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第4話

Author: Hayama
last update publish date: 2025-12-30 12:30:00

「そうみたいって、そんな人と結婚させられるかもしれないんだよ?」

樹様の声が、少しだけ強くなった。

その怒りは、私のためのものだった。

彼の優しさが、私を縛る。

逃げたいのに、逃げられない。

彼の言葉に応えたい気持ちと、応えてはいけないという理性が、胸の中でせめぎ合っていた。

「覚悟は…していたので」

私は小さく息を吐きながら、そう答えた。

いつか、いつかこんな日が来ると。

覚悟していたはずなのに、心はまだ抗おうとしていた。

ほんのわずかでも、奇跡を信じていた自分がいたことに気づいて、私はそっと唇を噛んだ。

痛みで、余計な感情を押し込めるように。

「そんなのダメだよ。破談にするべきだって俺が──」

彼の言葉が、私の心を大きく揺さぶった。

その真っ直ぐな想いが、私の胸に突き刺さる。

けれど、私はそれを受け止めることができなかった。

彼が動けば動くほど、彼が傷つく。

もう、終わったことなのに。

私のために、これ以上、傷つかないで。

「それはいけません」

私は、思わず彼の言葉を遮っていた。

自分でも驚くほど、はっきりとした声だった。

私の中にある最後の理性が、彼を守ろうとした結果だった。

これ以上、彼に踏み込ませてはいけない。

私のために、彼が傷つくのはもう見たくなかった。

彼が声を上げれば上げるほど、この家の怒りは彼に向かう。

それが、どれほど危ういことか、私は誰よりもよく知っていた。

「どうして…」

樹様の声が、かすかに震えていた。

その響きに、胸が締めつけられる。

彼の目が、まっすぐに私を見ていた。

「頼んでみたところで何も変わりません。それどころか父を刺激すると、樹様がここにはいられなくなってしまいます」

私は、できるだけ冷静に言葉を選んだ。

感情を抑えて、事実だけを並べるように。

彼のことを思えばこそ、これ以上の関わりは危険だった。

お父様の怒りを買えば、彼はこの家から追い出されるかもしれない。

それだけでは済まないかもしれない。会社のことだって…。

「俺はそんなのどうでもいい」

その言葉に、私は目を見開いた。

やっぱり、この人は…。

あなたなら。樹なら、きっとそう言うと思った。

でも、私はあなたのように強くなれない。

だからこそ、あなたを守るために、私はあなたを突き放さなければならない。

それが私にできる、最後の優しさだった。

「私が嫌なんです。私のせいで樹様にまで迷惑をかけたくありませんから」

私は、彼の目を見つめて言った。

むしろ、誰よりもあなたと一緒にいたかった。

本当は、もっと一緒にいたかった。

もっと、あなたのそばにいたかった。

でも、私の存在があなたを傷つけるなら、私はあなたの前から消えるべきだ。

「迷惑なんて、」

彼の声が、かすかに震えていた。

私は、彼の幸せを願っている。

だからこそ、ここで終わらせなければならない。

どれだけ辛くても、どれだけ未練があっても。

私は、彼のために手を離すと決めたのだから。

「今までありがとうございました。樹様がいてくれたおかげで、私は私のままでいられました。これからもずっと…幸せでいてください」

言葉を紡ぎながら、胸の奥がじんじんと痛んだ。

これが、きっと最後の会話になる。

だから、せめて感謝だけは伝えたかった。

あなたがいてくれたから、私は自分を見失わずにいられた。あなたのまなざしが、私をひとりの人間として見てくれたから。

それだけが、私の救いだった。

だから、どうか──────

あなたはあなたのままで。幸せでいてほしいと。心から願った。

きっと樹様と話せるのも、これで最後になるはずだから、最後に自分の気持ちを伝えたかった。

けれど、口にすることはできなかった。

喉の奥までせり上がってきた言葉は、どうしても声にならなかった。

"これからもずっと、愛しています"

たったそれだけの言葉が、どうしてこんなにも遠いのだろう。

言えなかったことを、きっと私は後悔する。

でも、それでもよかった。

この想いは、私の中にだけあればいい。

誰にも知られなくても、

誰にも届かなくても、

それでいい。

私は、心の中でだけ、そっと呟いた。

これからもずっと、あなたを想っています。

「…花澄」

彼の目が、何かを言いたげに揺れていた。

もう少しだけ、違う形で生まれていれば。

もう少しだけ、違う形で出会えていれば。

そんな“もしも”を思い描いてしまう自分も、今日で最後にするから。

「さようなら」

私は微笑みながら言った。

その笑みが、どれほど不自然だったかは、もうどうでもよかった。

彼の前では、最後まで笑っていたかった。

悲しみを見せたくなかった。

だから私は、精一杯の笑顔で、別れを告げた。

あなたが幸せでいてくれることが、私の幸せです。

そう思えるほど、私は彼を愛していた。

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