これはホントに深刻な問題なのだ。というのも、石を立てるというのは言葉通りでは庭石を設置することなのだけど、その昔庭造りをする坊主を石立僧と言ったように作庭そのものを表すからだ。ゆえにこのプロジェクトに限らずメタバース内で作庭することの根本問題といえるのだった。
それでゼンアミさんに解決策を聞いたら、ゼンアミさんの時代には当たり前の風習だったようで、
「人柱をご用意ください。なに、赤子一人でいいのです」
などと、ぞっとすることを言い出したので、以来それについてはゼンアミさんに限らず他の庭師AIにも相談しないことにしている。
ゼンアミさんの案内のもと、伊礼社長とあたしは中島の須弥山石以外の進捗に関して、構築中の庭園を回りながら説明を受ける。どれもまだ未成のままだが、時間とともに養生がうまくいって完成すれば美しい日本庭園を構成してくれることははっきりと見てとれた。
「いてて!」
こんなタイミングで電痛アラームだ。ロックインしてから二時間になろうとしていた。
「どうされましたか?」
伊礼社長に問われたけれど、まだゼンアミさんが説明の途中だったので、
「なんでもありません」
とごまかした。けれどすぐさまゼンアミさんに、
「カウンセラーの響カリン教諭から最初は短めにと言われませんでしたか?」
とばらされてしまった。しかたなく、
「アラームを掛けていて」
「ならば、今日はここまでで」
と伊礼社長がセッション終了を宣言した。
州浜の縁を歩いてアクセスポイントの石橋の上に戻る。二人に挨拶して先にロックアウトしはじめたら、ゼンアミさんが伊礼社長に何か耳打ちしているのが見えた。それに対して伊礼社長が短く答えたのを見ながらあたしはルームから退出したのだった。
伊礼社長とゼンアミさんは、時々十六夜やあたしが見ていない所で二人だけでやりとりすることがある。それが十六夜が伊礼社長とプロジェクトで鉢会うのを嫌う一番の理由だし、あたしだってこの二人ですらそこらのオトナと同じく女子を軽く見ているように思えていい気分はしないのだった。
紫子さんは親戚に接するようにあたしを迎えてくれた。玄関の中は広めの土間になっていて、御座に緑の粒が山のように積んである。それが10いくつ。強い山椒の香りを放っていた。「クロエちゃんは何年振りになる?」「うーんと」覚えてなさそう。「上がって」「「「お邪魔します」」」座敷にあがらせてもらった。山椒農家ってどこもそうなのか、蘇芳ナナミさんの家と作りが同じだった。だだっ広い座敷に囲炉裏、天井にはぶっとい梁が渡してある。その上はやっぱり暗闇。 紫子さんが、「クロエちゃんが来ること皆に知らせたら今朝釣ったアマゴを持って来てくれた人がいてね。それ塩焼きにしたから食べて」 そういえばメッチャいい匂いしてる。思い出したように食欲が反応して冬凪とあたしのお腹が合唱を始めた。「そんなに?」言ってるクロエちゃんのお腹も鳴ってるから。「アマゴって清流の女王と言われててすごく貴重でとっても美味しいんだよ」冬凪が教えてくれた。配膳のお手伝いをしながらも我慢出来なくなってよだれたれそうになった。「「「いただきます」」」生まれて初めて食べるアマゴは、「ぜっふぃん(絶品)」どころではなかった。ホクホクの身にちょうどよい塩加減。これまで食べたお魚の中で一番、いや、生涯かけてこれ以上のお魚は食べられないんじゃないかってくらい美味しかった。大袈裟でなく。それと山椒粒の佃煮掛けた白飯。合いすぎて、死ぬ。たらふく食った。眠くなったけど初めて来たお宅で昼寝はまずいと思って我慢した。「あれ見せてあげたら?」 紫子さんがクロエちゃんに言った。「そうだね。もう知ってることだし。ね、夏波」ね、とはよ。あたしは冬凪に何のことかと目で確認したけれど、冬凪にも分からないようだった。「じゃあ、見に行こう。夏波の変態っぷりを」廊下を歩きながらクロエちゃんが前世のあたしは変態だったと言った。「おかげであたし達は地獄に行くことができたんだけどね」言ってる意味が全く分からなかった。「ここがその変態が
