LOGIN午後三時五十分。 「止めてください」 ノルディの一言で。 結果発表へ進みかけていた会場が止まった。 進行役がマイクを持ったまま振り返る。 審査員も。 十六人のモデルも。 その後ろにいるスタッフたちも。 全員がノルディを見る。 五時間。 一度も席を離れなかった男が。 初めて立っていた。 * 午前十時。 コンテストが始まってから。 ノルディは十六のチームを見ていた。 正確には。 見ようとしていた。 御堂玲奈。 完成されたモデル。 その完成度をさらに高めるために集められたHORIZONのスタッフ。 真壁ミラ。 何を見せたいのかを自分で選び。 桐島誠司とともに、その形を変えていくモデル。 歌原彩。 十六歳。 経験は少ない。 それでも。 誰かの真似ではない何かを持ち始めている。 その他の十三人も同じだった。 それぞれに。 今日ここへ来る理由があり。 それぞれのチームが。 そのモデルを立たせるために動いている。 ノルディは。 それを見ていた。 記録も取った。 映像も確認した。 スタッフから報告も受けた。 第一ラウンドを。 軽く扱ったつもりは一度もない。 それでも。 何度も。 視線が戻った。 一人の男へ。 与那嶺良太。 UTAHARA MODEL OFFICE代表。 最初に見た時。 顔も違う。 身体も違う。 性別すら違う。 当然。 歌原レイラとは。 何一つ似ていないはずだった。 それなのに。 歩き方。 止まる位置。 モデルを見る順番。 人の話を聞く時の角度。 判断を出すまでの間。 そして。 判断した後に。 迷わないこと。 見るたびに。 何かが引っかかった。 午前十時十五分。 彼は。 服を増やさなかった。 午前十時四十分。 小物を減らした。 メイクを急がせなかった。 モデルの顔が変わるのを待った。 何かを作ろうとしているのではなく。 すでにそこにあるものを。 邪魔しないようにしている。 その考え方を。 ノルディは知っていた。 昔。 同じことをするモデルがいた。 歌原レイラ。 ノルディは何度も。 自分へ言い聞かせた。 偶然だ。 レイラと仕事をした人間なら。 影響を受けることはある。 与那嶺良太は。 生前のレイラと
午後三時。RE:CODE MODE CONTEST。五時間の制作時間が終わった。会場中央のランウェイ。その奥には、審査席。ノルディを中心に、複数の審査員が座っている。モデルは十六名。全員が。この五時間で作ったものを身にまとっていた。進行役の声が響く。「それでは、第一ラウンドの審査を開始します」照明が落ちる。一人目の名前が呼ばれた。*審査は。驚くほど淡々と進んだ。モデルが出る。歩く。止まる。戻る。審査員のペンが動く。時折。短い確認が入る。衣装。ヘア。メイク。歩き。モデルとの一体感。それぞれが記録されていく。そして。御堂玲奈の名前が呼ばれた。会場の空気が、わずかに変わる。HORIZON。最有力候補。玲奈がランウェイへ出る。完成されていた。強い衣装。計算されたヘア。顔を殺さず、それでも舞台の光へ負けないメイク。そして。そのすべてを背負えるモデル。一歩。二歩。何か一つだけが前へ出ることはない。服も。顔も。身体も。歩きも。全部が。御堂玲奈という一人のモデルへ収束している。審査員が記録する。ノルディも。長く見る。玲奈がターンする。戻る。それだけだった。大きな反応はない。次。真壁ミラ。クロスリンク・エンタメ。ミラが出る。玲奈とは違う。完成されているのに。どこかに。まだ動こうとしているものがある。衣装へ身体を合わせるのではない。身体へ。衣装を引き寄せる。一歩ごとに。今日の真壁ミラへ変えていく。ノルディの視線が。わずかに止まった。口元が少しだけ上がる。「……good」近くにいた審査員が。ほんの少しだけノルディを見る。ミラは聞こえたのか。聞こえなかったのか。表情を変えない。最後まで歩き切る。そして。次へ。審査は続いた。*歌原彩。名前が呼ばれる。良太の身体を動かしているレイラは。少しだけ息を止めた。彩が出る。十六歳。他のモデルより。経験は圧倒的に少ない。衣装も。派手ではない。アクセサリーも少ない。メイクも。必要以上には足していない。だから。隠れるものがない。顔。身体。歩き。全部。見える。一歩。二歩。彩が進む。服が。あとからついてくる。奏が見つけた裾の動き。佐久間が残した
