危険だと思った男に溺愛される

危険だと思った男に溺愛される

By:  サクランボシロップUpdated just now
Language: Japanese
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拉致されてしまい、五年ぶりに帰還した月城可奈(つきしろ かな)は、夫が自分と再会して喜んで涙をこぼす光景を思い描いていた。 しかし実際には、夫はさっさと彼女が事故に遭ったことを理由に失踪届を警察に提出し、死亡証明を申請した上で、名家の令嬢と再婚して新たな家庭を築いていたのだった。 あるパーティーで、名家の令嬢は大勢の人の前で可奈を辱め、彼女のトラウマを抉り、根も葉もない中傷を浴びせて、そこら辺で死んでくればよかったのにと罵った。それにかつての夫は最初から最後まで、一言も彼女を庇おうとしなかった。 頼れるものもなく、可奈が失望しきってその場を立ち去ろうとした時、白波市で最も有名な名家の跡取り息子が彼女を腕の中に引き寄せた。その瞳には他人を蔑むような光が浮かんでいる。「可奈さん。あいつが君を捨てるというのなら、この俺がもらうよ」

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Chapter 1

第1話

「こちらはすでに状況を把握いたしました。あなたが行方不明になって五年経っていますが、ご主人は二年前にあなたの死亡届を提出して、戸籍も除籍されています。ご主人には連絡を取ることができましたが……覚悟してください。彼は今もう再婚なさっているようです」

警察署にて。

月城可奈(つきしろ かな)は体を強張らせ椅子に座り、警察の話を聞いていたが、その言葉を全く理解できなかった。

五年前、彼女は医療チームに同行して海外のある国へ支援をしに行ったのだが、意外な事故に巻き込まれてテロリストに拉致されてしまったのだ。つい最近、国際警察によってチームごと救出され、ようやく帰国できたのだった。

その五年間、彼女は夫の佐伯剛司(さえき つよし)への想いと愛で耐えしのいできた。二人の愛は五年間も紡がれたものだった。大学一年の頃から卒業して結婚するまで、お互いの青春そのものを共有していたのだ。

可奈は剛司に再会する時の光景を想像したことがあった。失ったものが戻ってきて、喜びのあまり泣くなどだ……ただ、それが彼の再婚の知らせを聞く羽目になるとは思ってもみなかった。

白波市(しらなみし)は春のうららで、葉っぱがサラサラと音を立て、日差しが温かく差し、どこへ行っても美しかった。

心が麻痺した可奈は窓辺に座り、その温もりに触れようと手を伸ばした。

五年間の砂漠での生活は彼女をほとんど世間から隔離させ、ストレスと戦場の光景によるトラウマは、彼女を失語症にさせてしまっていた。

救出された日、彼女は泣いた。それはあの五年間で最も思い切り泣いた日だった。剛司に会えるなら、彼女のボロボロになった魂は必ず安らぎと慰めを得られると考えていたのだ。

しかし現実は、彼女を裏切ることとなる。

剛司は、彼女が行方不明になって三年目に死亡したと判断し、除籍申請して、間もなく再婚したのだ。

「ガチャ」警察署のドアが押し開けられ、ある人が慌てて駆け込んできた。彼は五年前と変わらず、あまり変化はなく、むしろもっと大人っぽくなりさらに落ち着いている様子だった。

彼によく似合うスーツを着ており、一目で高価なものだとわかった。腕につけている腕時計だけでも一千万の価値があるだろう。

どうやら、彼女のいないこの五年間、剛司は順調にやっていたらしい。

「可奈……」彼は慌てて部屋を見回し、部屋の隅に可奈を見つけた瞬間、目を赤くした。

可奈は口を開いたが、一言も話せなかった。

もし警察が剛司が再婚し、子供もいると教えてくれなければ、可奈は本当に剛司が彼女を愛していると思っただろう。

「この数年……大変だったね」剛司は可奈の前に近づき、彼女を抱きしめたい衝動を必死にこらえていた。「まず家に帰ろう」

可奈は一瞬呆然とし、その場に座ったまま動かなかった。

家に帰る?