冬凪が草陰の怪しげな姿を指して、「あの人知ってる」言った。向こうもそれに気づいて大きな木の後ろに隠れたけれど、あたしにもその顔がハッキリと分かるくらい緩慢な動作だった。まるで見られても平気と言っているよう。「誰なの?」そっちをじっと見つめる冬凪に聞いた。「知り合い。以前は鬼子だった人。あの人はずいぶん前にヒダルに取り憑かれてしまった」クロエちゃんがさらに付けてして、「きっと宿主の体がそろそろ死ぬから次の体を探しているんだよ」クロエちゃんは山道を歩きながら鬼子とヒダルの関係を話してくれた。行旅死亡人の残留思念と言われるヒダルは、他人の魂を吸い取って体を乗っ取り、その人に成り代わる人外だ。それに対し鬼子の魂は、舟にのる人のように体から体を乗り変えて前世、現世、来世と生まれ変わってゆく。それは鬼子の体が魂の入れ物を意味するけど、ヒダルにしてみれば乗っ取りやすい存在となって鬼子に群がるらしい。これまで多くの鬼子がヒダルに体を乗っ取られてきたため、鬼子の最後はヒダルと諦めてしまっている人までいるそう。「そんなことないのに」クロエちゃんは寂しそうに言った。四ツ辻に着いたのは8時を回ったところだった。「ここも結界になっててね」あたしもそれはなんとなく感じた。集落に入った途端に木の芽の香りを感じたからだった。それは山椒農家の集落だからというだけではない気がした。冬凪があたしの手を引いて、「こっちだよ」と案内をしてくれる。いつになく楽しそうだ。ここは冬凪が夏休み前に山椒摘みのボランティアで来た場所で、前から仲良くしてもらっている紫子さんがいる。その紫子さんの家に向っているからだろう。 坂の上の大きな茅葺き屋根の家の玄関先で冬凪が、「紫子さーん。夏波連れて来たよー!」 めっちゃ大きな声で叫んだ。すると奥から出てきたのは藤色の和服姿の女性で、びっくりするくらい綺麗な、というかこの人……。あたしが声が出なくて黙っていると、冬凪が、「分かった? そうだよ。この人が」 まで言ったのを、その和装の女性
「ご飯食べに行くよ」クロエちゃんの号令で鬼子神社を出発した。でもご飯にありつけるのは山道を1時間以上ひたすら歩いて四ツ辻に着いてからだと言った。それを聞いただけであたしのお腹は猛烈な空腹に襲われた。だって、昨日の異端のタコライス以来何も口に入れていなかったから。来た時とは別方向にある石段を登ると、杉木立の中にまっすぐな石畳の道があった。それは正式な参道らしく杉木立のトンネルが切れるあたりに朱に塗られた3本足の鳥居が見えていた。「気をつけて。すべるから」クロエちゃんが言ってくれたのに、早速こけたのはあたしだった。敷き詰められたゴロタ石全てが苔むして緑色をしていた。尻もちはつかなかったけれど、手をついた時に手首を捻ったらしく、それからずっとズキズキと痛み、それを耐えながらの山道になってしまった。途中、クロエちゃんが、「休もう」と丸太のベンチに腰掛けた。そこは休憩所兼見晴し台で眼下に明るい景色が広がっていた。遠くに霞んで見えるのはおそらく辻沢の街並みなんだろう。「あれって青墓の杜だよね」西山の裾野に近い所から黒々とした森が広がっていた。