ログインストレートなセリフに私は、彼から視線が外せなくなる。急に一夜の過ちで授かった娘のためだけの結婚。でも、彼は彼なりに私とうまくやろうと努力してくれている。 その気持ちだけで十分だ。「こっちにいる間だけでも、きちんと食事はしてもらいますからね」 そんな気持ちを今度は悟られないように、弥生に話すように私が言うと、恭弥さんは嬉しそうに「頼むよ」と答えた。 その後、弥生の食事もあるため彼の車で買い物に行くことにした。「とりあえずいろいろ揃えたけど、足りないものもあるよな」「そうですね」 確かに食器類もたくさんあったが、どれも高級そうで弥生が落としたりしたらと気が気ではない。「弥生のプラスチック食器が欲しいです」「百貨店に売ってるよな?」 恭弥さんが想像しているのは、きっとブランドの子供用品の店だとすぐにわかる。週末使うだけなら、百円ショップで十分だ。「いえ、そんな高級なものじゃなくていいんです。あっ、食材もそろうし弥生も喜ぶので、ショッピングモールに行きたいです」 最近できた大型のショッピングモール。子供の遊び場も豊富で、たくさんの専門店が入っているとテレビでやっていた。 なかなか行く機会がなく、気になっていたのだ。「ああ、俺も会社の人から聞いたな。行ってみるか」「いいんですか?」 何も考えずに行ってみたが、恭弥さんのような御曹司がそんなところに行っていいのかと思っていたが、中に入ると彼は弥生より楽しそうにしていた。「咲良、あれ飲まないか?」 たくさんの人が並ぶショップですら、その待ち時間を彼は弥生を抱っこして楽しそうに見ていた。 弥生の足りないものを買いつつ、子供の遊び場で遊んだり、フードコートで食事をしたり、すっかり私も楽しんでしまっていた。 こんなにも大人の男性がひとりいるだけで、大変さが違うことを知る。 父は店があるし、母も体調を崩していたこともあり、なかなかこうしてゆっくりと出かけたことなどなかった。 私にとってはとても助かった気がする。彼と一緒にいたくないわけではないが、やっぱりまだ戸惑いも大きい。 弥生が一緒ならば、母親としての自分でいられるので気にはならなかった。 でも……。「任せてもいい? 片付け」「もちろんです」「あるものは好きに使って」 ポンと弥生にするように、私の頭を軽くたたくと、彼は優しい微笑
あの日はあまりよく見られなかったが、五月のゴールデンウィークの祝日、私は弥生を抱っこしたまま別荘を見上げていた。「すごい」 つい漏れた声に、恭弥さんは横で何かを考えているようだった。「プールも危ないよな……。ひとりで弥生が行けないように、柵をもう少し間の少ないものに変えて……」「大丈夫ですよ! これで」 どれだけここにいるかわからないのに、そんなにいろいろ私たちのためにしてもらっては申し訳ない。 そんな思いから出た言葉だったが、恭弥さんは全く聞いていないようで、すでにまたどこかに電話をしている。 弥生はといえば広い庭に目を輝かせて、下ろせとバタバタしている。「弥生、こっちにおいで」 弥生の手を引き、プールとは違う方へと歩いていく彼に、私も一緒についていく。 そこはリビングとは違う部屋のテラスのようで、囲われた専用の扉を開けると、そこは小さな公園のようになっていた。「何家族でも泊まれるようにって設計されているから、ヴィラのような作りになってる。ここはゲストルームの庭なんだけど、弥生が遊ぶのにちょうどよさそうだったから」 海外の映画に出てきそうな複合遊具が置かれていて、下は芝生になっていてとても安全そうだ。 カラフルな滑り台に、ブランコにジャングルジム。そして砂場セット。その光景に弥生はもう夢中だ。「この部屋をふたりの部屋にしたけど、足りないものがあったら言ってくれ」「充分です。週末しか住まないのにこんなにしてもらって」 恭弥さんが中の大きな窓を開けると、そこにはキングサイズのベッドやテレビなど、豪華なホテルのような部屋が広がっていた。「遊んですぐに汚れてもいいように、シャワールームもこっちから行けるから」 テラスからすぐ横にあるバスルームは、まるで海外のリゾートホテルのようだ。「この昼寝をするためのスペースは、弥生の昼寝にも使えそうかな」 海外のリゾートホテルにあるような昼寝をするスペースが付いていて、確かに少しくつろぐにはぴったりのスペースだと思う。 この部屋だけで十分すぎるほどで、生活ができそうだ。そう思いながら部屋を見回していると、彼が言葉を続ける。「俺の部屋は隣」 同じ部屋ではない。 その言葉に安堵したのか、自分でもわからなかった。ここに一緒に泊まると決まってから、そのことを考えてしまい落ち着かなかった。