私にまだ家があるのか?

「可奈、怖がらないで、すべてはもう終わったことだから。君は戻ってきたんだ」剛司は可奈の前にしゃがみ、小声で慰めた。

可奈は目を赤くさせて思った……警察はきっと間違っていたのだろう。かつてあんなに愛してくれた剛司が、再婚なんてするはずがない。

彼は佐伯剛司だ。以前嫁として私を迎えるために、夜明け前から山に登り、山頂にある神社へ二人の幸せを祈りに行った剛司だ。

あんなに深い愛情が、全て偽物であるわけないだろう?

「彼女の状況はすべてお伝えしたとおりです。佐伯さん。彼女はトラウマで失語症を患っていて……」可奈の事件を担当する警察官が歩み寄り、小さい声で説明した。

剛司は一瞬辛そうな瞳をし、自ら可奈の手を取った。

可奈はとても従順に彼について、ゆっくりと警察署を出ていった。

地獄を離れたのだから、彼女を迎えるのは必ず天国だと思っていたのに……

しかし現実は冷たく、彼女を思わず震え上がらせた。

「可奈……まずホテルに送るよ。この数年……いろいろ変わったんだ。家は今……」剛司は可奈を家に連れて帰るつもりはなかった。彼女にショックを与えるのを恐れたからだ。

可奈は紙とペンを取り出し、ササっとこう書いた。「家に帰る!」

あそこは彼女の家だ。

彼女と剛司の家で、二人が五年間愛を深め合った証であり、彼女のすべての素晴らしい記憶が始まった場所だ。

剛司は体を強張らせ、長い間沈黙してからようやく口を開いた。「可奈、ごめん……」

可奈は震えだし、心から込み上げてきた恐ろしさで、ぎゅっと両手を握り締めた。

戦場で、弾丸が耳元でヒューヒューと飛び交っている時でさえ、彼女はこんなに恐れたことはなかった……

しかし、彼はやはりあのことを口にした。「可奈、君が行方不明になって五年、誰もが君が死んだと思っていたんだ……だから、俺は再婚したよ。妻と娘がそこに住んでいる……すまない、俺は彼女たちを傷つけられないんだよ」

