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七年の嘘、愛も憎しみも虚しく

七年の嘘、愛も憎しみも虚しく

By:  半夏moon(はんかのムーン)Completed
Language: Japanese
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結婚して七年間、夜を共にするたびに、私は仏壇の前で朝までひざまずいていなきゃいけなかった。 「これは真夏への償いのためだ」そう言ったのは、夫の相澤嘉山(あいざわ かやま)だ。 また義母の相澤夫人に命じられ、夫のもとへと向かったある夜のこと。ふと、廊下で彼の兄弟たちの話し声が耳に入った。 「さて、今年で時雨(しぐれ)は何度目の体外受精だ?あいつマジで必死だな」 「まあ……本人は知らないんだろ?嘉山の子どもなんか、一生できるわけないのにな」 嘉山が冷たく鼻で笑った。「バカだよな。毎回終わったあと、俺がわざわざ牛乳飲ませてんのに。何年もずっとピル飲まされてて妊娠できるわけないだろ?」 「あいつが体外受精で苦しんでんのも、全部真夏のためにやってんだよ。あれは、罰だ」 私は虚しく笑い、その会話を録音してそのまま嘉山のお爺さん――相澤当主に送った。 「私はもう、相澤家に跡継ぎを残す運命にはない。だから、もう、私を自由にしてくれないか?」

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Chapter 1

第1話

結婚して七年間、夜を共にするたびに、私は仏壇の前で朝までひざまずいていなきゃいけなかった。

「これは真夏への償いのためだ」そう言ったのは、夫の相澤嘉山(あいざわ かやま)だ。

また義母の相澤夫人に命じられ、夫のもとへと向かったある夜のこと。ふと、廊下で彼の兄弟たちの話し声が耳に入った。

「さて、今年で時雨は何度目の体外受精だ?あいつマジで必死だな」

「まあ……本人は知らないんだろ?嘉山の子どもなんか、一生できるわけないのにな」

嘉山が冷たく鼻で笑った。「バカだよな。毎回終わったあと、俺がわざわざ牛乳飲ませてんのに。何年もずっとピル飲まされてて妊娠できるわけないだろ?」

「あいつが体外受精で苦しんでんのも、全部真夏のためにやってんだよ。あれは、罰だ」

私は虚しく笑い、その会話を録音してそのまま嘉山のお爺さん――相澤当主に送った。

「私はもう、相澤家に跡継ぎを残す運命にはない。だから、もう、私を自由にしてくれないか?」

腕にびっしり残る注射痕が、またじんわりと痛み出す。

この数年、子どもを授かるために、何度体外受精を繰り返したか分からない。どれほど薬を飲んできたか、体はもうボロボロだった。

すべて、私のせいだと皆が言った。

私もそう思っていた。だからこそ、嘉山の冷たさも、荒ぶる気性も、全部我慢してきた。

まさか、その根本の原因が、彼が自ら私に手渡したあの牛乳だったなんて。

私はその場に固まったまま、まるで木彫りの人形みたいに動けない。部屋の中では、まだ嘲り声が響いている。

「嘉山もやるなぁ。あの女、あんなにクールだったのに、嘉山の前じゃまるで子犬だ。夜のほうもきっとうまくいってるんだろ?」

嘉山は眉を上げて、ふっと笑う。

「あいつの方から頼んでくるんだよ。暇つぶしに練習の相手してやってるだけ。もうすぐ真夏が帰国するから、もし彼女をケガさせたら困るだろ?

