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Nox.I 『蒼月と謎の女教師』III

Author: 皐月紫音
last update Last Updated: 2025-07-10 18:01:05

◆◇◆◇

「おい、ちょっと待て。これは一体なんだ?」

 学院の職員室にて、レイフは自身の目の前に置かれた書類の山に困惑を隠せずにいた。

 彼の前では、歴史担当教師として赴任してきたヴィオレタが、机に片肘を突いて座っている。

「何って……。この前、課題で出した七年戦争に関する、貴方たちVII組のレポートよ。まぁ、貴方は提出すらしてなかったけどね。自分の成績を下げるのは勝手になさい。でも、私に無駄な手間をかけさせるんじゃないわよ」

 堂々と教師として、失格なことを言ってのけると、彼女は机に突っ伏して眠り出した。

「それはわかってんだよ! おい、起きろ! このニート教師!!」

「何よ……。うっさいわね」

 不快な気分を顔に隠そうともせず、起き上がった彼女は、あくびをひとつして目元をこする。

 毎日、寝てばかりでよくも、そんなに眠くなるものだ。

「なぜ、これを俺に渡す? そもそも二日後には、添削を終えて返さなきゃいけねぇもんなのに、まだ一枚も赤ペンが入ってないぞ……」

 机に積まれた書類の山を、一枚一枚と確認するレイフの表情から急速に温度が失われてゆく。

「当然よ。私だって、今さっき思い出したばかりなのにできるわけないでしょ? 秘書としての初仕事をあげるわ。これ、全部添削しておきなさい」

「もうどこから突っ込めば良いのか、わかんねぇよ……」

 退屈そうな表情を浮かべるヴィオレタは、ペンを一本取り、手で弄んだ後にレイフへと向けてみせる。

 その仕草は、どことなく教師のようだった。

 そして、残念ながら彼女は紛うことなき教師なのだった。

「いい? 歴史なんてものは、|教科書《テキスト》の太字さえ暗記しておけば、それだけで点数が取れるの。つまりは貴方でも教科書さえ、ちゃんと覚えれば、答え合わせくらいはできるということよ」

「あんた、本当にとことん最低だな……」

 かつて、ここまで自分の専門分野をナメている教師が、果たして居ただろうか。

 親からのクレームで、|退職《クビ》になればいいのに、とレイフは心の底から思った。

「ふっ、褒め言葉として受け取っておくわ」

「受け取るなよ」

 レイフの言葉を受けて、彼女は口角をわずかに吊り上げる。

 その仕草は、そこはかとなく色っぽく、不本意ながらもレイフは少しドキリとしてしまった。

「わかったら、さっさとやりなさい。時間がないわよ」

「誰かさんのせいでな」

 彼の言葉など、どこ吹く風――席から立ち上がったヴィオレッタは、そのまま一度大きく伸びをして扉の方へと歩いてゆく。

「おい、待て! どこに行く気だ!?」

 既に扉に手をかけていた彼女は、振り返ると同時に、瞼を半分ほど下げて視線だけでわずらわしさを訴える。

「|淑女《レディ》にそんなことを聞くものじゃないわ。でも、そうね……。本当に自分一人で不安なら、頭の良いクラスメイトでも頼ればいいわ。私もその方が安心だし、友達は助け合うものでしょ……?」

 「私、今教師っぽいこと言ったわね……」と、得意げな表情を浮かべて部屋を後にする彼女を、レイフは口をあんぐりと開けて見送るしかなかった。

◆◇◆◇

 その日――二年VII組の教室を、ざわめきが支配していた。

 教室の中央――そこは授業の時間を除いては〝|聖域《サンクチュエール》〟と称されている空間だ。

 選ばれた生徒以外は、立ち入ることを許されない空気が、自然とそこには漂っている。

 VII組の中でも、最も容姿・家柄ともに優れ、〝|白百合の四人組《Fleur de lys Quatre》〟=通称|FⅣ《エフ・クァトル》と呼ばれる四人組を中心とした輪が形成されているためだ。