「ドク、ドク……」その瞬間、事実はそうではないと期待していた心は、結局その言葉を聞いて一気に地獄に突き落とされてしまった。
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第1話
「こちらはすでに状況を把握いたしました。あなたが行方不明になって五年経っていますが、ご主人は二年前にあなたの死亡届を提出して、戸籍も除籍されています。ご主人には連絡を取ることができましたが……覚悟してください。彼は今もう再婚なさっているようです」警察署にて。月城可奈(つきしろ かな)は体を強張らせ椅子に座り、警察の話を聞いていたが、その言葉を全く理解できなかった。五年前、彼女は医療チームに同行して海外のある国へ支援をしに行ったのだが、意外な事故に巻き込まれてテロリストに拉致されてしまったのだ。つい最近、国際警察によってチームごと救出され、ようやく帰国できたのだった。その五年間、彼女は夫の佐伯剛司(さえき つよし)への想いと愛で耐えしのいできた。二人の愛は五年間も紡がれたものだった。大学一年の頃から卒業して結婚するまで、お互いの青春そのものを共有していたのだ。可奈は剛司に再会する時の光景を想像したことがあった。失ったものが戻ってきて、喜びのあまり泣くなどだ……ただ、それが彼の再婚の知らせを聞く羽目になるとは思ってもみなかった。白波市(しらなみし)は春のうららで、葉っぱがサラサラと音を立て、日差しが温かく差し、どこへ行っても美しかった。心が麻痺した可奈は窓辺に座り、その温もりに触れようと手を伸ばした。五年間の砂漠での生活は彼女をほとんど世間から隔離させ、ストレスと戦場の光景によるトラウマは、彼女を失語症にさせてしまっていた。救出された日、彼女は泣いた。それはあの五年間で最も思い切り泣いた日だった。剛司に会えるなら、彼女のボロボロになった魂は必ず安らぎと慰めを得られると考えていたのだ。しかし現実は、彼女を裏切ることとなる。剛司は、彼女が行方不明になって三年目に死亡したと判断し、除籍申請して、間もなく再婚したのだ。「ガチャ」警察署のドアが押し開けられ、ある人が慌てて駆け込んできた。彼は五年前と変わらず、あまり変化はなく、むしろもっと大人っぽくなりさらに落ち着いている様子だった。彼によく似合うスーツを着ており、一目で高価なものだとわかった。腕につけている腕時計だけでも一千万の価値があるだろう。どうやら、彼女のいないこの五年間、剛司は順調にやっていたらしい。「可奈……」彼は慌てて部屋を見回し、部屋の隅に可奈を見つけた瞬
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第2話
「あそこは私の家なの」可奈は感情のコントロールを失いかけていたが、必死に耐え、手話で剛司に伝えていた。あそこは彼女の家なのだと。しかし剛司は手話が理解できないのだ。この状況は今の二人の関係のように、物理的にはとても近くにいるのに、見知らぬ他人のように遠く隔たっているようだ。可奈は次第に静かになり、全ての苦痛を独りで受け止めるしかなかった。この五年間、彼女は辛く感じる時、無言でそのすべてを飲み込むことを学んできたのだ。コントロールできない涙が手の甲に落ちていた。可奈は震える指でペンを握り、紙に歪んだ字を書いた。「家に帰りたいの、少し荷物を取りに……」剛司はまだ何か言いたげだったが、可奈が泣いているのを見ると、少し躊躇い、うなずいた。「わかった……」帰る途中、可奈は黙って車の外を見つめていた。かつて、彼女は剛司の車の助手席が永遠に自分の席だと思っていた。しかし今……その席には可愛いデザインのシールが貼られ、今の妻の小物が置かれている。あんなにも「愛している」、「一生絶対裏切らない」と誓ってくれたこの男が、彼女の失踪からたった三年間で、もう他人のものになってしまったのだ。果てしない砂漠に比べ、白波市の夜景はあまりにも美しくて人間の欲望の光が煌き、人を恍惚とさせる。彼女が去ってからたった五年間、わずか五年間なのに。