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6:千枚の招待状

last update Tanggal publikasi: 2025-12-02 18:40:21

 墨の香りが、冷え切った和室に沈殿するように漂っている。

 しんしんと冷気が足元から這い上がってくる中、衣擦れに似た筆の走る音だけが、一定のリズムで響いていた。

 この場所は、白河家本邸の奥にある「書に親しむ間」。

 風流な名のついたその部屋は、実質的には暖房設備のないただの座敷牢だ。広い畳の上に置かれた火鉢には、消し炭のような残骸が転がっているだけで、熱などとうに失われている。

 小夜子は文机に向かい、正座をしていた。手元にあるのは白河家が主催する「新春の集い」の招待状と、宛名が書かれるのを待つ純白の封筒の山。その数は一千枚に及ぶ。

 本来なら印刷業者に頼めば済むことだ。だが義母は「格式ある白河家の招待状は、手書きでこそ心が伝わるのよ」などと言い放ち、その全てを小夜子に押し付けた。

(心……。誰の心が、伝わるというのかしら)

 小夜子は筆を墨壺に浸し、余分な墨を縁でぬぐった。ふと、窓ガラスに映る自分の姿が目に入る。外はすでに漆黒の闇だ。ガラスは鏡のように、室内の様子を映し出している。

 小夜子は今日も忙しかった。早朝から義姉・麗華のために卒業論文の仕上げをして、終わったらすぐに朝食の支度。

 息つく間もなく洗濯に掃除にと家事に追われた。

 白河家は老舗旅館を数多く経営する、伝統ある名門家である。

 しかし最近は落ち目だった。施設の多くは老朽化し、リフォームのための資金は底を尽きかけている。

 昨今のインバウンドブームで外資系や新興のホテルグループが参入してきて、顧客の奪い合いが始まっていた。

 かつてはたくさん雇われていた使用人も、いつの間にか一人辞め、二人辞めと数を減らしていった。

 父と義母、義姉はこれ幸いとばかりに小夜子をこき使って、「経費削減」のつもりでいる。

 小夜子は一つため息をつくと、ガラス戸から視線を戻した。筆を運ぶ。

『大日本重工会長 御子柴厳様』

 一文字たりとも乱れぬ、流麗な行書体が綴られていく。手首の感覚はとっくに麻痺している。指先は氷のように冷たい。

 それでも小夜子は書くことを止めない。筆を動かしている間だけ彼女は自分という存在を忘れ、ただの機能になれる。

 痛みも寒さも、惨めさも。墨の黒に塗り込めれば、感じなくて済むのだ。

 その静寂が、無遠慮な足音によって破られた。ふすまが乱暴に開け放たれる。

 廊下の明かりと共に、義母が入ってきた。畳の上だというのに、彼女はスリッパを履いたまま踏み込んでくる。

「進んでるの? まさか、まだ半分なんて言わないわよね」

 義母は文机の横に積み上げられた完成品を、鷲掴みにした。

 美しく積み上げていた紙の束がばらばらと崩れる。

 蛍光灯の光に透かし、舐めるように文字を点検する。

 その目は獲物の弱点を探す猛禽類、あるいは餌の食らいつく場所を探すドブネズミのようだ。

 義母はやがてある場所で目を止めた。

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satomi u
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