「領主に……実験室だと?」
その視線が私を射抜いた瞬間、喉がひゅっと鳴る。ただの噂話じゃない。私たちは、もっとずっと危険な何かに触れてしまったのだと、本能が警鐘を鳴らしていた。 「……はい。そう、言ってました」 私が頷くと、シイナさんは固く唇を引き結び、何かを吟味するように深く思考の海へ潜っていく。シイナさんの沈黙が、シオンさんの俯いた横顔が、この場の空気を鉛のように変えていく。その時だった。ふと視線を向けたシオンさんの様子が、いつもと違うことに気づいたのは。 彼の瞳の奥に、今まで見たことのない澱みが広がっていた。まるで、凪いだ湖の底に沈んでいた古い記憶が、不意にかき混ぜられてしまったみたいに。 「シ、シオンさん……? どうかしましたか……?」 壊れ物に触れるみたいに、そっと尋ねる。 彼は「……あ」と短く息を漏らし、私に気づくと、慌てていつもの穏やかな仮面を貼り付けた。 「……すみません。なんでもないんです」 だけど、その微笑みは、まるで痛みを堪えるかのように歪んでいた。彼は小さく息を吐くと、意を決したように、私たち一人ひとりの顔をゆっくりと見渡す。 「いえ、皆さんには……話しておいた方がいいでしょうね」 シン、と場の空気が凍てつく。これから語られる言葉が、この街の輝かしい印象を根底から覆してしまう……そんな確かな予感が、胸騒ぎとなって私を揺さぶった。 「先ほど、領主という言葉が出ましたが……実はごく一部の間で、この都市《メモリス》には、黒い噂があるのです」 「黒い……噂?」 シイナさんが、訝しげに問い返す。 シオンさんは静かに頷き、記憶の糸をたぐるように、遠い目をして語り始めた。 「はい。私も、かつてこの街で数年ほど傭兵業をしていたことがありまして。その頃から……時々、人が“消える”ことがあったのです」 人が、消える? こんなに綺麗で、光に満ちているように見えるこの街で? 嘘だ、って思いたいのに、シオンさんの言葉には、それを冗談だなんて思わせない、ずっしりとした重みがあった。 ミストさんも、シイナさんも、何も言わない。二人の沈黙が、逆にものすごい勢いで頭を働かせていることを教えてくれるみたいだった。 「そして……私の友人も、ある日を境に姿を消しました」 「……っ!」 その静かな告白は、どんな大声よりも強く、私の胸に突き刺さった。 「み、見つかっては……いないのですか……?」 「ええ。今日も、少しだけですが心当たりを探していたのですが……何の手がかりも得られませんでした」 ああ、そうだったんだ……。シオンさんは、ずっと一人で……。大切な人を探し続けていたなんて、全く知らなかった…。 「……この街を、何も告げずに去ったという可能性は?」 シイナさんの問いは、可能性を一つずつ、冷静に確かめていく。 「……それはないでしょうね。私たちは、パーティを組んでいましたから」 ──パーティ。 この世界で、お互いの命を預け合う、強い絆。今の私たちと、全く同じ。それを裏切るなんて、きっとあり得ないことなんだ。 「なるほど……それならその線はないな。すまなかった」 シイナさんが素直に頭を下げると、シオンさんは力なく首を横に振った。 「運悪く……この都市の背後にある黒い噂に巻き込まれた可能性もありますね」 ミストさんが紡いだ言葉は、ただの推測ではなかった。彼の静かな瞳には、ほとんど確信に近い光が宿っていた。 (……この街、やっぱり、何かがおかしい) (ああ。なにやらきな臭くなってきたな) きっと私たちは、自分たちが思っているよりもずっと深い闇の入り口に、もう立ってしまっているのかもしれない。」 「ひとまず、この子は俺たちで保護しよう。」 「それがいいでしょうね!!さっきの話を聞いた限り、ただ事ではないでしょうし」 「ああ。だが、今夜はもう遅い。明日の朝、改めて……」 シイナさんが状況を整理しようとした、その時だった。 「……いや、待て。今まで気づかなかったが……グレンはどうした? 休憩所に運ばれたきりじゃないか?」 (あ……!) その名前に、心臓が警鐘のように激しく鳴り響く。そうだ、グレンさん! (ツナガールに魔力を消耗させられて運ばれたきり、姿を見てない…!) (……確かに、この状況では少し心配だな。確認は必要だろう) エレンの冷静な声が、パニックになりそうな私の頭を即座に冷ましてくれる。 「私が空から探します。その方が早いでしょう」 「わかった。助かる。