どうして全世界が、彼女を見捨てたようになってしまったのか。「私のお父さんとお母さんも、私が要らないって言っていたの?」ついに耐えきれず、可奈は紙にその質問を書いた。可奈と共に拉致されたチームには六人いたのだ。先生は年齢も高く、子供たちが迎えに来てくれた。一緒にいた先輩は失踪する前に、夫と毎日離婚騒動を起こしていたが、彼女が帰国すると、夫は早くから空港の外で待っていてくれた。皆、ちゃんと迎えが来てくれていたのだ。可奈だけを除いて。彼女がしっかりと記憶に刻んでいた電話番号は、一つとして繋がらなかった。剛司が迎えに来なくても、彼女は自分に言い聞かせた。多分病院のことで忙しいのだろうと。両親が迎えに来なくても、年を取っているから、多分知らせもニュースも見ていないのだろうと彼女は思っていた。しかし現実は、あまりにも残酷すぎて、彼女には受け入れられなかったのだ。「可奈……君の両親のことは、明日また
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第3話
「剛司さんの代わりに説明します」雫が口を開いた。可奈の体は震えていた。手話で訴えるその動作さえも怒りに満ちているように見えた。「あなたの説明なんかいらない。彼から説明してほしいの」雫も手話が理解できない。可奈を見るその目は憐れみを帯びていた。そして彼女は可奈が可哀想だと思い始めた。涙が目に浮かんできた。可奈はその視線から侮辱すら感じられる。剛司と雫が向けてくるその憐れみの眼差しは、彼女の胸がナイフで刺されたように痛んだ。その瞬間、可奈は後悔し始めた。どうして死ななかったのか。どうして戦場で死ななかったのか……あの地で死んでいれば、こんな苦しみを感じることもなかったというのに。震えていた指が力を失い、彼女は抵抗するのを諦めることにした。テロリストに捕まった時、体の苦痛でも彼女を崩壊させることはなかった。しかし今の精神的な打撃が彼女を地獄へと落としてしまったのだ。「あの時、古谷先生が医療支援依頼を受けた時、剛司さんはあなたが行くことに反対したんですよね。それはあなたたちが婚姻届を出したばかりの頃で、彼の心にはあなただけでいっぱいでしたよ。あなたに危険を冒させたくなかったんです。でもあなたは自分勝手な夢やら平和やら、正義感やらのために、どうしても行くと主張しましたよね」雫の言葉には不満の感情が滲んできた。彼女の方から逆に可奈を責め始めた。「雫」剛司は額に手を当て、声を潜めてこれ以上言わないよう注意した。「あなたは気楽に申し込んで行ってしまいましたが、ちゃんと剛司さんのことを考えたことがありますか。あなたたちが危険に遭ったという知らせを受けた時、彼は狂ったようになったんですよ。毎日酒に溺れて、あなたを探し続けて……」雫の目が赤くなってきた。可奈は指を震わせながら剛司を見つめた。あの時、古谷先生の依頼を受けた時、剛司は彼女を応援してくれたというのに……彼は言ったのだ。「可奈、君の全ての決断を応援するよ。帰ってくるのを待っているから」と。まさに剛司のこの言葉が、可奈をここまで支えてきたというのに。彼女が生き延びられたのは、本当に心の中での剛司という存在があったおかげだったのだ。「認めます。私は剛司と一緒になるためにちょっと卑怯な手を使いましたけど、後悔はしていません。私は彼を愛していますから。彼との子供
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第4話
