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壁ドンされた運命の瞬間

Author: 吟色
last update Last Updated: 2025-08-03 02:37:46

カイルの熱が下がってから三日が過ぎた。

彼の体調は完全に回復したけれど、私の心は複雑になるばかりだった。あの時聞いた寝言が、頭から離れない。

「愛してるのに」「命令だ」「選べない」

彼も苦しんでいたのかもしれない。私を殺さなければならなかった、何かの事情があったのかもしれない。

でも、それが分かったところで、どうなるの?

私は台所で一人、夕食の準備をしていた。カイルは薪を取りに外に出ている。この数日、彼は私にべったりで、一人の時間がほとんどなかった。

きっと、あの悪夢が怖いのだろう。私がいないと、また苦しい夢を見るのかもしれない。

「ただいま」

カイルが薪を抱えて戻ってきた。その顔を見た瞬間、胸がドキッとした。

整った顔立ち、優しい瞳、でもどこか陰のある表情。記憶を失っているとはいえ、やっぱりこの人は美しい。

「お疲れ様」

「いい匂いだな。何を作ってるんだ?」

カイルが私の後ろに立った。背中に彼の体温を感じて、心臓が早鐘を打つ。

「シチュー。あなたの好物だと思って」

「好物? なぜそう思う?」

振り返ると、カイルが首をかしげていた。

「何となく……直感よ」

本当は、あの夜のことを思い出したから。私を殺した後、彼が何かを呟いていた。「シチューが食べたかった」と。意味不明だったけれど、印象に残っていた。

「直感か……」

カイルが微笑む。

「君の直感は当たってるかもしれない。すごく美味しそうだ」

彼が私の肩に手を置いた。その瞬間、ゾクッとした。

「リア……」

「何?」

「この数日、君をひとりにするのが怖くて」

カイルの声が震えている。

「なぜか、君がいなくなってしまいそうで」

「いなくならないわよ」

「本当に?」

「本当」

でも、心の中では確信が持てなかった。いつか、真実を知った時——この関係は終わってしまうかもしれない。

「君を失うくらいなら、俺は——」

「何?」

カイルが言いかけて、口をつぐんだ。

「何でもない」

でも、その瞳に宿った感情は、ただの愛情じゃなかった。もっと激しくて、危険な何か。

-----

夕食の後、私たちは暖炉の前に座っていた。

炎が揺れて、部屋に温かい光を投げかけている。平和な光景。でも、空気には緊張感が漂っていた。

「リア、俺に隠してることはないか?」

カイルが突然、口を開いた。

「隠してること?」

「君は時々、すごく悲しそうな顔をする」

ドキッとした。気づかれていたのね。

「そんなことない」

「嘘だ」

カイルの声が低くなった。

「俺には分かる。君は何かを抱えてる」

どう答えればいいのか、わからない。

「もしかして……俺のことが嫌になったのか?」

「そんなことない!」

思わず強く否定した。

「じゃあ、なぜそんな顔をする?」

「それは……」

言葉に詰まった。本当のことなんて、言えるはずがない。

「君は俺を愛してると言ってくれた。でも、それは嘘だったのか?」

「嘘じゃない」

「だったら、なぜ——」

カイルが立ち上がった。その瞬間、彼の雰囲気が変わった。今まで見たことのない、鋭い眼光。

「カイル?」

私も立ち上がろうとしたが、彼の手が私の肩を押さえた。

「動くな」

命令口調。今までの優しいカイルとは、まるで別人みたい。

「何かを隠してるな?」

カイルが私に詰め寄る。背中が壁に当たった。

「隠してない……」

「嘘をつくな」

カイルの腕が、私の顔の横の壁についた。完全に逃げ場を塞がれた。

壁ドン。

心臓が破裂しそうになった。こんなに近い距離で見る彼の顔は、美しくて、でも怖くて。

「俺の記憶に関することだな?」

鋭い。どうして分かるの?

「違う……」

「嘘だ」

カイルのもう一方の手が、私の頬に触れた。優しいはずの手が、今は少し冷たい。

「君は俺の過去を知ってる」

「知らない……」

「じゃあ、なぜ俺の好物が分かる? なぜ俺の悪夢を知ってるような顔をする?」

答えられない。彼の推理力が、記憶を失う前と同じレベルにあることに驚いた。

「答えろ、リア」

低い声。まるで、尋問されているみたい。

でも、同時にドキドキした。こんなに間近で見詰められて、心臓が止まりそう。

「私は……」

「俺の何を知ってる?」

カイルの顔が、さらに近づいた。息がかかるほどの距離。

「答えろ」

プレッシャーが凄い。でも、不思議と嫌じゃなかった。むしろ、興奮していた。

「知らない……本当に知らない……」

「まだ嘘をつく気か?」

カイルの手が、私の顎を掴んだ。強制的に彼を見つめさせられる。

「俺は君を愛してる。だからこそ、嘘をつかれるのが辛い」

その瞳に、愛情と苦悩が混じっていた。

「本当のことを言ってくれ」

「言えない……」

正直に答えた。

「なぜ?」

「言ったら、あなたが私を嫌いになるから」

カイルの表情が変わった。驚いたような、でも理解したような。

「俺が君を嫌いになる? そんなことがあるのか?」

「ある」

「どんなことでも、俺は君を愛し続ける」

「そんなの、分からない」

「なら、試してみろ」

カイルが私を真っ直ぐ見つめる。

「何を言われても、俺の愛は変わらない。それを証明してやる」

本気だった。でも、真実はあまりにも重い。

「言えない……」

「リア……」

カイルが私の名前を、愛おしそうに呼んだ。

「俺を信じてくれ」

その時、私は決断した。全部は言えないけれど、少しだけなら。

「あなたと私には……過去があるの」

カイルの瞳が見開かれた。

「過去?」

「悲しい過去が」

「どんな?」

「それは……まだ言えない」

カイルが壁から手を離した。でも、私から離れはしない。

「俺たちは恋人だったのか?」

「違う」

「じゃあ、何?」

答えられない。敵同士だった、なんて言えない。

「いつか話すわ。今じゃないけれど」

「いつ?」

「あなたの記憶が戻った時」

カイルが考え込んだ。

「記憶が戻ったら、俺は君を愛さなくなるのか?」

「分からない……」

「だったら、記憶なんて戻らなくていい」

カイルが断言した。

「今の俺で十分だ。過去なんてどうでもいい」

でも、過去は私たちを追いかけてくる。いつか、向き合わなければならない。

「カイル……」

「何だ?」

「今だけは、このままでいて」

「ああ」

カイルが私を抱きしめた。

「今だけは、過去のことは忘れよう」

でも、忘れられるはずがない。

私たちの愛は、血で始まった。その事実は、消えることがない。

でも今は、この腕の中にいたい。この愛を信じていたい。

たとえそれが、運命に逆らうことでも。

炎が揺れて、私たちの影を壁に映していた。寄り添う二つの影は、まるで運命に立ち向かう恋人たちのようだった。

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