白亜の城壁が天を衝き、その威容を誇る“記憶の街”メモリス。私たちは今、その巨大な門の前で、門番による入場審査の列に並んでいた。
行き交う人々の数も、これまで見てきた街とは比べ物にならない。その分、警備兵の眼差しは鋭く、その一糸乱れぬ動きからは、この街の鉄壁の守りが窺えた。きっと、ここで暮らす人々は、確かな安心の中で日々を過ごしているんだろうな。 私たちの前で順番を待つ人々の中で、ひときわ声を張り上げている男がいた。知性の高さをひけらかすような口調の、神経質そうな眼鏡の中年男性だ。 「まだなのか!? いつまで待たせるつもりだ! 早くメモリスに入れろと私は言っているのだ!!」 隠す気もない苛立ちを、門番に容赦なくぶつけている。 「申し訳ございません。ただいま審査の途中でして……今しばらくお待ちを」 門番は丁寧に対応するが、男性の不満は収まる気配がない。そんな中、別の門番がこちらへ向かって声をかけてきた。 「お待たせいたしました。ベルノ王国魔法研究所、シイナ様ご一行の審査が完了いたしました。こちらへどうぞ」 その声を聞いた瞬間、眼鏡の男性がカッと目を見開き、怒声を張り上げた。 「まてまてまて!! なぜ私より後に来たその若造どもが、先に通されるのだ!? 説明しろ!!」 門番は表情一つ変えず、静かに事実だけを告げる。 「申し訳ございません。この方々は、我々にとって“賓客”にあたられますので」 「はぁ!? 馬鹿馬鹿しい! 私の時間が、あのような旅人風情の若者たちより軽いとでも!? 私の研究成果の報告が遅れることの損失を、貴様らは理解しているのか!?」 怒鳴り散らすその声が、広場に不快に響き渡る。 (……うわぁ、すごく嫌な感じの人……) 思わず眉をひそめてしまった私に気づいたのか、ミストさんがいつもの笑顔で言った。 「そういう人の言葉は、聞き流した方がいいですよっ!」 「なんだと貴様!!?」 男性の顔が、怒りで一気に赤く染まる。今度はその矛先を、まっすぐ私たちへと向けてきた。 「君たちには分かるまい!! 私の研究が、この街の未来にどれほどの貢献をもたらすものなのか! 一刻を争う重要な案件なのだよ!! それを君たちのような輩のせいで遅らされるなど――断じて許せるか!!」 早口でまくし立てる男性に、ミストさんがわざとらしく、深いため息をついてみせた。 「……はぁ」 そして、満面の笑顔のまま、その言葉の刃をズバッと言い放つ。 「そんなふうに“時間がどうのこうの”って文句を垂れ流している方が、よっぽど無駄だと思いますけど? 研究者である前に、人としての“品性”を身につけることをおすすめしますっ!」 「わ、わ、私に品性がないだと!? き、きさまぁぁ!!」 今にも殴りかかってきそうな勢いで踏み込もうとした、 その瞬間―― シイナさんが、無言で男性の肩を掴んだ。その瞳には、絶対零度の光が宿っている。 そして次の瞬間、何のためらいもなく――男性を地面へ突き飛ばした。 ドサッという鈍い音と共に、男はみっともなく尻もちをつく。 シイナさんは冷たい視線でその男を見下ろし、静かに言い放った。 「……あんたの研究成果がどれだけ立派かは知らない。だが、それを判断するのはあんたじゃない。この街の人間だ。俺たちに八つ当たりされても迷惑だな」 「き、きさまぁ!! この私を突き飛ばしたな!? ただで済むと――」 怒りに震える男性の眼前に、シイナさんはポケットから一枚の術紙を突きつけた。 「文句があるなら、ここへ言え」 術紙を受け取った男は、そこに浮かび上がる文字を見て、一瞬で顔色を変える。 紙面には淡い魔力の刻印が走り、《ベルノ王国 魔法研究所 研究員 シイナ・フォン・ブラウン》の名が、静かな光を放っていた。 「っ……ベ、ベルノ王国の……魔法研究所ォ!?」 その場にいた誰もが、ぴりついた空気の変化を感じ取っていた。 (……そっか。私はベルノ王国にいたから感覚が麻痺してたけど……あの国の魔法研究所って、本当に特別な場所なんだ……) つまり……。 (この男は、シイナやミストより立場が下という訳だな) エレンが心の中で、冷静に事実を分析していた。 「……落ち着かれましたね。では、こちらへどうぞ」 門番の言葉に背中を押されるようにして、私たちは静かに門をくぐった。 こうして、私たちは――ついに“記憶の街”メモリスへと、足を踏み入れたのだった。 *** 「わぁ……」 門をくぐった私は、目の前に広がる光景に思わず息を呑んだ。 どこまでも続く、白亜の街並み。清らかな水路が縦横に走り、太陽の光を反射してきらきらと輝いている。建物の一つひとつが、まるで芸術品のように重厚で、美しく磨き上げられていた。 広さも、景観も、そこに流れる空気の気品も。 これはもう“街”というより――一つの完成された“王国”だ。 「なんじゃあこりゃあああああああ!!!!?」 「すっごくないですか!? やっぱり街じゃなくて国ですよ、ここ!!??」 グレンさんとミストさんが、子どものように目を輝かせてはしゃいでいる。 「お前ら……少しは落ち着け」 呆れたように言うシイナさん。 ……でも、このやり取りが、私たちの日常で、なんだかすごく安心する。 「とりあえず、俺はこれから魔法研究所の書類を、メモリスの研究所支部へ届けてくる」 「あっ、ここにも研究所の支部があるんですね」 「ああ。だから俺は、まず研究報告に──」 その、言葉の途中だった。 ──ヴィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!!!!! 突如として、グレンさんの懐から、鼓膜を突き破るような凄まじい轟音が鳴り響いた。 あまりの爆音に、私たちは思わず両耳を塞ぐ。 「えっ!? な、なにごと!?」 「何の音だこれは!?」 「な、なんかの警報か!?」 周囲を歩いていた人々も、一斉に耳を押さえながら、何事かと音源を探し始める。 「こ、こ、この圧倒的な耳への破壊力…っ!!グレンさん…! 早くそのツナガールを使ってくださいぃぃぃぃ!」 ミストさんが耳を押さえて叫ぶ。 グレンさんが顔をしかめながらポケットから取り出した結晶に魔力を注ぐと、そこから白衣の男性がホログラムのように浮かび上がった。 ――ベルノ王国魔法研究所・所長。 『やぁやぁ!!! 元気にしているかい、諸君!!?』 元凶は、あまりにもいつも通りの、能天気な調子で私たちに話しかけてくる。 「し、所長っ!!!」 シイナさんが、思わず声を荒らげた。 『ん?? なんだい、シイナ君?』 「なんだい、じゃありませんよ!! なんですか、この馬鹿みたいに大きな音は!!」 ほんとだよ……耳がキーンってしてる……。 「本当にうるさかったですよ……。私も耳をやられました」 シオンさんまで静かに怒ってる。これは相当だ……。 『いやぁ~、戦闘中でもしっかり聞こえるように、魔物を威嚇して追い払えるくらいの音量に設定しておいたんだよ!』 「そもそも戦闘中に悠長に通信に出られるはずがないでしょう!? 俺たちを殺す気ですか!?」 シイナさんのツッコミが、爆音の余韻が残る街に木霊する。 『いやほら、私もこうして通信してる間にも、命の魔力が枯渇して死にそうだからさぁ……一瞬たりとも無駄にしたくないじゃない!?』 確かに、画面越しの所長さんの顔がどんどん青ざめている。 というか、グレンさん! 横で見たら、グレンさんの目から光が消えて虚ろになっていってる!! 「それはもう欠陥品なので、今すぐ改良してくださいよ!!!!」 『いやぁ~、でもこの不便さも、使っているうちにだんだん愛おしくなるだろう?』 「「「「なりませんっ!!!!」」」」 