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10度目の離婚届。捨てられたクズ夫が泣いても無駄
10度目の離婚届。捨てられたクズ夫が泣いても無駄
作者: あめちゃん大好き

第1話

作者: あめちゃん大好き
結婚して3年、離婚届を出すのはすでに9回にものぼる。

そのどれもが、木村直樹(きむら なおき)が自分の「初恋の人」を助けるために仕組んだ、「その場しのぎの偽装離婚」だった。

そして今日で、10回目を迎える。

木村真奈美(きむら まなみ)は役所のベンチで一人、ポツンと座っていた。スマホのアルバムを開き、過去の思い出を一枚一枚指でスクロールしていく――

3年前の今日、直樹がプロポーズした。

写真の中で微笑む真奈美は、まるで世界で一番幸せな女のようだった。しかし、そんな彼女を見つめる直樹の優しい眼差しは――今思えば、すべて周到にリハーサルされた演技でしかなかったのだ。

2年前、白石絢香(しらいし あやか)が帰国した晩。直樹は初めて「偽装離婚」を提案した。

「絢香が、父親から海外へ嫁げと迫られているんだ。たった1ヶ月、俺に時間をくれないか?1ヶ月あれば、必ずこの件を片付けてみせるから」

8ヶ月前、デザインした作品が国際的に認められた授賞式で、真奈美は直樹を探していた。結局、ニュースで彼が海外のファッションショーに絢香を同伴しているのを知った。

記事には、【大切な人とのひととき】という言葉が添えられていた。

3ヶ月前、真奈美が交通事故で病院へ運ばれた際、直樹は彼女の手を握りしめながら9度目の離婚届にサインした。

「絢香がうつ状態でね。付き添って海外へ療養に行かないと」

……

9枚の写真と9回の偽装離婚。真奈美はその度に心を入れ替え、サインし、直樹もまた「最後にする」と誓ってきた。

スマホが震え、直樹からのメッセージが届いた。

【道が渋滞してる。焦らないで、すぐ着くから】

真奈美は返信しなかった。

絢香のインスタを開くと、ちょうど10分前に投稿されていた。

空港のラウンジで撮影された写真で、絢香は男の肩に寄り添って甘く笑っている。

顔は半分隠れていたが、直樹の着ているシャツの袖口だとすぐ分かった。

あれは去年の誕生日プレゼントで、真奈美自身がデザインした麦の模様のカフスだった。

投稿のキャプションは、【やっと終わった長いフライト。あなたが待っていてくれて幸せ】だ。

なるほど。「渋滞」なんて嘘だったのだ。彼の言う「すぐ着く」とは、空港であの女を出迎えてから、すぐここへ向かう、という意味だったらしい。

「真奈美」

聞き慣れた優しい声と共に、直樹が隣に座り、自然な仕草で真奈美の手を握ってきた。

「顔色が悪いな。昨日はよく眠れなかったのか?」

彼の手は額に触れ、相変わらず温かい。でも、その指先からは、あの香水が香る。絢香の愛用するものだ。

真奈美は思い出した。数日前の深夜2時、直樹が電話に出て慌ただしく出かけた時、彼はこう言った。

「絢香が熱を出したんだ。一人で病院にいて怖いからって」

胃痛でベッドにうずくまっていたことなど、彼は気づきもしなかったのだろう。

「直樹」真奈美はゆっくりと手を引き抜いた。「今回の離婚は、本気よ」

直樹は驚き、そしてふっと笑った。「またそんな怒ったふりをして」

直樹は、これまで何度も真奈美をなだめてきたように、そっと彼女の髪を撫でようと手を伸ばした。「ここ最近冷たくしてたことは分かってる。絢香の件が片付いたら、I国にオーロラを見に行こう。ね?」

オーロラ。

この3年、自分が見たいと願い続け、彼が連れて行くと約束し続けたものだ。

最初は新婚旅行で「来年こそは」といい、2年目は絢香の失恋に飛び去り、3年目は会社の上場が近くて「また今度」といって……

その度、何らかのことを理由に延期されてきた。

真奈美はふと顔を上げ、直樹の襟元へと視線を移した。

そこには、目に刺さるような赤い痕があった。口紅の跡だ。

あの色、間違いなくトムフォードのスカーレットレッド。絢香がインスタで自慢気に晒していた、とっておきのカラーだ。

「いいわ」真奈美は視線を逸らした。「彼女がまだ体調悪いなら、付き添ってあげて」

直樹の笑みが凍りついた。

次の瞬間、彼は仕方なさそうにため息をついた。「真奈美、どうしてもそういう態度をとるのか?」

直樹は小声で、他人に聞かれないように続けた。「絢香の実家が潰れそうなんだ。彼女のお父さんが陣内隼人(じんない はやと)との結婚を強要しているらしい。あの男、過去に3回も結婚しているが、元妻は全員、不審な死を遂げているんだよ」

