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第3話 得意個体のグール

Author: 渡瀬藍兵
last update Last Updated: 2025-05-19 20:09:56

(エレン……大丈夫? 数が多いけど……)

エレナの、隠しようもない不安を滲ませた声が、意識の奥深く、まるで水面に広がる波紋のように静かに響いた。

私は夜の静寂に紛れるほど小さな声で、しかし絶対的な自信を込めて、短く返す。

(……私を誰だと思っている。この程度の数、ウォーミングアップにもならん)

前方、薄暗い通路の先には、先ほど右腕を斬り飛ばされたグールが、未だ夥しい量の血を滴らせながらも、濁った眼でこちらを睨みつけ、低い唸り声を上げ続けている。その執念深さだけは評価に値するかもしれない。

「……さて、狩りの時間だ」

私はフードの端をわずかに引き下げ、その深紅の瞳に宿る光をさらに鋭くした。

そのまま、予備動作なく跳躍。石畳を強く蹴った身体が、まるで放たれた矢のように夜空を裂き、濃密な殺気を纏って滑り出す。目指すは、ただ一体の敵。

先頭に立ちはだかる一体へ――最短距離で踏み込み、腰の愛剣を流れるような動きで袈裟懸けに斬り上げる。

ズバァッ、と肉を断つ鈍い音と、骨が砕ける乾いた音が混じり合った。

巨大な胴が上下に裂ける。噴水のように鮮血が横薙ぎに吹き出し、おびただしい量の臓物が、ぬちゃりとした音を立てて石床に無残に散らばった。

だが、私の動きは止まらない。その勢いを殺すことなく、手首の返しだけで剣を右へと反転させる。

──ザシュッ。

右隣にいた個体の首が、まるで熟れた果実のように宙を舞う。胴体は一瞬遅れて、崩れ落ちるように膝をついた。

銀色の刃が描く軌道は、まるで意思を持っているかのように止まらず、身体全体のしなやかなひねりと共に左へと流れる。

シュバッ――

左翼にいた最後のグールも、先の二体と全く同じように、抵抗する間もなく斬首される。

鮮血が闇夜に三日月の軌跡を描き、夜闇を反射して赤く妖しく輝く私の瞳が、その血煙の中に静かに沈んでいった。

数瞬前までの喧騒が嘘のように、動きが――ぴたり、と止まる。

残る二体のグールは、仲間たちが一瞬にして肉塊へと変わる様を目の当たりにし、完全に戦意を喪失したようだった。ぜえぜえと荒い息を繰り返しながら、じりじりと後退を始める。その濁った瞳には、先ほどまでの凶暴性はなく、ただ原始的な恐怖だけが浮かんでいた。

逃げる。その選択は、生物として正しいのかもしれない。

だが、私はその背中に向けて、氷のように冷たい言葉を静かに落とす。

「……悪いな。お前たちをこのまま逃がして、新たな被害者を出すわけにはいかない。ここで、まとめて始末させてもらう」

逃げ出した一体の背中に向けて、私は右手に握っていた長剣を、一切の躊躇なく投げ放った。手首のスナップだけで放たれた剣は、回転しながら夜気を切り裂き、正確無比な軌道を描く。

ビュン――ザクッ!

鋼が分厚い肉を断ち、抵抗なく背中を深く貫通する。切っ先は胸を突き破り、血に濡れた銀色が覗いていた。

「グエェッ!!」

甲高い断末魔の叫びと共に体勢を大きく崩したグールに、私は地を蹴って疾駆する。

文字通り瞬きする間に距離を詰め、その背に突き刺さった剣の柄を掴むと、力任せに引き抜く。血飛沫が再び舞い上がった。

そのまま流れるような動きで反転――最後の生き残りである左の個体を、渾身の力で蹴る。

ドガッ!! と、鈍く重たい衝突音。

私の蹴りを受けたグールは、まるで子供が投げた石ころのように宙を舞い、隣の硬い石壁に叩きつけられ、ぐしゃりという音と共に崩れ落ちた。

私の足元には、もはや虫の息となった二体の魔物。

ためらいは、ない。

流れるような動作で、その二つの首を正確に斬り落とす。

再び、完全な沈黙が訪れた。

鼻につく血の臭いと、わずかに漂う硝煙のような殺気の残り香だけが、ここが死地であったことを物語っている。

「……ふぅ」

剣の切っ先から滴り落ちる血を一瞥し、私は鞘に納める前に、指先で刃に付着したわずかな肉片を軽く跳ね払った。

(……よし。エレナの体は、汚れていないな。返り血も最小限だ)

