ログインユキは一瞬、目を細めてから、ふっと笑った。煙草の煙が細く立ち上る。
「そうね。無事で帰って来たら教えるって約束だったけど、病院に運ばれたりとか、ぜんぜん無事じゃなかったし。しかも偶然一緒になったお店のお客さんに、恋までしちゃうし?」キヨミは小さく頷いた。「そっか。残念」「まぁ、知ったところで大した名前じゃないよ。私のことなんか忘れて。本気でテラダさんに恋してるなら、私なんか邪魔だし。私はもう十分、あなたへの【2019年9月上旬】東京都・世田谷区 千歳烏山の古い木造アパートは、築40年を超えていた。家賃は5万8千円。風呂トイレ別、六畳一間の単身者用だ。 閑静な住宅街の中にあり、周りは緑に囲まれている。夜中、道路の騒音に悩まされることもない。ただ、蚊はやたらと多い。暑すぎる真夏の間は身を潜めていたのに、急に湧いて出てきた。部屋にいる間はアースノーマットが必須だ。 それ以外は……自炊することが増えたし、夜も決まった時間に寝るようになった。ちょっとしたジョギングも兼ねてポスティングのアルバイトも始めてみた。その収入は月に1、2万で、小遣い程度だが。規則正しい生活が送れているものの、特記するような話でもなかったかもしれない。 毎日充実感を味わえているわけもなく、朝目覚めると泣いていることもある。サイボーグのようだと呼ばれた自分がそんな風になるなんて、滑稽でもある。 久々に小説を買って読んでみたりもした。アメリカ古典文学作品の『スワロウ・ゴウズ・オン』という作品だ。名前も聞いたことのない作者の本だったが、フィッツジェラルドやヘミングウェイの時代に活躍した作家だそうで、どこか淡々としていた。一人称視点なのに、まるで主人公に魂が宿っていないような。当時は、そういった本がもてはやされた。 “彼らは燕のように去っていった。寒い場所から、生きやすい暖かな場所へ住処を変えるように。僕の気持など知らないで。愛していたことなど忘れてしまったかのように。それが彼らの本分だった。僕はそうやって過ぎ去っていった者たちをずっと覚えていよう” そのフレーズが何か心に引っかかって、黄色いマーカーでなぞってみた。魂の無いような主人公が、その箇所でだけ初めて心情を吐露するのが何やら印象的だった。「愛していた」と、そこでハッキリ言葉に表されていた。 愛だなんて言葉の意味なんか、まだわからない。人は時に、それを軽々しく口にしすぎる。でも、やがては心を込めて、それを言える日がキヨミにも来るのだろうか。それは、激しく肉体同士を交え合っている最中でだろうか。それとも寂しくて目覚めた後だろうか。 それとも、お互い離れてしまって、もう言葉を交わせなくなったときに初めて、もっと言っておけばよかったと後悔してしまうものだろうか。 今も朝のまどろみの中で、ベッドに横たわったままそんなことを考えている自分がバカら
ユキは一瞬、目を細めてから、ふっと笑った。煙草の煙が細く立ち上る。「そうね。無事で帰って来たら教えるって約束だったけど、病院に運ばれたりとか、ぜんぜん無事じゃなかったし。しかも偶然一緒になったお店のお客さんに、恋までしちゃうし?」キヨミは小さく頷いた。「そっか。残念」「まぁ、知ったところで大した名前じゃないよ。私のことなんか忘れて。本気でテラダさんに恋してるなら、私なんか邪魔だし。私はもう十分、あなたへの禊は果たしたと思ってるし」「禊?」キヨミはキョトンとした顔をした。ユキは肩をすくめ、照れくさそうに続ける。「ほら、この間、あなたが大事に仕舞ってたアイス、勝手に食べちゃったじゃない。まさか限定品なんて知らなくて」キヨミ自身、そんなことすっかり忘れていた。冷凍庫の奥に隠しておいた、ハーゲンダッツの期間限定味。値段は確か、350円くらいだったか。「それは絶対、許さないよ」キヨミは思わず笑って言った。「ええ、何それ……ケチくさ」「お互い様でしょ」ユキも笑う。けれどその笑顔は、どこか寂しげだった。キヨミが再び前を向こうとすると、ユキがもう一度呼び止めた。「キヨミ、あなた、自然に笑えるようになったね」「……なにそれ。急にまた先輩面して……もう、行くから」前を向き、キヨミはドアノブに手をかけた。今度こそ行こうとしたその瞬間、再びユキの声が響いた。「キヨミ」「今度は何?」振り返った瞬間、ユキの顔がすぐ近くにあった。瞬間、二人の唇が重なる。柔らかく、熱く、舌と舌が絡み合う。体液と体液を交換するような、深いキス。じんわりと下腹部が湿り出す。ユキがほしい。今すぐ服を脱ぎ捨て、またベッドに戻りたい—&md