パーティ全員から、一斉にツッコミが飛んだ。 『むぅ……仕方ない。今回はこの辺りで一度切ろう……!! 良い旅を……ゲホォッ……!』 通信が切れる直前に聞こえた、今にも事切れそうな咳。 そして、ついに力尽きて地面に崩れ落ちるグレンさん。 「ま、まじで……俺の魔力、ほぼ全部吸われた……」 所長さんが電話をかけてきただけで、一人の犠牲者と、数多の鼓膜が失われていく……。 とんでもない人が作ったものを、私たちは持たされているんだな……。 *** けたたましい騒音が去ったあと、衛兵の一人が慌てた様子で私たちに駆け寄ってきた。 「い、今の音は一体!? とてつもない轟音がしていると、住民から多数の苦情が届いておりますが……!」 そう言いながらこちらを見回した衛兵の目が、白目をむいて倒れているグレンさんを捉える。 「ど、どうされました!? こちらの方は一体……!?」 「実は……」 シイナさんが、世界の真理に触れてしまった哲学者のような、どこか遠い目で事情を説明し始めた。 *** 「……なるほど。それはまた、とんだ人騒がせな所長さんで……。皆様、ご苦労さまです……」 事情を聞いた衛兵は、深い、深いため息を漏らし、心からの同情を込めた眼差しをシイナさんへと向けた。 「いえ……もう慣れていますので……」 その一言に、衛兵がさらに気の毒そうな表情を浮かべる。 「状況は把握いたしました。ひとまず、この方は私たちでお預かりします」 そう言って彼は口笛をひとつ――ピィーーッ!! と鋭く吹き鳴らした。 すぐに別の衛兵たちが小走りで駆け寄ってくる。 「そちらの方を、休憩所へ!」 「はっ!」 声をそろえると、二人の衛兵がグレンさんを担架に乗せ、そのまま静かに運んでいった。 残った衛兵は私たちに向かって、背筋を伸ばして完璧な笑顔を作る。 「――ようこそ、メモリスへ。どうぞ、ごゆるりとお過ごしくださいませ」 そう言って、一礼して去っていく。 「…………」 その場に残された私たち。 誰もが何かを言いかけて――でも、言葉にならなかった。 あまりにも、想定外すぎる歓迎だった。 もはや、ここが“記憶の街”の玄関口だということすら、忘れそうになるほどに。大神殿へと続く、長く、美しい石畳の道。その荘厳な雰囲気とは裏腹に、私たちの周りには今、冷たい緊張感が張り詰めていた。 「待て!!! 止まれ!!」 どこからともなく現れた屈強な騎士の一団が、私たちを取り囲み、その鋭い切っ先をこちらへ向けている。 「……これはどういうことだ?」 シイナさんが、冷静さを保ちながらも、警戒を露わにして問いかけた。 「すまないが、君たちの入国は許可できなくてね。この国へ通した手前、悪いが、君を幽閉させてもらう」 騎士団のリーダーらしき人が、無感情な声でそう言うと、その指はまっすぐに私を指し示した。 ど、どういうこと……? 私の頭は、真っ白になった。 「ま、待ってください!!! 私は何も悪いことなんてしていませんよ…!?」 「これから起きるのです。ですので、一度、あなたを捕らえます」 これから……? この人は、一体何を言っているのだろう。未来のことなんて、誰にも分からないはずなのに……。 「『これから……起きる』……?」 シイナさんが、怪訝な顔でその言葉を繰り返す。 「ちょっと待ってくれ、それはどういうことだ?納得のいく説明をしてもらいたい」 「そうだぜ!! なにもやってねぇのに、『これから起きるから』なんて訳の分からねぇ理由でエレナを捕まえるなんて、理不尽にもほどがあるだろうが!?」 グレンさんの怒声が、静かな街に響き渡った。 「これは『暗明の聖女』様からの、絶対なるご指示だ。『金髪の女性……いや、聖女見習いがこの国に来たら、捕らえろ』とね」 「あの方様には、未来が見える。『未来予知』の力をお持ちなのだ。