تسجيل الدخول水曜日。
駿は部活を休み、複合商業施設に向かった。 ◆◆◆ 館内は、穏やかなBGMが流れており、夕方ということもあって、多くの人が買い物をしていた。 到着すると、既に、美生が待っていた。 エコバッグを片手に、こっちに気づいて手を振った。 「ごめん、待たせた?」 「うんうん、大丈夫だよ」 昔から変わらない柔らかな笑顔。 その笑顔を見るたび、少しだけ肩の力が抜けた。 中へと入り、最初に向かったのは日用品売り場だった。 女性用のシャンプーのコーナーへと向かい、結が使ってるシャンプーを探す。 棚一面に同じようなボトルが並んでおり、色も形も似ている。 香り違い、詰め替え用、限定パッケージ。 似たようなシャンプーばかりで、頭がちんぷんかんぷんしてしまう。 取り敢えず、それっぽいシャンプーを美生に聞いて入れることにする。 「結がシャンプー買ってきて欲しいって言ってたんだけど、これでいいの?」 「違うよ」 即答で答えた美生は、棚の奥から一本のシャンプーを取り出した。 「結ちゃんが欲しいって言ってるシャンプーはこっち」 「そうなんだ…….どれも似たような物ばかり全く分からない」 「男性のシャンプーも、どれも似たようなものばかりで、同じくらい分かりにくいと思うよ」 「そう?」 「うん。それに、駿君の家庭事情もあるけど、駿君が結ちゃんの欲しい物を買い間違えないようにするのも込みで、私が一緒に来ているんだから」 優しく答える美生に頭が上がらない。 「ほんと、毎回ありがとう」 「どういたしまして」 シャンプーのコーナーを後にして、必要なものをかごへと入れていく。 洗剤。 ティッシュ。 スポンジ。 どれも家に必要なものばかりだった。 高校に入ったのと同時に、お父さんの仕事が増え、美生とこうして買い物する機会ができた。 最初は、不思議な感覚だったが、今は当たり前となっていた。 日用品の会計を済ませ、夕飯の買い物をした後、美生と帰り道を並んで歩く。 夕暮れが少しずつ街に落ちていた。 「そういえば、最近果奈ちゃん変わったと思うの。なにか心当たりない?」 足が一瞬止まりかける。 果奈と美生は一年生の時に同じクラスになり、意気投合して親友となった。 今はクラスが違うが、連絡し合ったり、休日も共に遊ぶほどの仲で、二年生になる前から、美生と話していると、たまに果奈の話題が出ることもあった。 「……そうなんだ」 「うん」 美生は前を向いたまま続ける。 「前よりも更に明るくなった気がする」 胸の奥が小さく跳ねた。 周りから見ても分かるほどなのか。 その事実に、少し嬉しくなる。 「もしかして、誰か好きな人でも出来たとか?」 びくりと肩が揺れる。 それを誤魔化すように、視線を逸らした。 「……そうなのかな」 なんでもない口調。 けれど、鼓動は少し速くなっていた。 「なんでそう思ったの?」 「なんとなくそんな感じがしただけ」 なんでもいいから話題を逸らしたくて、咄嗟に質問してみる。 「そうなんだ……因みに美生って好きな人居るの?」 した後に、もっと違う質問があっただろと、心の中で後悔した。 「……そうね」 夕陽が横顔を照らしていた。 「駿君と同じテニス部の辰巳君はかっこいいと思うけど、今は特にいないかな」 その返答に、駿は小さく息を吐く。 安心したのか。 違うのか。 自分でもよく分からなかった。 「逆に駿君は好きな人は居るの?」 話を逸らす為の質問が、最終的に自分の首を絞めることになり、動揺が走る。 同時に。 頭に果奈の姿が浮かぶ。 笑った顔。 怒った顔。 「またデートしようね」と袖を引いた指先。 即答できる筈だった。 それなのに。 「……俺も、まだ居ないかな」 気づけば、そう答えていた。 息を吸うように。 あまりにも自然に。 言葉が口を出た瞬間、胸の奥に鈍いものが落ちる。 罪悪感だった。 なぜ言えなかったのか、自分でも分からない。 タイミングなのか。 気まずさなのか。 それを無視するかのように、公園にある時計を見る。 見てみると、時間が押していることに気付き、少し急かすように話し出す。 「ヤバい!もうこんな時間か」 「ほんとだ!早く帰らないとね」 結局。 美生に果奈との関係を言えないまま、家に着いてしまった。 