時雨なんて田舎育ち、どう扱っても壊れやしないが、真夏は繊細で大事にしないと」

榎本真夏(えもと まなつ)の名前を口にしたとき、嘉山の表情に一瞬だけ浮かんだ優しさが、私の胸に鋭く突き刺さる。

彼の口からこぼれる一言一言が、私の顔を平手で打つように響いた。

私は歯を食いしばって、血の味を飲み込む。

この結婚は、もともと相澤当主が無理やり頼み込んできたものだった。

私は相澤当主の援助している奨学生として大学に通っていた。あの頃、相澤家は倒産寸前で、嘉山の婚約者だった真夏は婚約破棄して海外へ逃げていた。

孫の嘉山が真実を知れば耐えられないだろうと、相澤当主がすべてを隠して、私に嘉山と結婚してほしいと頼んできた。

その恩に報いるため、私は承諾した。

七年間、嘉山のそばで、少しずつ相澤家を立て直す手助けをしてきた。私はやっと彼の心に近づけたと思っていた。

彼がどれほど冷たくても、夜は特に乱暴でも。

それでも、あの自ら温めてくれた牛乳だけは、彼にまだ情が残っているのだと、私にそう思わせていた。

まさか、すべてが嘘だったなんて。

夜の相手は練習だと言い、牛乳は薬を仕込むためだった。

嘉山、あなたは私に、なんて残酷なことを……

誰かがぽつりと言った。「聞いたよ、ずっと子どもができなくて、相澤夫人が食事会で彼女を何度も平手打ちしたって」

嘉山は冷笑し、平然と言い放つ。「それこそ自業自得だろ?あのとき真夏を追い出した時点で、こうなるってわかってただろ!

