Se connecter初日は何事もなく終わった。翌日は午前九時半に相楽が迎えに来てくれて、一緒に家を出た。
「朝はいないんだよね。いつも駅で待ってて、同じ電車に乗ってくる」 「じゃあ、電車に乗ったら警戒すればいいんですね」 と、相楽。 「うん、そうだね。相手はおれが一度、隣に座ったことがあるだけなんだけど、何を勘違いしたのか、つきまとうようになったんだ」 「厄介ですね。特に言葉をかわしたわけでもないんでしょう?」 「当然だよ。まさか、それだけでストーカーされるとは思わなかったし、最初はまったく知らない人だと思って怖かった」 神崎はため息をついた。またかと 出勤すると、すでに来ていた
事務所を出て階段をおりる。すでに日が落ちて辺りは暗かったが、神崎は相楽が隣に並んだところで言う。
「来てるっぽい。予定通り、このまま書店に行こう」 「分かりました」 相楽がうなずき、神崎は駅ではなくブロードウェイへ向かって歩き始めた。商業施設の中は明るく、人気もあってほっとする。
目当ての書店へまっすぐに進むと、神崎は店の前に貼られているポスターに気づいた。 「あ、もうブックサンタ始まってたんだ」 足を止めた神崎に相楽がたずねる。 「何ですか、ブックサンタって」 「あれ、知らない? 厳しい環境とか、大変な状況にいる子どもに、本を届ける取り組みだよ。おれ、毎年やってるんだ」 「え、毎年?」 「おれも本なんて、全然買ってもらえなかったからさ」 言いながら神崎は店内へ入り、相楽が後をついてくる。 「神崎さん、貧しい家の子だったんですか?」 「んー、どう説明したらいいかな。一言で言うと、ネグレクトってやつ」 反応が気になって振り返ると、相楽はショックを受けた顔をしていた。 「ああ、ごめん。そんな顔しないで」 「無理ですよ、神崎さん。ここがお店の中じゃなければ、今すぐ抱きしめてました」 「そんな大げさに受け取らないでよ。家族とはもう連絡取ってないし、おれは平気だからさ」 と、できるだけ明るく言って児童書の棚へ向かう。 「さて、今年はどれにしようかな」 人気の本にするのもいいが、個人的に気になった本でもいい。あの頃の自分が読みたいと思うものを、神崎は毎年、数冊選んでいた。 相楽が横に来て、らしくない静かな声で言う。 「知ってましたけど、神崎さんは心が綺麗ですよね」 「え?」 顔をあげて彼を見る。相楽は恥ずかしそうに頬を染めながら、もう一度はっきりと言った。 「神崎さんは心が綺麗なんです。気高くて、強くて、とてもかっこいいです」 初めて言われた言葉だった。 神崎の胸がドキッと高鳴り、妙に恥ずかしくなってしまう。 「あ、ありがとう……そんな風に言われるの、初めてだよ」 「それじゃあ、今まで神崎さんが出会ってきた人たちは、本当の神崎さんに気づかなかったんですね。もったいないです」 本当の神崎さん――本当の自分。 「……うん、そうかもしれないね」 外見でなく、心を見てくれる人は初めてだ。胸がくすぐったくなって、相楽という存在が大きさを増す。 同時に、彼をどう扱ったらいいか分からなくなり、神崎は本を選ぶ振りをして、相楽から少しだけ離れた。昨日と同じようにアパートまで送ってもらった。
郵便受けを見ると、またストーカーからの手紙が入っていた。しかし、今回はひとつだけだ。 『知らなかったよ、君に彼氏がいたなんて』 相楽が横からのぞきこんで言う。 「これは、確実にダメージ受けてますね」 「うん、計画通りだよ」 手紙を手にしたまま廊下を進み、扉の前で神崎は振り返る。 「相楽くん、ありがとう」 「いえ。明日の朝もまた、迎えに来ますので」 「うん、分かった。気をつけてね」 「神崎さんこそ、気をつけてください」 「それじゃあ、おやすみ」 「おやすみなさい」 笑顔で挨拶をかわし、神崎は鍵を開けて部屋へ入ろうとしたが……。 「あれ、開いてる」 「えっ!?」 状況を理解した途端、背筋に冷たいものが走った。 「ちゃんと鍵、閉めたはずなのに」 「ええ、閉めましたよ。自分も見てますもん」 「そうだよね? やばい、嫌な予感がする……」 恐怖で震えそうになる神崎へ、相楽が言った。 「自分が中に入ります。神崎さんはそこにいてください」レイは理解しがたいと言った顔をする。「でも、いなかったじゃないか」「うん、ここしばらくは忙しいみたいで、顔出してないな。けど、そもそもはゆるく体を動かすのが目的だ」 駅前のベンチから人が減り、夜の静けさが漂い始める。