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#65:記憶都市メモリス

Penulis: 渡瀬藍兵
last update Tanggal publikasi: 2025-08-23 12:54:37

ミルサーレ村を発った一行は、白く乾いた街道を越え、ついにその門前へ辿り着いていた。

 記憶都市メモリス。

 その名だけなら、道中で何度も耳にしている。記憶の売買が行われる都市。錬金術と独自技術によって栄え、都市でありながら一つの国にも等しい規模を持つ場所。

 そして今、その名は、白石の巨門となって一行の前に立ちはだかっていた。

 門、というにはあまりに大きい。

 純白の石材を積み上げた巨大な門柱が、左右から空を支えるようにそびえていた。表面には金の装飾が細く走り、陽を受けるたび、刃物の縁めいて鋭くきらめく。上部には、翼を広げた梟の意匠。知恵の象徴か、記憶の番人か。丸い双眸だけが、訪れる者すべてを静かに見下ろしている。

「こ、ここが……メモリス……」

 エレナの声は、門前のざわめきに呑まれる寸前で、かろうじて形を保った。

 街道を渡る風が、足元の裾を小さく揺らす。顔を上げたエレナのまばたきは、しばらく少なかった。

 門前に並ぶ荷車も、旅人も、衛兵の列も、その巨大な影の下では小さく見える。都市への入口というより、王城の正門。あるいは、ひとつの国の境界線。その場に立つ者へ、そう錯覚させるだけの威容があった。

「な、な、な……」

 隣でグレンが、壊れかけた歯車のように口を開閉させていた。

 次の瞬間、赤髪が跳ねる。

「なんじゃこりゃぁぁぁぁ!?」

 門前を行き交う何人かが、ちらりと振り返った。荷車を引く商人。旅装の男。上品な外套をまとった女。誰もが一瞬だけ視線を寄越し、それきり何事もなかったように流れへ戻っていく。

「ふっふっふっ! やはり、そういう反応になりますよねぇ! 初見の衝撃というものは、何度見ても味わい深いですッ!」

 ミストは両手を腰に当て、なぜか胸を張っていた。

 満面の笑みには、案内人めいた得意げな光が宿っている。

「だ、だってよ!! これ、街だよな!? どう見ても国の入口みてぇな、どでけぇ門じゃねぇか!」

 グレンは門柱の根元から頂まで、首を忙しく動かした。上を向きすぎたせいで、片足がわずかに後ろへ下がる。白石に埋め込まれた金細工、梟の彫刻、門の奥へ続く舗装路。そのすべてを一度に飲み込もうとして、目だけが追いついていない。

 シイナはその横で、門前の列と衛兵の配置を静かに見ていた。

 黒曜石のような瞳が、旅人の流れ、荷物の確認場所、入門手続きの順路を順に拾っていく。

 その少し後ろで、シオンだけが口を閉ざしていた。

「………」

「シオンさん? どうしました?」

 エレナが振り返る。

 シオンはすぐ、柔らかな微笑を作った。

「いえ、何でもありませんよ。ただ、二度目の来訪ですので。少々、物思いに耽っていたのです」

(……?)

 エレナのまつげが小さく揺れた。

 その間にも、門前の人波は絶えない。商人の荷車が軋み、馬の蹄が石畳を叩く。衛兵たちは整然と立ち、入門者の身分証や荷物をひとつひとつ確認していた。列は長い。だが乱れは少なく、都市の威容に見合うだけの秩序が、そこにはあった。

『これは、随分と立派な門じゃないか。この奥には、どんな景色が広がっているのかな』

 エレンの声が、内側で静かに響いた。

『凄いよね。それに、見て』

 エレナは人だかりの一角へ目を向けた。

 門の脇。磨かれた鎧を身につけた衛兵たちが、旅人の鞄を開け、荷札を確かめている。許可証らしき紙片に目を通し、時折、台帳へ何かを書き込んでいた。

『あそこで、衛兵さんが荷物の確認をしているみたいだよ』

『ふむ。秩序がしっかりしているようだな。結構なことだ』

 エレナが小さく頷いたところで、シイナが一歩前へ出た。

「エレナさん。ここから先は、一度衛兵のもとへ向かいます。来訪目的と荷物の確認を求められるはずです」

「あ、あの!」

 歩き出しかけた一行の背に、控えめな声がかかった。

 馬車のそばに、ミルサーレ村の若者たちが二人立っていた。ここまで手綱を握ってきた青年と、その隣に並ぶもう一人。どちらも旅埃をまとっていたが、帽子を握る手つきだけは妙に改まっている。