それに、彼が本気で結婚といっているとしても、今すぐ弥生を連れて、東京で一緒に住むことは考えられない。 昨日まで、両親に会わせることすら悩んでいたのだ。 色々と考えていた私に恭弥さんは優しい瞳を向ける。「とりあえず、週末だけ一緒に過ごしてみてくれないか?」「え?」 意外な提案に私は驚いてしまう。「いきなり東京の俺の元へ来て、環境が変われば弥生も戸惑うだろう。少しずつ慣れる時間を作って欲しい」 そこでいったん私から視線を外すと、恭弥さんは両親の方へ向き直り頭を下げる。「週末は私がこちらへ参ります。それならばお許しいただけますか?」 最後は両親に問いかけた彼に、今度は母が口を開いた。「それぐらいいいんじゃない? 咲良。それで様子を見たら?」 ギュッと手を握りしめて考える。週末だけ三人で過ごす。でも、ここまで彼に言わせておいて、自分にも非があるのに拒否はできない。「わかりました」 そう答えた私に、母は明るく彼に問いかける。「恭弥君、このあと予定は?」「いえ、とくにはありません」 姿勢を正したままの恭弥さんに、母はいつも通り穏やかな笑みでポンと肩を叩く。「もう、かしこまらなくていいのよ。さあ、さあ、ご飯食べていって。咲良も手伝いなさい」 明るい母に感謝しつつ、チラリと彼に視線を向ければ「ありがとうございます」と頭を下げていた。 父もすっかり恭弥さんと打ち解けて、店の話をしたり、和菓子を勧めたりと和やかな時間が過ぎて行った。 弥生も終始楽しそうで、恭弥さんの腕の中で最後は寝てしまった。「恭弥君、隣が咲良たちの部屋だから、弥生を寝かせてくれる?」「わかりました」 そっと壊れ物のように、弥生を抱き上げ愛しいという気持ちを隠すことなく見つめる彼に、心の中がジーンと熱くなる。 こんな日が来るなんて思っていなかった。そして、私たちの眠っている和室に、弥生を寝かす。ふたりで弥生の寝顔を見る日が来るなんて思ってもみなかった。「咲良、ありがとう」 お礼を言われることなどないと、静かに彼を見てから少し目を伏せた。「弥生を生んでくれてありがとう。一緒にいられなくてごめん」「恭弥さん……」 彼が謝るのなら、私も同じだ。「私こそ、弥生のこと連絡しなくてごめんなさい。生まれた時の弥生、見たかったですよね?」 彼がここまで弥生のことを思
そして、約束の日曜日の夕方。店の駐車場に一台の車が停まったのを落ち着かない気持ちで私は見ていた。父の仕事が終わる時間にしてもらったこともあり、こんな時間だ。 裏口はわかりづらいため、私はすぐに外へ出る。そうすれば、恭弥さんは落ち着いたネイビーのスーツにネクタイ姿だった。「マーマー」 しばらく何と言っていいかわからず、彼を見つめていた私だったが、家の中から弥生の声が聞こえてきて、驚いて玄関の方向に視線を向けた。「あの子ったら階段ひとりで降りちゃったのかな」 確かにひとりで階段を降りることはもうできるが、まだまだ危なっかしい。そして私が慌てていて、階段の子供用の柵を開けっ放しにしていたことを思い出す。 恭弥さんそっちのけで駆け出し、玄関を開ければ案の定、弥生は玄関に立っていた。「弥生、ひとりで降りちゃったの? すごいけど危ないよ」 抱き上げてそう伝えれば、弥生は私ではなく外を見ていた。「弥生ちゃん、こんにちは」 柔らかな優しい声が聞こえてきて、恭弥さんが弥生の名前を呼んだことにドキッとする。「はーい」 男性にはなかなか懐かない上に、ちょうど人見知りの時期で初めて会う人には泣くことが多い弥生。 私に抱かれているかもしれないが、恭弥さんににこにこと手を振る。 そっと恭弥さんが差し出した指を、弥生はギュッと握った。「かわいいな」 愛しいものを見るような、優しいまなざしに、私はずっと彼に黙っていたことは間違っていたことを悟る。彼は本当に弥生のことを思ってくれていることが、その瞳から分かった。 産まれた時も、寝返りした時も、恭弥さんは知らない。 申し訳ない気持ちでいると、そこに母が慌てて階段を下りてくる音が聞こえた。「咲良!! 弥生いる?」 そう言いながら降りてきた母は、私たち三人を目にしてピタッと足を止めた。 弥生の手に触れていた指を離すと、恭弥さんは深々と頭を下げた。「初めまして。松前恭弥と申します。今日はお時間を頂き……」 恭弥さんが詫びの言葉を告げだした時、手を離されたことが嫌だったのか、弥生が「あー、あー」と恭弥さんに手を伸ばして何かを訴える。 そして私の腕から抜け出して、恭弥さんの腕に行こうとする。「弥生……」 父親ということがわかるのか、自分を思っていてくれることが子供に伝わるのかはわからない。 そんな弥生に、