シオンは空中から、俺は地上でグレンを探しに行こう」 「エレナとミストは宿で待機していてくれ。進展があったら状況を知らせに戻るから」 シイナさんの言葉は命令ではない。これが最も効率的だという、リーダーとしての提案だ。 ミストさんが頷く。 「了解です!二人とも気を付けてくださいね!!」 でも、私は思わず口を開いていた。 「わ、私も……!」 (待て、エレナ) (えっ……!?) エレンの制止する声が、私の焦りをいさめる。 (先程のミストの一件で信頼の大切さは理解できただろう?君は少し休んだ方がいい) (だって、グレンさんは大切な仲間だよ! 心配しない方が無理に決まってる……!) (だからこそだ。疲弊した君が焦って同行すれば、それは仲間にとってリスクになる。万が一の時、彼らが君を守るという判断を鈍らせる。信じて、待つこと。それもまた、パーティの一員としての重要な役割だ) (で、でも………そうだよね……うん……わかった) エレンの言う通りだ。行きたい。でも、足手まといになるわけにはいかない。信じなきゃ。みんなの強さを……! 私が黙り込んだのを見て、シイナさんが少しだけ眉を寄せる。 「どうした、エレナ?」 「い、いえ……! わかりました。私は、こちらで皆さんのご無事を祈っています」 そう答えると、シイナさんは「ああ」と頷き、その目元を少しだけ和らげた。 「あくまで“噂”だ。全てが繋がっていると決まったわけじゃない」 「だからこそ、私たちがこの目で確かめてくるのです。安心してください」 シオンさんも、優しく微笑んでくれる。 (……うん。みんながいるなら、大丈夫だよね!) (ああ。君の仲間たちだ。信じるに足る) ──信じること。 離れていても、心を繋ぐ一番の力。 これが、今の私にできる一番の「戦い」で、そして、何よりも強い「祈り」なんだ。 私はぎゅっと胸の前で手を組み、夜の闇に吸い込まれていく仲間たちの無事を、ただひたすらに天に願った。へレフィア王国へ向かう船旅は、驚くほど穏やかだった。海は陽光を受けて宝石のようにきらめき、波は柔らかく船体を持ち上げては下ろす。その規則正しい揺れが、心臓の鼓動と重なって、妙な安心感を与えてくれる。潮風は冷たく、けれど鼻を抜けるとどこか甘さを含んでいて、これから訪れる新しい土地の匂いを運んでくるかのようだった。しばらく進むと、視界の先に大きな船影が現れる。白銀の装飾をまとい、陽を浴びて輝くその姿は、海の上を行く巨大な聖堂のよう。あれが、へレフィア王国の騎士団の船――。私たちの船が近づくと、操舵手さんが甲板に立ち、胸を張って声を張り上げた。「騎士団の皆さん! お疲れ様です!」その呼びかけに、鎧を着込んだ騎士が姿を現す。鉄靴が甲板を打つ音さえ、威厳を帯びていた。「お疲れ様でございます。……そちらの方々は、見ぬ顔のようですが?」「彼らはナヴィス・ノストラのギルド受付嬢の推薦を受け、へレフィア王国へ向かっているところです!」操舵手さんが誇らしげに言うと、騎士団の人たちは一瞬だけ視線を交わし、そして私たちに柔らかな笑みを向けてくれた。「なるほど。あの方の推薦であれば、何も問題はございません。――へレフィア王国への上陸を許可します」(やっぱり……エレン、あの受付嬢さん、すごい人なんじゃない?)(ああ。ギブソンにも物怖じせぬ胆力、そして王国騎士団すら動かす信頼。ふむ……市井に埋もれさせておくには惜しい人材だ)エレンの声が、少しだけ感心を含んで響く。私は胸の奥で頷き、改めて、あの受付嬢さんに助けられたことを深く感謝した。「では、失礼します!」「皆様も、王国で実りある日々を」騎士の言葉に見送られ、船は再び速度を上げる。風が強まり、白い飛沫が甲板に散った。***やがて船着き場が近づき、仲間たちは次々と下船していった。私は最後に、木の板を踏みしめて石畳の港へ降り立つ。潮の匂いに混じって、どこか清冽な空気が流れ込んでくる。深呼吸すると、胸の奥に冷たさと同時に清らかな熱が広がるようだった。顔を上げた瞬間、言葉が喉に詰まった。――空が、狭い。正確には、空を覆い隠すかのようにそびえる建物のせいだ。天を貫くほどの巨大な大聖堂。その壁はクリーム色に近い温かな白で築かれ、どこまでも高く伸びている。首が痛くなるほど見上げても、その頂は霞に隠れて見えない
