25話──数日後。修行漬けの合宿は、ひとまずの区切りを迎えていた。火の嵐、氷の陣、風の罠、土の構造、そして雷──それぞれの演算がぶつかり、形を変え、少しずつ完成に近づいていく。個々の弱点を埋めるように、仲間の存在が、背中を押していた。だが──それは、あくまで“内側”の物語だ。「……確認できました。“ゼロ式”の残留演算、微弱ですが検出」仄暗い部屋の中。小さな演算端末が淡く光を放ち、その前に佇む複数の影が、無言でうなずく。「間違いないな。封印されたはずの“異常式”が、再び顕在化している」低く、機械のような声が空間に響く。男か女かも分からぬ無機質な音色に、もう一人が言葉を重ねる。「対象:クロ・アーカディア。落第生、か……皮肉なものだ」「“彼”に継承されたかは不明。しかし、ゼロ式の発現は確認済み」「どうする?」一瞬の沈黙。それを破ったのは、ひときわ小柄な影だった。「――監視を継続。干渉は不要。次の段階まで、動くな」「魔導選抜戦が始まるまで、ということか?」「否。その先だよ。ゼロが再び、世界に影響を与える時まで──」──別荘地の森を、静かな風が吹き抜けていた。クロたちは、その視線に気づくことなく、今はただ、次の戦いへと備えていた。──夜。学園長の所有する別荘、その中庭に、焚き火の灯が揺れていた。クロたちは丸く囲むように腰を下ろし、薪のはぜる音だけが静かに響く。カイが口を開く。「ま、なんだかんだで……それぞれ、仕上がってきたんじゃねぇか?」「油断はできないけどな」フィアが冷静に返す。視線は焚き火の奥、どこか遠くを見ていた。「次は、魔導選抜戦……学年代表が決まる戦いね」ミナが火にかざした手を下ろしながら呟く。「例年とは違う形で行うって話……どこまで本当なの?」「形式がどうなろうが、やることは同じだ」レインが短く言う。「勝つ。それだけだ」「うわ……かっけぇ。言ってみてぇ……」カイが冗談交じりに肩をすくめた。だが、その背中にはこれまでとは違う緊張感が宿っていた。それぞれの修行の成果──そして、それぞれが感じた“限界”。それを越えるために、もう一度立ち上がるしかなかった。──と。クロがふと、焚き火に視線を落とす。(……ゼロ。次は、何を見せるべきなんだ)《次の戦闘機会:魔導選抜戦。演算式の“構
──空気が、少しだけ焦げていた。「……これ、もう終わってるよね」ミナがため息混じりに呟いた。眉間に皺を寄せながら、鍋の蓋を開ける。白い湯気の代わりに、黒く焦げついた米の匂いが部屋に充満する。場所は、学園長オルヴェインが所有する訓練用の別荘。その一角──別館の広いキッチンスペースで、クロたちは慣れない炊飯作業の真っ最中だった。「おい、マジか。さっき混ぜてたとき、いい感じだったんだけどな……」鍋を覗き込みながら、カイが頭を掻く。表情は困っているというより、完全に“やっちまった”顔だった。「……混ぜてただけで火加減見てなかったの?」ミナが呆れた声を漏らす。彼女の右手には木のしゃもじが握られていたが、それもすでに焦げ臭さを吸い込んでいる。「まあまあ。ミナちゃん、怒っちゃだめだよ」サクラがフォローに入るように笑いながら言う。柔らかい声色で、ミナの肩に手を添えた。「怒ってるんじゃなくて……がっかりしてるの」ミナは静かに返す。声のトーンは落ち着いていたが、内心では“戦闘より難しい料理のミス”に苛立っているのが見て取れた。レインは黙ったまま、テーブルの端で皿を並べている。何も言わないが、どこかしら「最初から焦げると思っていた」雰囲気を漂わせていた。「……火の魔術に慣れすぎると、こういうとこで出るよな……」クロがしゃもじを置きながら小声で言うと、ゼロの声が脳内に響いた。《観察評価:現在の調理工程、成功確率は13%。主因は火力調整不足》(低いな……てか、そんな数値で出すなよ)クロが心の中で突っ込みつつ、苦笑を浮かべていたとき、ようやくレインが短く口を開いた。「……これ、食べるのか?」「いや、さすがにやめときましょう」フィアが即答する。氷のような落ち着いた声で、焦げ鍋の蓋をそっと閉じた。「あのさ……訓練の合間に頑張って作ったのに、なんか悲しくなってくるな」カイが笑いながら肩をすくめる。「火を使いたいなら、訓練場で使えばよかったのに」「うっ……それ言う?」クロが顔をしかめる。ミナはそんな様子を見ながら、少し声を落として呟いた。「でも……こうやってみんなで集まって食べるの、久しぶりかもね」その一言に、全員が静かにうなずいた。修行漬けの合宿が始まって数日──互いに別メニューを課され、顔を合わせることもままならなかった。ようやく集ま