「たとえばサッカーをやりたい人がいたら、同じくやりたい人を集めてやる。 だいたいは休日の数時間で、長時間の拘束はしないのがルールだ」「何、それ……」「人数が多いと試合になることはあるけど、勝ち負けにはこだわらない。 スポーツを楽しみたい人だけが集まってるからな」「……意味分からない」「レイにとってはそうかもな。でも、居心地のいい場所ってのは、かならずどこかにあるものなんだよ」 間遠は経験から知っていた。「伊上がそれを作ってくれて、オレはまたスポーツを楽しめるようになった。 だから、あいつにはめちゃくちゃ感謝してるんだ」 辺りが薄暗くなり、駅前の明かりが存在感を増す。「それでさ、話は少し変わるんだけど、今度はオレが居場所を作ってやれないかって思ってる」「……」「レイ、オレがお前の居場所になるから、来いよ」「来いって、どこに?」 戸惑うレイに間遠はまぶしい笑みを向けた。「決まってんだろ、久我探偵事務所だよ」 意外にもレイは嫌がらなかった。 間遠は扉を開けて中へ入るようにうながし、レイがおずおずと室内へ足を踏み入れる。「お待ちしてました!」 と、開口一番に言ったのは名城璃久だった。 数歩進んだところでレイが立ち止まる。温かい視線ばかりではないことに気づいたのだろう。 実際、久我と相楽はまだ納得していない様子であり、鯉川も困惑顔だ。 にこにこと笑っているのは璃久だけだった。「や、やっぱり帰る」 視線に耐えかねたのか、怯えた様子を見せたレイへ、神崎が声をかけた。「あなたのために用意した料理、無駄にする
「これ、レイのいたずらっすよね?」 間遠桜はそう言ってスマートフォンの画面を久我健人へ見せた。 映っていたのはメッセージアプリのスクリーンショットだ。内容は間遠に対する悪口だった。「送られてきたのか?」 と、久我が眉間にしわを寄せるが、間遠は言った。「璃久ちゃんへの嫌がらせの後、しばらく何もなかったんで、忘れられてなくてよかったです」「……それで?」「今度はオレと遊びたいんだな、って返信しました」「傷つかなかったのか? あんな悪口を言われてたんだぞ」 間遠はスマホを操作しつつ、ちらりと久我を見やった。「別に。だってレイの捏造だってバレバレですし」「そうなのか? だが、どう見てもあれは……」 久我が困惑するのは当然だった。 大学の陸上部の仲間たちが、怪我をして走れなくなった間遠を嘲笑する内容だったからだ。 間遠は自信満々ににかっと笑う。「明らかなミスを犯してるんすよ、あいつ」 そして鯉川宗吾を振り返った。「鯉川さん、今送った画像の解析、お願いします」「明らかなミスしてるって言ってなかった? おじさんがやる意味ある?」「無視するのも可哀想でしょ。とにかく、お願いしますね」 と、間遠は自分の席へ戻った。 鯉川は久我と顔を見合わせて首をかしげるが、間遠はかまわずに今日のスケジュールを確認し始めた。 調査から戻る頃に、またレイからメールが届いていた。 今度は音声ファイルが添付されており、間遠は久我の前で再生した。 古い音声ということにしたいのだろう、ノイズが入っていて聞き取りにくいが、部員たちが間遠の悪口を話しているのが分かった。「すっげーな、レイって。こんなもんも作れるのか」 と、間遠が感心すると、久我は微妙な顔をした。「これも捏造か?」「当然っすよ。っつーか、何か勘違いしてるっぽいな」「どういうことだ?」
璃久は膝を立てて三角座りをした。ぎゅっと膝を抱き、顔を埋めるようにして考える。 昨日、間遠が言っていた。ネットで拡散された写真を消すのは、いたちごっこだと。 璃久は悲しい気持ちになりながら言った。「終わりがないことをやっている自覚、ありますか?」「ああ、あるよ」「それでも、やめられないんですか?」「やめられないね。どうしても、俺がやらなきゃって思っちまう」 鯉川は立ち上がり、台所へ行くと冷蔵庫を開けた。 缶ビールを取り出し、その場でごくごくと飲み始める。「俺の両親はある意味、賢かったんだ。そういう写真に高値をつけても、買う人間がいることを知ってた」「……」「でも、それがあいつの……違うな、俺の人生までもを壊しちまったんだ」「もうやめてください、鯉川さんっ」 璃久が声をあげると、鯉川が冷めた目を向けて自嘲する。「璃久ちゃんには分からねぇよな、俺の気持ちなんてよ」「分かりません。