**────エレナの視点────** いくつもの船が停泊する港町。その一角にあるギルドの内部で、私たちは今回の依頼の完了報告と、捕らえた海賊たちの引き渡しを行っていた。 「この度は……本当に、本当にすみませんでした……!」 カウンターの向こうで、依頼をくれたあの受付嬢さんが、深く深く頭を下げていた。その声は、申し訳なさで震えている。 「い、いえ!大丈夫ですっ!どうか、頭を上げてください……!」 私は慌ててそう言った。彼女が悪いわけじゃないのに、そんなに謝られるとこっちまで恐縮しちゃう。 「いえ……今回の不備は、完全に我々ギルドの不手際によるものです。まさか、あの『紅の海蛇』の内通者が、ギルド所属の操舵手に紛れていたなんて……」 「確かに、それはそちらの不手際だ」 今まで黙っていたシイナさんが、厳しい声でそう言った。ピリッ、と空気が少しだけ緊張する。でも、彼の言葉はすぐに和らいだ。 「だが、結果として依頼は達成できた。今後はこのようなことが無いよう、人員管理を徹底してくれればそれでいい」 「……お言葉もありません。そのお詫びと言ってはなんですが、皆様をへレフィア王国へ渡れるよう、こちらで手配いたします」 受付嬢さんの口から、思いもよらない言葉が飛び出した。 「な、なに!?それは本当だろうか!?」 シイナさんが、思わずといった様子で声を上げる。 「ええ。私、へレフィア王国の出身ですから。そのくらいの融通は利かせられます」 「きっと、明日にはへレフィア王国へと渡れるでしょう」 彼女はそう言って、少しだけはにかんだ。 へレフィア王国へ……。 その言葉が、私の胸に温かく染み渡っていく。 もうすぐ……もうすぐ、お母様に会えるんだね……。 ずっと張り詰めていた気持ちが、ふっと軽くなるのを感じた。 今まで、一度もへレフィア王国へいったこ (エレナ……二人で、君の母君に挨拶を済ませよう) エレンの、優しくて力強い声が響く。 (うん……) 私は、心の中で強く頷いた。 「そういえばなのですが」と、受付嬢さんが思い出したように付け加えた。 「あなた方が連れてこられた、ギブソンという海賊ですが……彼は船の器物破損、及びギルド所属船への無断乗船の罪で、現在、地下牢に幽閉中です」 (そ、そうなんだ……) あの人のことを考えると、正直、少
エレンがマリーたちを捕らえてくれた後、私たちは船内の物陰でそっと入れ替わった。荒れた甲板の中心で、マストに縛られている大海賊マリーさんと向き合う。さっきまでの喧騒が嘘のように、船の上は静かだった。 ふと、一つの疑問が浮かぶ。 「そういえば……他の海賊船はどうしたんですか?」 私の問いに、グレンさんがニカッと笑って答えてくれた。 「おう!俺が派手に一隻沈めてやった後、ギブソンの奴が潜って、もう一隻の船底に風穴開けてやったのさ!」 (そんな事になってたんだ……) エレンとマリーさんが戦っている間に、そんな激しい戦闘が繰り広げられていたなんて。グレンさんは、さらに得意げに言葉を続ける。 「残りの一隻は、シオンの奴が一人で静かに潰してたぜ」 「ああ。だが、最後の船は勝ち目がないと見て逃走した。……詰めが甘かったな」 冷静に補足してくれたのはシイナさんだった。それを受けて、ギブソンさんが吐き捨てるように言う。 「海賊なんてそんなもんさ。裏切りは日常茶飯事よ。どうせまたどこぞのバカと手を組むだけだ」 逃げた船もいるんだ……。でも、それよりも気になることがあった。 「あの、沈没した船に乗っていた海賊の方たちは……?」 (悪い事をした人達だけど……命が失われることは、やっぱり嫌だから……) 私の心からの祈りにも似た呟きに、エレンが優しく応えてくれる。 (そうだな。君のそういうところは、美徳だと思う) その時、ミストさんが「ご安心を!」とでも言うように、ぱっと明るい声を上げた。 「エレナさんが心配すると思って、全員きっちり捕獲済みですよ!」 (良かった……) ミストさんの言葉に、私は心の底からほっとした。 その声で意識が戻ったのか、マリーさんが呻きながら顔を上げた。 「くそ……この私が、こんな奴らに捕まるとはね……」 その悔しそうな声を聞き、それまで黙っていたギブソンさんがズカズカと彼女の方へ歩いていく。 「よォ、マリー。随分と派手にやってくれたじゃねえか」 「……ギブソンか。今更何の用だい」 「決まってんだろ。俺から奪っていったモンを、きっちり返してもらうだけだ」 ギブソンさんはそう言うと、どこからか取り出した巨大な斧をその手に構えた。危ない! 「待ってくれ!俺たちの依頼は海賊の掃討だ!捕まえたのなら命まで奪う契約ではない!
