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元夫へのレクイエム

元夫へのレクイエム

Par:  涼音Complété
Langue: Japanese
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私、新村綾音(にいむら あやね)は、帝都芸術大学音楽学部が誇る至宝。 いわゆるトップの天才であり、指揮科の主任教授・寺岡慎司(てらおか しんじ)の妻でもある。 周囲は口を揃えて言う。 彼に愛され、慈しまれる私は―― この世で一番の幸せ者だと。

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Chapitre 1

第1話

私、新村綾音(にいむら あやね)は、帝都芸術大学音楽学部が誇る至宝。

いわゆるトップの天才であり、指揮科の主任教授・寺岡慎司(てらおか しんじ)の妻でもある。

周囲は口を揃えて言う。

彼に愛され、慈しまれる私は――

この世で一番の幸せ者だと。

*

卒業演奏会のスポットライト。

それはまるで熱した鉄のように、じりじりと私の肌を焼いた。

極めてシンプルな黒のドレスでピアノに向かう私は、さながら影法師だ。

対照的に、目の前にはオートクチュールを纏い、眩いばかりの光を放つ若山紗耶香(わかやま さやか)が立っている。

私は、彼女の伴奏者だった。

本来なら、ここは私の晴れ舞台、私の卒業リサイタルになるはずだった場所だ。

だが、私の指導教授であり夫でもある慎司の一言が、すべてを奪い去った。

「綾音、芸術には『献身』が必要だ。今回は紗耶香にとって重要なチャンスなんだ、彼女に花を持たせてやってくれ」

彼が言う「花を持たせる」とは、ラフマニノフの協奏曲全集を暗譜で弾きこなす私に、オクターブもまともに届かない紗耶香の伴奏をしろ、という意味だった。

事の発端は数日前。

引き出しの奥にしまっていた私のオリジナルの練習曲を、紗耶香が盗用し、自身の卒業制作のメインテーマに据えているのを見つけたことだった。

慎司に訴えても、彼は無表情に楽譜をめくるだけだった。

「紗耶香の性格は、舞台のセンターに相応しい。お前は技術こそ卓越しているが、角が立ちすぎる。裏方に回るのも、お前にとっては良い修行になるはずだ」

彼の声はいつだって穏やかで、説得力に満ちていた。

私はそれを信じてしまった。

だからこそ、私はここに座り、指先の黒鍵と白鍵から、紗耶香の主旋律を遥かに凌駕する華麗な音色を紡ぎ出していた。

客席からのさざ波のような私語が、耳に届く。

「あの伴奏は誰だ?主役より遥かに上手いじゃないか……」

「確か、寺岡教授のもう一人の教え子、新村綾音だ。天才肌だと聞いたことがある」

照明の下、紗耶香の顔色は青ざめたり紅潮したりと忙しない。

突然、彼女のヴァイオリンが不快な音を立てた。ガラスを爪で引っ掻いたような、耳障りなミス。

会場が静まり返る。

紗耶香は謝罪するどころか、くるりと客席へ向き直ってマイクを握り、涙ぐんだ声で訴えた。

「ごめんなさい……伴奏の方の感情が激しすぎて、どうしても私を圧倒しようとするんです。リズムを乱されちゃって……先生、もう一度やり直させていただけませんか?」

頭の中で、何かが爆発したような音がした。

同情を含んでいた視線は一瞬にして審判の目に変わり、無数の針となって私に突き刺さる。

反論する間もなく、慎司が立ち上がった。

彼はステージの袖まで歩み寄ってマイクを奪うと、苦渋と厳格さを絶妙に演じ分けた表情を浮かべた。

「綾音!何をしている!伴奏の役割は引き立てること、調和することだと何度教えればわかるんだ!ここは技巧をひけらかす場ではない!」

彼は、千人もの学生、審査員、業界の名士たちに向かって、声を張り上げた。

「新村さんはまだ若く、心に浮つきがあり、自己顕示欲が強すぎるのです。どうかご容赦ください。芸術に必要なのはチームワークであり、個人の英雄主義ではありません」

彼の一語一句が、精密なメスの如く私の自尊心を切り裂き、「才能に溺れ、協調性を欠く者」という烙印を焼き付けた。

客席の空気は一変した。

「なるほど、そういうことか。寺岡先生が彼女にソロを弾かせないわけだ。そんな性格じゃ大成しないな」

「技術だけあっても、人間性がね。やっぱり若山さんの方が落ち着いていて華がある」

それらの言葉は、鋭利な弦の音よりも耳障りだった。

