言ってコリンヌを庭園に連れて行ったの」「義父様ご自身が、薔薇の改良をなさったんですか?」「そうよ。黄と紫の絞り模様を持つ小ぶりな薔薇をつくって、『|愛《いと》しの|君《きみ》』という名前をつけたの。――ピエールが大好きなコリンヌは、金の髪と紫の瞳を持つ女性だったから」 目を丸くするライナーに向け、ジゼルは微笑む。「その薔薇、『愛しの君』を見て、お母様はお父様と結婚すると決めたのですって。周囲の方々もお父様の熱意に絆されて、二人のことをお許しになったそうよ」 くすくすと笑いながらジゼルは、周囲が絆された裏には間違いなく呆れも入っていたと思っている。 ピエールは次期国王としての勉学などを続ける傍らで自らが望む通りの薔薇を作り出した。彼は体調を崩した日もベッドの上で薔薇に関する本を読み続け、医師に怒られたこともしょっちゅうだったと聞く。「お母様はそれまで別の花を象徴としていらしたのだけれど、王妃の座に就かれてからは薔薇を……というより、『愛しの君』ただ一つを自分の花とお決めになったのよ」 遠くを見る目つきでジゼルの話を聞いていたライナーは、ほう、と一つ深い吐息を漏らす。「とても素敵なお話ですね」「でしょう? 自分をイメージした花、なんて。作ってもらえたら、どれほど幸せかしらって思うわ」「そうですね……」 呟いたライナーは真摯な顔を薔薇園に顔を向ける。「……僕、王妃様の薔薇を拝見したいです。もし義姉様がよろしければ庭園を案内していただけませんか?」「もちろんよ。『愛しの君』はちょうど今が満開でとても綺麗なの。ぜひライナーにも見てもらいたいわ。でも、明日ね。今日のライナーは城に着いたばかりで疲れてるでしょう? この後はゆっくり休んだ方がいいと思うの」「平気です。僕、ぜんぜん疲れてません」「気を張っている今はそうかもしれないけど、少しのんびりしてごらんなさい。すぐに瞼が重くなってくるから」「……そんなことないと思うんですけど……」 母国への思慕ではなくこの国への親しみを見せてくれるのは次期王となるジゼルにとっては嬉しい限りだし、何よりジゼルもこの短時間でライナーにとても惹かれている。本音を言えばまだ一緒にいたいのだから、
甘い香りを、吸って、吐いて、吸って、吐いて。 なんとか心を落ち着かせてジゼルは口を開く。「国王と次期王位継承者は、象徴花を決めないの」「どうしてですか?」「王は国を統べる者だからよ。この国は花の国、一つの花に思い入れることなく平等に接するべき、ゆえに王の象徴はこの国の花すべて。――っていうことにはなってるけど、人である以上はどうしても身贔屓が出てしまうわね」 肩をすくめたジゼルはくすりと笑う。「実はね、お父様は薔薇がお好きなの。もしも国王でなければきっと薔薇を象徴花としてお選びになったと思うわ。ほら、あちらを見て」 石造りの手摺越しにジゼルは外を指す。背伸びをして手摺の上に顔を出したライナーは息をのみ、続いて大きな声をあげた。「すごい! あんなにたくさん薔薇があるなんて! 僕、初めて見ました!」「あれはお父様の庭園よ。実はね。お父様とお母様が結婚したきっかけも、あの庭園にあるの」「……もしかして、恋のお話ですか?」 ジゼルは恋というものが分からないが、わずかに頬を染めたこの少年は恋を知っているのかもしれない。 知っていてもおかしくはない。何しろジゼルの父のピエールが、妃となる女性コリンヌに恋心を抱いたのは、八歳のときだったとジゼルは聞いている。 何故だか少し面白くない気分になった自分を不思議に思いながら、ジゼルは笑みを絶やさないようにして話を始める。「ええ、恋のお話。――今から三十年ほど前のことよ。ある貴族が、娘を連れて城へやって来たの。国王と、王妃と、王子に挨拶をするためにね。そのとき王子は一目で娘の|虜《とりこ》になって、次の瞬間には求婚していたそうよ」 王子が娘にかけた最初の言葉は「結婚してください」だった。 これが、今でも城内で語り草となっている“ピエールとコリンヌの出会い”だ。 突然の求婚を周囲の人々は当初、微笑ましく見守っていた。コリンヌの両親である貴族は「御冗談を」と笑い飛ばそうとし、ピエールの両親である王と王妃も「臣下を困らせるマネをしてはいけない」と叱った。 しかしピエールが本気だと知った途端、周囲の人たちは「コリンヌはやめるように」と諭した。もちろんコリンヌも求婚を断った。「でもね。ピエールは『自分の妃となるのはコリンヌしかいない』と言って、誰の忠告も聞かなかったんですって」 ジゼルがそこまで話すと、ラ
先ほどまでよりも風が心地良く感じるのは、ジゼルの頬が熱くなっているからかもしれない。急にどうしたのだろう。 不思議に思うジゼルの耳に、静かなライナーの声が届いた。「僕はあの日を忘れたことなんてありません。だって僕はあの日、自分の運命を決めたんです。だからこうして義姉様の隣にいられるのは、とてもとても幸せなことなんです」「私の……隣」 呟くジゼルの鼓動はうるさいくらいだ。こくりと唾を飲み、思い切って彼の方へ顔を向けると、そこには嬉しそうなライナーがいるばかり。先ほど見た熱い感情は彼の瞳の中には見えなかった。(見間違い?) つい探るような目線を向けていると、義弟が小さく首を傾げる。「どうかなさいましたか、義姉様?」「……な、何でもないわ。ええと、そう、あのときのことを覚えていてくれて嬉しい、って思っていたの」 四歳も年下の少年相手にここまで動揺するとは思わなかった、もしかするとこれが生まれた国の違いかもしれない、とジゼル心の中で呟く。 多くの人がいる帝国で生まれ育ったライナーは、人の少ない花の国の王女ジゼルよりもっと多くの人と会い、たくさんの対人経験を積んできているのだ。(私も頑張らなきゃ。だってこれからは、ライナーのお姉さんになるのだもの) まずはライナーにこの花の国のことを知ってもらうことから始めようと決め、ジゼルはバルコニーの外へ視線を移す。「うちの国に花が多いのは代々の国王の政策によるものよ。遠い国からもいろいろな種や球根を取り寄せて、国土に花を増やしていったの。四季を通じて色々な花が咲くようになった今では、花を使った産業に力を入れてるところよ。帝国にも輸出しているから、見たことがあるんじゃないかしら」「はい、あります。特に香水は貴族たちの間でも評判がいいんですよ」「本当? 良かったわ!」 花の国では国内でとれた精油や蜜などを使い、食品や化粧品などを作っている。最近では他国との取引量も増えてきているので、このまま国を少しずつ豊かにできればいいなとジゼルは考えていた。 だから実際に現地でどう評価してもらえてるのかを聞けるのは嬉しいし、励みにもなる。「そうだわ、ライナーはどの花が好き?」「……すみません。僕、花のことはまだあんまり知らないんです。この国へ来ることになって勉強はしたんですけど……」「あ、ごめんね。そんなつもり
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