でも、鯉川さんのやってることが、リストカットと同じだってことくらいは分かります!」 鯉川が目をみはり、璃久は震えそうになる足で立ちあがった。「もう許してあげてください。自分のこと、許してあげて……っ」 ぼろぼろと涙がこぼれ、頬を伝い落ちていく。「鯉川さん、もういいでしょう? もうそんなに自分をいじめなくても、いいはずでしょう?」「……贖罪だとしても?」「そんなの、自己満足じゃないですかっ。 もういない人に向けて罪滅ぼしをしたって、満足するのは自分だけじゃないですか!」 言ってからはっとした。「違う、満足なんてしない。するわけがないんです」「……」「だって、鯉川さんは満足しようとしてないでしょう? 行為が目的になってて、結果を見ようとしてないんです」 鯉川が小さく笑った。「すごいな、璃久ちゃんは。そうだ、俺は満足なんてしな
鯉川がシャワーを浴び終えた頃、璃久も足の踏み場ができる程度には片付けができた。「ごめんね、璃久ちゃん。ありがとう」 と、濡れた髪のまま鯉川が戻ってきて、璃久はゴミ袋を部屋の隅へ積む。「別にいいんですよ。それより、みなさんから話は聞きました。大丈夫ですか、鯉川さん」 璃久がじっと鯉川を見つめると、彼は視線をそらした。「ごめん。でも、やらなきゃいけないんだ」「ハッキングして写真を消してるんでしょう?」 間髪をいれずに璃久が問うと、鯉川はパソコンの方を見て返す。「六年前に自殺した娘さんなんだ。 ネットのおもちゃにされてて、ひどいのだとディープフェイクまで作られてた。消したいって思うのは当然だよ」「だからって、鯉川さんが無理をしてまで、引き受ける必要はあるんですか?」 鯉川はため息をつき、奥の部屋からペットボトルのミネラルウォーターを取ってきた。「座って話そう。これ、飲んでいいよ」「ありがとうございます」 ペットボトルを受け取り、璃久は座卓のそばに腰を下ろした。 鯉川も座卓を囲んで左側に座り、キャップを開けて水をごくごくと飲む。しばらく水分補給すらしていなかったようだ。 半分ほど飲み干してから、鯉川は口を開いた。「昨日はドタキャンしちゃって、ごめん」「いえ、また今度にすればいいだけですから」「そう言ってもらえるのは嬉しいけど、おじさんには話したくないことがたくさんあるんだ」「もしかして、ボクに帰れって言ってますか?」「……ごめん。せっかく来てくれて悪いけど、部屋も片付けてもらっちゃって悪いけど、できれば早く帰ってほしい」 いつもより伸びた無精髭が痛々しく見えた。普段の軽口は影すらなく、鯉川は弱々しい顔をしていた。「嫌です、って言ったら?」 鯉川がのぞきこむように璃久の目を見る。「璃久ちゃんって、可愛い顔して押しが強いんだよね」 からかうような口調ではなく、むしろ自信の情けなさを反映したような台詞だった。 璃久もミネラルウ
日曜日の夕方、新宿の繁華街から少し離れた喫茶店で、名城璃久は間遠桜と向かい合っていた。「それで、鯉川さんに何があったんですか?」 たずねる璃久へ間遠は困ったように笑う。「オレも久我さんから聞いた話なんで、くわしいことは分からないんだけどさ」 と、前置きをした。「先週の金曜日だから、一昨日だな。依頼の相談があったんだけど、久我さんは断ったんだ。明確に法に反するから、って」「その依頼っていうのは?」「確か、娘の写真がネットで拡散されてて、それを消してもらいたいって話だった」「写真を消す?」 璃久が首をかしげると、間遠はアイスコーヒーを一口飲んだ。「拡散される原因になった一人を見つけることはできても、警察はすでに拡散された写真を消すことまではできねぇんだ」「そうなんですか?」「その写真が投稿されたサイトの運営者を通さないとならないし、時間がかかる。削除要請が通っても、その写真を保存した別の誰かがいて、また投稿するかもしれない。つまり、いたちごっこなんだよ」「ああ、なるほど……」「他に写真を消すとしたら、それこそハッキングするしかない。でもそれは犯罪だから、久我さんは断ったんだ」「それで?」「けど、鯉川さんが引き受けたらしい。それも、個人的にな」 璃久はびっくりして目を丸くした。「いくら止めても聞かなかったそうだ。なんか鯉川さん、怖い顔してたって久我さんは言ってたな」 間遠の目に心配の色が浮かび、璃久は言った。「実は今日、鯉川さんと食事をする予定だったんです。でも、ドタキャンされちゃって」「マジかよ、あの鯉川さんが?」 間遠が驚き、璃久は返す。「ボクもびっくりしちゃいました。だから、何かあったのかなと思って、間遠さんに連絡したんです」「そういうことだったか。となると、写真の削除をちまちまやってるのかもしれねぇな」「そうなりますよね。何だか心配です」 と、璃久は伏し目がちにテ