その時だった。不意に。

「うわぁ……! す、すごいです……!」

背後から、ぱたぱたと慌ただしい足音が近づいてくる。

先ほど助けた少女――いや、しかし、彼女の様子が先ほどとは何かが明らかに違っていた。恐怖に怯えていた先程の姿はどこへやら。

「あ、あなた……もしかして、エレン様ですよね!? あの有名な、“夜だけ現れる教会騎士”の……!」

(……む。これは……嫌な予感がする)

私の眉間に、微かな皺が寄る。

「おい、少し落ち着け。今は状況が……」

(エレン、有名になってきたね。)

心の奥で、エレナの楽しそうな、それでいて少しからかうような苦笑が響く。

彼女はこういう状況を面白がる癖がある。

少女は、そんな私の内心の葛藤など知る由もなく、興奮で目をキラキラと輝かせて詰め寄ってきた。その勢いは、先ほどのグール以上かもしれない。

「夜の闇に紛れて現れる謎の剣士! ギルド所属、S級冒険者! それでいて、教会にも籍を置くという聖なる騎士! 教会騎士エレン様ですよねっ!?」

あまりの剣幕と、その興奮しきった表情でずいっと私の手を握ってくる彼女に、私は思わずわずかに後退した。この手の熱狂的なタイプは、戦闘よりもはるかに対応が難しい。

(エレナ……すまないが、少しの間だけでも代わってもらえないだろうか。この手の対応は私の専門外だ)

(ダメだよ、エレン! 私達が入れ替わってるなんて、それこそ大問題になっちゃうでしょ!! )

私はこういうタイプの相手が、正直なところ、非常に苦手である。

魔物の方がよほど御しやすい。

「……と、とにかく落ち着いてくれ。まずは深呼吸だ」

「あ! も、申し訳ありません! つい興奮してしまって! 私、魔法研究所の研究員で、ミストと申します!」

そう言って彼女は、今度は勢いよく、ふかぶかと頭を下げた。

その拍子に、少し癖のある青色の髪がさらりと揺れる。

(……魔法研究所、か)

私は魔法が一切使えない。この身に宿る魔力回路が、常人とは異なるためだ。

だから、魔法や魔術師とは基本的に縁のない場所だが、この世界には確かに“魔法”という超常の力が厳然と存在している。

古来より伝わる八つの基本属性――万物を燃やす炎、自由なる風、天罰の雷、万物を潤す水、不動の大地、万物を断つ鉄、聖なる光を宿す聖、そして全てを蝕む闇。

これら根源的な力は、選ばれし者がただ一つだけをその身に宿すと言われ、その発現には血脈――すなわち遺伝が深く関わっているとも囁かれている。

私はその詳細な理論や扱いに詳しくはないが、戦う上で必要となる最低限の知識――敵がどのような魔法を使い、それにどう対処すべきか、それくらいは有しているつもりだ。

「エレン様は、魔法を一切使わずに、その素晴らしい剣技だけで戦っているという噂を聞いていたのですが、本当に、本当に興味深いです! その動き、常人には不可能ですよ!」

「……まあ、そうだが…。」

瞳を子供のように純粋にきらきらさせながら、私を頭のてっぺんから爪先まで、まじまじと遠慮なく観察してくる。

その視線は、まるで非常に珍しい実験素材でも発見したかのようだ。居心地が悪い。

そのときだった。

グォォォォォ!!!!!!

下水道のさらに奥深くから、先ほどまでのグールたちの比ではない、けたたましい咆哮が轟いた。

ビリビリと空気が震える。鼓膜が圧迫されるような、音の厚み――いや、これはもはや音というよりも、質量を持った衝撃波に近い。

間違いない。これが、この騒動の元凶。“本命”だ。

(……ようやく来たな。待ちくたびれたぞ)

ミストの表情が一瞬にして、興奮の赤から恐怖の青へと変わる。血の気が引いていくのが見て取れた。

「ひっ……! な、なんなんですか、今の……!?」

声にならないか細い声を漏らす。

無理もない。あの咆哮は、それだけで並の人間なら意識を失いかねないほどの威圧感を放っていた。

私は剣を抜き放ち、油断なく構えたまま、ミストに冷静に言葉を発する。

「……目標としていたグールの異常個体だ。ここから先は危険すぎる。お前はすぐに地上に戻れ。騎士団に報告するなら、そうしてくれ」

「は、はいっ! わ、わかりました! す、すみません……! 本当は、少しでもお役に立ちたいのですが……グールだけは、その……昔から本当に苦手で……! エレン様、どうかご無事をお祈りしています!!」

