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第4話

作者: 広羽
命を脅かす災厄を前にして、社会の秩序は完全に崩壊していた。

道路には我先にと逃げ惑う人々が溢れ、車は乗り捨てられ、路上には数え切れないほどの鞄や財産が散乱している。命の前では、富など惜しげもなく捨て去られるものなのだ。

悠人は学校を飛び出し、道端に乗り捨てられていた自転車を拾った。ペダルを全力で踏み込み、妹の学校がある方向へと疾走する。

粉塵と瓦礫が空を舞う。アスファルトの道路には、建物の倒壊や震動で落ちてきた大小の瓦礫が散乱し、行く手を阻んでいた。だが、彼のハンドルさばきは巧みだ。

たとえ障害物だらけの悪路でも、彼は卓越した運転技術で危険を回避し、自転車のタイヤを巧みに操りながら、瓦礫の海を縫うように進んでいく。

爆発音が近づいてくる。黒煙が立ち込める空気には、人々の悲鳴や怒号、そしてクラクションの音が充満していた。

建物が次々と後方へ飛び去り、青年が目を細める視線の先には、見慣れた学校の輪郭が次第にはっきりと浮かび上がってくる。

ここまで来る間、彼は何度もスマホのリダイヤルボタンを押し続けていたが、妹への電話は一向に繋がらなかった。

戦時下であっても、魔法少女の通信回線を確保するため、インフラ設備が損壊しても通信機能が維持されるよう、基地局には予備電源やバックアップシステムが備わっているはずだ。都市の通信網がそう簡単にダウンすることはない。

スマホにはアンテナが立っている。電波はあるのだ。それなのに繋がらない。

その事実が、胸の内の不安を強烈に煽り立てる。

心臓がこれほど激しく早鐘を打つのは、最後に任務へ赴いたあの雨の日以来だ。あの時と同じように、降りしきる雨が心を乱し、得体の知れない不安が胸を覆う。

駄目だ。何としても自分の目で確かめなければ。この目で見ない限り、安心などできるはずがない。

半壊した学校の校門が視界に入った。悠人は片手でブレーキをかけ、自転車をドリフトさせて強引に停車させる。空に浮かぶ巨大な黒い影が迫っていることなどお構いなしに、彼は自転車を乗り捨てて地面に飛び降りた。

「くそっ!」

走りながら、思わず悪態をつく。

天海市のスカイネット・システムは一体どうなっているんだ?

理論上、完全な状態のスカイネットならば、Aクラス以下の侵蝕種の侵入は防げるはずだ。それなのに、なぜ表層のエネルギー反応がBクラス程度しかない「蜂」ごときの侵入を許した?特災局の連中は、普段モニターの前で居眠りでもしているのか?

半壊した電子ゲートを飛び越え、頭上の影を睨みつけながら、悠人は記憶を頼りに校舎へと向かって駆ける。

上空では、変身を完了した「ライラック」が、すでに蜂型侵蝕種の注意を引きつけていた。

すべての災厄の根源であり、世界の敵。全人類が地球上から駆逐したいと願う存在。侵蝕種は、万物の悪意の代名詞となっていた。

炭素生物とはかけ離れた異形の怪物がどこから来たのか、誰も知らない。わかっているのは、人類の科学が進歩したある日、鎌のような触手が空を切り裂き、現実と虚構の境界を曖昧にするようにして、殺戮と鮮血と共にこの世界に現れたということだけだ。

奴らは外の世界から訪れ、世界を侵蝕する怪物だ。理性の欠片も見当たらないこの異形の来訪者たちは、本能のままに地球上の文明を破壊し尽くした。

突然の襲撃に人類はなすすべもなく、対応に追われた各国は威力の凄まじい熱核兵器すら持ち出した。

しかし、人類が誇る科学の結晶も、侵蝕種に対しては微々たるダメージしか与えられなかった。人類陣営は敗走を重ね、絶望の淵に立たされた。

……世界初の魔法少女が現れるまでは。

魔法少女の登場によって、人類はようやく敗走を食い止めることができた。

言い換えれば、この世界で侵蝕種に対抗できるのは魔法少女だけなのだ。

たとえ、世界中の多くの人々が、英雄と崇める魔法少女の出自を知らなくても。あるいは、彼女たちが操る強大な力の正体を知らなくても。

魔法少女が空中に紫色の残光を描きながら高速で移動する。ドレス姿の少女はステッキを構え、目の前の巨大なスズメバチのような侵蝕種に全神経を集中させていた。

変身後の莉奈、いや「ライラック」は、外見や衣装だけでなく、纏うオーラさえも劇的に変化していた。

淡い紫色の長い髪は蝶のリボンでふわりと結ばれ、ラベンダー色のドレスの胸元には宝石が輝いている。背中の白いコルセットは大きなリボンを結び、白い手袋の縁にはライラックの花の飾りが施されていた。