「俺たちは、これで失礼します」

 一人が頭を下げた。

「お二人のおかげで、随分早くメモリスへ来ることができました」

 エレナも礼を返す。

 もう一人は、帽子のつばを指で押し潰すように握った。

「でも、俺たちの村に寄らなかったら、エレナ様たちはもっと早く……」

 エレナは静かに人差し指を立てた。

 唇の前へ、そっと。

 それだけで、若者の言葉は止まった。車輪の軋み、馬の鼻息、列に並ぶ人々の低いざわめきが、その沈黙の隙間を埋めていく。

「あなた方の村へ行ったのも、きっとそういう巡り合わせだったのです。ですから、どうか気になさらないでください」

 帽子を握る指から、少しだけ力が抜けた。

「……ありがとうございます」

 二人はそろって、深く頭を下げた。

 礼は長かった。顔を上げたとき、目元にはまだ疲労が残っていたが、口元だけはかすかに緩んでいる。

「では、俺たちは村に帰ります! これから再建を手伝わないといけませんので!」

「ああ、きっと忙しくなるな」

 戻るべき場所がある者たちの声だった。

 壊れた家屋。失われた牛。汚された井戸。抱えるものはいくらでもある。それでも、二人の足は帰路へ向いている。

「では、皆さん! お元気で!」

「また、会いましょうね」

 エレナは小さく手を振った。

 二人は馬車へ乗り込む。御者台で手綱が鳴り、車輪が石畳をゆっくり噛んだ。馬車は人の流れを避けながら街道のほうへ折れ、やがて荷台の影が門前の広場から離れていく。

「……さて。受付を済ませましょうか」

 シイナの一言で、一行は改めて門へ向かった。

 衛兵のいる受付には、いくつかの列ができている。荷台に木箱を積んだ商人、背嚢を背負った旅人、布で包んだ長物を抱える冒険者。身分証を出す者がいて、鞄を開く者がいる。衛兵たちは淡々と手を動かし、紙片を確かめ、台帳へ筆を走らせていた。

 その列の前方で、ひときわ耳につく声が跳ねた。

「くっ……! 私の貴重な時間を、こんな待機に費やさせるとは!」

 白衣を着た男が、革鞄を片腕に抱え、もう片方の手で空を切っていた。

 袖口には薬品の染み。胸元のポケットからは、紙片や細い器具が無秩序に突き出している。整っているのは髪の分け目だけで、表情は苛立ちに歪みきっている。

「一刻も早く、この研究成果を記憶の塔へ運ばねばならんのだー!」

「とは申しましても、規則ですから」

 対応している衛兵は、姿勢を崩さない。

「くっ……!! ならば、さっさと済ませろ! 一秒とて時間が惜しいのだッ!!」

(なんだか嫌な感じ……)