剛司は長い間沈黙していて、顔を上げて可奈を見つめた。「君があんな目に遭った後、君の両親は人に頼んでコネを使うことで君を救おうとしたが、詐欺師に全財産を騙し取られてしまったんだ。俺がどう説得しても……聞き入れてもらえなかった。そのことが起こった日、病院から俺は黒岩市(くろいわし)へ派遣されて、出発する前にまたご両親に会いに行ったのに……その夜、突然電話がかかってきて、君の実家が火事になって、二人とも……亡くなったって」剛司は明確には言わなかったが、可奈には十分に理解できていた。彼女の両親は彼女を救おうとして全財産を騙し取られ、絶望して自殺したということだ。これを聞いた瞬間、目の前が真っ暗になってしまった。巨大な悲しみが襲ってくると、人の情緒は不気味なほど冷静になるものだ。「可奈!」可奈はドサッと地面に倒れ、ゆっくり意識を失っていった。「可奈、早く帰ってきてちょうだい。お父さんが今夜肉じゃがを作って待ってるから」「可奈、母さんをなんとか説得してくれ。こんな大人なのに、毎日わがまま言って、一緒の部屋で寝てくれないんだから」「可奈、私のかわいい子、しっかり生きていてね……」……どれくらい経ったのだろうか、可奈ははっと目を覚まし、荒い息遣いで部屋を見回した。かつて慣れ親しんだこの家は、今や恐ろしいほど親しみが感じられなかった。剛司はおそらく心配で、可奈をホテルに送らず、ゲストルームに寝かせていたのだ。もう夜の十二時になった。剛司と雫はまだ喧嘩をしているようだ。「なぜ彼女を家に泊めるの?まだ彼女に未練があるんでしょ?剛司さん、ここ数年ずっとあなたを支えてきたのは私なのよ!認めなさいよ。まだ彼女を愛しているんでしょ?家のドアのパスワードさえ変えないなんて……いいわ、彼女を愛しているなら、私が出て行くわよ。夕実(ゆみ)を連れて実家に帰るわ。彼女と別れなくてもいいから、私が離婚するわ。どうせ彼女が戻ってきたんだから、私たちの結婚なんて無意味なもんになるでしょ!」雫の声は大きかった。可奈は彼女がわざとやっていると分かっていた。この五年間、彼女は白波市に戻れば、全ての悪夢が終わると信じていた。愛してくれる両親も、彼女を溺愛する剛司もまだいるからだ。しかし、全てが変わってしまった。可奈は起き上がった。この無視できない違
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第5話
しかし剛司はそうしてはくれなかった。「ここは私の家、彼は私の夫。あなたのお母さんが私の夫を奪ったのよ!」可奈は理性を失い、ペンとノートを手に取り、狂ったように字を書きなぐり、そこに感情をぶつけたのだ。五歳の子供はおそらくそんなに多くの字が読めないが、それでも、剛司は慌てて妻と娘の前に出て、可奈に懇願するような眼差しを向けた。「可奈……子供はまだ小さいんだ。大勢の人の前でそんなことを。夕実が今後周りから後ろ指さされるようなことだけは避けてくれ、頼むから……」彼は可奈に頼んでいた。少し彼の面子を考えてほしいと。少なくとも子供の前では。可奈は信じられないといった様子で剛司を見つめた。彼の娘が他人から後ろ指をさされないようにするためだけに、自分が愛人の汚名を背負わなければならないというのか?仮に彼の娘がそうされたとしても、それは雫が悪いからではないのか。彼女は彼には妻がいることを知っていながら、あのように厚かましいことをしたのだから……「パシッ!」おそらく絶望しすぎたのだろう。可奈は手を上げ、剛司に思い切りビンタをお見舞いした。このような事は、雫一人の責任ではない。剛司が雫に手を出さなければ、二人に子供ができることもなかったのだ。「なんでパパを殴るの、悪い人!」あの小さな女の子は雫の手を振りほどき、駆けつけてきて強く可奈を押しのけた。可奈は痩せすぎていた……五年間も苦しい生活をしていたので、彼女は骨だけしか残っていないくらいに痩せていた。五歳の子供に押し倒され、肘を地面につき、傷ができてしまった。「可奈……」剛司は慌てて駆け寄り、可奈を起こそうとしたが、避けられてしまった。可奈は憤りと恨みを込めた眼差しで剛司を睨みつけた。その瞳には絶望の色がにじんでいた。「可奈!」可奈は起き上がり、自分のノートとペンを拾い、慌てて逃げ出した。ここは私の家なのに、まるでドブネズミのように追い払われなければならないなんて。「この他人の家庭を壊す狐女、恥も知らず。よくもまあ顔出せるもんね」「そうよそうよ、他人の家庭を壊すなんて、恥知らずめ」可奈は一気に遠くまで、走っていった……痛い、すごく痛い。全身で痛くないところは一つもなかった。どれくらい走ったか分からず、可奈はようやく足を止め、息を切らしていた。