中野のマンションの玄関ドアを閉めるや否や、ユキがキヨミを壁に押しつけた。「今日は私が癒してあげる」タバコの香りと汗の匂いが混じり、ユキの唇がキヨミの首筋に落ちる。キヨミは抵抗せず、ユキの金髪に指を絡めた。ベッドルームに移動するなり、二人は服を乱暴に脱ぎ捨てた。ユキがキヨミを押し倒し、豊かな胸を顔に押しつける。キヨミはむしゃぶりつくように乳首を吸い、ユキが「あんっ」と甘い声を上げた。「テラダさんのキス、思い出してるんでしょ?」ユキの指がキヨミの秘部に滑り込む。すでに濡れていた。ゆっくりと二本の指を出し入れしながら、ユキは耳元で囁く。「でも、今は私のものよ」ユキの舌が乳首を転がし、親指がクリトリスを刺激する。キヨミの腰が自然に浮き上がる。「ん……っ、ユキ……」キヨミも手を伸ばし、ユキの秘部を撫でた。クチュクチュと、部屋に淫らな音が響く。たまらずユキが、自分の秘部を直接キヨミの秘部にこすりつけてきた。クリトリス同士が擦れあい、混じり合う互いの愛液。電気のような刺激がキヨミの脳内で弾ける。「好き……もっと、もっと気持ち良くして……」キヨミのリクエストに、ユキは両極に突起の付いたペニバンを取り出した。黒く艶やかな攻め側専用の突起を「ん……あっ……」と吐息を漏らしながらズブリと膣内に埋め、腰に装着する。「今日は優しく……ね?」懇願するように言うキヨミの体内に、ユキがゆっくりと挿入してきた。奥を満たす感触に、キヨミの口から思わず声が漏れる。「あ……っ、深い……」ユキの腰が動き始める。最初は優しく、徐々にリズムを速めながらピストンし、キヨミの胸を揉みしだく。キヨミは
東京都・新宿区キヨミが病院に運ばれてから数日後。歌舞伎町『ディープ・ブルー』の個室にて、キヨミは客の顔を胸に埋めながら、ぼんやりと天井の照明を見つめていた。テラダマコトの唇の感触がいまだに離れない。あの病室での、不意のキス。柔らかくて熱くて、慌てて押し返した瞬間のテラダの驚いた顔。頭の中で何度もリプレイされる。「アカリさん……どうしたの?」客の声に、キヨミはハッと我に返った。30代後半のIT系エンジニアらしい男性。清潔感はあるが、目が少し苛立っている。「すみません……ちょっと疲れてて」キヨミは微笑みを浮かべ、いつものように乳首を舌で転がした。けれど動きが鈍い。手つきも、声も、どこか上の空。客の男根は半ばで萎えかけ、キヨミの指が触れても反応が薄い。「なんか……やる気あんのかよ」客の声が低くなる。キヨミは慌てて体勢を変え、騎乗位で腰を沈めたが、客はすぐに苛立った息を吐いた。「もういい。時間もったいない」そう言い、男は男根を、自分の手でしごき始める。再び硬さを取り戻し始めるそれを、ただぼうっと見つめるだけのキヨミ。「あ……ああっ……口! 口を近づけろ! それぐらいはできんだろ……イクッ……」言われた通り口を近づけると、客の精液がブピュッ、とキヨミの口に放出された。少しだけ的をはずし、頬や鼻に白濁したものがかかる。化粧もして、整えられたキヨミの顔が穢されても、男は悪びれた様子はない。「ったく、ちゃんと受け止めろよな……」と言いながら、萎え始めた男根の先をティッシュで拭き始めた。そんなことをされても、嫌だとも屈辱だとも感じられなかったキヨミ。淡々とティッシュを取り、頬と鼻を拭いて、口に出されたものを吐き出す。苦みのある、ドロリとした精液。そう言えば、テラダとの最初も口でやってあげたことを思い出した。どくっ、どくっ、とテラダの男根の先から白濁した液があふれ出て、キヨミの頬に少しだけかかった、あの日がはるか遠い出来事のようにも思えるし、つい昨日のようにも思える。いま、私はどの時空にいるんだろう。目の前の男はテラダじゃない。今日初めて来た客で、恐らくもう、次に来たとしてもキヨミを指名することはない。その男がテラダであれば、どんな接客ができていただろう。“人と人との関係として”交わうことができたのだろうか。終了5分前、客は早々にシャワーを浴びて、服