午前十一時二十分。 RE:CODE MODE CONTEST。 クロスリンク・エンタメの作業スペースでは、三着の候補が並んでいた。 真壁ミラは、その前に立っている。 一着目。 今までのミラを、最も綺麗に見せる服。 二着目。 身体の線を強く出す服。 そして。 三着目。 肩から腰へ落ちるシルエットが、少しだけ不安定だった。 歩き方を間違えれば。 服に負ける。 けれど。 成立した時は。 一番、今までの真壁ミラから遠い。 桐島誠司が聞いた。 「どれにしますか」 ミラは一着目を見る。 悪くない。 むしろ。 安全だった。 自分の見せ方も分かる。 歩き方も分かる。 どこで視線を取ればいいかも。 全部。 知っている。 「これじゃないです」 桐島は理由を聞かなかった。 二着目。 ミラは少し見る。 「これも違う」 最後に。 三着目へ触れる。 「これで」 桐島が初めて聞いた。 「理由は?」 ミラは布から手を離す。 「今までの私じゃないからです」 少し離れた場所で。 南条圭介がスマートフォンを下ろした。 さっきまで。 準備風景を記録していた。 写真。 短い動画。 桐島との会話。 衣装を捨てた瞬間。 真壁ミラが。 何を選び。 何を捨てたのか。 全部。 残している。 ミラがそれを見る。 「南条さん」 「はい」 「それ、今日出すんですか」 南条は少し考えた。 「使えるものはあります」 「SNS?」 「SNSも。メディア向けも」 ミラは三着目の衣装へ視線を戻す。 「出さないでください」 南条の手が止まった。 桐島は口を挟まない。 「理由、聞いても?」 ミラは少しだけ息を吐く。 「今」 一拍。 「自分を見せる時間じゃないので」 南条が黙る。 「今日は、勝つために来てます」 「分かっています」 「途中の私を見せて、話題を取るためじゃない」 声は強くない。 でも。 迷いもなかった。 「今は、モデルに集中したいです」 南条はスマートフォンを見る。 削除はしない。 ただ。 画面を伏せた。 「分かりました」 それだけだった。 ミラは少し意外そうに見る。 「もっと言われると思いました」 「何をです?」 「移籍して最初の大きな仕事です」 一
第96話《残すもの》 午前十一時。 RE:CODE MODE CONTEST。 良太は。 いや。 良太の身体を借りたレイラは。 彩を歩かせていた。 白いTシャツ。 ジーンズ。 まだ本番用の衣装ではない。 メイクもしていない。 一往復。 二往復。 レイラは声をかけない。 ただ見る。 一歩目。 迷いはない。 歩幅も縮んでいない。 右肩は上がらない。 ターンの直前で足も止まらない。 呼吸。 浅くない。 視線。 周囲は見えている。 けれど。 周囲に引っ張られてはいない。 彩が戻ってきた。 「もう一回?」 「いや」 良太の口から答える。 「もういい」 彩が止まる。 レイラは、その顔を見る。 緊張していないわけではない。 観客。 カメラ。 御堂玲奈。 真壁ミラ。 自分より長くモデルを続けてきた人間ばかり。 怖くないはずがない。 それでも。 彩の身体は逃げていなかった。 「彩」 「はい」 「怖い?」 「怖いです」 返事は早い。 「何が?」 彩は少し考えた。 「失敗するのも」 一拍。 「見られるのも」 「帰りたい?」 今度は。 少しだけ笑った。 「それはないです」 レイラの口元も、わずかに上がる。 以前なら。 大丈夫です。 そう答えていただろう。 今は。 