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第6話
彼はなぜまだ死んでいないのか。国際警察が彼女たちを救出した時、可奈は彼が拳銃に打たれて倒れてしまい、血溜まりに横たわったのを見たのだ。その時、可奈は彼を救うことができたのだが、彼女はそうしなかった……可奈にとって、稔は悪人であり、テロ組織の一員でもあった。彼女はただ逃げることだけを考えていたのだ。だから可奈は彼を見捨ててしまった。あの日以来、この男の助けを求める眼差しは、可奈の悪夢となったのだ。「可奈さん、君はもう逃げられないんだよ」低い声をした稔は、ほとんどそのまま可奈を丸ごと呑み込む勢いで駆けて来た。どこから湧いて出てきた勇気なのか、可奈は相手が油断している隙に、立ち上がり必死で家に向かって走り出した。鶴見沢は昔から多くの公務員がここで住んでいて、古いアパートにはエレベーターがなく、彼女の家は三階にあった。音センサーライトが点り、そして消える。可奈は必死に家の方向へ走って行った。その時、彼女は両親がもう亡くなっていることを忘れていた……無意識のうちに、家が最も安全な場所だと可奈は考えていた。「ううっ……」彼女は思いっきり家のドアを叩いたが、口を開いても何の声も出せない。お父さん、お母さんと呼びたかったが、話すことすらできないのだ。彼女の失語症は、同僚が自分の目の前で銃で頭を撃ち抜かれて死ぬのを目撃したことから始まったのだ。あの残忍なテロリストたちは……逃げようとした同僚を撃ち殺した。足音が下の階段から聞こえてくる。可奈はあまりの恐怖で泣き出してしまった。それでも彼女は声が出せない。どうして声が出せないのだ。お父さん、お母さん……助けてよ。可奈は心の中で叫びながら、必死でドアを叩いた。しかし家の中からは誰からの返事もなかった。ドアに残る焼け焦げた跡を見て、その時、可奈は認めざるを得なかった。剛司は彼女を騙していなかったのだ。彼女の両親はもうこの世にいない。「叫べよ、可奈さん。叫んでみろよ。助けてって叫んで、誰かが助けに来るか試してみろよ」稔が追ってきて、一歩一歩と近づき、可奈を隅まで追い詰めてきた。巨大な恐怖が可奈を包み込み、その瞬間、彼女は逃げる以外考えることはなかった。「可奈さん、怖いなら声を出してみろよ……」彼は執拗に可奈に口を開くよう迫ってきた。しかし可奈は
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第7話
可奈は剛司の家には行かず、ホテルに泊まると主張した。剛司は心配で、一緒にいると自ら申し出てきた。可奈はノートにこう書いた。「いらないわ、帰ってください」「可奈……俺が悪いって思ってるんだろ」と、剛司は勝手に説明し始めた。「あの時、君が拉致されて失踪したから、俺は毎日酒に溺れてたんだ。すると彼女が僕の酒に何かを入れて……彼女を君だと思ってしまったんだよ。起きた後俺はすっごく怒って、彼女とは完全に縁を切ったというのに、彼女は執拗に絡んで来て、そして妊娠したって言ってきたんだ……「妊娠が分かった後、彼女に子供を堕ろすように言ったけど、全然聞いてくれなかった。一人で子供を産み、二歳まで育てたんだよ。彼女も大変だったはずだ……」可奈は手をギュッと握りしめた。剛司は、汚い手を使って妊娠した雫を「大変」だと思っているのか。はは……「その後、子供が病気になって……彼女はシングルマザーで、そのことで、宮原院長は彼女と縁を切り、家を追い出されたんだ。本当にどうしようもなくて、俺に助けを求めに来たんだよ……最初はただ子供のことを思って助けてあげたんだ。可奈……何と言っても子供には罪がないだろう」剛司はベッドの傍にしゃがみ込み、緊張しながら可奈を見つめた。可奈はずっと一言も発せず、ただぼんやりしていた。「可奈、この数年間ずっと苦しんできたのは分かってるんだ。今、俺が一番後悔しているのは、あの時君を行かせたことだ……」剛司は声を詰まらせ、可奈の手を握り、目を赤くした。今さら、何を言っても遅すぎる。