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last update تاريخ النشر: 2025-12-02 18:39:31

「生意気な口をきくんじゃないわよ!」

 バサッ!

 義母はブラウスを床に叩きつけた。埃っぽいコンクリートの床に、純白のシルクが無残に広がる。

「無臭なんて貧乏くさいのよ。私が通った後には芳醇な香りが残る、それが一流のレディの証なの。あんたみたいに無味無臭な『石ころ』と一緒にしないでちょうだい!」

 義母にとって小夜子の正しさなど、踏みにじって蹴飛ばすためだけにある。

 小夜子は床のブラウスを見つめた。襟元に、床の埃が黒く付着してしまっている。

(洗い直さなければ……)

 義母の怒りはまだ収まらないらしい。彼女はアイロン台に歩み寄ると、電源が入ったままの熱いアイロンを掴んだ。

 ドンッ!!

 小夜子の手の甲、わずか数センチ横に、アイロンを叩きつける。じり、と熱気が肌を焼いた。

(……!)

 小夜子は息を呑んだが、身動きひとつしなかった。下手に動けば火傷をする。恐怖で心臓が早鐘を打っているが、それを悟られないよう感情を殺した。

 ここで下手に泣けば、義母はさらに小夜子を脅してくるだろう。

 過去にもそういうことがあった。だから彼女はじっと心を殺して耐える。

 ところが、その反応のなさが義母をさらに苛立たせたようだ。

 結局義母は、小夜子がどんな態度を取っても気に入らないのだ。

「チッ……可愛げのない子。次は手元が狂うかもしれないわね」

 義母は歪んだ笑みを浮かべると、踵を返した。

「全部やり直しなさい。朝食までに終わらせるのよ」

 強烈なバラの香りを撒き散らしながら、彼女は去っていった。

 再び静寂が戻ったランドリールームで、小夜子は床に落ちたブラウスを拾い上げた。白かった布地は、無惨に汚れてしまっている。

「……はあ」

 小夜子は小さくため息をつき、ブラウスを確かめるように鼻を近づけた。

 まず感じるのは、義母の強烈な香水の匂い。その奥にかすかで確かな別の匂いが残っている。

(……やっぱり)

 この家で強烈な香水と体臭にさらされ続けた結果、小夜子の嗅覚は悲しいほどに敏感になっていた。わずかな違和感も逃さない。

(赤ワインの渋みのある香り。それに独特の発酵臭。ブルーチーズね。昨日のパーティーで、また袖口を汚したまま放置したんだわ)

 匂いが汚れの正体を教えてくれる。タンニンとタンパク質。ならば、洗い方は決まっている。

 小夜子は黙々とぬるま湯を用意し始めた。中性洗剤を溶かし、優しく押し洗いをする。義母は「残り香を残せ」と言ったが、酸化したチーズの臭いを残して喜ぶ人間はいないだろう。

(徹底的に、無臭にしてやるわ)

 それは小夜子なりの、ささやかな矜持だった。

 けばけばしい香水に塗り固められたこの家の中で、自分だけは「無臭」でありたい。

 何色にも染まらず、何の匂いもさせない。誰にも気づかれない透明な空気のような清潔感こそが、今の自分を守る唯一の鎧だと信じて。

 小夜子は再びアイロンを握った。

 ジュゥウウ……。別のシャツに押し当てたスチームアイロンの蒸気の音だけが、ランドリールームに響いた。

 義母や義姉に何を言われてもいい。小夜子は彼女自身のプライドに基づいて仕事を行う。

 研ぎ澄まされた「無臭へのこだわり」と「不快な匂いを嗅ぎ分ける鋭敏さ」は、彼女だけの武器。

 家政婦として磨き抜かれた家事の腕と才覚が、近い未来に彼女の運命を変えるのだとは、小夜子自身もまだ知らなかった。

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