そう言って、彼女は一目散に、文字通り脱兎のごとく元来た道を慌てて駆けていった。その背中を見送ることもなく、私は意識を前方の闇へと集中させる。

(……ふう。これで多少は厄介な観客から離れられる。ようやく本番に集中できるというものだ)

***

目の前に、それはゆっくりと姿を現した。

通常のグールよりも一回りも二回りも巨大な、白く、分厚く、そして異様に膨れ上がった醜悪な肉体。

全身の皮膚はぶよぶよとたるみ、所々が裂けて内部の筋肉組織がむき出しになっている。まるで、無理やり何かを詰め込みすぎて破裂寸前の肉袋のようだ。

そして何より異様なのは、その両目。左右非対称に大きく歪み、白目が完全に剥き出しになっていて、焦点の合わない瞳が不気味に蠢いていた。

(うわぁ……あれが、今回の異常個体だね……。なんだか、すごく気持ち悪いよ……エレン、本当に大丈夫?)

エレナの声が、心配と嫌悪感で震えている。

(……全く、君は本当に心底から心配性だな。だが、それもエレナらしいか)

(当たり前でしょ!? 心配するに決まってるじゃん! あれ、普通のグールとは全然違うよ!)

心の中で小さく、だが確かに笑いながら、私は静かに剣を中段に構える。相手がどれほど異形であろうと、私のやることは変わらない。斬る、ただそれだけだ。

グールが、私という獲物に気づいた。

咆哮。

先ほどよりもさらに大きく、空気を震わせるその声と共に、その巨体からは想像もつかないほどの俊敏さで、全力でこちらへ駆けてくる。床が揺れ、壁から塵が落ちる。

(……間違いない。あれの一撃は、まともに食らえばエレナの華奢な肉体では耐えきれんだろうな。骨の一本や二本では済まない)

私は敵の突進に合わせて、こちらも前方へと踏み込み、衝突寸前でスライディングのような低い姿勢で滑り込む。

奴の巨躯の下を紙一重で潜り抜け、すれ違いざまに、その太い脚を狙って鋭い一閃を放つ――

ザシュッ――

しかし、剣先に伝わる手応えが、予想以上に薄い。

確かに切り裂いたはずの脚からは、おびただしい出血はなく、かすかに赤黒い血がじわりとにじむのみ。傷も浅い。

(……なるほど。肉が、異常に固い。)

グールが、脚へのわずかな痛みに気づいたのか、怒りの咆哮を上げる。

グォォォォ!!!!!