美生も家に帰り、明日の準備も終わらせて、寝ようとするが、モヤモヤして寝れないでいた。 天井を見つめると、さっきの会話が、何度も頭の中で繰り返される。 『駿君は?』 『俺も、まだ居ないかな』 言えなかった。 言わなかった。 その違いが、自分でも分からない。 一向にモヤモヤが晴れないので、夜遅いが、直己に電話をかけることにする。 「どうしたんだ駿、こんな時間に?」 「ごめんな、実は相談があってさ」 「何だよ、相談って?」 「今日、美生と買い物に行ってたんだけど……」 「島内さんとね……」 何気ない一言だったが、それだけで、直己の葛藤が伝わってくる。 「俺もなにかしら協力出来ることがあったら、協力しようか?」 「心配してくれてありがとう。でも、自分で何とかするから大丈夫。それでなにがあったんだ?」 大丈夫って言うなら、大丈夫なんだろうと思い、美生に果奈と付き合っていることを言えなくて悩んでいるのだと打ち明かす。 直己は途中で茶化すこともなく、最後まで聞いてくれた。 「なるほどな」 少しの沈黙。 「個人的な意見だけど、もう少し早川さんとの関係が深まったら、島内さんに言えばいいと思う」 真剣に話す直己に、ただただ耳を傾ける。 「駿と早川さんがどこまでの仲になっているのか分からないけど、まだ付き合ってからあまり日にちが経ってないだろ?」 「確かにそうだけど」 「早川さんは分からないけど、駿は人と付き合うことが初めてなんだし、だから今は関係を深めていくのに、集中すればいいんじゃないのか?」 いつもくだらない会話ばかりをしてきた友からのアドバイスに心のモヤモヤが少し晴れる。 「相談してちょっと気持ちが楽になった。ありがとう」 「それはよかった。夜も遅いし、また明日な~」 「また明日」 電話が切れ、スマホを枕元へ置き、目を閉じる。 果奈との時間。 美生との会話。 言えなかったこと。 全部を抱えたまま。 それでも今は。 果奈との関係を大切にしよう。 そして、ちゃんと深まったら、美生へ伝えよう。 そう決めると、ようやく呼吸が少し軽くなった。 決意を固めると、何かから解放されたように。自然と眠りへ落ちていった。昼休み。 駿は購買でパンを買ってから、果奈が待っている倉庫裏へと向かう。◆◆◆ 倉庫裏には、既に果奈の姿があった。 こちらに気づくと、ふわりと笑顔を浮かべる。 その笑顔を見た瞬間、張りつめていた気持ちがふっとほどけた。「ごめん、待った?」「ううん、大丈夫」 そして、いつもの場所へ移動し、お昼を食べながら話し始める。 あの件が起こるまでは当たり前だった光景なのに、今日は何もかもが新鮮で、不思議と心地いい。「クラスに関係がバレたとはいえ流石にクラスで二人で過ごすってのは無理だよな」 果奈はすぐに首を縦へ振り、少し頬を膨らませる。「当たり前でしょ!関係を周りに見せつけてるみたいで嫌」「そうだよね」 そう返した後、空を見上げる。 夏が近づき、青空が広がっていて、吹き抜ける風が心地いい。 隣には果奈が居る。 それだけで十分だった。「でも、場所関係無く、こうして果奈と居れることが一番の幸せ」 飾るつもりはなかったし、格好つけたかったわけでもない。 本当にそう思ったから、そのまま口から出ただけだった。「えっ……」 果奈は一瞬目を丸くする。 頬がみるみる赤く染まっていき、照れ隠しなのか、慌てて顔を逸らした。「果奈どうしたの?」「駿がいきなり変なこと言うから、ちょっと驚いただけ………急にそういうこと言うの、ずるい」「そんなに変なこと言った?」「言った!」 嬉しさを隠しきれていない様子だった。 二人の間に流れる空気は、以前よりも柔らかかった。 きっと一度ぶつかって、本音を伝え合えたからだろう。 そんな穏やかな時間が流れていたその時――。『ガサガサ…』 近くで何かが動く音がして、二人同時にそちらを見つめる。「倉庫の近くで誰かが俺たちのことを見ていたみたい」 果奈も少しだけ表情を引き締めていて、多分あの日の出来事が脳裏を過ったのだろう。 そんな果奈を安心させるように笑った。「ちょっと見てくる」「うん……」 果奈は小さく頷くが、すぐに心配そうな表情になる。「でも、気を付けてね」「大丈夫」 物音が鳴った方向へ忍び足で近づこうとすると、走り去っていく音が聞こえ、走って追いかける。 角を曲がった瞬間、逃げる後ろ姿が目に入り、見慣れた髪型と走り方を見た瞬間、思わず叫ぶ。「直己!」 名前を呼ばれた瞬間、その生