病室の白い天井が、まだ少しぼんやりと揺れている。キヨミはゆっくりと上体を起こした。点滴の針が腕に刺さったまま、微かな痛みを感じる。目の前にはオカダトモヨとテラダマコトが立っていた。「目を覚まして良かった……。じゃあ、私はもう行くね。ゆっくり休んで」トモヨはテラダに遠慮するように小さく頭を下げ、早々と病室を出ていった。ドアが閉まる音が静かに響く。残されたのは、キヨミとテラダの二人きり。テラダは白いシャツ姿で、いつものように雪を思わせる肌をしていた。両手を前でぎこちなく組み、視線を泳がせている。「どうしてテラダさんがここに?」キヨミの問いに、テラダは慌てたように口を開いた。「あの……本当、偶然だったんです。アカリさんがつばめグリルで食事されていたとき、たまたまシフトに入ってて……僕、あの店でバイトしてたもんで」そんな偶然があるとは思わなかった。キヨミは目を細めた。「お客さんが倒れたって言うから、すぐに救急車を呼んで……それがアカリさんだってわかって、僕が介抱しました」恐らくその間、まったく意識がなかったのだろう。てっきりトモヨが介抱してくれたのだと思っていた。「知り合いです、って言ったら、あのお友達の方……トモヨさんが、何やら僕とアカリさんのこと、恋人同士と勘違いしたみたいで……もちろん、否定しましたよ! ただ、客とホステスの関係だなんて言えないじゃないですか……つい、『友達です』なんて言っちゃいましたけど。ごめんなさい、迷惑でしたよね?」テラダの声はしどろもどろで、耳まで赤くなっている。キヨミは一瞬、言葉を失った。テラダの純情さが、胸にじんわりと染みてくる。「大丈夫ですよ、テラダさん。お店の女の子とお客さんじゃなくて、ちゃんとした人と人との関係として、私を助けてくれたんですよね。そんなテラダさん、優しいと思います。“友達”って言ってくれたことも、私、嬉しいですよ。私もテラダさんのこと、好きですし」その言葉を、テラダは別の意味で受け取ったらしい。白い顔がぱっと明るくなり、勢いよく身を乗り出した。「アカリさん……!」次の瞬間、テラダの唇がキヨミの唇に触れた。不意のキス。柔らかく、熱い。キヨミの体がびくりと震えた。思わず両手でテラダを押しのけてしまった。「うわっ……」とよろけ、数歩キヨミから離れるテラダ。細い体は、キヨミの弱い力でも危う
【2019年8月】東京都・中野区 午後1時。ユキと共に暮らすマンションで、キヨミはユキのベッドで、裸で寝転がったままスマホを眺めていた。クーラーの風が弱く、汗が首筋を伝う。 「ぷはっ……おいしー」 そう言って、冷蔵庫から出したばかりのアクエリを飲むユキも裸だ。肌は汗でテカり、豊満な乳房の先で、乳首はわずかに勃起している。ユキはキヨミの尻を見るなり、急に片手で揉み始めた。 「アカリさん、いいお尻してますねぇ~」 「ちょっと、ヤメてよ……ってか、何のキャラ?」 「あんらぁ? たまにはネェ、お店のお客さんになりきっちゃうプレイなんかも面白いのかなぁ、なんて思いましてネェ~?」 「ちょっ……マジでそういう喋り方の人いるの? キモいんだけど!」 と、ユキの手を払いながらもキヨミはキャッキャと笑う。 今日は珍しく、キヨミもユキも休みの日が重なった。前日から、どこかに出かけようかなどという案も一瞬上がってはいたが、まずはヤッてから決めようと言い、気づけば一晩またいで、もうこんな時間だ。まるで13時間、ぶっ続けで繋がっていたような感覚さえある。 男性側が射精すれば終わりの男女とは違い、女性同士の行為には終わりがない。どちらかが飽きるまで行為は続く。片方が途中で疲れて寝落ちしてしまうと、もう片方が寝ている相手にイタズラをし続ける。互いに睡魔でホワホワとした状態になりながら行為を繰り返すのは、これが恐ろしく心地よい。 互いの境界もあいまいになりながら、どちらがどちらを攻めているかもわからなくなってくる。本当にひとつになってしまうような感覚だ。魂で繋がるという、キヨミがかつてアズサに求めたものに最も近い行為なのかもしれないと思う。 ふと、スマホの通知音が鳴った。Facebookの友達申請。送信者は——「オカダトモヨ」。 キヨミはハッとした。高校時代の同級生——一時期、親しくしていたクラスメイトだ。共通の知人がいたような気がするが、記憶はぼやけている。アズサと付き合い始めてから、自然と距離が遠くなった相手でもあった。 スルーすべきか、と思ったが、何か気にかかるものがあった。今スルーしてしまうと、一生後悔してしまうかもしれないような、何か――。 とりあえず承認ボタンを押すと、すぐにメッセンジャーが届いた。 『久しぶり! 元気? 私、今東京の広告代理店で働いてる