目の前が暗くなる。彼の一言の承認を得るためだけに、血豆が潰れるほど練習を重ねた日々が、今やただの笑い話のようだ。

紗耶香が私のそばに寄り、私たちにしか聞こえない声で蔑むように囁いた。

「馬鹿ね、何ぼさっとしてるの?弾きなさいよ、私の裏方さん」

その瞬間、私の中で何かが、音を立てて砕け散った。

私は勢いよく立ち上がる。椅子がガタンと音を立てて倒れた。

会場中が驚愕する中、私は慎司の、あの永遠に冷静で完璧な顔を直視し、一言一句、はっきりと言い放った。

「もう、弾きません」

そして、振り返ることなく音楽ホールを飛び出した。

わかっている。これこそが、彼らの望んだ結末なのだ。

「感情を制御できず、指導に従わない」という罪状が、これで確定した。

背後から、慎司のわざとらしい嘆きと、紗耶香への優しい慰めの声が聞こえてくる。

実に見事な茶番だ。

そして私は、彼らが結託して祭壇へと追いやった、生贄の羊だった。

*

私は慎司によって軟禁された。

「心を静めて反省せよ」という美名のもとに。

携帯電話を取り上げられ、ネット回線を切断され、大学内の独立録音室に閉じ込められた。
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ノンスケ
ノンスケ
自分の妻の才能を伸ばすどころか、他の生徒に成果を横流しし、自分の名声だけを追ったクズ男。殺すより社会的な抹殺の方が、この男には似合いだね。気持ちいいラスト。
2026-01-16 07:25:13
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第1話
私、新村綾音(にいむら あやね)は、帝都芸術大学音楽学部が誇る至宝。いわゆるトップの天才であり、指揮科の主任教授・寺岡慎司(てらおか しんじ)の妻でもある。周囲は口を揃えて言う。彼に愛され、慈しまれる私は――この世で一番の幸せ者だと。*卒業演奏会のスポットライト。それはまるで熱した鉄のように、じりじりと私の肌を焼いた。極めてシンプルな黒のドレスでピアノに向かう私は、さながら影法師だ。対照的に、目の前にはオートクチュールを纏い、眩いばかりの光を放つ若山紗耶香(わかやま さやか)が立っている。私は、彼女の伴奏者だった。本来なら、ここは私の晴れ舞台、私の卒業リサイタルになるはずだった場所だ。だが、私の指導教授であり夫でもある慎司の一言が、すべてを奪い去った。「綾音、芸術には『献身』が必要だ。今回は紗耶香にとって重要なチャンスなんだ、彼女に花を持たせてやってくれ」彼が言う「花を持たせる」とは、ラフマニノフの協奏曲全集を暗譜で弾きこなす私に、オクターブもまともに届かない紗耶香の伴奏をしろ、という意味だった。事の発端は数日前。引き出しの奥にしまっていた私のオリジナルの練習曲を、紗耶香が盗用し、自身の卒業制作のメインテーマに据えているのを見つけたことだった。慎司に訴えても、彼は無表情に楽譜をめくるだけだった。「紗耶香の性格は、舞台のセンターに相応しい。お前は技術こそ卓越しているが、角が立ちすぎる。裏方に回るのも、お前にとっては良い修行になるはずだ」彼の声はいつだって穏やかで、説得力に満ちていた。私はそれを信じてしまった。だからこそ、私はここに座り、指先の黒鍵と白鍵から、紗耶香の主旋律を遥かに凌駕する華麗な音色を紡ぎ出していた。客席からのさざ波のような私語が、耳に届く。「あの伴奏は誰だ?主役より遥かに上手いじゃないか……」「確か、寺岡教授のもう一人の教え子、新村綾音だ。天才肌だと聞いたことがある」照明の下、紗耶香の顔色は青ざめたり紅潮したりと忙しない。突然、彼女のヴァイオリンが不快な音を立てた。ガラスを爪で引っ掻いたような、耳障りなミス。会場が静まり返る。紗耶香は謝罪するどころか、くるりと客席へ向き直ってマイクを握り、涙ぐんだ声で訴えた。「ごめんなさい……伴奏の方の感
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第2話
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第3話