久我は朝比奈へ「分かりました。少々お待ちください」と言い、応接スペースを出て神崎の方へ来た。「神崎、朝比奈さんが君と話したいと言っている。今、大丈夫か?」「ええ、すぐに行きます」 神崎は席を立ち、やや緊張しつつ応接スペースへ入った。「失礼します」「ああ、よかった。君と話したいと思ったんだけど、今は仕事中だったな」「短い時間でしたらかまいませんよ」 と、神崎がソファへ座ろうとすると、朝比奈は言った。「仕事が終わるのは何時なんだい? もし予定がなければ、どこか喫茶店にでも入って話そう」「分かりました。では、十九時過ぎに下のカフェで待っていてください」「分かった、下のカフェだね」「Cafe in the Pocket.と言います。ランチも美味しいですが、ディナーメニューもおすすめですよ」「それじゃあ、夕食をしながらということにしよう。失礼したね、また後で」 にこりと爽やかに笑い、朝比奈は立ちあがった。 仕事終わりにカフェへ入ると、朝比奈が来て待っていた。すでに食事を始めている様子だ。「お待たせしてすみません」 と、神崎が声をかけると、朝比奈はこちらを見てきょとんとした。 神崎の隣には相楽がいた。自分も同席したいと申し出てきたのだ。「同棲中の彼氏です」「はじめまして、相楽浩介と申します」 はきはきと相楽が名乗り、朝比奈はにこりと笑った。「ああ、そうだったのか。二人きりになるより、ずっといい。来てくれてありがとう、僕は朝比奈優弦だ。よろしく」「こちらこそ、よろしくお願いします」「どうぞ、座って」 うながされて神崎は朝比奈の向かいへ、相楽はその隣に腰をおろした。 今日は名城璃久がまだ働いており、おしぼりを持ってきた。 神崎がこの時間、ここで食べるものはいつも決まっている。「ボロネーゼとアイスコーヒー」「自分は煮込みハンバーグプレート、ライスで。あとホットのカフェラテをお願いします」「かしこまりました」
「所長」 神崎寿直に呼ばれたかと思いきや、メモを差し出されていることに気づいて久我健人は驚いた。 メモに目を走らせると「盗聴されています」の文字。 久我は無言で神崎を見あげてから、そっとメモを受け取った。裏返しにしてボールペンで書きこむ。「どこにある?」 神崎はすぐに給湯室を指さし、新たなメモを見せた。「この前おれが一人でいた時、ビルの配管に異常があるとかで点検するためにって業者が入ってきたんです」 久我は納得して筆談をやめ、口で返した。「なるほど、そういう
「この度は久我探偵事務所にご依頼いただき、ありがとうございました」 玄関先で間遠が頭をさげると、古川大貴も深々と礼をした。「こちらこそ、ありがとうございました」「それでは、失礼します」 と、間遠は玄関の戸を開いた直後、ふと立ち止まった。――広大な庭、目を楽しませてくれるさまざまな緑。「どうかしましたか?」 後ろから古川大貴が怪訝そうに声をかけてきて、間遠は振り返る。「箱の中に入っていた写真の意味、分かったかもしれません」「え?」 間遠は一歩外に出て、桜の木を見つめた。「
「お庭、広いですよね。しかもいろんな植物が植えられています」 ふと感想をもらした間遠へ、古川大貴は言った。「亡くなった祖母が、ガーデニングを趣味にしていたんです。その後は祖父が世話をしていました」「お一人で、ですか?」「さすがにそれは無理なので、孫の僕たちが手伝ってましたよ。ただ、この家もどうなってしまうか……」 古川大貴が沈んだ表情をし、間遠は静かに問いかける。「この家、取り壊してしまうんですか?」「親戚たちの間では、そういう話になっています。もう誰も住む人はいないので、土地
インターネットを通してやってきた依頼を見て、久我健人は眉をひそめた。「猫……?」 自分の席でコーヒーを飲んでいた間遠桜はそちらを見る。「猫探しの依頼っすか?」「ああ、いや、そうじゃないんだ。遺言状に愛猫の名前だけが書かれていて、その暗号を解いてもらいたいという内容でな」 久我はそう答えたが、気乗りしない顔で息をつく。「何だか妙な話だ。注意した方がいいかもしれない」 間遠は首をかしげ、隣の席の神崎寿直と顔を見合わせる。