次の日の朝。 目覚ましが鳴る五分前に果奈は自然と目が覚ました。◆◆◆ 天井を見上げ、しばらくそのまま瞬きを繰り返した。 不思議だった。 先週までは朝が来るのが怖くて、目を閉じても不安が消えず、眠っても心は休まらない日が続いた。 けれど今日は違う。 胸の奥にあった重たいものが少しだけ軽くなっている。 一昨日、駿と話せたからだろうか。 そう思うと自然と笑みが浮かんだ。 身支度を整えてリビングへ向かうと、お母さんの早川郁代(はやかわ・いくよ)が朝食の準備をしていた。「おはよう、お母さん」「おはよう、果奈」 お母さんは振り返り、そして私の顔を見ると少しだけ表情を和らげた。「今日は学校、行けそうなの?」 その声には心配が滲んでいた。 先週二日も休んだのだから無理もない。「うん、大丈夫」「なら良かったわ。でも、無理はしないのよ」 その一言が、心の中にじんわりと広がる。 “行かなきゃ”じゃなくて、“行ってもいい”と言われた気がした。 その時だった。 パタパタと足音が聞こえ、眠そうに目を擦りながら弟の早川翔太(はやかわ・しょうた)がリビングへ入ってきた。「ふぁ~……お姉ちゃん、おはよ。今日は学校に行くの?」 その言葉に果奈は少しだけ目を丸くする。 翔太も心配してくれていたのだ。「心配してくれてありがとね。お姉ちゃんもう大丈夫だよ」 そう言って優しく頭を撫でてあげると、翔太は安心したみたいで笑顔を見せる。 私は一人じゃない。 改めてそう思える朝のひとときとなった。 朝食を終え、残りの準備を済ませ、玄関の扉を開いた。「行ってきます」 外に出た瞬間、澄みきった青空が広がっていて、朝の光がまっすぐ降り注ぎ、思わず目を細めてしまう。 まるで空まで応援してくれているような気がした。 そんなことを思いながらゆっくり歩き始める。 通学路はいつもと変わらないけど、景色が少し違って見えた。 先週は下を向いてばかりだったからかもしれない。 学校へと向かう途中、駿といつも別れる場所の近くまでやって来ると、そこに立っている人影を見つける。 近づくにつれ、その姿がはっきりし、同時に心臓が一拍だけ強く跳ねる。「……駿!?」 駿がこちらを振り返ると、少し照れたような顔をしていた。 登校時は人も沢山居るからという理由で別々に登校し
朝のミーティングが終わり、部員たちがそれぞれの練習場所へ散っていく中、駿は顧問の今江先生に呼ばれる。◆◆◆「浅村」「はい」 すぐに先生の元へ向かい、そして頭を下げる。「今江先生、三日間も部活を休んでしまってすみませんでした」 まず伝えるべきは謝罪だと思った。 大会を目前に控えた時期で、チームにも迷惑をかけてしまい、凄く申し訳なかった。「大会も近いんだからちゃんと体調を管理しろよな」 今江先生は小さく息を吐き、少し厳しい声で話した。「だけど、久々に浅村の元気な顔を見れて良かった。大会に向けて頑張れよ」 先生の表情を見る限り、怒っているというより、俺の顔を見て安心しているようだった。 本当に気にしていたのはそこだったらしい。「分かりました。ありがとうございます」 その言葉を残し、練習に合流する。 顔を上げると、コートの白線がいつもよりはっきり見えた気がした。 ストロークの練習をこなした後。 後輩である内田祐希(うちだ ゆうき)とラリー練習することとなった。 祐希は中学三年時に個人戦で全国大会の一歩手前まで行っており、一年生ながらも上級生の練習に参加していた。「浅村先輩、復帰したばかりですけど、いつも通りでいいですか?」「いいよ」 そう返事をしたものの、内心はペースについていけるか不安だった。 三日。 たった三日。 されど三日。 大会前の三日は決して短くない。「では、いきます」 祐希の声と同時にボールが飛んでくる。 ラリーとはいえ、祐希の出す球は早く、少し練習をしなかっただけでも、追いつくので精一杯だった。「くっ……」 身体は反応するが、感覚が僅かにズレてラケットが遅れた。「すいません、もう少し弱めに打ちますね」 祐希が申し訳なさそうに聞いてくるが、首を振った。「そのままで大丈夫、もう一回お願い」「はい」 祐希は前回と同じくらいの威力で球を放つ。 踏み込みを一瞬早め、体幹を残したまま振り抜く。 ボールはネットの上を薄く越え、相手コートのラインを舐め、ラリーが始まる。 一球。 二球。 三球。 今度は返せた。 身体が少しずつ思い出していく。 足の運び。 打点。 ラケットの感覚。 まるで、眠っていたものが目を覚ましていくようだった。 今度は俺がサーブを放ち、ラリーが始まる。 今回