「──昨日と同じ構え、だけど……」アルヴェンの目がわずかに細められる。朝霧がまだ草を濡らしている訓練場で、クロは構えていた。ブレイサーの雷紋が淡く光る。昨日完成したばかりの新術式──《雷迷陣》の試作型。今日は、それをぶっつけで試すつもりだった。(分岐ルートは三つ、起点は右脚、収束まで1.6秒──)「いきます!」クロが地を蹴った。雷の軌跡が、空中で枝分かれする。一条はアルヴェンの右肩を、もう一条は足元を。さらに一本は“回避先”と予測したポイントへ。(よし……逃げ場、塞いだ!)だが。「ふぅん、なるほど」次の瞬間、アルヴェンは重心を沈めると、最も狭い隙間を滑るように抜けてきた。すり抜けた。まるで、初めから“全部見えていた”ように。「読まれてた、か……!」「いや、読んではいない。選んだだけだよ。“どれが一番マシか”をね」クロの肩が揺れる。ゼロの声が静かに補足する。《雷の分岐は成立しています。だが、意図の“精度”が低く、各軌道の圧が分散しています》(つまり、全部が“そこそこ”で、どれも決め手にならねぇってことか……)クロは歯噛みする。「面白い術式だったよ、クロ・アーカディア。でも──“殺しきる覚悟”が、まだ乗ってない」アルヴェンの声は穏やかだが、冷たい。「“どのルートが当たるか”じゃない。“どの一手で仕留めるか”を考えなきゃ、君の魔法は届かない」「……届かない、か」クロは雷を収め、息を吐いた。《術式の構造進化は成功。だが、“主眼”が散っている以上、打撃力は下がる》「……本末転倒だな。工夫したつもりが、逆に弱くなってる」手元のブレイサーを見下ろす。迷路のように分岐する雷は、確かに“面白い”。けれど、それは今のクロにとって、まだ**“完成形のイメージが持てない武器”**だった。──まるで、“術式に振り回されてる”みたいだ。「もう一戦、お願いします」「いいよ。君が“術に頼らず、自分で戦おう”とするまでは、何度でもね」再び、雷が鳴る。だがその刃は──今日もまた、空を切った。「──正面から、ぶつかり合ってもらうわ」セラの言葉に、訓練棟の空気が張り詰める。広々とした演習室。その中央に、向かい合うふたりの生徒。カイ・バルグレイヴ。火力特化の前のめりバカ。サクラ・ヒヅキ。補助と索敵に特化した支援魔導士。
クロはまた草地に立っていた。空気は昨日よりも静かで、風もなかった。──いや、違う。風が“止まる前”の静けさだ。対面に立つアルヴェンは、いつものようにシャツの袖をまくりながら、目を細めて言った。「──少しずつ、形になってきたね」クロは無言で頷いた。《閃雷刃》を展開。だが今日は、“斬るため”じゃない。観るためだ。「いくぞ──!」地を蹴る。雷光が駆ける。その軌道はまっすぐに伸び──一瞬、空中で揺れた。「……ほう」アルヴェンの目がわずかに細まる。その目が、“違い”を捉えた証だった。雷刃は空を斬りながら、ほんの僅かに左右へ枝分かれするような動きを見せていた。斬撃は掠るだけで、実際には当たっていない。けれど、初めて──避けさせることに成功した。「君、昨日まで“まっすぐ”だったのに。今のは、違うね」「……ようやく、ちょっとだけ、“雷っぽく”なってきたかも」ゼロの声が、静かに続いた。《君の演算に、“遊び”の余地が生まれ始めている。既存の攻撃パターンから逸脱した流れ──構造分岐の兆候が確認された》(そうか、“流れ”ってのは……雷の中にもあるんだ)クロは、その感覚を手放さぬように、深く呼吸を整える。「もう一度だけ頼みます、アルヴェン先輩。今の、確かめたい」「いい目をしてる。じゃあ、次は──本気で避けるよ?」次の瞬間、風が消えた。クロの雷が、まるで迷路のように枝分かれしながら走る。まだ不安定で、当たる確率は高くない。でも、その雷は──確かに、“選ぼうとしていた”。午後、別荘の東にある訓練棟。三人の生徒が、演習室の中央で黙って立っていた。カイ・ミナ・サクラ──そして、彼らの前にいるのは、副会長・セラ・ヴァレリウス。「前回までの演算記録、確認済み。今日からは“修正訓練”に入るわ」セラの言葉に、三人の表情が引き締まる。「まず、カイ・バルグレイヴ。あなたの火拳は、瞬間出力に頼りすぎている。“暴れるだけ”では、扱える魔法にならない」「へっ、分かってるよ」カイはニッと笑いながら拳を握った。「俺が目指してんのは、“一撃粉砕”。だったら、その一撃だけは外さない精度にしてみせる」「ならば構築式を最低3パターンに分けなさい。威力変動型、圧縮推進型、集中燃焼型。演算の分岐処理を覚えるのが先よ」「上等……手ぇ焼かせてやるぜ」次にセラの視線がミ
