Mag-log in|彼女《エレナ》の身体は、再び、コロッセオの中心に立っていた。
歓声が、四方から降り注ぐ。 ある一角からは、地鳴りのような野太い男たちの叫びが押し寄せていた。試合を待ちわびた荒い呼吸、勝敗を賭けた懐の重みが滲む、欲望めいた歓声だ。別の一角からは、悲鳴に似た高い嬌声が、幾重にも重なって舞い上がる。聖女の名を呼ぶ声、傭兵の異名を呼ぶ声、そのどちらもが熱に浮かされている。 そのさらに上を、子供の歓声が抜けていった。誰の名というよりも、ただ祭りの空気そのものに興奮した、無邪気で甲高い響き。 歓声の層は、いくつもの色を持っていた。 その色彩のすべてが、闘技場の中央へ、雨のように落ちてくる。 その渦の中で、エレンは一人の男と、向かい合っていた。 「初めまして、エレンさん」 声は、低く、よく通った。 高くはない。けれど重くもない。抑制の効いた響きの奥に、ほのかな艶のようなものを孕んだ――そんな声だった。 「先の戦いには、感銘を受けました」 シオンが、静かに頭を垂れる。 所作のひとつひとつに、無駄がない。けれど、ただ礼儀を体現しているだけの動きでもなかった。言葉に込められた温度は、外交辞令のそれを越えていた。本当に、心から、目の前の戦士に敬意を抱いている――そういう確かな響きだけが、その挨拶には乗っていた。 「……それはどうも」 エレンの返事は、短い。 「だが――」 言いかけた言葉が、半ばで止まった。 代わりに、紅の瞳が、静かに鋭さを増していく。 眼前に立つシオンの全身を、上から下まで――そして下から上まで――舐めるように視線が走った。礼を失するほどの不躾さではない。けれど、戦士が戦士を見るときの、あの隠しようのない目つき。 まず、立ち姿。 長身でしなやか。風に揺れるような、捉えどころのない佇まい。けれど、それは「弱い」ことの証ではなかった。むしろ逆だ。重心の置き方に、ほんの僅かなぐらつきもない。地面と身体の間に、見えない一本の糸がぴんと張られているような、そういう静けさだった。 次に、肉。 黒い装束の上からでも、その輪郭は隠しきれていなかった。肩から腕にかけて、無駄を削ぎ落とした筋線。動いていないときには気づきにくいが、一度視点を合わせれば、その密度はすぐに知れた。鍛え抜かれた、というよりも――磨き上げられた、と言うべき類いの身体だ。 そして、顔。 息を呑むほどに、整っていた。 しかも、ただ整っているだけではない。性別の輪郭そのものを曖昧にする、そういう美しさだった。長い睫毛の下に伏せられた瞳、薄く引き締まった唇、滑らかに通った首筋。装束で身体の輪郭を隠してしまえば、女と言われても信じてしまいそうなほどに、その面差しは中性的だった。 『エレン、あなた今、失礼なこと考えてない?』 胸の奥から、小さく釘を刺すような声が落ちてくる。 『いや、別に?』 エレンは、しれっと返した。 顔色ひとつ変えない。シオンに向ける視線の角度も、寸分動かない。 (顔は女にも見えるが――あの筋肉の付き方は、紛れもなく男のソレだ) 観察は、続いていた。 (しかも、ただ鍛え抜いた訳じゃない。あれは、自分の身体を「動かすため」に作り込まれた肉だ) 無駄な厚みがない。けれど、必要な場所には必要なだけ密度がある。瞬発、加速、回転、停止――そのすべてに最適化された配分。日々の鍛錬で偶然そうなったのではなく、明確な戦闘哲学のもとに設計された肉体。 強い、どころの話ではない。 あれは、相当に練り上げられている。 「……あの」 その視線に、ようやく堪えかねたのか。 シオンが、わずかに首を傾げた。 「私の身体に、なにか?」 声には、戸惑いと、ほんの少しの可笑しみが滲んでいる。 「なに、気にする事はない」 エレンの口の端が、わずかに上がる。 「楽しめそうだと思っただけだ」 「さーあ皆々様! 大変長らくお待たせいたしましたァァァッ!!」 