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『嗜好性と思考性の両立』

last update Date de publication: 2025-11-23 19:06:08

「見た目は初恋の“あの娘“に似ていて、性格は小説の“あの娘“に似てるだなんて最高じゃん。いいとこ取りだよ。A5ランクの肉の上に、大トロ乗せましたみたいなもんだね」

 頬杖をつきながら、飄々とする薪無先生。

「やり過ぎですよ。どう考えても食べ合わせクソでしょ。そんなの絶対胃もたれしますから」

「まー、私はそうかもしれないけど、少年はまだ若いんだから、食べれるでしょ」

 はぁ。とため息をつく僕。

 僕はまた、都心から1時間もかけて電車で下り、小さな町、星葉《せいよう》町まで訪れていた。

 今日マキナ医院まで来たのは、昨日のマイの件で、いてもたってもいられなかったのだ。

「夢乃マイ、先生の処方した女の子ですよね?」

「はて? そんな名前の娘はいたかな? 覚えてないや。すまんな少年」

 とぼけておどけた態度を見せる。

 白々しい。絶対に認めない気だ。

 ──ちくしょうめ。

 僕は手のひらの上で踊らされているような気分になり、頭をぐしゃぐしゃと掻いた。

「だから、少年じゃないって言ってますよね? タバコ。吸いますから僕」

 すると、薪無先生はニヤリと不敵に、またあの顔で笑った。

「ああ、これ? アークロイヤル・パラダイスティー。わざわざ巻きタバコだなんて 、ガキなのに生意気だね! 最近の若者は背伸びし過ぎだよ、ほんとにさぁ〜!」

 僕のカバンから、タバコ葉が入ったパッケージを摘み上げて、こちらに見せる。

 やっぱり怪しい。これはやられた気がする。

「初診の時からおかしいと思ってたんですよ。どうしてこの病院は受付でカバンを取り上げられるんですか?」

 そう、マキナ医院では、診察前に持ち物一式を看護師さんに渡す必要があった。

 だから僕は、そこでタバコの中身を“幻覚作用のある煙“に入れ替えられたのだと勘繰ったのだ。

 睨む僕の視線に気が付くと、笑っていた薪無先生は、こめかみを掻きながら真剣な表情に変わった。

「あー、それはマジレスしていい? 他の病院がどうかは知らないけどさ、ウチは精神的な治療をする病院だからね。ぶっちゃけ危ないんだよ。治療に不満があったり、症状が悪化しちゃったりした患者さんは何するかわからない。切羽詰まった人間は、私の事なんて簡単に殺すからね。ただ危険物を持ち込まれないようにしてるだけさ」