真ん中あたりに小高い丘がハゲ頭を出していて、それが青墓で一番高い亀山だとクロエちゃんは教えてくれた。それから北の端の辺りはヒイラギ林でその根の下は流砂地帯なのだそう。なんでそんなに詳しいのかと聞いたら、学生の頃ユウと一緒にスレイヤー・Rというバトルゲームに参戦したからだと言った。「スレイヤー・Rって、あの?」「逆に夏波は知ってるの?」知ってるも何もプレイヤーに襲われた。でもそのこと、クロエちゃんが知ってる範囲なのかどうかわからなかったから、冬凪に目線を送る。冬凪は小さく首を振ったので、「町誌を読んだら出てた」と苦しい言い訳をした。「そんなことまで書いてあるんだ。顕示欲お化けの元辻川町長だな、それ作ったの」なんとか誤魔化せたけど、後でどこまで言っていいかとか冬凪と擦り合わせしようと思った。再び山道を歩き出したけれど、お腹が空き過ぎて歩けなくなった。するとあたりの草陰から例の音がし始めた。下草を掻き分け踏み分けて付き従う音。ヒダルが森の中
クロエちゃんとあたしは冬凪の手を借りて船底のような所から出て、さらに階段を上って空祭壇の間に戻ってきた。「山の上はさすがに寒いね」クロエちゃんは奥の暗闇からブルーシートを引き摺って来ると空祭壇に寄りかかって座った。クロエちゃんを真ん中に冬凪とあたしを左右に座らせて、「これでしのげるといいけど」ブルーシートをかけた。それを掛けてすぐには暖かくならなかったけれど、クロエちゃんにくっついているだけでポカポカした。そのうち皆んなの体温で中もら温かくなって来た。そうなると隙間が気になってしまい、こっちのを無くそうとすると、あっちが開いてしまい、あっちを閉めるとこっちがってなって、冬凪とあたしとの争奪戦がしばらく続いたあとどちらからと言うこともなく急に止んだ。社殿の中に沈黙が広がる。ブルーシートについていた砂埃がサラサラと音を立てて板間に落ちる音がやけに大きく聞こえた。それからクロエちゃんが色んなことを話して聞かせてくれた。それは、どうしてここの地下が船底のようになっているかとか、どうやって地獄に行ったかとか、そこで何をしたかとか、戻って来方とかの話しだった。それを子守唄のようにうとうとしながら聞いているうちに寝てしまったようだった。「おはよう。よく寝られた?」ブルーシートの外にいるクロエちゃんが膝と手をついてあたしの顔をのぞいていた。いつから見ていたんだろう。「夢も見なかった」床に横たわってブルーシートを掛けられているのはあたしだけだった。冬凪は?「外に顔洗いに行ったよ」顔をあげて出入り口の襖を見ると外はもう明るかった。「何時?」「6時過ぎたところ」わりと早起き。「顔洗っておいで。外に手水舎あるから」ブルーシートを避けて起き上がり、簡単に畳んでから外に出た。空は雲ひとつない晴天だったけれど、お日様はまだみえていなかった。それはここが急な斜面の底にある神社だからだ。目の前の3本足の鳥居、石畳の参道。その脇に小さな手水舎。そこで冬凪が目をつぶって腰にぶら下げたタオルを取ろうとしていた。階を降りていって、「おはよ」「おはよ」冬凪は顔を拭きながら答えた