俺はむしろ母さんの平手が足りなかったと思ってるくらいだ」

その無慈悲な言葉が、また私の心を打ち砕いた。

結局、彼は全て知っていた。この数年、私が子どもを授からなかったことでどれだけ苦しみ、責められてきたか、全部知っていたのだ。

私はまだ彼を気遣って、ひとりで苦しみを飲み込み、平穏を装っていたなんて、笑い話だ。

今思えば、私が苦しむ姿を見て、彼はきっと面白がっていたのだろう。

目を閉じると、心の中の最後の糸がぷつりと切れた。

スマホに何件もの新着メッセージが届いていた。送り主は相澤当主だった。

【我が家が君にすまない。三日後、君が出ていけるよう手配する】
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第1話
結婚して七年間、夜を共にするたびに、私は仏壇の前で朝までひざまずいていなきゃいけなかった。「これは真夏への償いのためだ」そう言ったのは、夫の相澤嘉山(あいざわ かやま)だ。また義母の相澤夫人に命じられ、夫のもとへと向かったある夜のこと。ふと、廊下で彼の兄弟たちの話し声が耳に入った。「さて、今年で時雨は何度目の体外受精だ?あいつマジで必死だな」「まあ……本人は知らないんだろ?嘉山の子どもなんか、一生できるわけないのにな」嘉山が冷たく鼻で笑った。「バカだよな。毎回終わったあと、俺がわざわざ牛乳飲ませてんのに。何年もずっとピル飲まされてて妊娠できるわけないだろ?」「あいつが体外受精で苦しんでんのも、全部真夏のためにやってんだよ。あれは、罰だ」私は虚しく笑い、その会話を録音してそのまま嘉山のお爺さん――相澤当主に送った。「私はもう、相澤家に跡継ぎを残す運命にはない。だから、もう、私を自由にしてくれないか?」腕にびっしり残る注射痕が、またじんわりと痛み出す。この数年、子どもを授かるために、何度体外受精を繰り返したか分からない。どれほど薬を飲んできたか、体はもうボロボロだった。すべて、私のせいだと皆が言った。私もそう思っていた。だからこそ、嘉山の冷たさも、荒ぶる気性も、全部我慢してきた。まさか、その根本の原因が、彼が自ら私に手渡したあの牛乳だったなんて。私はその場に固まったまま、まるで木彫りの人形みたいに動けない。部屋の中では、まだ嘲り声が響いている。「嘉山もやるなぁ。あの女、あんなにクールだったのに、嘉山の前じゃまるで子犬だ。夜のほうもきっとうまくいってるんだろ?」嘉山は眉を上げて、ふっと笑う。「あいつの方から頼んでくるんだよ。暇つぶしに練習の相手してやってるだけ。もうすぐ真夏が帰国するから、もし彼女をケガさせたら困るだろ?時雨なんて田舎育ち、どう扱っても壊れやしないが、真夏は繊細で大事にしないと」榎本真夏(えもと まなつ)の名前を口にしたとき、嘉山の表情に一瞬だけ浮かんだ優しさが、私の胸に鋭く突き刺さる。彼の口からこぼれる一言一言が、私の顔を平手で打つように響いた。私は歯を食いしばって、血の味を飲み込む。この結婚は、もともと相澤当主が無理やり頼み込んできたものだった。私は相澤当主の援
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第2話
重い足取りで家に戻ると、玄関に入った瞬間、自分の荷物が無造作に床に投げ出されているのが目に入った。ちらりと床に転がる父の遺影が目に映り、私の顔色は一瞬で蒼白になった。震える手で遺影を拾い上げ、赤くなった目で使用人に怒鳴りつける。「誰が……誰が勝手にお父さんの遺影に触れろって言ったのよ!」使用人は一瞥もくれず、冷たく言い放った。「旦那様のご指示です。文句があるなら旦那様にどうぞ」その口調はあくまで蔑みを隠さず、私のことなどこの家の女主人とも思っていない様子だった。この家での私は、きっと犬以下の存在だ。背後から声が響いた。「俺がやらせた。何か文句でも?」振り返ると、嘉山が明らかに不機嫌そうに私を見下ろしていた。「真夏が帰ってくるんだ。彼女は南向きの部屋が好きだから、お前の部屋は明け渡せ。お前はこれから使用人部屋でいいだろ」そう言って、彼は床に散らばった安っぽい服を一瞥し、皮肉げに口元を吊り上げる。「どうせお前なんて、小さい頃からそんな暮らししてただろ?別に苦労でもないだろう」嘉山は、私の出身をずっと蔑んできた。私が彼と結婚したことすら、彼にとっては家の名誉を汚すものらしい。玉の輿とはよく言うけれど、どんな悔しさも飲み込んで、表には出せないものだ。