次の日の朝。 目覚ましが鳴る十分前、駿は自然と目を覚ました。◆◆◆ カーテンの隙間から差し込む朝日が、静かに部屋を照らしている。 天井を見上げながらゆっくり息を吐く。 昨日と同じように、胸の奥に淀みがなかった。 ある程度の準備を終わらせて朝食を食べていると、結が眠そうにしながら起きてきた。「兄さん、おはよう。今日は部活行くの?」「流石に今日は行かないとな。部内戦も近いし」「気持ちは吹っ切れた?」「吹っ切れた。改めて心配させてごめん」「ほんとそうです。兄さんは元気が一番なんだから」 口調は相変わらず棘があるけど、その棘の奥にある優しさくらいは分かるようになっていた。 そして、全ての準備を終わらせて家を出た。 学校に着き、部室に入ると、そこには隆二の姿があった。 ロッカーは近く、普段なら何気なく話しながら準備をする距離だ。 けれど、互いに言葉を発することが出来ず、静かな空気だけが流れる。 ロッカーを開ける音。 ラケットケースを持ち上げる音。 そんな些細な音だけが部室に響いていた。 やがて隆二が先に準備を終える。 そして――。 深く息を吸う。 その姿を見た瞬間、何か俺に話そうとしているのだとすぐに分かった。 「浅村」そう呼ばれた瞬間、思わず肩に力が入った。「どうしたんだ、隆二」 隆二が勇気を持って話しかけてくれたのだから、無視しちゃ駄目だと思い、何もなかったかのように返事に応じた。「実は、浅村が早川の手を引いて走って行くところ見ていたんだ……なのに、浅村の力になれなかった。挙句にその前は2人が付き合ってるのに、自分勝手な頼みをしてしまって……」 隆二が頭を下げて謝ってきた。「本当にごめん」 その姿を見て、少しだけ目を閉じ、この数日を思い出す。 怒りもあった。 苛立ちもあった。 けれど今となっては分かる。 隆二も苦しかったのだ。「謝る必要ないよ。そもそも俺が隆二に言ってなかったから、知らないのはしょうがないし、俺もあの時は感情的になりすぎた。ごめん」 自分にも非があったと認め、同じように頭を下げて謝った。 数秒の静寂が流れ、隆二と同じタイミングで顔を上げ、目が合う。 その瞬間。 どちらともなく笑っていた。「あースッキリした。浅村とずっとギスギスした関係で居るのは無理だわ」「俺もだよ
家に帰った後、駿は自室のベッドに腰を下ろした。◆◆◆ 大きく息を吐く。 窓の外では夕暮れが少しずつ夜へと変わり始めていた。 果奈と話し、ちゃんと向き合えた。 それだけのことなのに、張り付いていた重たい何かが嘘みたいに軽くなっている。 学校へ行けば色々あるかもしれない。 それでも。 果奈の笑顔を思い出すだけで、不思議と大丈夫な気がした。 そんなことを考えながらスマホを取り出し、美生と直己へLINEを送る。『果奈とちゃんと話せた。上手くいった』 送信してから数十秒も経たないうちに、美生から返信が来た。『良かった』 短い一言だけど、その言葉だけで本当に心配してくれていたことが伝わってくる。『果奈ちゃん、次の月曜日から学校に来れそう?』 今日の果奈の表情を思い出した。 肩を震わせながら泣いていた姿。 そして、最後に見せてくれた笑顔。 あの笑顔なら大丈夫だと思えた。『果奈は必ず来るよ』 そう返信すると、すぐに安心したような表情のスタンプが送られてきた。 それから改めてメッセージを打つ。『ありがとう』『美生の言葉がなかったら、果奈とちゃんと話せなかったと思う』 少しして返信が来る。『私の言葉もあったかもしれない』『でも一番は駿君の果奈ちゃんへの想いだよ』『多分、私が何もしなくても、そのうち駿君は果奈ちゃんのところへ行ってたと思う』 その言葉が少し不思議だった。『何でそう思ったの?』 そう送ると、とてもシンプルな返事が来た。『駿君が悩んでる様子を見れば分かるよ』『それだけで?』 思わず聞き返す。『それだけで分かるよ』
