FAZER LOGIN夫の一ノ瀬航平(いちのせ こうへい)は、妻の私、一ノ瀬紗和(いちのせ さわ)と息子の一ノ瀬悠真(いちのせ ゆうま)を何より大切にする人だと、周囲でもよく知られていた。 私が星を見たいと言えば、大金をかけて流星群を再現し、息子がメリーゴーラウンドを気に入れば、息子の名をつけた最大規模の遊園地を造る。私たちのためなら、何も惜しまない夫だった。 息子と私が交通事故に遭った日も、航平は名だたる医師たちを呼び集め、私を助けようとしてくれた。かろうじて意識をつなぎとめながら、私より先に息子を助けてほしいと頼むと、夫は声を詰まらせ、病院へ運ばれる途中、失血多量で亡くなったのだと告げた。 あまりの悲しみに、それ以上は意識を保っていられなかった。 次に目を覚ましたとき、扉の向こうから航平と医師の話し声が聞こえてきた。 「悠真くんはまだ助けられたんですよ。それなのに、どうして……ご自分のお子さんを見捨てたのですか」 航平は何でもないことのように、葉山美緒(はやま みお)と、その息子の葉山律(はやま りつ)の名を口にした。 「悠真が生まれてきたのは、俺と美緒の子を助けるためだ。死ななければ、心臓を取り出して律に移植できないだろう。紗和と息子には十分よくしてきた。今度は返してもらう番だ」 夫が私たち母子に注いできた愛情は、息子の心臓を手に入れるためのものだった。私も息子も、その優しさを信じたまま、ほかならぬ夫の手で苦しめられていたのだ。 それなら、お望み通りにしてあげるわ。
Ver mais死刑が執行された日、私はその場へは行かず、息子の墓を訪れた。「悠真、ママやったよ。あなたを傷つけた人はみんな、相応の報いを受けたわ。航平とは離婚したの。でも、ママがこの先ずっとひとりぼっちになるんじゃないかって心配しなくていいからね。あの人が全財産をママに譲渡してくれたから、その資金で財団を立ち上げることにしたの。あなたのように違法に臓器を摘出された子どもたちや、そのせいで我が子を失った家族を支援するための財団よ。悠真、ママはあなたに会いたい……」……1年後、私は児童養護施設でボランティアとして子どもたちの世話をしていた。無邪気に遊ぶ子どもたちの輪から少し離れた場所に、見覚えのある小さな背中を見つけた。部屋の隅にぽつんと座り、うつむいて古びた飛行機の模型で遊んでいたのは、律だった。私は静かに歩み寄り、その前にしゃがみ込んで優しく声をかけた。「律くん?」男の子は顔を上げ、大きな瞳でじっと私を見つめた。「お姉ちゃんのこと、覚えてるよ」か細い声でそう呟かれた瞬間、胸に複雑な思いが込み上げた。あの日、美緒の家から律を連れ出したとき、私の頭は復讐のことでいっぱいだった。けれど、この子は少しも私を疑わず、悠真が好きだったお菓子を食べ、飲み物を飲んで、あの子のおもちゃで楽しそうに遊んでいた。笑うと三日月のように細くなるその目元は、悠真を思い出させた。涙が溢れそうになり、思わず背を向けた私に、律は不安そうな声をかけてきたのだ。「お姉ちゃん、どうしたの?ぼく、何か怒らせることしちゃった?」この子は私の悠真と同じように、他人の痛みに寄り添える優しい子どもだった。私は首を横に振り、声を詰まらせながら答えた。「ううん。自分の子どものことを思い出していただけよ」「その子は今、どこにいるの?」私が律の頭を撫でながら「お空の星になったの」と教えると、律は何かを察したようだった。「お姉ちゃん、泣かないで。お姉ちゃんは律にすごく優しくしてくれたから、律が寂しくないようにしてあげるね」やがて遊び疲れた律は、子猫のように私の膝元で丸まり、すやすやと寝息を立て始めた。薄いシャツ越しに胸へ耳を当てると、かつて私の息子の胸にあった健やかな心臓が、力強くトクトクと脈打っていた。その瞬間、胸の中で渦巻いていた昏い復讐の