そして、『金髪の聖女が、この国に厄災をもたらす』と、そう予知なされた。」 私が、聖女見習いであることが知られてる……? それに、私を……捕らえる? 暗明の聖女という人の、命令で? 一体、何がどうなっているのか、全く理解が追いつかなかった。 (暗明の聖女の指示……? それに未来が見えるだと?) エレンの、鋭い声が心に響く。 「ちょっと待ってください」 ミストさんが、すっと一歩前に出た。いつもの彼女からは想像もできないほど、真剣で、知的な光を宿した瞳だった。 「何故、エレナさんが捕らえられなければならないのか、せめてその理由を、論理的に説明していただけませんか」 「『暗明の聖女』様には、未来
へレフィア王国へ向かう船旅は、驚くほど穏やかだった。海は陽光を受けて宝石のようにきらめき、波は柔らかく船体を持ち上げては下ろす。その規則正しい揺れが、心臓の鼓動と重なって、妙な安心感を与えてくれる。潮風は冷たく、けれど鼻を抜けるとどこか甘さを含んでいて、これから訪れる新しい土地の匂いを運んでくるかのようだった。しばらく進むと、視界の先に大きな船影が現れる。白銀の装飾をまとい、陽を浴びて輝くその姿は、海の上を行く巨大な聖堂のよう。あれが、へレフィア王国の騎士団の船――。私たちの船が近づくと、操舵手さんが甲板に立ち、胸を張って声を張り上げた。「騎士団の皆さん! お疲れ様です!」その呼びかけに、鎧を着込んだ騎士が姿を現す。鉄靴が甲板を打つ音さえ、威厳を帯びていた。「お疲れ様でございます。……そちらの方々は、見ぬ顔のようですが?」「彼らはナヴィス・ノストラのギルド受付嬢の推薦を受け、へレフィア王国へ向かっているところです!」操舵手さんが誇らしげに言うと、騎士団の人たちは一瞬だけ視線を交わし、そして私たちに柔らかな笑みを向けてくれた。「なるほど。あの方の推薦であれば、何も問題はございません。――へレフィア王国への上陸を許可します」(やっぱり……エレン、あの受付嬢さん、すごい人なんじゃない?)(ああ。ギブソンにも物怖じせぬ胆力、そして王国騎士団すら動かす信頼。ふむ……市井に埋もれさせておくには惜しい人材だ)エレンの声が、少しだけ感心を含んで響く。私は胸の奥で頷き、改めて、あの受付嬢さんに助けられたことを深く感謝した。「では、失礼します!」「皆様も、王国で実りある日々を」騎士の言葉に見送られ、船は再び速度を上げる。風が強まり、白い飛沫が甲板に散った。***やがて船着き場が近づき、仲間たちは次々と下船していった。私は最後に、木の板を踏みしめて石畳の港へ降り立つ。潮の匂いに混じって、どこか清冽な空気が流れ込んでくる。深呼吸すると、胸の奥に冷たさと同時に清らかな熱が広がるようだった。顔を上げた瞬間、言葉が喉に詰まった。――空が、狭い。正確には、空を覆い隠すかのようにそびえる建物のせいだ。天を貫くほどの巨大な大聖堂。その壁はクリーム色に近い温かな白で築かれ、どこまでも高く伸びている。首が痛くなるほど見上げても、その頂は霞に隠れて見えない
**────エレナの視点────** いくつもの船が停泊する港町。その一角にあるギルドの内部で、私たちは今回の依頼の完了報告と、捕らえた海賊たちの引き渡しを行っていた。 「この度は……本当に、本当にすみませんでした……!」 カウンターの向こうで、依頼をくれたあの受付嬢さんが、深く深く頭を下げていた。その声は、申し訳なさで震えている。 「い、いえ!大丈夫ですっ!どうか、頭を上げてください……!」 私は慌ててそう言った。彼女が悪いわけじゃないのに、そんなに謝られるとこっちまで恐縮しちゃう。 「いえ……今回の不備は、完全に我々ギルドの不手際によるものです。まさか、あの『紅の海蛇』の内通者が、ギルド所属の操舵手に紛れていたなんて……」 「確かに、それはそちらの不手際だ」 今まで黙っていたシイナさんが、厳しい声でそう言った。