その姿は、現実的な戦場の雰囲気とはあまりにも不釣り合いで、まるで演劇の舞台から飛び出してきた少女のようだ。

大人の男でさえ恐怖で気絶しかねない異形の怪物を前にしても、少女の可憐な顔に怯えの色はない。ただ、整った眉をわずかにひそめているだけだ。

彼女は作戦部の指示通り、この侵蝕種の注意を引きつけていた。だが、何度か攻撃を試みた感触では、この「蜂」は図体と速度こそ脅威だが、攻撃力そのものは同サイズの侵蝕種ほど恐ろしくはないように感じられた。

何より奇妙なのは、攻撃への衝動がそれほど強くないことだ。スカイネットの防御を破って侵入して以来、都市に甚大な被害をもたらしてはいるが、それらはすべて周囲の建造物への破壊行動であり、生きた人間に対しては興味が薄いように見える。

これは「特別災害対策局」が長年蓄積してきたデータと矛盾する。

侵蝕種は血に飢えている。無機物と生物がいれば生物を、動物と人間がいれば人間を優先して狙うのが定石だ。

つまり、人間こそが侵蝕種にとって最優先の攻撃目標であるはずなのだ。

それなのに、なぜ目の前の個体は建物ばかりを狙うのか?彼女は心に疑念を抱いたが、決して油断して軽挙妄動に出ることはなかった。

対侵蝕種戦闘においては、どれだけ警戒してもしすぎることはない。それは無数の先人たちが、血と命で購った教訓だ。

ピピッ!

通信用ヘッドセットが青く点滅し、再び電子音が鳴る。

「こちら特災局作戦部。ライラック、聞こえるか?」

「どうぞ」

「情報部からの最新情報だ。最新鋭の機器で目の前の蜂型侵蝕種をスキャンした結果、腹部の温度が異常に高いことが判明した。だが、内部の詳細はスキャンできない。十分に警戒しろ!

それと、「バブル」と「ビャッコ」が遅くとも五分以内に到着する。繰り返すが、君の任務はあくまで牽制と時間稼ぎだ。必要なら被害拡大を防ぐために動いてもいいが、自分の安全を最優先にしろ!」

「了解しました」

通信が終了する。

ライラックは今度こそ、意識を「巨大スズメバチ」の腹部に集中させた。地球上の本物のスズメバチと同様、円錐形の腹部を持ち、その先端にある針は最も警戒すべき攻撃器官だ。

あの毒針に毒があるかどうかもわからない。

ライラックは内心で思考を巡らせる。

しかし、ほんの一瞬思考に没頭したその隙に、侵蝕種が大きく動いた。

周囲の建物を薙ぎ払い、広大なキャンパスの半分を更地にしてしまった怪物は、まるで巣作りを始める女王蜂のように、初期の整地作業を終えたかのようだった。そして、その巨体を空中に留めていた翅が、加速の兆しを見せ始める。

半透明の翅が高速で振動し、不快な高周波ノイズを撒き散らす。超音波のような振動が精神を直接揺さぶり、不意打ちを食らったライラックは思わず両手で耳を塞ぎ、苦痛に顔を歪めた。

だが、攻撃はそれだけでは終わらなかった。翅の高速振動は周囲の空気をかき乱し、猛烈な風圧を生み出したのだ。突風が砂埃を巻き上げ、戦場の近くにあった半壊した駐輪場の屋根が吹き飛ぶ。

ただの余波でさえ、地上にいた青年を吹き飛ばしそうになる威力だ。正面から暴風を受けたライラックは、精神攻撃からの回復もままならないまま、木の葉のように吹き飛ばされた。

小柄な体は校舎へと叩きつけられ、壁に深くめり込んだ。

ウゥゥゥゥン……

不快なノイズが耳鳴りのように残る中、満身創痍の悠人は地面から這い上がった。転倒した際に膝を擦りむき、破れたズボンの裾が血で滲んでいる。

「ちくしょう!」

傷の痛みを無視して見上げれば、「女王蜂」はまだ空中で高周波の羽音を立てている。普段は理性的な彼も、思わず悪態をつかずにはいられなかった。

スカイネットが侵入を許したのは百歩譲るとしても、これだけ時間が経っているのに、現場にいるのがたった一人の魔法少女だけというのはどういうことだ?

しかも、一目で新人だとわかる魔法少女だ。

魔法少女になって三ヶ月も経っていないような新人は、実力があってもせいぜい「灯火級」がいいところだ。実戦経験が不足している状態で、いくら天才少女だとしても、変幻自在な能力を持つ敵に対処できるはずがない。

援軍はどうした?

局地用スカイネットは?

最悪、ミサイルでも撃ち込んで注意を引くくらいできるだろう?

あの子が校舎にめり込んで動けなくなっているのが見えないのか?なぜ何の反応もない?