航平は苦しみに満ちた眼差しを私に向け、話し始めた。「分かっている。今さら何を言おうと、何をしようと、お前と悠真が俺を許してくれるはずがないことは。俺がすべてを誤った。自業自得だ。どんな報いも受け入れる。離婚届には必ず判を押す。だが、今すぐというわけにはいかないんだ。頼むから、あと数日だけ時間をくれ。最後にもう一度だけ、お前と悠真のためにできることをさせてほしい。信じられないだろうが……今度こそ、絶対に2人を裏切らない」息子の墓前に向かって深々と頭を垂れた。こぼれ落ちた涙が、足元の乾いた土を黒く濡らしていく。やがて身を起こした航平は背を向けて立ち去ろうとしたが、数歩進んだところで足を止め、振り返った。「紗和。最初は確かに、お前たちを欺くための優しさだった。けれど、いつの間にか本気で大切に思うようになっていた。悠真を犠牲にするなんてできない、お前が悲しむところも見たくないと思うようになっていた。けれど、律の心臓は悪くなる一方で、美緒からも『自分の家庭ができたら、私たちのことはどうでもいいのか』と責められた。あのとき、判断を誤ったんだと思う。2人との約束を果たそうと、心を鬼にして事故と手術を仕組んだ。悠真が息絶えていく姿を目の当たりにした時、心臓が握り潰されるほど痛かった。声も出せず、指一本すら動かせなかった。次の瞬間には泣き崩れてしまいそうで、必死で無表情を装った。これでいいんだ、すべて計画どおりなんだって自分に言い聞かせた。律に心臓を移植するために、あの子をもうけたんだからって。それでも涙は止まらなかった。律の手術中、俺は病院のトイレに籠もり、午後ずっと煙草を吸いながら声を殺して泣き続けた。美緒もずっと俺を探していたが、俺を見つけられるはずもなかった。お前と別れたくなかったのは、埋め合わせのためだけじゃない。俺の妻はお前しかいないと思ってた。今になって美緒の醜い本性に気づいたが、すべては手遅れだった……紗和、俺は知らず知らずのうちに、お前を心から愛していたんだ。今さらこんなことを伝えても、何の救いにもならないだろうが……」私は、かつて航平が大金を注ぎ込んで私に見せてくれた、あの流星群を思い出していた。空いっぱいに星が流れる中、両手を合わせ、家族3人、いつまでも愛し合って、離れずにいられますようにと願った。けれど、あの流れ
航平の整った横顔を見ながら、この人が何年もかけて、私と悠真に見せてきた幸せな夢を思い返していた。その夢が破れて初めて、自分たちが逃げ場のない網に絡め取られていたと知ったのだ。航平は美緒の嘘を糾弾しなかったものの、自ら罪を被るほど愚かでもなく、そのため、第1審は思うような結果にはならなかった。第2審の開廷を前に、私は悠真に会いに行った。白い菊を墓前に供え、墓石に深く刻まれた息子の名前をそっと指先でなぞった。ほんの少し前まで、あの子は私の前で元気に跳びはね、次の休みに海へ連れて行ってほしいと無邪気にねだっていた。その約束を果たすため、私と航平は浮き輪や水着、ゴーグルを買い揃えたのだ。夏休みはあっという間に訪れ、本来なら思い切り太陽の下を駆け回っているはずだった。それなのに、あんなに活発で賑やかな場所が好きだった私の悠真は、今、冷たい土の下で永遠の沈黙に沈んでいる。ショッピングモールの賑わいに目を輝かせ、はしゃぎ回る息子を見つめていたあの日の航平の瞳を思い出す。時折見せた戸惑い、哀れみ、そして躊躇い。