私は再び剣を構え、マリーへと踏み込んだ。「はっ!!!」踏み込みと同時に、刃を振り下ろす。「甘いな!!」マリーは後退しながら、あの奇妙な銃を私に向けて連射する。赤い宝石が、唸りを上げて空を切り裂いた。一発目を身を翻して避ける。二発目は背後の船のマストを盾にする。直後――凄まじい衝撃と共に、盾にしたはずの柱が内側から弾け飛んだ。木片が、雨のように降り注ぐ。「……!」私は目を細める。「柱を貫くか……!とてつもない威力だ」正直に認めざるを得ない。「当たったら耐えられんな」だが、脅威はその程度だ。「放つ武器と理解したら」私は、マストの残骸を蹴りつける。「そこまでだ」煙幕のように舞い上がる木屑の中から、私は飛び出した。予測通り、マリーは再び銃口をこちらへ向ける。引き金に指がかかる。しかし――もう遅い。迫り来る宝石の弾丸。私は腰に差していた短剣を抜き、その側面を叩き斬るように弾いた。甲高い音を立てて、弾丸は明後日の方向へと飛んでいく。海の彼方へと消えた。「はっ!??」マリーの目が、大きく見開かれる。「斬っただと!?」彼女の顔に、初めて純粋な驚愕が浮かんだ。その一瞬の硬直が――命取りだ。「隙を見せたな!!」一気に距離を詰める。風が、頬を撫でた。「そんなモノに頼っているからだ!!」がら空きになった胴体へ、容赦なく膝蹴りを叩き込む。「ぐぅぅ……!!」マリーは苦悶の声を漏らし、くの字に折れ曲がって吹き飛んだ。船の甲板を転がり、マストにぶつかる。だが――それでも体勢を崩しながら、執念で銃を向けてくる。二発、三発。赤い閃光が、立て続けに放たれた。「ふっ!!」一発目を剣の腹で受け流す。「はっ!!」二発目も同様に。巧みに軌道を変えてやった。狙いは――彼女が守るべき背後の部下たちだ。「ぎゃぁぁぁぁぁ!!」仲間が放った弾丸に太ももを貫かれ、海賊が倒れる。「がぁっ……!!」もう一人も、肩を押さえて崩れ落ちた。その無様な光景を眺め、私は周囲の敵を見回す。「さぁ」剣を軽く振る。「お前たちも掛かってくるといい」挑発の言葉。案の定、効果は覿面だった。「くそ!!バカにしやがって!!」逆上した海賊たちが、やみくもに斬りかかってくる。素人じみた剣戟。力任せの振り下ろし。私はその全てを最小
ギブソンの怒号が、炎と煙の渦巻く甲板に響く。 「船の炎を消せぇぇぇぇ!!!」 だが、その声は空しく、火勢は衰える気配もない。状況は最悪だ。その絶望に追い打ちをかけるように、巨大な船影が波を割って迫る。その船首には、おぞましい蛇の紋様が彫られていた。 「ひゃひゃひゃひゃ!!! 俺たちに喧嘩を売るとは、馬鹿か!? しかも、そのザマじゃあ、海の上での戦いは素人のようだなァ!!」 敵船から飛んでくる下卑た嘲笑。その声の主を視界に捉えた瞬間、全ての状況が一本の線で繋がった。 「そういうことか……!あの操舵手め!!」 敵の甲板で不快な笑みを浮かべているのは、つい先ほどまで我々の船の舵を握っていた男だった。どうりで動きが鈍いと思った。初めから、我々をここに誘い込むための芝居だったというわけだ。 (つまり……さっきの人が情報を流してたから、孤島から姿を消してた…ってこと!?) エレナの驚きに満ちた声が、思考に割り込んでくる。私は内心の舌打ちを隠しながら、静かに肯定した。 (ああ……。そのようだ) 裏切り者は、隣に立つ屈強な女海賊へ向き直り、大声を張り上げた。 「姐さん!!! 大砲の準備、完了したぜ!!」 