「私と彼女、どうするつもりなの」可奈は紙に書いた。法律上、この国は一夫多妻制ではない。だから、剛司は可奈と雫のどちらかを選ばなければならない。「可奈、もうちょっと時間をくれないか?」剛司は可奈の手を強く握り、時間をくれるよう懇願してきた。可奈は深く息を吸い、うつむいて震える手でこう書いた。「そんなに困ることじゃないよ、剛司。私たち、離婚しましょう」彼女は身を引くつもりだ。誰にも、彼女がどれほどつらいか分からない。その心はもう叫び声をあげていた。彼女はすでに何も失うものがなく、今、生きていく原動力はただ、彼女たちが拉致された真相をはっきりと解き明かし、亡くなった両親にちゃんとした答えを出すことだけだった。「可奈……」剛司は目を赤く
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第8話
剛司は結局後ろめたい感情が浮かんだのか、緊張して可奈の視線を避けたが、それでも彼女の手を強く握った。「可奈……多分君には理解できないかもしれないけど、俺は君を守らなきゃいけない……雫の父親はうちの病院の院長なんだ。君の今の状況は……まだ病院に残りたいなら、彼らを敵に回すわけにはいかないんだよ」可奈はうつむきながら剛司を見つめ、力強く彼の手から自分の手を引き抜いた。「分かってる……この落差を受け入れるのは難しいだろうけど、可奈……君が戻ってきたんだ、俺たちの生活もこのまま先に進まなきゃいけないだろう。約束するよ、俺たちに反抗できる力と実力がついた時、必ずきちんとした選択をする。ずっと隠したままで僕のそばにいさせたりしないから」剛司は小声で宥めるように言った。可奈がずっと沈黙しているのを見て、剛司は彼女が同意したと勝手に解釈し、強く可奈を抱きしめた。「君が俺を理解してくれるって信じてるよ。この社会で生きていくには、誰にもどうしようもない事情があるんだ。俺たちには人脈もコネもないから、自分の力だけでは、何も守りきれないんだよ」可奈は心がすでに麻痺したように座っていた。まるで冷たい水を頭から浴びせかけられたように、彼女の体は冷えきってしまった。たった五年なのに、剛司はもうまるで別人のようになってしまった。彼女が恐ろしく感じるほどに。「ゆっくり休んで。国内は安全なんだ。ここにいるなら安全だからね」剛司は小さい声で可奈をなだめ、彼女にキスしようとした。可奈は思わず身を引いた。剛司は一瞬ポカンとしたが、詳しく説明する時間はなく、立ち上がって素早く去っていった。彼は焦っていたのだ。両方ともうまく納めようと、あまりにも焦っていたのだ。部屋は突然静かになった。その静けさに、可奈に少し居心地の悪さを感じさせた。戦場での五年間、彼女は一度も安らかに眠ったことはなかった。銃声、悲鳴、泣き叫ぶ声、空気には絶望と血腥い匂いが満ちていた。彼女はあまりにも多くの殺戮を目のあたりにし、あまりにも多くの残酷なシーンを見てきた。戦火が燃え続き、硝煙の匂いが絶えることはなかった。目を閉じさえすれば、この五年間の記憶が脳裏によみがえる。「こいつ、なかなかいいな。連れて行け、ボスへの手土産にしよう」拉致された当日、彼女はあのテロリストたちに引きずら
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第9話
可奈は必死でもがいていた、体に巻いたバスタオルをしっかり掴み、稔を見る目には恐れと怒りがにじんでいた。「何隠してるんだ?君の体で俺が見たことないところなんてないだろう?」稔はそういう性格の悪い男で、可奈をいじめるのを楽しんでいた。彼は五年間も可奈をからかってきたのだ。パシンッ!可奈は全身を震わせながら、稔にビンタをお見舞いした。もし稔がいなければ、戦場から無事に戻ることはできなかっただろうと可奈は認めざるを得ないのは確かだ。しかし、稔がもたらした悪夢は、いつまでも消え去ることがないのも事実なのだ。「俺たち、戦場で五年間も夫婦のように一緒に過ごしてきたのに、会うなり殴るなんてな」稔は傷ついたような顔を見せた。 彼は見た目が恵まれているのだ。