実況席のマイクが、悲鳴を上げそうなほどに歪んだ。 「先の試合の余韻も冷めやらぬところ申し訳ない! しかしねェ、しかしですよ皆さん、闘技場ってぇのは止まらない! 私のこの口も止まらない! なぜならぁ……次の試合が、もう、目の前に来ちまってるからだァァァッ!!」 観客席から、笑いと歓声が同時に弾ける。 「片や! 先の試合で我々の度肝を抜き、心臓を鷲掴みにし、ついでに財布の中身まで持っていったァ――聖堂騎士、エレンッッ!!」 ひときわ大きな歓声が、エレンの立つ側へ降り注いだ。 「そして対するは、片やァ!! 風のように現れ、風のように敵を薙ぎ、風のように女子供のハートを掻っ攫っていく男ァァ……! その名も《風薙ぎの傭兵》、シオォォォンッッ!!」 悲鳴に近い嬌声が、今度は反対側で爆ぜた。 「いやしかしねェ皆さん、今日のシオン選手も美しい! 美しいですよ! 私こんな仕事してますがね、思わず惚れそうになっちまった! ちなみに私には妻と子供が三人います! 以上、私情でしたァ!!」 「…………」 なんとも気まずそうな表情を浮かべるシオン。 だが、会場が、どっと沸いた。 「さあそれでは……! 接続者選抜戦・準々決勝、第二試合ッ!!」 間。 ぐっ、と息を吸い込む音が、マイク越しに伝わる。 「試合……開始だァァァァッ!!」 先ほどの気まずい間を、振り払うように。 シオンの黒い装束が、ふっと低く沈んだ。 次の瞬間、その姿が消えた――ように見えた。 実際には、ほとんど音もなく地を蹴り、間合いを潰しただけのことだ。けれど、加速のための予備動作がほとんど存在しない。観客の目には、距離そのものが縮んだようにしか映らない。 風を纏ったトンファーが、エレンの側頭部目掛けて、横から飛んできた。 「シッ……!」 エレンの剣が、横から滑り込む。 刃で受けるのではなく、剣の腹で角度を変える――そのつもりだった。 ガィン、と。 予想以上に重い手応えが、剣を握る手のひらまで突き抜けた。 (……っ!) 受け流したはずの腕が、わずかに痺れる。 (重い。いや――重いどころの話ではない……!) 風属性は、軽さの属性だと思われがちだ。けれど、シオンのそれは違う。風を纏うのではない。風を圧し固め、トンファーの先端へ螺旋状に巻きつけ、回転の勢いそのものを質量に変えている。 あれは、刃物よりも厄介だった。 刃なら、軌道を逸らせば終わる。だが、回転する鈍器は、逸らした先でまだ生きている。 (これを何度も受けては、エレナの腕を痛めるか……!) 判断は、一拍で済んだ。 けれど、判断する間さえ、シオンは与えてくれなかった。 来る。 左から、横薙ぎ。エレンが上体を引いて躱す。間髪を容れず、右から、下段。剣の腹で叩き落とす。さらに、左――今度は逆手の打ち下ろし。半歩下がって受け流す。 左右、左右、左、右。 嵐のような連撃。 それでいて、シオンの顔には、何の変化もなかった。整った中性的な面差しは、まるで磁器のように静まり返っていて、息ひとつ乱していない。眉ひとつ動かさず、感情のさざ波ひとつ立てず、ただ淡々と――暴風を吐き続けている。 その不気味さが、また厄介だった。 戦闘の興奮で動きが乱れる、ということがない。 怒りで踏み込みが深くなる、ということもない。 ひたすらに、計算された嵐。 そして、嵐は、まだ続いた。 トンファーの連撃の合間を縫って、すらりと伸びた長い足が、低い角度から滑り込んでくる。蹴り。それも、トンファーを振るのと同じ精度で。手と足の境目すらない。シオンの全身が、武器だった。 「ちぃ……っ!」 エレンの足が、わずかに後ろへ流れる。 「おーっと!! なんとなんと!! あのエレン選手がァ、押されているぅぅ!?」 実況の声が裏返る。 「皆さん信じられますかァ!? 先ほどグレン選手をあれほど鮮やかに沈めたエレン選手が、今、本気で! 本気でですよ皆さん! 