でも、もうこれ以上我慢したくなかった。父の遺影をそっとしまい、私は黙って外へ向かった。私が使用人部屋へ行かないのを見て、嘉山は眉をひそめ、私の腕をつかんだ。「どこに行く気だ?」私は冷たく答える。「真夏が戻ってくるなら、私はここにいる必要ないでしょ」嘉山は舌打ちしながら言った。「お前も分かってるじゃないか。でもまあ、別に出ていく必要はない」彼はまるで施しを与えるように顔を上げて告げた。「真夏がさ、海外にいた時に一番恋しかったのはお前の作る白玉入りのおしるこだと言ってた。この間、お前はここにいて彼女のために料理を作れ」そして、何か思い出したように冷たく念を押す。「それから、真夏には絶対に言うな。俺がお前に触れたことは。お前も分かってるだろ?知られたらどうなるか」そのまま、私の手首をぐっと強く握り、目に脅しを光らせた。口の中に、あのピル入りの牛乳のえぐみが蘇る。私は静かに頷いた。「分かってる。あなたたちの邪魔は絶
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第3話
真夏が声を上げた瞬間、彼はもう私に気を配る余裕などなくなったようだった。立ち上がると、私に冷たく言い放つ。「仏壇の前で正座してろ。自分の過ちに気づくまで、そこから出るな!」そして、私は人に連れられて、窓もない小さな物置に放り込まれた。ここは、私がいつも罰を受ける場所。すぐ隣の壁一枚隔てた向こうは、嘉山の寝室だ。真夏の甘ったるい声が聞こえてくる。「嘉山、私、別に怪我してないよ。なのに、時雨さんにあんなに厳しくするなんて……」「真夏を怖がらせたこと、それ自体があいつの一番の罪だ。あいつは図太いから、どんなに閉じ込めても平気さ」衣擦れの音がして、真夏が小声で甘える。「嘉山、もう結婚してるのに……私たち、こんなのよくないよ……」嘉山の声は、まるで誓いのように優しかった。「真夏には分からないだろうが、あいつは貧乏くさくて、触れるだけで嫌になるさ。この何年間、あの人には一度も触れてない。俺の心にいるのは真夏だけだ。だから、絶対にお前を傷つけたりしない……」二人の艶めかしい声が、ドアの隙間から聞こえてくる。その一言一言が、私の心を刺した。私は仏壇の前で、ぼんやりと仏像を見つめながら、どうして自分がこんな仕打ちを受けるのか、どんな罪を犯したのか、考え続けていた。嘉山は、私の存在などすっかり忘れているようだった。私は物置で三日間閉じ込められ、彼と真夏はその間ずっと仲睦まじく過ごしていた。怪我の破片は取り除かれず、薬も塗られなかった。窓のない蒸し暑い部屋には、腐ったような匂いさえ漂い始めていた。ようやく嘉山が私のことを思い出した時には、私はもう疲れ果て、空腹と衰弱で何度も意識を失っていた。扉が開くと、使用人が容赦なく私に冷たい水を浴びせかける。「なにこの匂い、くっさ……」彼女たちは嫌悪感を隠そうともせず、私を乱暴に外へ連れ出す。「旦那様の奥さんになったからって、いい気になるなよ。真夏さんみたいな家柄の人だけが、お似合いなんだから」彼女たちは私を噴水の中へ突き飛ばし、水鉄砲で容赦なく打ちつける。一通り「掃除」した後、私はそのまま嘉山の前へ連れて行かれた。嘉山は私を一瞥し、驚いたように言った。「やっぱりお前は図太いな。三日も閉じ込められて何ともないとは。爺さんが、お前を家族の宴に連れてこいって言
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第4話
相澤夫人の刺すような嫌味が耳元に響いた。次の瞬間、腰の辺りの柔らかな肉が激しく痛んだ。彼女は冷たく鼻で笑い、手を引っ込める。「今週の体外受精の手術、ちゃんと予約しておいたのに、なんで行かなかったの?」三日間も閉じ込められて、部屋から一歩も出られなかった。言い訳しようとした瞬間、別の声がそれを遮った。「この間、彼女は買い物に夢中で、バッグをいくつも買い漁ってたんだよ。きっとそんな大事なことも忘れちまったんだろ」嘉山が私をじろりと睨みつけて、私の言葉を無理やり飲み込ませる。胸が締め付けられる。彼は、真夏が相澤夫人に責められないように、わざと私に罪を擦り付けたのだ。じゃあ、私は?彼は一度でも、私がこれを聞いてどう感じるか考えたことがあるのだろうか。案の定、相澤夫人の平手打ちが容赦なく私の頬に降り下ろされる。一瞬で赤い手形が浮かび上がった。