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第12話:舌紋の灯

作者: fuu
last update 最終更新日: 2025-09-15 23:00:12

鐘が十回鳴って、香が立ちのぼった。大聖堂の白い階段に、皇子が半歩前に出て、王子は肩の位置で影のように寄り添った。公では皇子が前に、私室では王子が支える——二人で決めた二重統治の始まりだった。

侍祭たちが持つ銀盆に、薄い瑠璃の舌石が並ぶ。誓詞は短く、しかし具体だった。可と不可、合図と事後の手当。それを朗読する若い侍祭の声は、麦のように乾いて素直だ。

可は、命令の授与、呼び名の交換、手と口づけ、軽い拘束。不可は、血と跡の残る痛み、呼吸を奪う行為、第三者の介入。合図は、王子の指鳴らし二回で進行、皇子の肩叩き一回で速度調整、二回で一時停止、三回で中止。セーフワードは「薄荷」。アフターケアは、温湯と甘味、抱擁、言葉の確認。週に一度、交替日——スイッチ・デーを暦の七日めに置く、と。

「承知する」

皇子が言い、舌石を舌の奥で転がす。冷たさが熱に変わり、薄緑の灯が口腔の闇で小さく灯った。舌紋の灯。それは契約の実印であり、合意の合図だ。王子の舌にも金の線が走った。二人の舌が一瞬、光で結ばれて、群衆が息を吞む。

「契は成立した」

侍祭長の代理が告げ、地下街の楽士が笛を鳴らす。大聖堂の陰では、納骨堂の鍵束がきい、と鳴って誰かの指で握り直された。骨壺の札——血統の札——を巡る争いは、今日も熱い。地下では商人長が小声で笑い、地上では司祭たちが笑顔で掌を合わせる。権力は、香より重い。

「行こう」

王子が囁けば、皇子はうなずく。儀式が続くあいだ、二人は視線だけで合図を重ねた。皇子は壇上で公の言葉を慎重に紡ぎ、王子は背に手を添え、間合いを測る。合意の稽古は、広場でも行けるのだと知る。儀礼と官能は、言葉の取り交わし方が同じだ。

夜。私室は静かで、薄荷の香りが甘かった。侍女が置いた甘味に、細かな氷とミントの蜜。たぶんよかれと思って。今日は交替日の前夜。王子は絹の紐を見せて、首を振る。

「不可だ。今日は触れない。代わりに、声を訓練しよう」

皇子は頷いた。舌紋の灯が、彼の口内で小さく呼吸する。王子は距離を保ち、膝をついた。彼の手は膝に置かれたまま、誘導の言葉だけが落ちる。

「命じろ」

「……ここに、いて」

皇子の声は、最初は薄かった。王子は動かず、目だけで応じる。

「もっと」

「私に、触れず、見て。私が言うまで、動かないで」

王子は微笑んだ。言葉で動かす。皇子は呼吸を整え、言葉を置き直す。舌の先で、薄荷の甘さがじんと痺れる。笑ってしまいそうなタイミングで、外から合図の鐘が一度鳴った。侍従が間違えて交替日の札を今日出してしまったらしい。二人は目を合わせ、少しだけ肩を震わせる。

「札、明日にしろと伝えたよな」

「うん。明日だ」

小さなコメディは、緊張をほどく。皇子は目線を強めた。

「王子。私の言葉に従え」

「従う」

唇に舌が触れるギリギリの距離で、空気が甘くなる。舌紋の灯は合意の灯。合図は、言葉のきらめき。王子が指を二度鳴らす。進んでいいか、の確認。皇子は肩を一度叩いて、速度の調整を返す。

そのときだった。納骨堂で見た札の列が、ふと脳裏をかすめた。幼いころ隠れて通された地下の通路、骨壺の冷え、骨に刻まれた名前。皇子の喉が詰まる。指が上がりかけて、止まる。言葉がほどけなくなる。王子は即座に距離を取った。舌紋の灯が、ふ、と揺れる。

「薄……」

皇子は言った。けれど舌が痺れて、薄荷が薄課になって、灯が完全に点りきらない。甘味のミントが利きすぎていた。ばつの悪さが、胸に落ちる。セーフワードが、口から滑る。

王子は待たなかった。灯の揺れだけで膝を引き、手を見せ、声を落とす。

「中止だ。水を」

彼は水を渡し、舌を冷やすよう指示した。肩に毛布を掛け、額に触れない距離で座る。合意は動作にも宿る。皇子は唇を湿らせ、少し笑った。

「今の、失敗だ」

「いい失敗だ」

王子はやわらかく言う。甘味の皿を片づけ、薄荷を遠ざける。代わりに蜂蜜湯。香りは甘いが、舌を奪わない。

「言葉が出ないときの合図を増やそう。灯の揺れを補助する。指輪を三回叩く。床を二回鳴らす。目線を上に逃がす。どれでもいい。どれか一つで止める」

皇子は頷いた。舌紋の灯が、心なしか力を取り戻す。

「私が、命じるのは怖い。でも、命じたい」

「命じろ。それが、お前の政治だ」

王子の言葉は、蜜を薄めたみたいに喉にやさしかった。アフターケアは、身体より先に言葉に触れる。抱擁は、その後だ。王子は尋ねる。

「今、抱いてもいいか」

皇子は頷き、肩を寄せた。甘い湯の香りと共に。息が揃うまで、二人はただ抱き合った。

翌朝。地下街の広場は騒がしかった。大聖堂は納骨堂の鍵の一部を握り、地下の商人は骨札を担保に融資をする。両者の縄張りは、境界線の上で絡み合う。皇子は公の装束で現れ、王子は半歩下がる。交替日まであと一日。今日は皇子が前だ。

「納骨堂の堂守は、鍵の貸し出しを記録しろ。地下街は、骨札の写しを提出しろ。写しは大聖堂の蔵に保管する。代わりに、市場の監視を緩める。日暮れの鐘までに合意の文を持ってこい」

短い命令が飛ぶ。商人長が眉を上げ、大聖堂の侍祭が顔を見合わせた。だが、反論は筋が悪い。皇子は続ける。

「抵抗したいなら、私の前で言え。今日、ここで」

誰も出てこない。王子は背で笑って、声を出さない。雄の訓練は、政治に直結する。昨夜の灯が、言葉の芯に火を置いた。

交渉が動き出す。地下街の雑踏の片隅で、侍祭長の影が立った。彼の所見は、次に持ち越される。王子は皇子の袖口を直し、小さく囁く。

「薄荷は片した。蜂蜜は残す」

皇子は頷き、袖の中で指輪を三度叩く仕草を試す。合図は二重に、三重に。今日の合意は、夜のためにある。夜の合意は、明日の政治のためにある。

儀礼の終わりに、また鐘が鳴る。侍従が札を持って走ってくる。「交替日」の札は、今日は裏向き。明日、表に。段取りは修正された。二人は目を合わせて、少し笑った。甘い失敗は、溺愛の糖衣になる。

次回、第13話:侍祭長の所見

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