その音圧だけで、周囲の石壁がびりびりと震えた。

私は即座に距離を取り、腰に差していたもう一振りの短剣――投擲と接近戦の両方に使える特殊な形状のもの――へと、左手を伸ばした。

「なるほどな。これは確かに、骨が折れそうだ……だが、手強い方が、狩り甲斐があるというものだ」

私の口元に、無意識のうちに好戦的な笑みが浮かんでいた。

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    夜の闇に慣れた深紅の瞳が、前方に立ちはだかる異形の影を正確に捉える。私は、右手に握る馴染んだ長剣と、左手に逆手で持った短剣の二刀を、水が流れるように静かに構えた。目の前に立ちはだかるのは、先ほどまでの雑魚とは比較にならぬほどの瘴気を放つ特異個体のグール。その醜悪な巨体からは、低い獣のような唸り声が絶え間なく漏れ、再びこちらへ突進せんと全身の筋肉を不気味に|蠢《うごめ》かせている。 「……来い。その首を刎ねてやる」私の挑発に応じるかのように、咆哮とともに振り下ろされるのは、岩をも砕きそうな太く鋭い獣のような爪。それは風を切り、死の宣告のように私へと迫る。しかし、私はその攻撃を予測していたかのように、最小限の動きで体をひねって紙一重でそれを回避する。巨腕が空を薙ぎ、私のすぐ横の壁に叩きつけられ、石片が砕け散る音を立てた。着地とほぼ同時に、私は体重を乗せた鋭い突きを繰り出す。グシャッ――!右手に握る長剣の切っ先が、狙いすましたその巨大な右目に、まるで吸い込まれるように深く突き刺さった。肉を抉る鈍い感触が、柄を通じて私の手に伝わる。「カァァァァァァガアアアアアアッ!!」眼球を破壊された激痛に、巨体が大きく仰け反り、耳をつんざくような絶叫が下水道の狭い通路に反響し、壁をびりびりと震わせる。血飛沫と、おそらくは眼球の破片らしきものが周囲に飛び散った。間髪入れず、今度はその左腕が、まるで巨大な鉄槌のように横薙ぎに振り上げられるのを見た瞬間、私は即座に後方ではなく、あえて横へと大きく跳躍する。空中でしなやかに身体をひねり、勢いを殺すことなく、そのまま右目に突き刺さったままの長剣の柄を強く握り、──力任せに引き抜く。ブシュウウウッ――!噴水のように、粘度の高い紫色の血が大量の飛沫を描いて闇に散る。眼窩からは、もはや原型を留めぬ何かが溢れ出していた。「……次だ」私は一瞬たりとも攻撃の手を緩めない。即座に構えを切り替え、左手に逆手で持っていた短剣を順手に持ち直し、標的を定める。一瞬の溜めもなく、残された左の眼窩めがけて、投擲ではなく直接、渾身の力を込めて突きを放つ――ザクッ!短く鋭い刃が、抵抗も少なく眼窩の奥深くを正確に貫き、おそらくは脳の一部にまで到達したかのような重い手応えと共に、肉の奥深くまで沈み込んだ。両目の視界を完全に失ったグールが、もは

  • Soul Link ─見習い聖女と最強戦士─   第3話 得意個体のグール

    (エレン……大丈夫? 数が多いけど……) エレナの、隠しようもない不安を滲ませた声が、意識の奥深く、まるで水面に広がる波紋のように静かに響いた。 私は夜の静寂に紛れるほど小さな声で、しかし絶対的な自信を込めて、短く返す。 (……私を誰だと思っている。この程度の数、ウォーミングアップにもならん) 前方、薄暗い通路の先には、先ほど右腕を斬り飛ばされたグールが、未だ夥しい量の血を滴らせながらも、濁った眼でこちらを睨みつけ、低い唸り声を上げ続けている。その執念深さだけは評価に値するかもしれない。 「……さて、狩りの時間だ」 私はフードの端をわずかに引き下げ、その深紅の瞳に宿る光をさらに鋭くした。 そのまま、予備動作なく跳躍。石畳を強く蹴った身体が、まるで放たれた矢のように夜空を裂き、濃密な殺気を纏って滑り出す。目指すは、ただ一体の敵。 先頭に立ちはだかる一体へ――最短距離で踏み込み、腰の愛剣を流れるような動きで袈裟懸けに斬り上げる。 ズバァッ、と肉を断つ鈍い音と、骨が砕ける乾いた音が混じり合った。 巨大な胴が上下に裂ける。噴水のように鮮血が横薙ぎに吹き出し、おびただしい量の臓物が、ぬちゃりとした音を立てて石床に無残に散らばった。 だが、私の動きは止まらない。その勢いを殺すことなく、手首の返しだけで剣を右へと反転させる。 ──ザシュッ。 右隣にいた個体の首が、まるで熟れた果実のように宙を舞う。胴体は一瞬遅れて、崩れ落ちるように膝をついた。 銀色の刃が描く軌道は、まるで意思を持っているかのように止まらず、身体全体のしなやかなひねりと共に左へと流れる。 シュバッ―― 左翼にいた最後のグールも、先の二体と全く同じように、抵抗する間もなく斬首される。 鮮血が闇夜に三日月の軌跡を描き、夜闇を反射して赤く妖しく輝く私の瞳が、その血煙の中に静かに沈んでいった。 数瞬前までの喧騒が嘘のように、動きが――ぴたり、と止まる。 残る二体のグールは、仲間たちが一瞬にして肉塊へと変わる様を目の当たりにし、完全に戦意を喪失したようだった。ぜえぜえと荒い息を繰り返しながら、じりじりと後退を始める。その濁った瞳には、先ほどまでの凶暴性はなく、ただ原始的な恐怖だけが浮かんでいた。 逃げる。その選択は、生物として正しいのかもしれない。 だが、私はその背中に向けて、氷

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