「我が家に嫁いできて、衣食住すべて面倒見てやってんのに、子どもすら産めない!今度は不妊治療すっぽかして、私に恥をかかせる気か!」彼女は怒りに震え、親戚たちの前で平手打ちを繰り返した。私は床に倒れ込み、目の前がぐるぐると回る。私の惨めな姿を見て、嘉山は反射的に手を伸ばしかけるが、すぐに我に返って眉をひそめて立ちすくむ。真夏の目に一瞬、嫉妬の色がよぎる。すぐさま私の元に駆け寄り、支えようとした。「時雨さん、おばさんにちゃんと謝ろう、ね?」そう言いながら、私の傷だらけの手をわざと強く押さえつける。長い爪が治りきっていない傷口に食い込み、あまりの痛さに私は思わず真夏の手を振り払った。真夏は「きゃっ」と大きな声を上げ、手の甲をテーブルの角にぶつけて青あざができた。嘉山の顔色が一変し、真夏の手を取って目を潤ませて怒る。「お前、俺の目の前で真夏をいじめるなんて、調子に乗りすぎだろう?」周囲の親戚たちも冷ややかな視線を向けてくる。「やっぱり下町育ちじゃ、根性も卑しいわね。真夏さんが親切に手を貸したのに、手を出すなんて!」私は必死に歯を食いしばり、傷の痛みに耐えながら説明する。「わ、わざとじゃないの……」嘉山は呆れたように笑う。「俺がこの目で見たんだぞ。それでも言い訳するつもりか?」彼は私の手首を強く掴み、無理やり真夏の前に引っ張り出す。
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第5話
嘉山は信じられないという顔で、頬を押さえたまま声を上げた。「爺さん、どうして俺を叩くんだよ?悪いのは時雨のほうなのに、どうしてそんなに彼女ばかり味方するんだよ?」息子が叩かれるのを見て、相澤夫人は心底から心配そうな表情を浮かべ、思わず口を挟んだ。「お義父さん、落ち着いて話してくださいよ。なんで嘉山を……」相澤当主はフンと鼻で笑い、赤く腫れた手形が残る私の顔を指さした。「じゃあ、なんでお前たちは時雨にこんなことしたんだ?この子の頬の痕……誰がやったんだ?」皆の前で非難され、プライドの高い相澤夫人は顔色を変え、堪えきれずに反論した。「それは、時雨が常識知らずだからよ!嫁いで七年にもなるのに、子供の一人も授からないなんて!体外受精でもしなさいって言ったのに、遊ぶことばかり考えて、相澤家の嫁としての責任を全く忘れているんだから!」相澤夫人はますます自分が正しいとばかりに声を張り上げたが、相澤当主は静かな顔でじっと私の「罪状」を聞いていた。話が一段落すると、相澤当主は嘉山に目を向け、淡々とした声で尋ねた。「嘉山、お前のお母さんの言ってること、全部本当か?」嘉山は目を逸らし、どこか後ろめたそうに答えた。「爺さん、今さら何を……そんなの家族みんな知ってることだろ……」相澤当主は冷たく笑い、手にした杖で嘉山を容赦なく叩いた。「痛っ!」と嘉山が叫び、相澤夫人は慌てて駆け寄った。「お義父さん、そこまで偏るのはおかしいでしょ?悪いのは時雨の方なのに、なんで嘉山を……」相澤当主は無言でスマホを取り出し、一つの録音を再生した。部屋の中に、嘉山の冷たい声が響き渡る。「毎回終わったあと、俺がわざわざ牛乳飲ませてんのに。何年もずっとピル飲まされてて妊娠できるわけないだろ?」相澤夫人は目を見開き、部屋の空気は一瞬にして油鍋に水を注いだみたいに沸き立った。「自分の妻にピルを飲ませてた?そんなこと嘉山がするなんて…」「しかも時雨、何度も体外受精の治療してたって聞いたぞ……それ知ってて黙ってたのかよ?」真夏は私をじっと睨みつけ、嘉山に不満をぶつけた。「あなた、あの人には一度も触れてないって言ったわよね?」嘉山は焦りの色を浮かべ、必死に弁解する。「違うんだ、全部家族に無理やりさせられただけだ!俺は彼女にこれっ
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第6話