次の日の朝。 目覚ましの音と共に、駿は目を覚ました。◆◆◆ ここ数日の中で一番目覚めの良い朝で、重苦しく胸を塞いでいた霧が少しだけ晴れたような感覚がある。 問題が解決したわけではないし、果奈が受けた傷も、自分の後悔も消えてはいない。 それでも――。 もう逃げるのは辞めようと思えた。 ベッドから起き上がると、すぐにスマホを手に取り、部活の顧問である今江先生に、深呼吸を一つして発信した。「おはようございます、浅村です。今江先生すいません、今日もあまり体調が良くないので、部活休ませてください」 昨日までは現状から逃げる為に部活を休んでいた。 けれど今日は違う。 向き合う為に休む。 その違いだけは、自分の中で確かだった。「分かった。最後にいいか浅村」「はい」「明日から部活、来れるな?」 責めるでもなく、説教するでもなく、ただ戻って来いと言ってくれている。 その事実が妙に嬉しかった。 電話越しでも分かるくらい、今江先生の受け答えが昨日と違うなと感じた。「はい!」 体調不良を理由に休む人間とは思えないほど力強い声が出て、一瞬自分でも笑いそうになる。「よし。待ってるからな」「すいません、ありがとうございます」 部活を休む電話だった筈なのに、不思議と背中を押された気分だった。 身支度を整えて、美生から教えてもらった情報を頼りに果奈の家へと向かう。 一歩進むたびに緊張が増していく。 何を言えばいいのか。 どんな顔をすればいいのか。 それでも足だけは止まらなかった。 果奈の家に着き、インターホンを押す。「……はい」 スピーカー越しに聞こえた
果奈に流されるまま、駿は映画館へと向かった。 ◆◆◆ 映画館は休日ということもあり、様々な人たちで賑わっていた。 「私、観たい作品があるのだけどそれでもいい?」「いいけど、どんな作品?」「恋愛もの。ラスト泣けるって友達が言ってたから気になってたんだよね」「そうなんだ」 特に観たい作品も無かったし、一緒に見られればそれでいいと思い、この作品を観ることにする。 作品のタイトルは『失いたくない』。 主人公がヒロインへの告白から始まる恋。 想いが通じ合い、幸せな結末へ向かう筈だったが、ヒロインが通り魔に刺されてそのまま死んでしまう。 絶望していた主人公がヒロインの真実
週末。 午前中の部活を終え、駿は家に戻るとすぐシャワーを浴びた。 ◆◆◆ 髪を洗って、流して。 念のためもう一度首元にシャワーを当てる。 絶対に汗の匂いが残らないよう、念入りに身体を綺麗にする。 (気にしすぎだろ) そう思ったが、手は止められない。 今日は、果奈と二人きりで出かける。 考えるだけで、落ち着きを保てなくなっていた。 シャワーを終え、家にある姿鏡の前で服を広げる。 候補が何着も並んでおり、着てみては脱ぎ、鏡を見る。 しっくりくるやつもあったが、すぐに違う気がして、また着替え直す。「……何やってんだ、俺」 服選びがただの繰り返し作業へ
駿が倉庫裏に着いた時、早川さんの姿はまだなかった。 ◆◆◆ 夕焼けに染まった校舎の影が、静かに地面へ伸びており、風が吹くたび、木々がかすかに揺れていた。 スマホの時間を確認するが、まだ数分しか経っていない。 本来なら、早川さんが所属するバドミントン部はテニス部よりも早く終わって、待っているはずだった。(……練習、長引いてるだけだよな) そう思おうとするのに、別の考えが勝手に浮かんでくる。 疑いたくないのに、疑ってしまう。(何考えてんだよ、俺) 頭では分かっている。けれど、不安は理屈じゃ止まらない。 胸の奥に、小さな黒いものが広がっていく。 その時だった。 「
翌朝。 駿は目覚ましが鳴る少し前に、自然と目が覚めた。 ◆◆◆ カーテンの隙間から差し込む朝の光が、やけに眩しい。 ぼんやり天井を見上げながら、小さく息を吐く。 胸の奥が落ち着かない。だけど、嫌な感覚ではなかった。 むしろ逆だ。 何かが始まってしまった後特有の、ふわつくような高揚感。 昨日の放課後。 夕陽。 震える声。 思い返した瞬間、身体が熱くなる。 枕に顔を埋めたくなるくらい恥ずかしいのに、何度も思い返してしまう。 (……付き合ってるんだよな、俺たち) まだ実感は薄いけど、昨日の出来事を頭の中で繰り返すたび、少しずつ現実が輪郭を持







