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元妻が兄嫁で何が悪いの?
元妻が兄嫁で何が悪いの?
Auteur: 橙川こがね

第1話

Auteur: 橙川こがね
浮気した男ほど、なぜか開き直るものだという。

明石紗羽(あかし さわ)は最初、その言葉を信じていなかった。

けれど周防京介(すおう きょうすけ)が、家で働く若い家政婦と関係を持ったことで、信じざるを得なくなった。

妊娠検査の結果がまた望んだものではなく、沈んだ気持ちで家に戻ったその日、彼女は自分のものではない検査結果を見つけた。

その瞬間、顔がこわばった。

そこに記されていた名前は、柴崎皐月(しばさき さつき)。

あまりにもよく知る名前だった。

紗羽の胸に、ふいに嫌な予感が広がる。書類を握る手に、思わず力がこもった。彼女は顔を上げ、向かいにいる冷ややかな表情の男を見つめ、信じられない思いで問いかけた。

「これは、どういうこと?」

「離婚しよう」

京介の黒い瞳は、何を考えているのか読み取れないほど暗く沈んでいた。彼は信じられないという顔をした紗羽を見つめ、一語一語、はっきりと告げた。

「皐月ちゃんはずっと俺のそばにいてくれた。あの子は母親になりたがっているし、俺との結婚も望んでいる。今、皐月ちゃんは俺の子を身ごもっている。俺にとっても大切な存在だ。だから、叶えてやるのが当然だろう」

紗羽の心は、底まで沈み込んだ。胸の奥で感情が激しく渦巻く。それでも彼女は、ただじっと彼を見つめていた。

目の前の男は、仕立てのいい黒いスーツを着こなしていた。整った顔立ちには冷ややかで近寄りがたい雰囲気が漂い、今は薄い唇を固く引き結んでいる。感情を押し殺しているせいか、顎のラインはいっそう鋭く際立って見えた。

浮気をしておきながら、どうしてここまで堂々としていられるのだろう。

紗羽には、本当にわからなかった。

結婚してからの五年間、友人たちはことあるごとに紗羽に忠告していた。

京介と、家にいる幼なじみ同然の若い家政婦には気をつけたほうがいい、と。

最初、彼女は信じなかった。

紗羽と京介の結婚は家同士が決めたものだったし、京介はもともと冷たい性格だった。それでも彼女に対してだけは、いつも驚くほど根気強く、優しかったからだ。

彼女がどんなに機嫌を損ねても、彼はできるかぎり望みを聞き入れてくれた。そして彼女を抱きしめ、柔らかな声で言った。

「紗羽、君を笑顔にするのは、夫である俺の役目だろ」

その言葉を聞くたび、彼女はひそかに思った。

自分はきっと、周りの友人たちとは違う。幸せな結婚ができるのだ、と。

けれど現実は、彼女の淡い期待を容赦なく打ち砕いた。

兄が無実の罪で収監され、明石家の事業は傾いていった。追い打ちをかけるように、二人の間にはどうしても子どもができなかった。

それから、京介の彼女への態度は少しずつ変わっていった。

そして今、京介も結局は世間の男たちと同じように、あっさりと一線を越えた。しかも相手は、これまでずっと「妹みたいなものだ」と言い続けてきた皐月だった。

皐月の母親は、周防家で二十年以上働いてきた家政婦だった。その縁で、皐月もほとんど周防家で育ったようなものだ。彼女はいつも、妹のような顔をして京介に懐いていた。

けれど紗羽は、京介が最後の最後に、「皐月が母親になりたがっていたから」などという理由で自分の浮気を正当化してくるとは、夢にも思わなかった。

だから、皐月と寝たというのか。

紗羽は呆然と彼を見つめた。口を開いたものの、どうしても一言も出てこなかった。

「紗羽」

彼女が黙ったままでいるのを見て、京介は眉をひそめた。一歩前に出ると、いつものように苛立ちを含んだ声で言った。

「俺はただ、皐月ちゃんの願いを一つ叶えてやるだけだ。あの子が子どもを産んだら、俺たちは再婚する」

その言い方には、少しの相談の余地もなかった。まるで、彼女に決定事項を告げているだけだった。

紗羽には、何もかもがあまりにも馬鹿げているように思えた。目の奥が熱くなり、彼女は京介を見つめたまま、震える声で言った。

「私には、そんなこと受け入れられない……」

「紗羽、俺はお前と相談しているんじゃない」

京介の口調は容赦なかった。彼女の目に浮かぶ涙にさえ、苛立ちを隠そうとしない。

「これは相談じゃない。お前の機嫌を取ってやる暇もない。黙って俺の言うとおりにしろ。わかったな?」

彼女が黙り込むと、京介はさらに深く眉をひそめた。

「皐月ちゃんは今、俺の子を身ごもっている。今のあの子には、俺が必要なんだ」

「でも……」

紗羽がなおも何か言おうとした瞬間、彼は冷たい声で遮った。

「紗羽、俺はずっと子どもが欲しかった。だが結婚して五年、お前は子ども一人できなかった。明石家の尻拭いを俺にさせる以外に、お前に俺と条件をつける資格なんてあるのか?」