嘉山は呆然とし、思わず問い返した。「え……違うのか?時雨が無理やり真夏を追い出したんじゃ……」相澤夫人も我慢できずに口を挟む。「だってお義父さんが無理やり二人を結婚させようとしたからよ?あの子はいい子だったのに……どうして婚約を破棄させなきゃいけなかったの?」「いい子?」相澤当主は冷たい笑みを浮かべ、書類の束を取り出した。「お前の言ういい子はな、うちが倒産寸前になった時、必死になって嘉山というお荷物を切り捨てようとしたんだぞ!当時、家の経営が傾いて、俺は長年付き合いのあった榎本家に助けを求めた。だが……やつらは助けるどころか、婚約破棄を申し出て、ついでにうちを食い物にしようとした!俺も仕方なく婚約解消に同意したんだ。嘉山が傷つくと思って、真実はお前たちに黙っていた」相澤当主は悔しげな表情を浮かべ、申し訳なさそうに私を見る。「だが、そのせいでお前たちは狼をウサギと思い込んで、時雨をここまで苦しめることになってしまった!嘉山、お前も考えてみろ。この何年、一番辛い時に、ずっとそばにいてくれたのは誰だった?」嘉山の瞳に戸惑いがよぎる。床に落ちた書類を拾い上げ、読み進めるほどに顔色がどんどん青ざめていく。相澤夫人もその変化に気づき、ついに書類を手に取って読み始めた。二人が読み終えた後、硬直したように呆然としている。真夏の顔には一瞬、後ろめたさがよぎる。無意識に嘉山の腕を取ろうと、いつもの甘えた仕草を見せる。だが、彼女の手が嘉山の袖に触れるより早く、彼の手がその手をはね除けた。嘉山の視線は、深い失望に満ちていた。「真夏……これ、本当なのか?」真夏の声は小さくなり、つい口を滑らせる。「だって……あなたの家があの時どんな状況だったか、知ってるでしょ?私がそんな貧乏人の嫁になるわけないでしょ?でも、今はもう立て直したんだし、また元通りになれるじゃない?」真夏が認めるのを聞いて、嘉山は口を開いたが、何を言えばいいのかわからなかった。「お前……そんな人間だったのか?」相澤当主は呆れたように吐き捨てる。「最初からこういう人間だったんだ。お前たちが見抜けなかっただけだ!」そう言ってから、彼は嘉山をじっと見据え、重々しく言った。「さっきお前の母さんが、時雨は体外受精の手術に行かなかったっ
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第7話
目の前に突きつけられた離婚届を見つめながら、嘉山は未だ現実が飲み込めないようで、困惑した声を漏らした。「爺さん、離婚って……何の話だよ?」相澤当主は苦々しい顔で言い放つ。「これだけ時雨に酷いことをしてきて、まだ縛りつけようってのか?お前には人の心ってもんがないのか?」嘉山の顔には困惑の色が浮かび、無意識に私へと視線を向けた。「時雨……本当に、俺と別れるつもりなのか?」私は羽織をぎゅっと握りしめ、落ち着いた声で答える。「そうだよ。もう二度と、あなたに私の貧しさを我慢させることはないから」嘉山の顔色がさっと青ざめ、声を潜めて言う。「それは怒ってた時に言っただけだろ?本気にするなよ!時雨、これまで俺は悪かった。でも全部、俺の誤解だったんだ!今はもう誤解も解けたし、お前が俺を愛してくれていることも知ってる。これから二人でちゃんとやり直そう?な?」私は嘉山を見つめ返し、どうしてこんな言葉が口から出てくるのか不思議で仕方なかった。結婚して七年。私が受けてきた苦しみは、「誤解だった」の一言で済まされるのか?彼の軽い物言いに、思わず笑いそうになった。私は彼の手を冷たく振り払い、きっぱりと言い放つ。「勘違いしてるみたいだけど、私はあなたを愛してなんかいない」嘉山はすぐさま反論し、自信満々に言う。「ふざけるな!愛してなきゃ、なんで俺の言うこと何でも聞く?どんなに酷いことしても許してくれたのは何でだ?いいか、これからはちゃんと償う。お前の望むもの、何でも与えるから!」私は口元を歪めて、皮肉を込めて笑った。「当主が全部話してくれたから、もう隠すこともないわ。私があなたと結婚したのは、愛でも金でもない。ただの恩返しよ」「恩返し?」嘉山は呆然とした。相澤当主は静かにため息をつき、重々しい口調で語り始めた。「時雨が大学に進学できたのは、俺が学費を援助したからだ。その恩を理由に、無理やりお前と結婚してもらったんだ。榎本家との婚約破棄のスキャンダルを誤魔化すために……高学歴の嫁を迎えたと見せかけて株価を安定させるために。もう一つは、彼女の実力を見込んでのことだった。実際、時雨のおかげで会社は持ち直した。俺は人を見る目はあったが、孫を見る目がなかったようだな」嘉山はその場で固まり、顔
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第8話