「綾音、いったい何のつもりだ?」慎司は眉をひそめ、再びあの上から目線の「教授」の顔に戻った。「卒業演奏会の件なら、今回だけは不問にしてやると言っているんだ。こんな真似で気を引こうとするな」私は彼を見た。まるで赤の他人を見るような目で。「寺岡先生、これは悪ふざけではありません」私はもう一つの書類を取り出し、テーブルの上を滑らせて彼の前へ差し出した。「これは、私の退学届です」慎司の顔色が一変した。動揺。あの鉄壁の仮面に、焦りの色が浮かぶのを初めて見た。彼が意のままに操れると信じて疑わなかった「完璧な楽器」が、初めて指揮者の支配から逸脱しようとしている。「正気か?」慎司は激昂して立ち上がり、怒りを押し殺した低い声で言った。「君がどうやって私に弟子入りを懇願したか忘れたのか?私がいなければ、音楽の世界において君など無価値だ!」「そうですか?」私は笑った。涙が出るほどおかしくて、声を出して笑った。「でも、今日やっとわかりました。あなたについて行けば、私は私自身でさえなくなってしまうと」彼に反論の隙を与えず、私は踵を返した。背後で、花瓶が壁に叩きつけられる激しい破砕音が響いた。私は振り返らなかった。最短で退学手続きを済ませ、最も愛していたスタインウェイの限定モデルを売却して現金に換えた。そして、サン・ロレンソ行きの片道チケットを取り、煙のごとく姿を消した。未練など微塵もなかった。ここに残れば、彼らに骨の髄までしゃぶり尽くされるとわかっていたからだ。私は誰も私を知らない場所へ行き、私だけの王国を築く。彼ら全員を足元に跪かせるほどの、巨大な音楽帝国を。*十年後。アポロン賞授賞式会場。「今年度の最優秀プロデューサー賞は――」司会者が声を張り上げ、カメラが客席に座る数名の世界的音楽プロデューサーを映し出す。最後に、大スクリーンに大写しになったのは、ある東洋人女性のシルエットだった。「――AYA!『エーテルレコード』創始者にして、伝説の天才プロデューサー!」会場が沸き立つ。私は洗練された白のパンツスーツを身に纏い、ゆっくりとステージへ上がった。AYA、エーテル・レコードの創設者。これが私の新しい身分だ。十年間。無一文の異邦人から、ウェスタリアのポ
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第5話
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「それで?」「仕上げよ」私はデスクを指先で軽く叩いた。「誰もが期待する彼女のソロコンサート当日、特大のプレゼントを贈ってあげる」彼女が二度と這い上がれないほどの、とびきりのサプライズを。紗耶香の動きは早かった。一刻も早く自分を証明したくて居ても立ってもいられなかったのだろう。アルバム制作は順調に進んだ。それも当然だ。リード曲の譜面は、十年前に私が書き捨てたものを、彼女がゴミ箱から拾って隠し持っていたものなのだから。街中は彼女の宣伝で埋め尽くされ、コンサートのチケットは瞬く間に完売した。世間は、この「炎の中から蘇った不死鳥」が、どれほどの奇跡を見せてくれるのかと固唾を飲んで見守っていた。コンサート当日。スタジアムは満席となり、無数のペンライトが星の海を作り出していた。紗耶香は煌びやかな衣装を身に纏い、高くせり上がったリフトの上で、割れんばかりの歓声を浴びていた。彼女の背後の巨大スクリーンでは、感動的な映像が流れ始めた。彼女の「屈辱に耐えた」過去と、「諦めなかった」音楽への夢を振り返るストーリーだ。会場のボルテージが最高潮に達したその時。画面が、唐突に切り替わった。スクリーンに映し出されたのは、見覚えのある薄暗い録音室だった。それは十年前、私が軟禁されていた場所だ。画面の中には、若い頃の紗耶香と紀彦の姿があった。紗耶香は楽譜の束を手に、勝ち誇ったように笑っている。「ねえ楠本先輩、見て。綾音の馬鹿がまたこんなに新曲を書いてたわ。少し手直しすれば、数年は食いっぱぐれないわね」紀彦が笑みを返す。「さすが紗耶香、賢いな。寺岡先生があいつをゴーストライターとして飼い殺しにしてくれているおかげで、俺たちは濡れ手で粟だ。最高のコンビだよ」これらは当時、私が録音室に密かに仕掛けておいた隠しカメラの映像だ。わかっていた。彼らが決して懐くことのない獣であることを。客席は、瞬時に静まり返った。誰もが驚愕してスクリーンを見上げ、我が目を疑っている。紗耶香の顔から、笑みが凍りついた。彼女は引きつった顔でコントロールブースの方を振り返り、絶叫した。「消して!早く消してよ!!」だが、誰も動かない。映像は無慈悲に続く。画面は、慎司の洗練されたオフィスへと切り替わった。映像の中
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第7話
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