 な、なるほど……。

 その答えに僕は、ぐうの音もでなかった。

 確実な理由だと、納得してしまったのだ。

 少しばかり悔しくなって、下唇を噛んだ僕を嘲笑するように、薪無先生は顔の緊張を解いた。

「これ、一本もらって良い? 一回巻いてみたかったんだよね! どれどれ、上手くできるかなぁ!」

 僕が何も許可せずとも、袋を勝手に開け、手元でローラーをカチャカチャと弄り始める。

 何だ、説明しなくても出来るのか、すごいな。

 と僕は変に感心してしまっていた。

 最後、巻紙の糊を舐める工程にまで達した時。

 んれぇ──と。

 薪無先生は、舌を出した。

 てらてらと唾液を反射させるピンク色の長い舌だった。

 膜のような薄い半透明の巻紙に、舌先がゆっくりと優しく触れる。

 髪の毛で少し隠れた目線を口元に落として、れろっと、舌を横にスライドさせた。

 その光景に僕は、なんだか凄く見てはいけない物を見てしまった気分になり、思わず生唾をのんでしまう。

「これでいいのかな? そんで、くるくるっと。おお! できたぞ! どうだい少年! 結構上手いだろう!」

「え、あ、はぁ。上手いんじゃないですか……」

 大人の男の色香というものだろうか。

 恥ずかしくなった僕は、頬に熱を感じてしまい、ぷるぷると首を横に振ってその熱を放った。

「これで私は巻きタバコ童貞を捨てた訳だ、これは実にワンダラーだな!」

 いや、なんでドイツ語……。

 ああ、そうか。一応この人医者だったな……。

 なんて思いながら、子供のようにはしゃぐ薪無先生をジト目で眺めていると、先生は巻いたタバコを口に咥え、慣れた手つきで火を灯した。

「え! ええ!? ちょ! 診察室で喫煙はまずいでしょ!? やっば! 何考えてるんですか!!」

 僕は立ち上がり、大声で薪無先生へ声を飛ばす。

 しかし、当の本人はにんまりとした笑顔で、鼻から煙を吐いた。

「ここは私の城だ。私のしたいようにするのさ。それに、私は童貞を捨てたんだから、最後までちゃんとイかないとダメだろ。中折れは恥ずかしいからね。理由は意味を成して、結果を連れてくる。巻いただけで吸わないなんてありえないね」

 な、なんてわがままな……。

 これが良い大人のする事か……。

 数人いる他の看護師さんから怒られるんじゃないかと、何故か僕の方がハラハラしてしまう。

 そんな不安を吹き飛ばすように、薪無先生は話題を変えた。

「人は想像するアレを“幻覚作用のある煙“……なんて一口に言うけれども。その実は誰もが内包するEBS……CB1、CB2の受容体に、体外から取り入れた植物性のものが結合し、様々効果を発揮するってメカニズムだ。あれを完璧な毒だと言い切るのなら、毒を受容するものが最初から人間の体に備わってる事になる。それはなんだか不思議な事だと思わないか?」

 一体何を言ってるのか、全くわからなかった。

 ただ、懸念していたワードと、難しい話が一緒くたになって出て来て、僕は酷く焦るしかなかった。

「それは僕の勘繰りを予想して、話してるんですか?」

 それに薪無先生は、やけに分かりづらく不明瞭に頷いた。

「まあー、とかく言えるのは、たかだか何かの煙を吸ったところで、そんな簡単にはっきりと立体物が見えて、自由に掴めたり、お話ししたり出来る訳じゃないって事。人の記憶や精神に作用するものの中には、もっと単純でヤバいものが存在するからね」

「もっと単純でヤバいもの?」

 誰にも何にもかまう事なく、煙をやりたい放題診察室に撒き散らした薪無先生は、僕を見て人差し指を立てる。

「それはね、匂いだよ」

 ──すると。

 診察室から、仰々しい病院の匂いが消えて。

 タバコから出る、紅茶の甘い匂いで満たされてる事に、僕はやっと気が付いた。

「まあ、本当は聴覚や視覚、他にも色々あるんだけど。例えば、実家の畳の匂いを嗅いで、少年時代を思い出したり。晩夏の匂いを嗅いで、秋を感じたりするだろう? ……君はまだ少年だから、あまり馴染みがないかも知れないけど、『エモい』みたいな言葉が流行ったのは、そういう五感から来る記憶を想起させるからだと思うんだ。時に感覚は、記憶と強く結びつくって事よ」

 匂い……確かに。

「それは生物本能的にも言える。人はアポクリン汗腺がある腋から発情フェロモンが出るっていうじゃない? 近親交配を避ける為に、家族のニオイには性的興奮を覚えないように出来てるとも聞くし、逆に相性のいいペアはニオイだけで惹かれあったり、興奮したりするらしいからね。だから最初から備わっているナチュラルな身体の五感を、あまり舐めない方がいいって事だね」

 そうか、それで僕は……。

「だからさぁ。この充満する紅茶の香りにも、きっと何か理由があるんじゃないの? ……少年?」

 そう言って薪無先生は、フィルターのギリギリまで吸ったタバコを、靴の裏に押し付けて──

 消した。

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