その真剣な瞳を見て、真奈美は苦笑せざるを得なかった。

「1ヶ月だけの偽装離婚だ。俺が絢香の実家に融資を取り付けたら、すぐにすべてを元通りにするから。

これが本当に、本当の最後だ」

「前にもそう言ったじゃない?」

真奈美はカバンからサイン済みの離婚届を取り出した。「早くサインして。サインすれば、彼女のもとへすぐ行けるでしょ?」

ようやく直樹の顔から余裕が消えた。

離婚届から、真奈美へと視線を移した彼の瞳に、かつてないパニックの色が滲む。

「真奈美、意地を張るのはやめろ……」

彼が手を伸ばして彼女の手を握ろうとしたが、真奈美は冷たくその手を避けた。

「意地なんか張ってないわ」真奈美は立ち上がり、直樹を見つめた。「この3年間、疲れるわよ。白石さんを助けに行けば?私はもう――」

彼女は少し言葉を切り、ふっと自嘲するように笑った。「いつも物分かりが良くて、寛容で、ただひたすらに待ち続ける……そんないい妻を演じるのは、もうやめにするわ。みっともないから」

窓口で離婚届を提出すると、受け取った職員は複雑な表情を浮かべた。

無理もない。この3年間、真奈美たちがこの場で9回も離婚届を出し、その度に東都の『受理保留制度』を利用して9回撤回するのを見守ってきた担当者だからだ。

「いつも通り、東都の条例による『30日間の受理保留』でよろしいですか?この手続き期間中なら、いつでも申請を撤回できますが」

直樹が何か言う前に、真奈美が即答した。

「いいえ、撤回はしません。30日間の保留期間が過ぎたら、私一人で正式な受理手続きに来ます」

静かながらも堂々とした宣言が、ロビーに響き渡った。

「真奈美!」直樹が勢いよく彼女の手首を掴む。

抵抗せず、真奈美は冷静に見返した。「注目されてるよ。明日のヘッドラインを飾るつもり?木村グループの社長が役所で妻と揉め合い、空港で初恋の人が待ちぼうけって」

直樹の指が力なく解けていく。

真奈美が出口へと向かおうとしたその時、下腹部に熱いものが流れるのを感じた。

生理が来てしまったらしい。お決まりの痛みがじわりと広がる。

彼女はよろけ、ドア枠に手を掛けた。

「真奈美!」直樹がすぐに駆け寄る。「大丈夫か?すぐに病院に……」

「放して」と押し返す。「ねえ、今日が何の日か覚えてる?」

直樹は一瞬戸惑う。

「3年前の今日、あなたがプロポーズしてくれた日よ」

真奈美は笑いながら、涙がこぼれ落ちた。「あの日からずっと、毎月この時期になると、あなたが温かいココアを淹れてくれた。

『甘すぎるのは苦手だから』って、あなたはマシュマロの数やミルクの加減までちゃんと覚えてくれていた。

なのに、いつからかしら……私の生理のことさえ、忘れてしまったのは。

あの白いマグカップに淹れてくれるのが、一番手になじんで温かいんだって、私が言ったから……ずっとあのカップを使ってくれていたのに」

彼女の声は、次第に消え入りそうになっていく。「いつから、覚えようともしなくなったの?」

直樹は口を動かしたが、何も言い返せない。

真奈美は涙を拭い、スマホを取り出し、彼の前で通話を繋げた。

「お父さん」声は詰まるが、意思は固い。「F国へ行くわ……うん、もうこっちには帰ってこない。

手続きが終わったらすぐに向かう」

電話を切った瞬間、直樹の顔が真っ青になった。

「行こうって……冗談だろう?」直樹は信じられないという目で問う。

「いいえ、本当よ」

真奈美は直樹の言葉を遮る。「直樹、この3年、私はあなたから分け与えられる僅かな愛を、惨めに待つだけだった。でも、もうやめるわ。

あなたの愛は、私にはあまりに贅沢すぎたわ。もう、いらない」

そう言い捨て、真奈美は役所のドアを押し開いた。

背後から、直樹が電話に出た時のあの極上の優しさを持つ声が聞こえる。

「絢香、ごめん。道が混んでて……すぐ着くよ」

ほらね。

初恋の人に呼ばれれば、私への演技すら維持する気がなくなったのね。

真奈美は道端でタクシーを拾う。

乗り込む直前、彼女は左手の薬指から指輪を外すと、足元の排水溝へと迷わず落とした。

捨てるべきものは、さっさと捨てないとね。
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