Masukパイロットの彼氏・白石紘也(しらいし ひろや)に18回目の結婚式をキャンセルされたとき、私・黒川美羽(くろかわ みう)はもう疲れ果てていた。 一度目は、女性訓練生の有村杏奈(ありむら あんな)が生理痛で動けないと訴えたからと、彼は私を置いて、杏奈のために鎮痛剤と温かい飲み物を買いに走った。 二度目は、杏奈が訓練で失敗したからと、「あいつ、かなり落ち込んでるんだ」とだけ言い残し、私は披露宴に集まった全員の前で、さらし者になった。 付き合って三年。 杏奈に何かあるたび、彼は迷うことなく、私たちの結婚式を投げ出した。 ようやく分かった。きっと彼の中で、私は最初からそれほど大切な存在ではなかったのだ。 だから私はパリ行きの航空券を買い、一人で遠くへ行くことにした。 そうすれば、もう二度と誰かに置き去りにされずに済むから。
Lihat lebih banyak私の拒絶の言葉で、紘也が諦めると思っていた。けれど彼は、床に落ちた指輪の箱を拾い上げると、今度は両膝をついて私の前に跪いた。その瞬間、自分が何を感じているのか、うまく言葉にできなかった。かつて誰もが羨むほど輝いていた男が、地に落ちる姿を見ている気分なのか。それとも、昔は私をまともに相手にもしなかった人間が、今では私にすがりついていることへの、胸の奥が少しだけ晴れるような感覚なのか。たぶん、そのどちらもあったのだと思う。けれど、彼のそんな惨めな姿を見たとき、私はまるで、かつての卑屈な自分を見ているような気がした。紘也は何も言わず、私の前に跪いたままだった。まるで、私に責められることさえ受け入れるつもりでいるかのようだった。けれど私はただ、どうしようもない気持ちでため息をつき、振り返らずにその場を去ろうとした。そのとき、彼が私の服の裾を必死につかんでいることに気づいた。この二か月でようやく落ち着いたはずの怒りが、その瞬間また込み上げてきた。私はこらえきれずに問いかけた。「今さらそんな一途なふりをして、何がしたいの?」紘也は慌てて首を振った。「美羽、ふりなんかじゃない。俺は本気なんだ」彼は急いで、スマホに保存していたスクリーンショットを見せてきた。そこに映っていたのは、杏奈が処分を受けた通知だった。驚きと同時に、私は少し唖然とした。かつて私が愛した、あのまっすぐだった少年が、人を傷つけて何かを取り戻そうとするやり方まで覚えてしまったのだと。けれど、そんな行動は私をさらに失望させるだけだった。私の視線がますます冷たくなっていくのを見て、紘也はひどく慌てた。けれど彼には、許しを求める人間が本当は何をすべきなのか、まるで分かっていなかった。ただひたすら、罪悪感に訴えることしかできない。跪くことで、私の許しを得ようとしているだけだった。私は彼の手から服の裾を引き戻した。胸の奥の冷え込みは、いっそう深くなっていく。「紘也。私は18回もチャンスをあげたの。あなたに結婚式で置き去りにされるたびに、私は思っていた。それでもあなたが振り返ってくれるなら、私は一生、あなたのそばを離れないでいようって」そこで私は言葉を切った。「でも」紘也の目にかすかに灯った希望が、ゆっくりと消え
飛行機が空港に到着したあと、私はかつて働いていた場所へ戻ってきた。昔の同僚たちの顔を見た瞬間、懐かしさと気恥ずかしさが入り混じった、不思議な感情が胸に込み上げた。意外だったのは、杏奈の姿が見当たらなかったことだ。以前なら、私がいる場所には必ず彼女が現れ、わざとらしく自分の存在を見せつけてきたのに。何気なく尋ねると、同僚たちは人事部ロビーの掲示板に、まだ貼られたままの処分通知を指さした。同僚たちの反応は、それぞれ微妙に違っていた。「ああ、その件ね。本当に妙な話なんだけど」「あの有村杏奈、私てっきり白石機長と付き合ってるんだと思ってたの。そしたらまさか、白石機長のほうが彼女を告発したのよ。クラブでお酒を飲んでる動画があって、素行不良だって」「美羽、たぶん知らないでしょ?白石機長、あなたがいなくなったって知ってから、まるで別人みたいだったの。『美羽は俺の婚約者だ。どうして俺を置いていくんだ』なんて言って、人事部で大騒ぎしたんだから。本当に怖かったよ」「そうそう。それに、部長に自分もパリへ異動させてくれって必死に頼み込んでたんだって。今さら追いかけたって遅いのにね。あはは……」話を聞けば聞くほど、私は困惑していった。私がいなくなったあと、紘也は杏奈と付き合うものだと思っていた。それなのに、今聞く限りでは、一人はおかしくなり、もう一人は職を失ったらしい。けれど、もうそのすべては私とは関係のないことだった。私は気持ちを落ち着かせ、着替えて両親に会いに行こうとした。けれど更衣室のドアを出た瞬間、息を切らした紘也の姿が目に入った。彼は私を見るなり、驚きと喜びに顔を輝かせた。そして次の瞬間、私の気持ちなどお構いなしに、勢いよく私を抱きしめてきた。私は反射的に身をよじり、彼の急所を思いきり蹴り上げた。紘也は痛みに顔をゆがめて私を離し、それからひどく傷ついたような顔で訴えた。「美羽、婚約者の俺にこんなことをするのか?」その救いようのない様子を見て、私はようやく分かった。彼は本当におかしくなっているのだ。私は冷ややかに彼を見つめ、警告した。「私とあなたには、もう何の関係もありません。勝手に私の婚約者を名乗らないでください」紘也は傷ついた顔でじっと私を見ていた。やがて何かを決意したように、真剣