「よし……。――放て!!!!」 女――あの船団の頭だろう――は、短い命令を下す。無駄のない、冷徹な声だった。 「おい!!マリー!!いくらなんでもこれはひでぇだろうが!!!」 ギブソンが女の名を叫ぶ。知り合いか。だが、マリーと呼ばれた大海賊は、一切動じることなく言い放った。 「黙れカスめ……!お前たちにはここで死んでもらう」 あの瞳、あの声。交渉の余地はない。純粋な殺意だ。 「ちぃ!!」 覚悟を決めるしかない。この状況、予期すべきだった。 「やはり私が付いてきて正解だったようだな……!」 こうなる可能性を考えれば、戦力は一人でも多い方がいいに決まっている。私は即座に傍らのシオンへ指示を出す。 「シオン、頼みがある」 「わかりました……!して、何をすれば…!」 話が早いのは、何より助かる。 「私に、風属性を纏わせてくれ!私があの大海賊の元へ直接殴り込みに行く!」 「しかし、それは非常に危険では…いえ、あなたの強さは我々がいちばん知ってますね…!了解しました」 一瞬の躊躇の後、シオンは力強く頷いた。それでいい。頭を潰すのが、この状
**────エレナの視点────** こうして私たちは、「大海賊マリー」が潜むという孤島へと辿り着いた。 だが、ギルドの情報とは裏腹に、そこに人の気配は全くなかった。ただ、波に洗われ続ける古い桟橋と、中身のないまま朽ち果てた木箱が、過去に誰かがいたことだけを物語っている。 風すらも止まったかのような、不気味な静けさ。私とシイナさんは顔を見合わせ、肩をすくめて引き返すことにした。 (エレン……。ギルドの情報が、外れたってことなのかな?) (……いや。ギルドの情報網は常に的確だ。外れる時もあるだろうが、今回はそれとはどこか…違う気がするな。嫌な感じがする) 心の奥でエレンと囁き合った、まさにその瞬間だった。 ――ドンッ!! 船底から、海面そのものを殴りつけられたかのような衝撃が、船体を激しく貫いた。 腹の底まで響き渡る鈍い振動に、思わず息が止まる。 「えっ!?」 操舵室の方から、ギブソンさんの怒鳴り声が飛んできた。 「こ、こりゃあまずいぜ!!! 後戻りだ! せめて孤島へ戻れ!!」 何が起きたのかわからないまま、私たちが甲板に飛び出すと―― 視界の端から端まで、巨大な黒い影が、じわじわと海を埋め尽くしていくのが見えた。 「こ、これは…! 無理だ、いつの間にこんな…!」 シイナさんの声が、いつになく焦りを帯びている。 海は、もう逃げ場のない檻と化していた。 左右と背後に回り込んだ、四隻の海賊船。そして前方には、海面を押し潰すかのように迫る、一際巨大な旗艦。 黒布の帆は太陽の光を遮り、甲板を不吉な薄暗さに染め上げていた。 「っ…! いつの間にか、四方八方を完全に包囲されていますね……!」 シオンさんの落ち着いた声すら、冷たい緊張を孕んでいる。 その船影の間から、禍々しい旗が一斉に翻った。 赤地に、白い髑髏。海風が、血の匂いすら運んでくるような錯覚に陥る。 「おい!! 操舵手!! どうにか振り切れ!!」 再びギブソンさんの怒声が飛ぶ。 しかし、直後、彼の声が一瞬途切れた。 「ん!? おい!操舵手!? あいつ、どこへ行った……!?」 返事は、ない。 誰もいないはずの舵輪が、ギィ、と軋む音を立てて、ゆっくりと勝手に回っていくのが見えた時、私の背筋にぞくりと冷たいものが走った。 「あっ…! み、みんな! 気をつけてっ!