守りに回っているッ!!」 観客席が、どよめいた。 その声を背にしながら、シオンが――やはり静かに、低く、告げる。 「……どうしました?」 声音は、責めていなかった。 けれど、誘っていた。 「あなたは、この程度ではないでしょう?」 誘いに、エレンは応じなかった。 「まぁ、そう慌てるな」 代わりに、軽く、後方へ跳ぶ。 間合いを切る――はずだった。 シオンは、追ってきた。 空中へ跳んだエレンに対し、寸分の遅れもなく、シオンの身体が宙へ舞い上がる。風を踏むようにして、上下も左右もない空間を、まるで地面と同じように使いこなす。空中で姿勢を整えたエレンの正面、側面、背後――そのどこからも、トンファーが飛来した。 空中だろうと、関係がない。 雨。 まさに、打撃の雨だった。 エレンは剣の腹でいくつかを弾き、身を捻っていくつかを躱し、それでもなお降り注ぐ攻撃を、辛うじていなし続ける。 (……手をこまねいているように見えるか? ああ、それで結構だ) 紅の瞳の奥で、けれど、別の作業が並行していた。 観察。 徹底した、観察。 (だが、こいつも同様だな) エレンの口の端が、ほんのわずかに、上がる。 (癖が、しっかりと現れている) ひとつ。 シオンが、トンファーを振り抜く瞬間――必ず、息を「鼻から」抜いている。 武芸者として、当然の呼吸法だ。けれど、その鼻息のリズムが、彼の連撃のテンポを正確に刻んでいる。三打、四打、五打――五打目の鼻息だけが、他より僅かに長い。風属性の魔力を、武器に再注入するタイミング。 ふたつ。 左のトンファーで打つときと、右で打つときとで、目線の置き場所が違う。 左で打つときには、相手の肩を見る。 右で打つときには、相手の腰を見る。 どちらも当たり前の見方ではある。けれど、その「切り替え」が、ほんの半瞬――次にどちらの腕が動くかを、視線が先に告げてしまっている。 みっつ。 これが、決定的だった。 シオンが、特に重い一撃を放つ前――その寸前にだけ、肘の角度が、ほんの僅かに深く畳まれる。 纏わせた風を、トンファーの先端へさらに圧し固めるための予備動作。武器の質量を、もう一段、跳ね上げるための溜め。 戦士としては、必然の所作だ。 けれど、それは。 次の一撃が「重い」のだと――こちらに教えてくれている、ということでもあった。────エレナの視点──── 石造りの螺旋階段を、私たちは息を切らしながら駆け上がっていた。 ごつごつとした壁が、手に持つ灯りの光を不気味に反射している。下層から響いていた激しい戦闘音は、もう聞こえない。石段を踏みしめる足音と、荒い息遣いだけが、神殿の静寂を破っていた。 「グレンさん、大丈夫ですかね……!?」 ミストさんの不安そうな声が、静寂に包まれた階段に響いた。その声には、仲間への深い心配が込められている。 「……きっと、大丈夫!」 何の確証もない。けれど、私の胸の奥で、温かい光のようなものが「大丈夫だ」と囁いていた。それは昔から私の中に宿る、聖女としての直感のようなもの。 「私の直感が、そう告げてるの!」 「えぇ!? そ、そんな直感が……!?」 ミストさんが驚きの声を上げる。 (私も原理は分からんが……エレナには、その力が間違いなく備わっている。運命そのものを、その祈りの力で強引にねじ曲げてしまうような、不思議な力がな。だから、今回もきっと大丈夫だ) エレンの声が、私の内側で静かに響いた。 (うん……!) 彼の言葉が、私の直感を後押ししてくれる。 「それなら良いが……慢心はするなよ」 シイナさんが、冷静に釘を刺した。 「未来が見えるからと、それに胡坐をかいて行動するようでは、今の暗明の聖女と何も変わらないからな」 「……うん、そうだね。私は、この直感を絶対に正しいなんて、傲慢なことは思わないよ」 私にできるのは、この直感を信じつつ、でも決して過信しないこと。