二か月は、あっという間だったようにも思えるし、ひどく長かったようにも思える。けれど私にとって、この数年に起きたすべては、まるで一瞬の出来事のようだった。今の私は、パリの航空会社で高く評価される客室乗務員になり、順調に仕事をしている。パリの航空会社は世界各地に路線を持っている。部長は、このポジションを本当は私に勧めるつもりだったのだと言った。けれど以前、私が国内で結婚すると聞いていたから、海外勤務の話は切り出しづらかったらしい。まさか私のほうから退職を申し出るとは思っていなかったのだ。私はパリへ異動になったことを両親に伝え、ついでに、紘也との結婚を諦めたことも話した。両親は心から安堵していた。それでも、娘が遠いパリで一人暮らすことを思うと、心配は尽きないようだった。「美羽、遠いところで一人なんだから、変な人には気をつけるのよ。ちゃんとご飯は食べてる?仕事柄いろいろ気にするのは分かるけど、無理して痩せなくていいんだからね……」両親の尽きない心配の言葉を聞きながら、私はようやく幸せというものを感じた。たしかに、私と紘也は若い頃から恋をしていた。けれど学生時代の恋は、結局、大人になってからの現実には勝てなかった。杏奈が使った手段も、ずる賢い大人ならいくらでも思いつくようなものにすぎなかった。彼女の立場からすれば、間違っていたとも言い切れないのかもしれない。私は目を伏せた。記憶の中の紘也の姿は、もうおぼろげになり、今にも消えてしまいそうだった。両親への報告を終えた直後、同僚から連絡が入った。午後にちょうど帰国便の特別便があるという。その機体は事情があって、到着先で整備を受けることになっていたらしい。上層部は私の事情を知ると、その便に乗務するよう手配してくれた。ちょうど両親にも会いに行ける。私はすぐに、その知らせを両親に伝えた。一方その頃、二か月の停職期間を終えたばかりの紘也は、真っ先にパリ行きの便への乗務を申請していた。飛行機が着陸するまでのあいだ、彼は美羽に会ったときに何を言うべきか、緊張しながら何度も頭の中で繰り返していた。彼は思っていた。美羽は二か月も自分に会っていないのだから、多少なりとも自分を恋しく思っているはずだ、と。かつて二人は、数えきれないほど同じベッドで眠り、手をつな
会社のエースパイロットとして、紘也は周囲から、いつもクールで有能な男だと思われていた。そんな彼がその日、あれほどの騒ぎを起こしたため、すぐに上層部の耳にも入った。紘也はオフィスへ連れて行かれ、厳しく叱責された。けれど、どれほど厳しく叱られても、彼はこらえきれずに尋ねた。「部長、美羽はいったいどこへ行ったんですか?」部長はその問いに、少し面食らった。若手の機長が、個人的な恋愛問題で人事部を騒がせ、しかも全身から酒の匂いを漂わせている。重大な事故とまでは言えないが、看過できる問題でもない。だが、悪い影響を与えたのは間違いなかった。少なくとも厳重注意では済まない。なのにこの男は、まだ人探しのことばかり気にしている。それでも、あまりにも憔悴しきった彼の姿を見て、部長も少しだけ気の毒になった。そこで、彼に告げた。「黒川は二日前に退職を申し出た。私がパリの仕事を紹介したから、今ごろはもうパリへ向かう飛行機の中だろうな」その言葉を聞いた途端、紘也はその場に膝をついた。彼は必死の形相で頼み込んだ。「部長、お願いします。俺もパリへ赴任させてください。美羽は俺の婚約者なんです。彼女がいないと、俺はもう生きていけません……」けれど部長には、ますます理解できなかった。怪訝そうに眉をひそめ、彼は言った。「君はいつも、あの訓練生の有村杏奈と一緒にいたじゃないか。出社も退社も二人で、社内でもずいぶん噂になっていたぞ。婚約者がいたなんて、正直、初耳だよ」紘也は慌てて説明した。「それは全部誤解です。俺はただ、少し彼女の面倒を見ていただけで、やましい気持ちなんて一切ありません。お願いします、どうか俺をパリへ行かせてください」けれど部長は、残念そうに首を横に振った。「まずは、今の問題をきちんと片づけなさい。酒を飲んだ状態で出社して、人事部で騒ぎまで起こしたんだ。二か月の乗務停止処分にする。その間に、自分が何をしたのか、よく考えなさい。今の君を見ていると、黒川が離れていったのも無理はないと思うよ」紘也はなおも食い下がろうとした。けれど、部長の厳しい目を見て、これ以上は何を言っても無駄なのだと悟った。彼は唇を噛み、黙ってうつむいた。それでも胸の奥の苦しさは消えず、行き場のない後悔だけが、じわじわと彼を締めつけていった