彫りの深い顔立ちに、百九十センチの優れた体格をしながらも荒々しい気質を漂わせ、少し外人のような尖ったオーラも持っていて、見た感じはハーフのようだった。彼と目が合うと、自然と距離を置きたくなるような男だった。稔はどこに行っても目立つタイプの男なのだ。砂漠の中でも光を放っているように見えた。可奈も彼に初めて会ったとき、その気迫と見た目に魅了されたのだ。どうしてちゃんとした生活をせずに、テロ組織に入って悪党のようなことをやっているのかと可奈は彼に問い詰めたこともある。彼は利益のためだと答えた。人は皆、利益のために動いているものだ。彼は密輸業をやっていて、税関に手配され、やむなくルカスの組織に入った。ルカスはテロ組織のボスで、稔を非常に信頼している。稔は戦略を練るのが上手で、ルカスに数多くの策略を提供し、この組織は多くのテロリスト組織の中で頭角をあらわすようになっていった。彼はまるでルカスの軍師のようで、組織の中で地位が高く、ナンバーツーのような存在だった。「黙って」可奈は手話で稔と交流できるのだ。稔は数少ない、彼女の手話を理解できる人間の一人だった。彼は仕方なさそうに壁にもたれ、両手を上げた。「携帯を届けに来たんだ。あの立派なご主人さんは、君が携帯さえ持っていないのに気づかなかったのか?ここに一人で置き去りにして、万が一何かあったらどうするんだ?」稔は悔しそうに言いながら、剛司の欠点を彼女の前に並べていた。そのすべての言葉は、彼女にその旦那はもう君を愛していないと諭し
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第10話
「泣くなよ、俺が悪かった……」稔は確かに怖いが、いつもすぐに謝るのだ。可奈はかつてこの男は演技性パーソナリティ症なのかと疑っていたが、後になって彼が自分にだけこんなにひどい態度を取ることに気がついた。他人に対しては、彼は普通の表情さえも見せず、一言多くを語ることも少ないのだ。「俺には行く場所がないんだ。少し眠らせてくれ……」稔はぐるりとベッドに横たわり、何もなかったかのように目を閉じた。可奈は素早く起き上がり、床に落ちている洗っていない服を手に取って着ようとした。「着替えと生活用品をソファに置いてきたよ」稔は淡々と口を開いたが、目は開けなかった。可奈がソファの上の袋を見ると、中にはサイズがぴったりの服や、女性用の洗顔料、スキンケア用品が入っていた。しかしそのどれにも触れず、意地を見せるかのように自分の汚れた服を拾って着ると、巣から落ちてしまった無力な雛のようにソファに丸くなった。そのまま三十分ほどソファで丸くなっていて、可奈は少し腹が立ってきて、ベッドの傍まで行くと、すでに熟睡している稔を見つめた。彼はここがどこだと思っているのか?本当に厚かましい。彼はテロリストで、犯罪者なのに!「あなた、起きて」可奈は稔を軽く押し、手話でそう伝えようとした。しかし稔はどうしても目を開けず、彼女にはどうすることもできなかった。拳を握りしめた可奈は、枕でこの男を窒息死させてしまおうかと考えるほど腹立たしかった……しかし、強い血の匂いは可奈を警戒させた。医者としての本能によって、可奈は彼の上着をめくった。コートの下に着ている白いシャツは、すでに血で赤く染まっていたのだ。可奈は息を飲み、素早く彼のすべての服を捲くり上げると、大胸筋の上に貼られたガーゼが血で滲んでいて、以前の銃創が完治しておらず、傷口が再び開き出血していた。その瞬間、可奈は稔の生命力の強さに感服した。彼女は稔が流れ弾に当たって血の海に倒れるのをこの目で見ていた。そんな彼が生き延びられたのは……この頑丈な鍛えあげられた筋肉のおかげだと言えるだろう。稔の体は……余計な筋肉など一つもなく、しっかりと鍛え上げられたものだ。彼はいわゆるモデルのようなスタイルで、どんな服を着てもスーパースターのような印象を与えてくれるのだ。この時彼は熱を出していたから
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