神様のお導きを感じながらも、自分の足で歩むこと。 「そこが、エレナさんの素敵なところですね」 シオンさんが、静かに微笑んだ。 その時、長く続いた階段が終わり、私たちの目の前に、だだっ広い広間が見えてきた。天井は高く、月光が差し込む窓から、青白い光が石床を照らしている。 「きっと、ここにも残りの騎士が待ち構えていることだろう」 「その時は、私が残ります」 シオンさんの言葉に、ミストさんが待ったをかける。 「いやいやいや! そこは私でしょうー!!」 「……?」 シオンさんが、心底不思議そうに首を傾げた。 「そのお顔はなんですかァァ!?」 「いえ……だってあなたは、戦いがあまり得意な方ではないでしょ
**────エレナの視点────** 「じゃあ皆、各々準備してくれ。五分後にはここを出て、リディアさんを助けに行くぞ」 シイナさんの力強い言葉に、私たちは一斉に頷いた。この小さな家の中に、静かだが確固たる決意が満ちている。みんなの表情に迷いはない。先ほどまでの混乱が嘘のように、今は一つの目標に向かって心が結束していた。 五分という短い時間の中で、私たちはそれぞれの装備を確認し、心の準備を整える。月光が窓から差し込み、武器の金属部分を青白く照らしていた。この静寂が、嵐の前の静けさのように感じられてならない。 「準備はいいか? 今回、ジンが大方の騎士は無力化してくれたという話だ。恐らく…すぐに四騎士との戦闘になるだろう」 シイナさんの声に緊張が走る。四騎士——この国の最強戦力との戦いが待っているのだ。 「ここの騎士たちの数は多かったからね。でも、気を付けて」 ジンさんが軽やかに言葉を続ける。 「流石に全部を倒すわけにもいかなかったから、十人程度は残ってるはずだから」 「それでも、そんなに多くの騎士を戦闘不能にするなんて……」 私は驚きを隠せなかった。一人でそれほどの騎士を相手にするなんて、どれほどの実力者なのだろう。 「はは、聖女様に褒めてもらえるなんて。なんだか嬉しいよ」 ジンさんの表情に、子供のような無邪気さが浮かんでいる。しかし、その奥に潜む何かが、私の心に小さな不安を芽生えさせた。 「ね、念の為に聞くのですが……殺しはしてないですよね……?」 恐る恐る尋ねた私の質問に、ジンさんの表情がふっと変わった。まるで別人のような、冷たい光が瞳に宿る。 「……剣を抜いた以上、お互いの命が尽きるまで刀を振り合うべきだと僕は思っているんだ」 その一言に、背筋が凍りつくような恐怖を感じた。ジンさんの声音には、戦いへの狂気じみた情熱が込められている。私の心臓が、ドクドクと激しく鼓動を刻んでいた。 「でも……今回は大丈夫。殺してないよ」 そう言って見せる笑顔は、まるで何事もなかったかのように穏やかだった。しかし、その急激な変化が、かえって不気味さを増している。 (今回は……? ということは、普段は……?) 心の奥で、暗い想像が渦巻いていた。 * * * 五分後。静寂を破って、私たちは行動を開始した
**────エレナの視点────**「という訳なんだ」ジンさんの軽やかな口調で語られた残酷な現実に、私の心は氷のように凍りついてしまった。リディアさんが捕らえられて、処刑される。その事実が、どうしても受け入れることができなかった。「そ、そんな……嘘ですよね??」私の声が震えている。まるで悪夢から覚めたいと願うかのように、その言葉にすがりついた。「……こんな時に嘘なんてつかないよ」ジンさんの飄々とした口調が、現実の重さをより一層際立たせる。「……くっ!!!」シイナさんが拳を強く握りしめ、歯を食いしばっている。その青白い顔に、激しい怒りと悲しみが刻まれていた。「皆は先にこの国を脱出してくれ……!俺は……俺はリディアさんを助けに行く!!」シイナさんが勢いよく立ち上がり、扉に向かって歩き出そうとする。その瞳に宿る決意の炎は、誰にも止められないほど激しく燃えていた。