ピリッ、と空気が少しだけ緊張する。でも、彼の言葉はすぐに和らいだ。 「だが、結果として依頼は達成できた。今後はこのようなことが無いよう、人員管理を徹底してくれればそれでいい」 「……お言葉もありません。そのお詫びと言ってはなんですが、皆様をへレフィア王国へ渡れるよう、こちらで手配いたします」 受付嬢さんの口から、思いもよらない言葉が飛び出した。 「な、なに!?それは本当だろうか!?」 シイナさんが、思わずといった様子で声を上げる。 「ええ。私、へレフィア王国の出身ですから。そのくらいの融通は利かせられます」 「きっと、明日にはへレフィア王国へと渡れるでしょう」 彼女はそう言って、少しだけはにかんだ。 へレフィア王国へ……。 その言葉が、私の胸に温かく染み渡っていく。 もうすぐ……もうすぐ、お母様に会えるんだね……。 ずっと張り詰めていた気持ちが、ふっと軽くなるのを感じた。 今まで、一度もへレフィア王国へいったこ (エレナ……二人で、君の母君に挨拶を済ませよう) エレンの、優しくて力強い声が響く。 (うん……) 私は、心の中で強く頷いた。 「そういえばなのですが」と、受付嬢さんが思い出したように付け加えた。 「あなた方が連れてこられた、ギブソンという海賊ですが……彼は船の器物破損、及びギルド所属船への無断乗船の罪で、現在、地下牢に幽閉中です」 (そ、そうなんだ……) あの人のことを考えると、正直、少
エレンがマリーたちを捕らえてくれた後、私たちは船内の物陰でそっと入れ替わった。荒れた甲板の中心で、マストに縛られている大海賊マリーさんと向き合う。さっきまでの喧騒が嘘のように、船の上は静かだった。 ふと、一つの疑問が浮かぶ。 「そういえば……他の海賊船はどうしたんですか?」 私の問いに、グレンさんがニカッと笑って答えてくれた。 「おう!俺が派手に一隻沈めてやった後、ギブソンの奴が潜って、もう一隻の船底に風穴開けてやったのさ!」 (そんな事になってたんだ……) エレンとマリーさんが戦っている間に、そんな激しい戦闘が繰り広げられていたなんて。グレンさんは、さらに得意げに言葉を続ける。 「残りの一隻は、シオンの奴が一人で静かに潰してたぜ」 「ああ。だが、最後の船は勝ち目がないと見て逃走した。……詰めが甘かったな」 冷静に補足してくれたのはシイナさんだった。それを受けて、ギブソンさんが吐き捨てるように言う。 「海賊なんてそんなもんさ。裏切りは日常茶飯事よ。どうせまたどこぞのバカと手を組むだけだ」 逃げた船もいるんだ……。でも、それよりも気になることがあった。 「あの、沈没した船に乗っていた海賊の方たちは……?」 (悪い事をした人達だけど……命が失われることは、やっぱり嫌だから……) 私の心からの祈りにも似た呟きに、エレンが優しく応えてくれる。 (そうだな。君のそういうところは、美徳だと思う) その時、ミストさんが「ご安心を!」とでも言うように、ぱっと明るい声を上げた。 「エレナさんが心配すると思って、全員きっちり捕獲済みですよ!」 (良かった……) ミストさんの言葉に、私は心の底からほっとした。 その声で意識が戻ったのか、マリーさんが呻きながら顔を上げた。 「くそ……この私が、こんな奴らに捕まるとはね……」 その悔しそうな声を聞き、それまで黙っていたギブソンさんがズカズカと彼女の方へ歩いていく。 「よォ、マリー。随分と派手にやってくれたじゃねえか」 「……ギブソンか。今更何の用だい」 「決まってんだろ。俺から奪っていったモンを、きっちり返してもらうだけだ」 ギブソンさんはそう言うと、どこからか取り出した巨大な斧をその手に構えた。危ない! 「待ってくれ!俺たちの依頼は海賊の掃討だ!捕まえたのなら命まで奪う契約ではない!