 その中心人物であるニコラ・ド・レヴィが、他の生徒を守る形でレイフと対峙している。

 癖毛風に整えられた、柔らかなシャンパンゴールドの髪を後ろへと流し、眼鏡の奥には海を映したかのように底が見えない青藍色の瞳が輝く。

 〝少年〟と呼ぶには、やや大人び過ぎた印象を与える生徒だ。

「何の用だ……レイフ・へーデンストローム?」

「なんだよ。クラスメイトの俺が、ここに居ることに何か問題があるのか?」

 太々しい笑みを浮かべるレイフは、近くの席から椅子を引きずり出し、逆向きに腰かけた。

 見上げる瞳は鋭く挑戦的で、その表情から着崩された制服まで、ニコラとは何もかもが正反対だ。

 窓から射し込む陽光を浴びて、袖の隙間から覗く銀製の|鈴《ベル》を象った|手飾り《ブレスレット》が、鋭利な刃物のように鋭く煌めいた。

「君が休み時間に、どこで何をしようとも……校則に反していないのならば私に止める権利はないな」

「へぇ……。堅物かと思ってたが、意外と話がわかるじゃねぇか」

「だが……ここに君を歓迎している者が誰も居ないということがわからないほど、愚かでもあるまい」

 冷たく言い放たれた言葉に、レイフの表情から先ほどまでの笑みが消えた。

 両者の周囲を、言い知れぬ緊張感が漂う。

 他の生徒たちは、その場から抜け出す|機会《タイミング》を見計らうように顔を見合わせていた。

「はっ! ハッキリ言ってくれんじゃねぇか。いいぜ、陰でコソコソとなにか言われるより、よほどマシだ」

 レイフは一度、大きく伸びをすると、首を数回鳴らして席を立ち上がった。

 ニコラ以外の生徒が、一斉に後退りし、ごくりと誰かの唾を飲み込む音が響いた。

「そう警戒すんなよ。ニコラ・ド・レヴィ――お前と、あと、ついでに……そこの〝金ピカ頭〟に話があるだけだ」

 レイフの方を向いていた視線が一斉に、ニコラの右後ろに居た女性へと集まった。

「えっ? わたくしにですの……?」

 当の本人は、理解が追いつかないというように目を見開いて固まっていた。

「あぁ、そうだ。ここじゃ人が多いし、向こうで話そうぜ。ついてこいよ」

 ――彼女の名はレオノール・ド・ボワシエ。

 王都アルジュリュンヌから東側にあり、高級|炭酸葡萄酒《スパークリングワイン》の産地として有名な〝クレールヴァール〟を統治する伯爵家の令嬢だ。

 さらさらと腰まで伸ばされた、ウェーブのかかった|白金色《ホワイトゴールド》の髪が、窓から差しこむ陽光を独り占めするかのように受けて煌めく。

 垂れ目がちな|深藍色《ふかきあいいろ》の瞳は、春の木漏れ日のように、おっとりとした印象を与える。

 だが、状況を飲み込んだ|後《のち》に、徐々にその顔が朱に染まってゆき、肩はわなわなと震え出す。

「な、な、なんなんですか! あなたは!? 突然、やって来て好き勝手に振る舞ったかと思えば……今度は、ついてこいですって!?」

「お、おい! レオノール、あまり相手を刺激するのは……」

 彼女の態度に真っ先に慌てた様子を見せたのは、意外にもニコラだった。

 だが、レオノールは先ほどの動揺が嘘のように、いつの間にか取り出した扇子で口元を隠し、優雅さを損なうことなくレイフへと詰め寄る。

 その剣幕には、かつては〝帝国の銀狼〟の異名を持ち、街中の不良から悪い大人たちに至るまで恐れられた、レイフさえも後退りさせる迫力があった。

 そう――穏やかそうな外見に反する、この気位の高さこそが彼女の本性なのだ。

「それから、わたくしの名前は金ピカ頭でもなければ、ニコラのおまけでもありません! 〝レオノール・ド・ボワシエ〟です! わかりましたか!?」

「お、おう……。すまなかった」

 素直に頭を下げ、謝罪するレイフに意外にも彼女は好意的な笑みを向ける。

「その謝罪、心に留めておきましょう。それでは、参りましょうか」

「……いいのか?」

 ニコラよりも手強いと踏んでいた彼女が、すんなりと承諾してくれたことに、頭を上げたレイフは大きく目を見開いた。

「ついてこいと仰ったのは、あなたでしょう? ニコラもいいですわね?」

 扇子をパチンと閉じると、彼女はニコラの方へと向き直り、女王のように凛々しい微笑みを浮かべてみせた。

 その笑顔は、これから起こることを予想して楽しんでいるようにも見え、レイフは静かに嘆息した。

「あぁ、構わない……」

 こめかみを右手でおさえるニコラも、幼馴染であるらしい彼女の性格は理解しているのだろう。

「助かる。あぁ、あともう一人、誘いたいヤツが居るんだが良いか?」

 そういうレイフの視線が、注がれるのは黒板から近い右端の席だ。

 そこには、レイフたちの様子を横目で、ちらちらと伺う女子グループの姿がある。

 その中心に居る小柄で小動物のような雰囲気を漂わす、亜麻色の髪の少女――。

「うん? レイフくん、もしかして私に用事かな?」

 周囲の女子たちが、そわそわとした様子を見せるなか、意外にもレイフの視線を受けた女子――エミリー・ローランは快活な微笑みを口元に浮かべて応じた。

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