「待てよ!!そんなの俺たちだって同じ気持ちだ!」グレンさんが力強く立ち上がる。彼の声には、シイナさんに負けないほどの強い意志が込められていた。「ええ……彼女には計り知れないほど多大な恩があります。なので……グレンと私でリディアさんを救出に向かいます」シオンさんの顔に、鋼のような決意が浮かんでいる。「シイナ、あなたこそエレナさんやミストさんと共に先に脱出してください」「だめだ!今回はパーティリーダーの責任として、俺が行く!」「シイナ!」「俺が、彼女を助けてすぐに戻ればいいことだろう!」「おいシイナ!俺がやられたテッセンとかいうやつの事を忘れたわけじゃないだろ!?少し落ち着け!」三人の激しい言い争いが、小さな家の中に響き渡る。誰も一歩も引かない様子で、感情のままに言葉をぶつけ合っていた。「あわわわわ……みなさん!こんな時に言い争ってる場合じゃないですって!」ミストさんが慌てて三人の間に割り込もうとするが、激しい感情の渦に巻き込まれ、弾き飛ばされてしまう。「ぎゃー!!」(みんな……冷静さがすっかり抜けて、これじゃあ救える命だって救えないよ……!)(それに……私だってリディアさんを助けたいのに……)私の心の中で、やりきれない想いが渦巻いている。みんなの気持ちは痛いほど分かるけれど、このままでは誰も救えない。そう考えていた、まさにその瞬間だった。私の意識が、まるで深い
**────ジンのの視点────** やる気か、と。僕は心の中で、小さく呟いた。 ここは冒険者ギルド。依頼と情報が交差する、いわば中立の聖域だ。そんな場所で騎士が刀を抜き、殺し合いを演じようというのだから、面白い。実に、面白い。 僕は向かってきた騎士の剣戟をいなすどころか、その勢いを逆に利用して体ごと弾き飛ばした。空中で無様に体勢を崩した彼の喉笛へ、僕は逆手に持ち替えた刃を、まるで吸い込まれるかのように滑らせる。「がぁっ……!」 声にならない呻きを漏らし、騎士が床に崩れ落ちた。口からごぼりと泡を吹き、痙攣する手足が、彼の命が尽きかけていることを示している。 仲間の一人が一瞬で無力化されたというのに、残された騎士たちは状況が飲み込めていないらしい。驚愕に見開かれた目が、滑稽なほどにこちらを向いていた。「き、貴様っ! 正気か!?」「あはは、面白いことを言うね、君。先にその物騒な鉄の獲物を抜いたのは、そっちじゃないか」「そ、それにしてもだ! 我々騎士に刃向かうなど、あってはならないことだぞ!?」「残念だけど、僕はそんな立派な冒険者様じゃない。僕はジン。世界を渡り歩く、ただの傭兵だからね」「ジン……!?」 その名に、騎士の一人が息を呑んだ。どうやら僕の名も、多少は裏の世界に知れ渡っているらしい。「くそっ……! やられて黙っていては、騎士の名が廃る! こいつも捕縛しろ!」 別の騎士が、その手に蒼い水の魔力を纏わせながら、僕へと突進してくる。ギルドの中で属性魔法を放つ? ああ、本当に、愚かだな。「はぁ……後悔しても、知らないよ」 僕は腰に差した愛刀「雪月花」の鯉口を切ると、一閃、抜き放った。 (鳴神式抜刀術――神威の型。) 空気を切り裂く音だけが響き、騎士の右腕が、ごとり、と鈍い音を立てて石床に転がった。「ぎゃぁぁぁぁぁぁっ!!!! お、俺の腕がァァァァッ!!」 やかましいね。腕の一本や二本、飛んだくらいで喚くなんて。自分から仕掛けておきながら、いざ返り討ちに遭えば獣のように吠え立てる。弱者の典型だ。「お、お前……! 自分が何をしたか、分かっているのか!?」「さっきも言ったはずだよ。先に始めたのは、そっちだってね」 僕は刀身に付いた血を振るい、ゆらり、と笑みを浮かべた。「まだまだ足りないな。……もっと、殺り合おうよ」 ああ、い
(この声に気配……覚えがある)エレンの意識が、私の奥底で警戒の炎を燃やし始める。