私は再び剣を構え、マリーへと踏み込んだ。「はっ!!!」踏み込みと同時に、刃を振り下ろす。「甘いな!!」マリーは後退しながら、あの奇妙な銃を私に向けて連射する。赤い宝石が、唸りを上げて空を切り裂いた。一発目を身を翻して避ける。二発目は背後の船のマストを盾にする。直後――凄まじい衝撃と共に、盾にしたはずの柱が内側から弾け飛んだ。木片が、雨のように降り注ぐ。「……!」私は目を細める。「柱を貫くか……!とてつもない威力だ」正直に認めざるを得ない。「当たったら耐えられんな」だが、脅威はその程度だ。「放つ武器と理解したら」私は、マストの残骸を蹴りつける。「そこまでだ」煙幕のように舞い上がる木屑の中から、私は飛び出した。予測通り、マリーは再び銃口をこちらへ向ける。引き金に指がかかる。しかし――もう遅い。迫り来る宝石の弾丸。私は腰に差していた短剣を抜き、その側面を叩き斬るように弾いた。甲高い音を立てて、弾丸は明後日の方向へと飛んでいく。海の彼方へと消えた。「はっ!??」マリーの目が、大きく見開かれる。「斬っただと!?」彼女の顔に、初めて純粋な驚愕が浮かんだ。その一瞬の硬直が――命取りだ。「隙を見せたな!!」一気に距離を詰める。風が、頬を撫でた。「そんなモノに頼っているからだ!!」がら空きになった胴体へ、容赦なく膝蹴りを叩き込む。「ぐぅぅ……!!」マリーは苦悶の声を漏らし、くの字に折れ曲がって吹き飛んだ。船の甲板を転がり、マストにぶつかる。だが――それでも体勢を崩しながら、執念で銃を向けてくる。二発、三発。赤い閃光が、立て続けに放たれた。「ふっ!!」一発目を剣の腹で受け流す。「はっ!!」二発目も同様に。巧みに軌道を変えてやった。狙いは――彼女が守るべき背後の部下たちだ。「ぎゃぁぁぁぁぁ!!」仲間が放った弾丸に太ももを貫かれ、海賊が倒れる。「がぁっ……!!」もう一人も、肩を押さえて崩れ落ちた。その無様な光景を眺め、私は周囲の敵を見回す。「さぁ」剣を軽く振る。「お前たちも掛かってくるといい」挑発の言葉。案の定、効果は覿面だった。「くそ!!バカにしやがって!!」逆上した海賊たちが、やみくもに斬りかかってくる。素人じみた剣戟。力任せの振り下ろし。私はその全てを最小
ギブソンの怒号が、炎と煙の渦巻く甲板に響く。 「船の炎を消せぇぇぇぇ!!!」 だが、その声は空しく、火勢は衰える気配もない。状況は最悪だ。その絶望に追い打ちをかけるように、巨大な船影が波を割って迫る。その船首には、おぞましい蛇の紋様が彫られていた。 「ひゃひゃひゃひゃ!!! 俺たちに喧嘩を売るとは、馬鹿か!? しかも、そのザマじゃあ、海の上での戦いは素人のようだなァ!!」 敵船から飛んでくる下卑た嘲笑。その声の主を視界に捉えた瞬間、全ての状況が一本の線で繋がった。 「そういうことか……!あの操舵手め!!」 敵の甲板で不快な笑みを浮かべているのは、つい先ほどまで我々の船の舵を握っていた男だった。どうりで動きが鈍いと思った。初めから、我々をここに誘い込むための芝居だったというわけだ。 (つまり……さっきの人が情報を流してたから、孤島から姿を消してた…ってこと!?) エレナの驚きに満ちた声が、思考に割り込んでくる。私は内心の舌打ちを隠しながら、静かに肯定した。 (ああ……。そのようだ) 裏切り者は、隣に立つ屈強な女海賊へ向き直り、大声を張り上げた。 「姐さん!!! 大砲の準備、完了したぜ!!」 「よし……。――放て!!!!」 女――あの船団の頭だろう――は、短い命令を下す。無駄のない、冷徹な声だった。 「おい!!マリー!!いくらなんでもこれはひでぇだろうが!!!」 ギブソンが女の名を叫ぶ。知り合いか。だが、マリーと呼ばれた大海賊は、一切動じることなく言い放った。 「黙れカスめ……!お前たちにはここで死んでもらう」 あの瞳、あの声。交渉の余地はない。純粋な殺意だ。 「ちぃ!!」 覚悟を決めるしかない。この状況、予期すべきだった。 「やはり私が付いてきて正解だったようだな……!」 こうなる可能性を考えれば、戦力は一人でも多い方がいいに決まっている。私は即座に傍らのシオンへ指示を出す。 「シオン、頼みがある」 「わかりました……!して、何をすれば…!」 話が早いのは、何より助かる。 「私に、風属性を纏わせてくれ!私があの大海賊の元へ直接殴り込みに行く!」 「しかし、それは非常に危険では…いえ、あなたの強さは我々がいちばん知ってますね…!了解しました」 一瞬の躊躇の後、シオンは力強く頷いた。それでいい。頭を潰すのが、この状