「どうぞ」「ありがとう」 そんな私の気持ちなどわかるはずのない弥生は、りんごを手渡してくれる。 ギュッと小さな身体を抱きしめる。 どうしよう。やっぱり断るなら早くしなければ。 毎日考えが変わり、結局何も決められないまま時間だけが経過していった。 しかし、いきなり彼が訪ねてくるより、両親も初めから知っていた方が気持ちの整理もつくはずだ。きちんと話さなければ、そう思い私は機を見計らっていた。 いつものように食事の席で弥生も一緒に楽しく過ごしていた時、私はなんとなく背筋を正した。「お父さん、お母さん」 いきなり改まって呼んだ私に、弥生と笑い合っていたふたりは、驚いたように私を見た。「どうしたの?」 「あの……」 どう説明すればいいかわからず口ごもってしまう。でも、いきなり恭弥さんが現れたらどうなるかわからないし、自分のことはきちんと伝えるべきだと思い直す。「次の日曜日なんだけど」「うん?」 まだそんなに重要な話だとは思っていないのか、弥生の口を拭きながら片手間に母が返事をする。「弥生の父親が挨拶に来たいって言ってるの」 そこで、父が今にもお茶を吹き出しそうなほど狼狽したのが分かった。「父親って、何? 今頃どうして……」 いつも穏やかな母ですら、声が上ずっている。そのことからも話す順番を間違えたことに気づく。「理由はいろいろあって、私もどうするべきかわからないんだけど、弥生がいることを知ったみたいで。そして会いに来たの」「まさか、この間の夜の相手って……」 今さらごまかせないと、私は小さく頷いた。 しばらくの無言の後、父の「認めない」という声が小さく聞こえて、私は父を見た。「なんだ、二年も放置しておいて、今さら挨拶なんて。俺は認めない」 今まで声を荒げたところなど聞いたことがない父の、初めて見る怒りに、私は泣きたくなる。 きちんと話さなければいけないのだろうが、本当にいろいろなことがありすぎて、どう説明すればいいかもわからない。 でも、あの日、自分の行動が招いたことだと涙を耐える。 「とりあえず、わかったわ。弥生の前よ、やめましょう」 母の冷静な声に、私は慌てて母の顔に視線を戻す。弥生もこの空気がいつもと違うとわかったのか、泣きべそを浮かべていた。 その後、みんなが寝静まっても私は寝付けなかった。恭弥さんは確
あの夜、恭弥さんは私を送る車の中で、言葉を探しながら、『日本に戻る準備をしてすぐ帰国するから、挨拶に行きたい』そう言った。 それをもちろん私は拒否したし、彼もそれはわかっていたと思う。 いきなり両親に挨拶など、なんと説明していいかわからない。母はともかく父がどんな反応をするのか想像もつかなかった。 返事をしなかった私だが、半ば強引に交換させられた連絡先には異国の地からもメッセージが送られてきて、きちんと挨拶をするから、ご両親にも話しておいて欲しい。 そう何度も書かれていた。それに返事をしなかったり、拒否する内容を書いても、彼の決意は変わらないらしく、子供がいた以上、きちんと責任を取るつもりだと折れるしかない気持ちになってきた。 承知した旨を伝えると、私の気が変わらないうちにと考えたのか、すぐに日程が送られてきた。 誘ったのは私であり、気持ちのない相手の人生を狂わせてしまった罪悪感はもちろんある。 いきなり子供がいたなど、彼のような立場の人からすれば、スキャンダル以外の何ものでもない。上に、もしまだ結婚をしている可能性があるのなら、離婚ということにもなってしまうかもしれない。 一番に今彼が結婚をしているか確認するべきだったのはわかっている。あの再会の夜は動揺していたからか、彼から明確な答えを聞いていない。 こうして連絡を取り合っている今、すぐにでも聞くべきだ。 そう思っているのに、何度もその内容を書いては消している理由は一番自分がわかっている。 ただ、返事を聞くのが怖い。それだけだ。 彼がどうするつもりなのか、認知なのか、離婚するというのか、どれが正しいことかなんてわからないし、自分がどうしたいのかが一番わからないのだ。 ポンとスマホを置くと、隣で眠る弥生の寝顔を見つめる。 恭弥さんに似ていると思う。彼の端正な顔立ちのおかげで、親バカかもしれないがとても可愛らしい。 それにしても、どうして今、私のことを彼が調べる気になったのか……。 わからないことだらけだが、これから大きくなる弥生のために、自分の気持ちはいったん置いておいて、父親はいた方がいいのだろうか。 いや、またすぐにいなくなる可能性もあるのだし、やはりこのまま会わない方がいいのではないか。コロコロと考えが変わる自分に嫌気がさす。 なかなか眠れないまま、私は少しずつ明るくな