床に突き立てた棒を傾けるとメリメリと音がして一畳ほどの面積の床板が浮いた。「手伝ってくれる?」 その浮いた床板の隙間に棒を差し入れて持ち上げると床下の暗闇に向って木の階段が伸びていた。「ロウソク取って来て」ロウソクを手にしたクロエちゃんを先頭に階段を降りてゆくと、そこにも板敷きの広い空間があった。微かに木の匂いがしている。どこかで嗅いだことのある匂いのような気がしたけれど、埃くささが勝って思い出せなかった。クロエちゃんは板をきしませながらさらに奥の暗がりへと進んでいく。そして半畳ほどの四角い枠がある場所に立つと、「これ持ち上げられる? 前の時はみんなで持ち上げたけどあの時は大勢いたからな」 そこは太い木で出来た格子になっていた。すると冬凪がその格子を掴んで腰を落とすと、「せい!」 一度で外してしまったのだった。「すっご!」 その下も空間があった。クロエちゃんが、「ごめん、冬凪はここにいて。一人で登れる高さじゃないから」 クロエちゃんが暗闇の中に飛び降りて、「真下に降りてね。結構いろいろ出てるから」あたしも用心して続いた。下の空間に降りて、リング端末を照らした。あたしはその照らし出された光景を見て震えた。そこは沢山の木の板が整然と並んだところに太い木材が中央を貫いていて床が婉曲していた。それはあたしの一番古い記憶にある、あの船底そのままだった。あの端の板の壁にユウさんがあたしを抱いて座っていたんだ。そうだ。やっぱりあれは妄想なんかじゃなかったんだ。「覚えてないと思うけど」 クロエちゃんが言った。「夏波はここで生まれたんだよ。ユウの胸に抱かれて、かわいい赤ちゃんだった」 やっぱりあたしはユウさんの子だったんだ。鬼子は子を生さないっていうらしいけど、あたしは特別だったんだ。「でもユウが産んだんじゃない」あたしは口から出そうになっていた言葉を呑み込んだ。それは「お母さん」という言葉だった。「ユウとフジミユとマヒとアレクセイ、それとあたしが連れ帰ったんだよ」 連れ帰った? あたしを?「
クロエちゃんが言う。「それまでユウの中で押さえられていた鬼子がミヤミユに乗り移ったようだったって」 それを受けて冬凪が、「夕霧太夫は最後の闘いの時まだ動ける状態じゃなかった。だからエニシで繋がった鬼子使いの伊左衛門に自分の鬼子を託して闘った」 クロエちゃんは、あたしの前髪をかき分けながら、「夏波もきっと、託されたんじゃないかな」 いったい誰の? あたしは誰ともエニシの赤い糸で繋がっていない。咬み千切ってしまったから。 すると、冬凪があたしの左手を取って、「あたしには夏波の赤い糸が見えるよ。ほら自分の目で見てみなよ」 あたしは目の高さに掲げられた自分の左の薬指を見た。その根元には赤い糸が結んであるのがうっすらと見えた。そしてその糸の先を目で追うと社殿の暗闇の中に人の形が見えた。「十六夜?」 ここではない別の次元にいるらしい十六夜がこっちを見て微笑んでいた。その右手の薬指とあたしの左手の薬指が赤い糸で繋がっていた。「でも、十六夜のエニシの糸は冬凪に繋がってるって」 誰かがそう言ってなかったっけ? クロエちゃんがかなり無理した真剣な表情で、「この世界が不安定になるとき特別な鬼子が生まれる。その子たちは力を合わせてその問題を解決するようにエニシに仕向けられる。その目印としてその子たちは両手に赤い糸が付いている」 あたしの目の前に両手を差し出して見せて、薬指同士で「こことここ」と指した。「ユウの代、フジミユやミヤミユ、それにあたしが大学生だった20年前、あの世とこの世がひっつくような次元の歪みが生じた。今再び同じようなことが起こりつつあって、夏波たちはエニシにそれを解決するよう仕向けられた特別な子たちなんだと思う」 いきなり世界があたしの肩に乗っかってきた。とんでもなく迷惑な話だけれど、きっと十六夜なら「流れに棹させ」と言うだろう。そしてそのことがきっと十六夜の解放に繋がる、そう信じて進むしかないのだろうと思った。 クロエちゃんは言わなければいけないことを話した反動で黙ってしまった。クロエちゃんたちが経験した「あの世とこの世がひっつくような次元の歪み」につ