当時の私は不思議に思いながらも、何年にもわたって注がれた偽りの優しさに毒され、警戒心を抱くことすらできなかったのだ。買ってもらったおもちゃを持って父親の胸に飛び込み、首に腕を回して「パパ大好き」と言っていた悠真。だけどそのとき航平は、あの子の命を奪う事故と心臓を奪い去る手術を計画していたのだ。その時、長く骨ばった手が伸び、白い菊の隣に黄色い菊の花束を供えた。航平だった。一ノ瀬家の力を考えれば、彼がここに現れても不思議ではなかった。悠真の墓を見つめていた航平の顔は苦痛に歪み、固く閉じた目尻から涙が零れ落ちた。「悠真……パパが悪かった」それを聞いて、私は冷ややかに笑った。「あの子が血だまりの中であなたに助けを求めた時、自分が父親だって忘れてたの?」「お前たちにしたことは、一生かかっても償いきれない」航平は言い訳しなかったが、私は取り合わなかった。「だったら、早く帰って。私も悠真も、来てほしくないの」航平は顔をそむけ、手の甲で涙を拭った。その拍子に袖口からのぞいた赤いブレスレットが見えた瞬間、私はとうとう感情を抑えきれなくなった。「航平、あなたに人の心はあるの!?そのブレスレットはね、悠真が宿題を終えた後のわずかな
「もう、あなたの言葉は何ひとつ信じない。警察に証拠を渡して、あなたにも、大切なあの人にも……」航平の告白に驚き、言い逃れるすべを失った美緒を指さして、私は続けた。「犯した罪の報いを受けてもらう」「警察はだめ!」美緒は航平の腕をつかみ、激しく揺さぶった。「証拠を警察に渡されたら、私たち2人とも実刑は免れないのよ!航平、しっかりして!死ぬならひとりで死になさいよ、私を巻き込まないで!」私が証拠をまとめ、玄関へ向かって歩き出すと、航平は美緒の手を冷たく振り払い、私の手首を強く掴み止めた。「紗和、俺が悪かった。お前にも、息子にも……」すがるような声が途切れると同時に、サイレンが響き、玄関から警察官が入ってきた。航平がとっさに手を離すと、私は足早に警察官の背後へと身を隠し、警察官たちは瞬く間に航平と美緒を包囲した。「一ノ瀬さん、葉山さん。殺人と違法な臓器移植に関わった疑いで通報がありました。署までご同行ください」「ち、違うんです!」美緒は叫んで私を指さした。「何かの間違いです!この女です、この女を逮捕してください!私の息子を誘拐したんです!捕まえるべき相手はこの女でしょう!」上の階から足音がして顔を上げると、律が目をこすりながら書斎から出てきた。寝起きの様子で、「パパ、ママ、迎えに来てくれたの?」と声をかけた。美緒は真っ青になった。「あなた……最初から通報していたのね。律を使って私たちを呼び出して……騙したわね!」私は冷ややかに美緒を見返し、証拠をすべて警察官に渡した。「この2人がしたことの証拠です。法に従って処罰してください」それでも美緒は、なりふり構わず悪あがきを続けた。「この人、一ノ瀬家の跡取りで、一ノ瀬グループの社長なのよ!お偉いさんとのコネがあるのよ?逮捕なんかして、ただで済むと思わないで!私は捕まえないで!何もしてないわ!全部、航平が仕組んだの、私は何も知らなかったのよ!」すべての罪を自分ひとりに擦り付けようとする美緒を、航平は信じられない思いで見つめた。毒づき、見境なく人を責める姿は、まるで知らない女のようだった。パトカーに乗せられる直前、航平がこちらを振り返った。悔やんでいるのも、すまないと思っているのも分かった。けれど、その目には、かつて私に向けていた愛情まであるように見えた
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