怖いものを怖いと言う。 そのうえで。 立っている。 身体の奥で、良太が聞いた。 《どう?》 レイラは彩から目を離さない。 《かなりいい》 《そんなに?》 《呼吸が乱れてない。肩も逃げてない。床も怖がってない》 一拍。 《それに》 彩は。 観客席のどこかを一度見た。 神谷章介がいる場所。 すぐに前へ戻る。 《揺れても、自分で戻ってくる》 良太は黙った。 レイラは思う。 今日の彩は。 整っている。 完璧ではない。 完成してもいない。 けれど。 本人が。 ちゃんとそこにいる。 だったら。 外から完成形を被せる必要はない。 * 「七瀬」 「何?」 「始めていい」 七瀬がメイク道具を手に取る。 「やっと?」 「でも、作りすぎないで」 七瀬の手が止まった。 「どういう意味?」 「今日の彩、調子いいから」 「それは見れば分かる」 「なら、消さないで
午前十時十五分。 RE:CODE MODE CONTEST。 チーム彩は、まだ会場を出ていなかった。 他のチームでは、すでに何人ものスタッフが街へ向かっている。 ブランドショップ。 化粧品売り場。 資材店。 今日の光、床、気温、湿度。 その条件に合わせて、より良い選択肢を増やすために。 けれど。 良太は佐久間博之の衣装ケースを見下ろしていた。 その身体を動かしているのは、レイラだ。 それを知っているのは、身体の内側にいる良太だけだった。 「全部出して」 佐久間が顔を上げる。 「全部ですか?」 「候補になってるもの」 佐久間がケースを開く。 本番用の衣装。 予備のパーツ。 素材違いの付属品。 奏も小物を並べる。 七瀬も、使う可能性のあるメイク道具を机へ置いた。 思っていた以上のものが、彩の前へ並んだ。 奏が聞く。 「ここから選ぶんですか?」 「ううん」 良太の口から、迷いのない声が出る。 「捨てるの」 三人が止まった。 「今日、使わないものを決める」 小物を一つ指す。 「これ、いらない」 奏が目を丸くする。 「昨日まで候補でした」 「昨日はね」 次。 「これも」 佐久間が聞く。 「理由は?」 「今日の光だと、服より先に目へ入る」 さらに七瀬の道具を見る。 「その色も使わない」 七瀬が眉を上げた。 「まだ顔を作ってないけど」 「だから分かる」 良太の視線が彩へ向く。 白いTシャツ。 ジーンズ。 ノーメイク。 何も足していない。 「今日は、足さない方が強い」 奏が並んだ小物を見る。 「でも、ノルディさんに見せるなら、もっと特徴を出した方が……」 「やめた方がいい」 答えは早かった。 「ノルディは、何を持ってきたかだけ見ない」 佐久間が顔を上げる。 「じゃあ、何を?」 「何を捨てたか」 一拍。 「そこも見る」 七瀬が良太を見る。 今日の社長は。 やはり言い切る。 しかも。 ノルディを知っている人間のように。 * 身体の内側で。 良太が聞いた。 《本当に?》 《何が》 《何を捨てたかまで見るって》 《見るわよ》 良太の視線が、審査員席へ一度だけ向く。 《完成したものだけ見てる人じゃない》 《じゃあ何を見るんだよ》 《選んだ
午前十時。RE:CODE MODE CONTEST。大型スクリーンの数字が切り替わった。《10:00:00》会場内のざわめきが消える。司会者がステージ中央へ立った。「ただいまより、RE:CODE MODE CONTEST、ファイナルセッションを開始します」スクリーンに。《5 HOURS》その下へ。《FINISH 15:00》の文字が現れる。「午後三時までの五時間、衣装、ヘア、メイク、スタイリング、その他必要な準備は各チームの裁量で行ってください」一拍。「会場外への移動も自由です」「ただし、午後二時五十分までに会場へ戻れなかったチームは失格となります」空気が少しだけ張る。「時間も含めて、皆さんの選択です」司会者が正面を見る。「それでは」一拍。