(私もそう感じてた……なんだか、すごく(身に覚えがあるような……)(確か、夜の街で我々を襲撃してきた傭兵……名は確かジン……と言ったか)その名前を耳にした瞬間、あの記憶が、鮮血のように鮮やかに脳裏へと蘇ってきた。霊たちが彷徨う夜の街で、昼間の平穏な探索が一変した瞬間。突如として現れた謎の傭兵——。その圧倒的な実力は私には理解の範疇を超えていたけれど、エレン曰く、これまで戦った敵の中でも別格の強さを誇っていた……と。(そ、その人がなんでこんな場所に!? まさか、私たちを追ってきたの!?)(さあな。だが……敵意は微塵も感じられない。それに何か重要な情報を知っているようだ)(ここは一か八か、直接対峙してみるのも選択肢の一つだろう)「エレンが敵意は感じないから……出てみるのも一つの手だって……」私はシイナさんに、内心の不安を隠しながらそう告げる。「敵意を感じない……か。グレンもミストも意識を取り戻したことだし、直接話してみるか?」シイナさんの声に、慎重な判断力が込められている。(ああ、そうしてみてくれ)「そうして見てほしいって……」エレンの助言をそう伝えると、シイナさんが深く頷き、警戒を込めて扉の前へと歩を進めた。「何用だ」シイナさんの声が、扉越しに響く。「あれ、やっぱりいるんじゃないですかー」その飄々とした口調に、底知れない余裕が滲んでいる。「やあ、僕はジン。リディアっていう方からの重要な伝言があるんだけど、扉を開けてもらえないかな?」「残念だが、こちらにも複雑な事情があってな。このままでお願いしたい」シイナさんの慎重な対応に、扉の向こうから軽やかな笑い声が響く。「……あーそっか、いまこの国から追われてるんだっけ。それなら心配しなくていいよ」「大体の騎士は僕が片付けたから」「な、何だと!?」シイナさんの声が、驚愕に震える。「えっ!??」私も思わず声を上げてしまった。「ま、待て! この国の騎士一人一人は精鋭と言っても過言ではないほどに優秀だ。それをお前は単身で制圧したというのか?」「はは。まぁ確かにこの国の騎士はよく鍛錬されていたね。でも、僕も実力には自信があるんだ」その軽やかな口調で語られる内容の恐ろしさに、私たちは言葉を失った
**────エレナの視点────**次の日。「みなさん!!!!本当にご迷惑をおかけしました!!!」「本当に面目ねぇ……!!!今回迷惑かけた分は、必ず挽回するぜ!」二人が目を覚ましたんだ。あんなに傷だらけで、ずっと目を覚まさなかったグレンさんも元気になって、本当に良かったと思う……。でも……。聞かないといけない。二人に、何があったのか。「それより……二人に何があったんですか?なんで……グレンさんはあんなに傷だらけだったんですか……?」私がそう尋ねると、グレンさんが急に口を噤んでしまう。数秒の重い沈黙が部屋を支配すると、やがて言いにくそうにグレンさんが口を開き始めた。「お前たちが情報収集に行った数時間後、とんでもなく強い奴が現れたんだ」「とんでもなく強い奴?」シイナさんの声に、緊張が走る。「ああ。全身に見たこともない鎧を着て、刀を使っていた」(見たこともない鎧に刀……か)エレンの声が、意識の奥で静かに響く。「そいつは……全く俺の攻撃が通じなかった」「なに!?グレン、お前の攻撃がか!?」シイナさんは心底驚いたような様子を見せる。グレンさんの実力を知っている彼だからこその驚きだった。(…………)エレンが沈黙している。何かを考えているみたいだ。「ああ、正直全く底が見えなかったぜ。戦ってる感触としては……エレンに近かったかもな」「エレンに……?」私の声が震える。エレンと同じくらい強いなんて……。「それは……かなり厄介そうですね」シオンさんの美しい顔に、珍しく深刻な表情が浮かんでいる。「厄介なんてもんじゃねぇよ。あいつは俺の攻撃を全部受け止めやがった」グレンさんは、私たちのパーティ内でも屈指の攻撃力を持つ