特災局の馬鹿が考えた「捨て駒戦術」だ?立案者を見つけたら、絶対に一発ぶん殴ってやる。

心の中で悪態をつきながらも、悠人の足は止まらない。

妹の気配はよく知っている。全盛期ほどの探知能力はないとはいえ、学校の半分を探る程度なら今の彼でも十分だ。もう少し奥へ進めば、妹がまだここに残っているかどうかがはっきりとわかるはずだ。

通常なら、教師が真っ先に生徒をシェルターへ誘導しているはずだし、避難訓練はこの時代の学生にとって必須科目だ。だから、何事もなければ……

だが、その「何事」が起きてしまった。

少し離れた場所にある13号館が、先ほどの衝撃波のせいで耐震構造に深刻なダメージを受け、今にも崩れ落ちそうな音を立てていた。だが、それよりも重要なのは、その倒壊寸前の建物の下に、あまりにも見慣れた人影があったことだ。

13号館の1階入り口付近。いつの間にか学校に戻っていた美桜が、柱に身を寄せ、魔法少女が叩きつけられた校舎の穴を心配そうに見つめている。

壁に手をつき、もう片方の手を胸の前で握りしめ、その美しい顔には深い憂色が浮かんでいた。

彼女はそこを安全な場所だと思って見ているのだろうが、危険はすでに頭上まで迫っていた。

校舎の外壁から剥がれ落ちた巨大なタイルとコンクリートの塊が、重力に従って少女の頭上へと落下を始めていたのだ。

その光景を目撃した悠人は、叫び声を上げそうになった。手を伸ばし、前のめりに倒れそうになりながら走る。だが、この距離では、人類最速のスプリンターであっても絶対に間に合わない!

唯一の解決策は、人智を超えた力を使うこと。

たとえば、魔法少女の力!

だが、運命の悪戯か、彼は肝心な「もの」を持っていなかった。正体が露見するリスクを減らすため、彼はとっくの昔にそれを封印し、関連する記憶さえも心の奥底に沈めていたのだ。

二度と使うことはないと思っていた。捕まらない限り、一生触れることはないと。

それなのに、なぜ今なんだ?今、この瞬間に……!

青年は見開いた目の血管を切れんばかりに充血させ、叫ぼうとした。だが、一般人の反応速度では、たとえ声が届いたとしても、空からの落下物を回避することはできないだろう……

間に合わない。また同じ過ちを繰り返すのか?

心臓が限界を超えて鼓動し、収縮した筋肉が血液を四肢と脳へと爆発的に送り込む。視界の景色と時間が、まるで凍りついたかのようにスローモーションになる……

過去の記憶の断片が、スライドショーのように脳裏を駆け巡る。

「教えて。あなたは、どうして魔法少女になりたいの?」

廃墟の中で、長く太い三つ編みにした白髪の少女が、変身を解いてボロボロになり、呆然と座り込む少年に手を差し伸べながら問いかけた。

その声には、隠しきれない驚きが混じっていた。

紛れもない少年が、少女にしか扱えないはずの魔法の力を手にしたのだから、無理もないことだ。

だが、それでも「手順」は守らなければならない。そう、すべての先輩が、この道に足を踏み入れた後輩に対して行う通過儀礼。彼女の先生が、かつて彼女にしたように。

魔法少女になれる者は、皆「道標」に選ばれた者たちだ。そして選ばれる理由は、その道の原点となる「願い」にある。

初心は重要だ。それがその者の未来を決めるのだから。

呆然としていた少年は、夢のような変身体験からまだ抜け出せていなかったが、白髪の少女の問いかけに対して、無意識のうちに答えていた。

「心にある、誰かを守りたいという夢のため……ヒーローみたいに」

……

年齢を重ね、過去の経験によってかつての情熱が冷めてしまったとしても。現在の自分がどれほど変わってしまったとしても。

幼き日の少年がこの道を選んだ理由だけは、決して変わらない。

悠人はあの日の夕焼けの下での誓いを忘れない。

それは彼のスマホの着信音のように、永遠に変わることのないメロディ……

精神世界から意識が引き戻され、現実の時間の流れが正常に戻り始める。落下する瓦礫が、少女の頭上に迫る。固く拳を握りしめた悠人は、チーターのように地面を蹴った。

静まり返っていた血潮が、再び沸騰する。あの日と同じように。

彼は枯れた喉を震わせ、老いた雄獅子のように咆哮した。

「心にある、夢のため!」

それは彼だけの変身の口上。あの白髪の少女が見守る中、中二病全開の少年が恥ずかしがりながらも心に刻んだ言葉。

本来なら何もないはずの掌の空間が、物理法則を無視して歪む。青年が素手で握り込んだかのように、漆黒の闇のような光が、その手の中で一瞬にして炸裂した。

刹那。不気味な黒い光を纏った人影が、放たれた矢のような速度で、瓦礫が少女に直撃する寸前の空間へと転移した。

直後、突風が巻き起こる。影の中から赤褐色の触手が鞭のように飛び出し、空中の落下物を迎撃する。漆黒の一閃がコンクリートの塊を粉砕し、轟音と共にあたり一面に粉塵を撒き散らした。

舞い上がる煙の中、頭を抱えてしゃがみ込んでいた少女は、恐る恐る目を開けた。

不安げな視線を向けたその先、煙の向こう側には、自分を庇うように立つ、ぼやけた人影があった。

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