──合宿二日目。午前。 クロは、また立っていた。 昨日と同じ場所。昨日と同じ相手。けれど──体は、明らかに重かった。 「じゃあ、今日も始めようか」 アルヴェンが、いつものように涼しげな笑みを浮かべながら立つ。 クロは無言で《閃雷刃》を展開した。 返事も、意気込みも、もう口にする余裕がなかった。 昨日だけで、十回以上は模擬戦をこなした。 その全てで、クロの攻撃は一度も──一度たりとも当たらなかった。 「はっ──!」 地を蹴り、横薙ぎの閃光を叩き込む。だがアルヴェンの姿は既に後方にある。 振り返ると、逆方向から軽く肩を叩かれた。 「焦りが出てる。目の動きが滑ってるよ」 「……っ!」 クロは距離を取ると、額の汗をぬぐった。 腕も足も重い。呼吸も荒れている。 だが、それより何より──“何が悪いのか”がわからないことが、一番堪えた。 (なんで……当たんねぇんだよ……!) 『原因は明白だ。』 ゼロの冷静な声が、脳内に響く。 『お前は相手の“動き”を追っている。だが彼は──お前の“意図”を読んで動いている』 (“意図”……?) 『動きの前に生じる、視線の僅かな偏り、呼吸、重心移動……それら全てを“流れ”として読まれている。』 クロの頭の中に、昨日の負け試合の映像がフラッシュバックした。 何度も、どこかで同じように回避された──まるで、予言されたように。 (……読み負けてる? 俺が……?) 「クロ・アーカディア」 アルヴェンの声が、距離を超えてすっと入ってきた。 「お前の雷はいつも“まっすぐ”だ。──でも、本当にそれだけか?」 「……なに、言って……」 「雷は分岐するだろう?乱れるし、時に枝分かれもする」 「……」 「でもお前の“閃雷刃”は、ただ一直線に突っ込んでくるだけ。速いけど──見えやすい」 クロは、言葉を失った。 それは、これまで一度も“疑ったことがなかった”自分の魔法の使い方そのものだった。 『雷の性質を、もう一度見直してみるといい』 ゼロが続ける。 『そこに、お前の演算の“進化”のヒントがあるかもしれん』 クロは、拳を強く握った。 「もう一戦、お願いします」 「もちろん。──期待してるよ、落第生」 再び雷が走
朝の空気が、妙に澄んでいた。クロたちは、学園長の別荘──もはや要塞とも呼べる広大な敷地の中庭に集められていた。その中心に、白シャツを片手で羽織り、スリッパで歩く男があくびをかみ殺しながら立っていた。「はー……眠ぃ……。……さてと」それが、合宿初日の合図だった。「じゃ、今日から鍛えていきます……たぶん。以上」「えっ!? 短っ!」ミナが思わずツッコむ。空気がピリつく前に、一気にゆるんだ。「……大丈夫かな?」サクラが不安げに呟くと、すぐ隣にいた副会長・セラ・ヴァレリウスが、静かに一歩前に出た。「問題ない。予定はすでに整っている。班分けと内容も学園長の承認済み。──私が仕切るわ」セラの一言で、空気が凍った。同じく前に出た生徒会長・アルヴェンが、涼しげな微笑を浮かべて補足する。「それじゃあ──振り分けを発表しようか」「クロ・アーカディア。君は僕と模擬戦を繰り返してもらう」「え、いきなり!?」「カイ・バルグレイヴ、ミナ・ガーネット、サクラ・ヒヅキ。君たちはセラの元で、魔法構築の再教育」「……なんか、“再教育”って言い方怖くね?」カイが引きつった笑みを浮かべる。「レイン・アズレア、フィア・リュミエール。君たちは、トウヤ先生と戦い続けてもらう。シンプルに、戦闘力向上だ」「ふぁいとー……」トウヤが片手を上げて気だるげに応える。 「……めっちゃバラけたな」クロが思わず呟く。「バランス? 知るか。面白そうな組み合わせにしただけだ」トウヤがにやりと笑うが、誰もツッコまなかった。──午前、第一訓練。クロは、広大な草地の一角。アルヴェンと向かい合っていた。対するアルヴェンは、剣を抜くでも構えるでもなく、ただ立っていた。「……準備はいいか?」「……はい」クロは右手のブレイサーに触れ、《閃雷刃》を展開する。パチ、と電光が走った。「じゃあ、始めようか。──模擬戦、第一回」ゼロが冷静に補足する。『相手の魔力量、戦闘演算密度──警告。勝率、限りなく低い』(わかってるよ……けど、やるしかねぇ)クロが地を蹴った瞬間──風が、消えた。「……!? どこ──」クロの視界から、アルヴェンの姿がふっと消える。直後、背後から軽く肩を押される。「背中、がら空きだよ?」「っ!」振り返ると、そこにいたのは無傷のアルヴェン。その笑みは、