その言葉はあまりにも率直で、あまりにも残酷だった。

紗羽の胸が鋭く痛んだ。涙で視界が滲む。彼を見つめているのに、どうしても声が出なかった。

かつての彼女も、明石家が大切に育てた誇り高い令嬢だった。けれど京介との度重なる口論の中で、その誇りは少しずつ、完全に削り取られてしまっていた。

紗羽は、苛立ちをあらわにした彼の顔を見つめた。

しばらくして、ようやく深く息を吸い、もう一度尋ねた。

「本当に、離婚するの?」

「この件に、話し合いの余地はない」

京介は彼女の赤くなった目を見つめても、表情ひとつ変えなかった。

「紗羽、お前、まさか……」

「わかった。応じるわ」

紗羽は目を伏せ、静かに答えた。

彼女があまりにもあっさり承諾したせいか、京介の瞳がわずかに強張った。

彼は隠そうともせず、探るように彼女を見た。やがて何かを思いついたように、薄く嘲るような笑みを浮かべる。

「ずいぶんあっさり応じるんだな。お前も、前から別のことを考えていたんだろう?俺の兄貴が戻ってきたから、また兄貴に取り入るつもりか?」

周防臣吾(すおう しんご)の名が出た瞬間、紗羽がずっと押し殺していた感情が、ふいに激しく揺れた。

「違う。そんなふうに、私とお義兄さんのことを悪く言わないで……」

「違う?」

臣吾の名が出た途端に動揺した彼女を見て、京介は一歩踏み出した。そして見下ろすように距離を詰め、逃げ場を塞ぐように鋭く睨みつけた。

「紗羽、俺の兄貴が子どもも産めない女なんか相手にするわけがない。くだらない考えはさっさと捨てろ」

「違う……」

彼に追い詰められ、紗羽の顔はすでに血の気を失っていた。

子どもができないことは、ずっと紗羽の心に刺さった棘だった。

この五年の結婚生活の中で、周防家の本邸へ行くたび、彼女は使用人たちが陰でひそひそと噂する声を聞かされてきた。

最初のころ、彼女はそのことを京介に話していた。

けれど返ってきたのは、彼の容赦ない一言だった。

「子どもも産めない女だって言われただけだろ。事実じゃないか。何をそんなに傷ついてるんだ?」

その言葉を聞いた瞬間、彼女はその場で凍りついた。

何も言い返せず、ただ目の前の男を見つめることしかできなかった。脳裏によみがえったのは、かつて真剣な顔で彼女にプロポーズしてくれた京介の姿だった。

当時、紗羽が京介との縁談を受け入れたのも、彼が彼女にそう約束したからだった。

「紗羽、俺と結婚してくれるなら、君だけを見て、君だけを大切にする。何があっても幸せにする」

二十一歳は、恋に落ちるには十分すぎる年頃だった。

目の前の品がよく穏やかな男を見て、彼女は心を動かされた。そして彼の言葉を、本気で信じた。

けれど時間が経つにつれ、目の前の男はすっかり別人になってしまった。

今そこにいるのは、紗羽のプライドを踏みにじり、嘲り続ける男でしかなかった。

「紗羽、お前が今すべきことは、おとなしく言うことを聞いて離婚することだ。わかったな?」

京介は、茫然と立ち尽くす彼女に、もう反論する隙さえ与えなかった。そして低い声で、冷たく釘を刺した。

「余計な考えも起こすなよ」

そう言い捨てると、京介は青ざめた紗羽に一瞥もくれず、ためらいなく背を向けて出ていった。

その言葉がどれほど紗羽のプライドを踏みにじったのか、京介は少しも気づいていなかった。それどころか、自分のやり方が間違っているなどとは、露ほども思っていなかった。

なぜなら彼には、はっきりわかっていたからだ。

今の紗羽は、彼にすがるしかない。何から何まで、彼なしでは成り立たない。

この五年間で、京介はそのことを疑わなくなっていた。

玄関のドアが、バタンと大きな音を立てて閉まった。その音までが、京介の言葉と同じように、紗羽を容赦なく突き放しているようだった。

紗羽は食卓に置かれた妊娠検査の結果を見つめたまま、長いあいだ静かに動かなかった。

やがてスマホの着信音が鳴った。

見慣れた番号から届いたメッセージだった。

【紗羽さん、もう見ましたよね。私、妊娠しました】

【京介さんとは、たった一度だけだったのに授かっちゃったんです。紗羽さんを見ていたから、妊娠ってもっと大変なものだと思っていました。でも、案外簡単なんですね】

【京介さんが本当に愛しているのは私です。そうじゃなかったら、私との子どもなんてできるわけありませんよね?】

妊娠という二文字が、何度も何度も紗羽の目の前に浮かび上がった。

脳裏には、京介に裏切られた事実ばかりが浮かんでくる。検査結果を握る手にも、ますます力がこもった。

紗羽はずっと、この結婚を守るためなら、自分の誇りくらい捨ててもいいと思っていた。京介にどれほど嘲られても耐え、プライドをすり減らしながら従い続ければ、この結婚だけは守れるのだと。

けれど、それは完全な間違いだった。

そのとき、また新しいメッセージが届いた。

【子どもも産めないくせに、いつまで京介さんの奥さんでいるつもりですか?】

続けて、また一通のメッセージが入ってくる。

【あ、そうだ。京介さんが、紗羽さんのことをスマホに何て登録しているか知っていますか?】

最後に送られてきたスクリーンショットの登録名を見た瞬間、紗羽の息が止まった。

次の瞬間、大粒の涙が一滴、熱を帯びて頬を伝った。

【お荷物】

たった一言。

それなのに、彼女は何の反応もできなかった。

紗羽は、自分がどれほど長くそれを見つめていたのかもわからなかった。

やがてスマホの画面を閉じ、妊娠検査の結果が書かれた用紙をゴミ箱に投げ捨てた。そして力いっぱい涙を拭い、深く息を吸い込む。

彼がそこまで離婚したいのなら、彼女はその望みを叶えてやる。

この五年間、プライドを削られ続けるだけの結婚生活に、紗羽はもう心底疲れきっていた。

彼を愛することは、もうない。

彼のために、自分のプライドを捨てることも、もうない。

今度は、彼女のほうから彼を捨てるのだ。

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