 エレナの足元で、裾が一度だけ揺れた。

 その横を、別の衛兵が通る。

 男の怒声には目を向けず、シイナの前で立ち止まった。

「あなた方の目的を伺っても?」

「我々は、東方にある、とある場所へ向かっています。詳しいことは明かせませんが……代わりに、これを」

 シイナは懐から一枚のカードを取り出した。

 衛兵はそれを受け取り、記された文字を追う。

 途中で、指が止まった。

「ベルノ王国の……マギア王立研究所!?」

 近くにいたもう一人の衛兵が、ちらりとこちらを向く。筆を動かしていた手が止まり、列の前にあったざわめきが一拍だけ薄くなった。

 カードを持つ衛兵は、すぐに背筋を正す。

「こ、これは失礼いたしました。シイナ・フォン・ブラウン様、直ちにご案内いたします」

「なっ!? 待て待て待て待て!!」

 白衣の男が、声を裏返した。

「何か?」

 衛兵が振り向く。

「何かもクソもあるか! なぜ私より後に来た連中を先に通すのだ!? 説明しろ!」

「こちらの方々は、メモリスにおいて賓客でございます。先にお通しすることに、何ら不自然はありません」

「賓客だと!? ならば私は賓客ではないというのか!?」

 男の声がさらに膨らむ。

 列のあちこちから視線が寄った。荷車の馬が耳を動かし、商人が口元を引き結ぶ。旅装の男が肩越しに振り返り、すぐには前を向かなかった。

「まったく。ギャーギャーと喚いて、うるさいですねぇ!」

 ミストが、明るい声で切り込んだ。

「う、う、うるさいと言ったのか!? 天才であり、十年に一度の逸材と呼ばれる、この私を!?」

「それは結構ですけど、その偉そうな態度を誇示する前に、科学者としての品格をもう少し磨くことをおすすめしますっ!」

 男の顔が、みるみる赤く染まっていく。

「き、きっ……貴様ぁぁぁぁ!! 私に品格がないとでも言いたいのか!?」

 白衣の裾を乱しながら、男がミストへ詰め寄った。

 その肩を、横から伸びた手が掴むと、男を突き飛ばす。

 突き飛ばしたのは、シイナだった。

 男の足が石畳の上で滑る。革鞄が胸元で跳ね、次の瞬間、尻もちをつく鈍い音が落ちた。

「うぐ……!」

 ずれた片眼鏡が頬のあたりで止まる。

 男は地面に座り込んだまま、何が起きたのかを理解するまで数拍を要した。

「我々は急いでいるんだ」

 シイナは見下ろしたまま言った。

「あんたの苦情にも、一理はある。だが、何でもかんでも自分の思い通りに進むと思わないことだな」

「キサマ……!! 今この私を突き飛ばしたな!? 極刑ものだ!! 許さん!! 衛兵!! 目の前の奴を……!」

「文句があるなら、こちらへ」

 シイナは短く告げ、カードの写しを投げた。

 紙片はひらりと回って、男の膝元へ落ちる。

「な、なんだ……? っ……!!」

 男はそれを拾い、文字を読んだ。

 赤かった顔から、色が抜ける。

 カード。

 シイナ。

 もう一度、カード。

 男の口は開いたまま、音だけが出てこない。

 衛兵たちは何も言わなかった。

 列に並ぶ者たちも、誰からともなく前を向き直っていく。

 白衣の男は、最後まで続きを口にしなかった。

 「……落ち着かれたようですね。では、皆様。こちらへ」

 衛兵は白衣の男へ一瞥だけを置き、すぐに身を翻した。

 重い音が、門の内側から響く。

 左右の扉が、ゆっくりと開いていった。白石の継ぎ目が軋み、金の装飾が細く震える。門前に溜まっていたざわめきが、その動きに合わせて一度だけ薄くなった。

 エレナたち一行は、衛兵に促されて歩き出す。

 巨大な門柱の下へ入ると、外の明るさが一瞬遠のいた。頭上には、石を組み上げた天井が深く続いている。馬車の車輪音も、人々の足音も、そこでわずかに低く反響した。

 数歩。

 さらに数歩。

 そして、門の影を抜けた先に、メモリスの街並みが広がった。

 同じベルノ王国の地にあるとは思えない景色だった。

 王都に並ぶ建物が、曲線や飾り窓、白壁に映える屋根の色で人目を引くものだとすれば、ここにある家々は、その発想からして違う。

 建物はどれも直線的で、箱を積み上げたような形をしていた。壁面は淡い灰色や白で統一され、窓も扉も、測ったように等間隔で並んでいる。装飾は少ない。張り出した屋根も、彫り込まれた柱も、華やかな色彩もない。

 ただ、無駄を削ぎ落とした四角い建物が、通りに沿って整然と続いていた。

 美しい、というより、正確。

 賑わいは確かにあった。通りには人が行き交い、荷車が走り、店先には品物が並んでいる。だが、その活気さえ、どこか一定の線の内側に収められているように見える。雑多なはずの街の音が、ここでは奇妙なほど乾いていた。

 そして、そのすべての中心に、白い塔が立っていた。

 街の奥。四角い建物群の向こうから、ただ一本だけ、空へ向かって伸びている。

 周囲の建物とは比べものにならない高さだった。余計な色はなく、余計な飾りもない。磨き上げられた白い外壁が、遠くからでも硬質な光を返している。

 門の外から見た威容とは、まるで種類が違った。

 そこにあるのは、国の力を誇示するための壮麗さではない。

 記録し、分類し、積み上げ、管理するものの冷たさ。

 メモリスという都市は、門をくぐった者たちに、まずその顔を見せた。

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