「始めてください」《START》その文字が表示された瞬間。会場が動いた。*走り出したのは。モデルではなかった。スタッフだった。電話をかける者。衣装ケースを持って出口へ向かう者。事前に調べていたブランドショップへ連絡する者。化粧品売り場へ向かう車を手配する者。始まった瞬間から。十六チームは、それぞれ違う方向へ広がっていった。持ち込んだものだけで完成させる必要はない。だからといって。何も考えず街へ出ればいいわけでもない。今日の気温。湿度。会場の空調。照明。床の反射。ステージ背景。カメラの位置。観客との距離。事前に用意した服や化粧品は。あくまで。今日使える選択肢の一つだった。条件を見て。最善を選び直す。そのために。準備のできているチームほど。選択肢を多く持っていた。*午前十時二分。HORIZON。御堂玲奈は。動かなかった。椅子に座り。水を一口飲む。それだけだった。その周囲では。八人のスタッフがすでに動き始めている。「照度、事前想定より少し高い」「床反射も強いです」「正面より、復路側の方が光を拾います」「衣装候補、二番を残して。一番は一度外す」久我沙織がタイムテーブルを確認する。「追加調達は?」「必要です」「誰が行く?」「私とアシスタントで」返事と同時に二人が立つ。玲奈は顔すら上げなかった。自分が行く必要はない。どのブランドなら。どのサイズが玲奈に合うか。どの丈なら。何センチのヒー
歌原レイラ(25歳)――死まで、あと三年。 妹を守る戦いは、 もう後戻りできない領域へと踏み込んでいた。 1 マンション前・夕方 レイラの部屋で過ごした帰り、 彩はまだ温もりの残る廊下を抜けて、マンションのエントランスに姿を現した。 エントランス前。 建物の影に、数人の記者が静かに待ち構えている。 新人記者 「あ……! 歌原レイラさんの妹さん! 裁判について――」 その瞬間、 ベテラン記者が新人の腕を強く掴んだ。 ベテラン 「やめろ。映像もインタビューも禁止だ」 新人 「え? でも――」 ベテラン 「知らないのか。 レ
歌原レイラ(25歳)――死まで、あと三年。歌原彩(13歳・中学一年生)。妹を守るための戦いは、いよいよ――法の場へと踏み出そうとしていた。1 レイラのマンション・朝白い床の中央。彩は裸足で立っている。足は肩幅より、わずかに狭く。つま先は、ほんの数度だけ外側。レイラ「まず、立ち方」彩は息を整え、背筋を伸ばす。レイラ「踵に体重を置かない。 足の裏、三点。 親指の付け根、小指の付け根、踵」レイラ「そこに“均等に”乗せ
──守るべきものと、切り捨てるもの──歌原レイラ(24歳)――死まで、あと四年。その夜、彼女は初めて「家族」という言葉を、判断の外に置いた。1 歌原家・居間(夜)古びた照明が、テーブルの天板だけを白く照らしている。壁には色あせた家族写真。新聞、空き瓶、使われなくなった家電の箱。片づけられないままの生活の痕跡が、居間を占拠していた。テーブルを挟んで、父・和人と母・陽子。向かいに、歌原レイラ。彩は、廊下の影に身を寄せ、息を潜めて様子をうかがっている。壁掛けテレビには、消音のままランウェイを歩くレイラの姿。世界に向けて流れる映像と、この家の空気は、噛み合っていなかった。
歌原レイラ(24歳)―― 死まで、あと四年。 その春、日本を揺るがした会見の余波は、 妹・彩の未来にも、確かに刻まれていった。 1. レイラのマンション ――アレッサンドロ・ノルディ(49歳)。 イタリアの至宝。 ファッション界の帝王にして、 沈黙そのものが声明と同義の存在。 私は、策を巡らせていた。 二年連続で、 ノルディ・コレクションのクロージングを務めた私が、 その舞台を辞退すれば―― 彼は、きっと何かしらの反応を示す。 たとえ沈黙であっても、 それは私を肯定する証になるはずだった。 しかし――。 まさか、来日し、 首相の隣に立って、 私について語る