再び目を覚ましたとき、私はすでに相澤家の屋敷に戻されていた。重々しい空気の中、相澤当主は私を見つめ、複雑な表情を浮かべている。「時雨……妊娠しているんだ」その言葉に、私は思わず固まってしまった。口をついて出たのは、思いもしない一言だった。「そんなはずない、嘉山が薬を飲ませてたはずなのに……」部屋の隅に立つ嘉山は、どこか後ろめたそうに視線を落とし、ぽつりと呟いた。「時雨、先月のあの日、俺……牛乳を届けるの、忘れてた……」一瞬、時が止まったようだった。たった一度の油断で、こんなことになるなんて、全く、想像もしていなかった。だけど、この子は、今は……あまりにも、タイミングが悪すぎた。嘉山の瞳に、かすかな希望の光が宿る。彼は私の窓辺にひざまずき、必死に訴えかけてきた。「時雨……きっと神様が、俺たちを引き離したくなくて、子どもを授けてくれたんだ。今度こそ、ちゃんと父親になってみせる。夫としても、絶対にお前を幸せにしてみせる。だから……お願い、俺のそばにいてくれ……」普段は冷たく私を見下していた相澤夫人までが、どこか柔らかい声色になる。「時雨……今までお義母さんが間違ってた。もう、うちの子を身ごもったんだから、過去のことは水に流して、一緒にやり直さないか?」相澤当主は何も言わずに黙っているが、その眼差しには淡い期待が浮かんでいた。みんな、この子を理由に私が戻ってくることを望んでいる。戻れば、私は名実ともに相澤家の正妻になれる。けれど、私はもう、疲れ果てていた。嘉山とこれ以上、絡み合いたくなかった。お腹に手を当て、私は一切迷わず、はっきりと言った。「この子は……産まない」嘉山の顔から、血の気が引いた。必死に私の手を握りしめてくる。「時雨……ずっと子どもが欲しいって言ってたじゃないか。やっとだぞ?この子さえいれば、これからちゃんと家族として……」彼の声には、かすかな願いが滲んでいた。そこへ、真夏が焦ったように飛びかかってきた。「ふざけないでよ!嘉山!あんた、私との約束を忘れたの?あんたの子どもを産めるのは私だけだって、そう言ったじゃない!」嘉山は彼女を冷たく突き放し、私のほうを向いて弁明する。「うるさい!時雨、全部この女に騙されてたんだ。信じないでくれ。愛してるのはお前だけだ」
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第9話
運転手は急いで車を飛ばし、私を相澤家傘下の病院まで送り届けた。手術は順調に終わった。体の中から小さな命が流れ出ていくのを感じたとき、私の心はただ静かに、解き放たれるような安堵だけが残った。病室から出されたその瞬間、ドアを勢いよく開けて飛び込んできたのは、嘉山だった。傍らのボディーガードが事情を説明する。「若旦那様、命がけて駆けつけまして……私たちも止められませんでした」私は彼を責める気にもなれず、ただ淡々と嘉山を見つめて言った。「もう遅いの。お腹の子は、もういない」嘉山は目を赤くして、その場に崩れ落ちた。「時雨、なんで……どうしてこんな酷いことを……」思わず笑いそうになった。この七年間、私にしてきた仕打ちを、彼はすっかり忘れたらしい。その時、相澤当主が入ってきて、地べたに座り込んだ嘉山を一瞥し、呆れたように叱った。「バカ者が!今さら後悔か?もっと早く気づけばよかっただろう!」そう言いながら、相澤当主は嘉山を無理やり引きずり起こして連れ出そうとする。「このままじゃ時雨に顔向けできんだろう!邪魔だからさっさと出ていけ!」病室の扉が閉まっても、相澤当主の叱責は微かに聞こえていた。私はすべて聞こえぬふりをして、ベッドに腰掛けたまま、渡された小切手を一瞥した。相澤当主はさすがに太っ腹で、いきなり二十億円。これで私のこれからの人生は安泰だ。療養のために病院で過ごす間、嘉山は毎日のように見舞いに来て、高級な贈り物や滋養の品をこれでもかと届けてきた。何も知らない看護師たちは、羨ましそうに言う。「ご主人様、本当に奥様のこと大事にされてますね」私は微笑んで訂正した。「違いますよ。私たち、もう離婚しましたから」つい最近、嘉山は相澤当主に強く迫られ、離婚届にサインしたばかりだった。あと数日で正式に離婚成立。そして、退院の日、まさか真夏が現れるとは思ってもみなかった。この間に彼女はずいぶんとやつれ、頬もこけて、かつてのみんなの憧れのお嬢様の影はなかった。私を見つけると、彼女は怒鳴りつけてきた。「あんた、もうすぐ離婚するんでしょ?だったら何でまだ嘉山にまとわりつくのよ!本当は私が彼と結婚するはずだったのに、全部あんたが邪魔したから!」言い終わるが早いか、彼女は私に詰め寄り、平手打
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