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第5話

Author: キョウキョウ
涼介の視線が澪に向けられ、どこか複雑な表情を浮かべたものの、やがて静かに頷いて了承した。

ただひとつ、涼介には条件があった。琴音を、かつて涼介と澪が結婚した時、澪のために購入した別荘に住まわせるというものだった。

その日の午後には、琴音はもう引っ越してきた。外は雨。琴音は涼介に抱きかかえられたまま、両足を地につけず、顔を赤らめながら口を開いた。

「ばか。こんなに人がいるなんて、ちゃんと教えてよ……早く下ろして」

涼介は無表情のままだったが、口元にだけわずかな笑みを浮かべ、どこか愛しげに、そして脅すように言った。

「そんなふうに俺を呼び続けるなら、お前の舌、切り落とすぞ」

澪は一瞬、呆然とした。その言葉。かつて涼介が澪にもまったく同じことを言ったのを、思い出した。「もうわがまま言うなら、お前の舌、切るよ」

涼介は、自分が好きな相手にだけ、いつも口では逆のことを言う。

その瞬間、澪は確信した。涼介は、本当に琴音を好きになったのかもしれない。

心はとうに麻痺していた。それでも、澪の手は止まらなかった。星那は児童養護施設にいる間に、以前よりもますます口数が少なくなっていた。あの子は「お母さん」と呼んで手を握ってくるたびに、澪の胸の奥が張り裂けそうに痛んだ。

でも彼女は、もうすぐ死ぬ。この先、星那を守ってやることはできない。せめて少しでも多くお金を残して、服を買って、温かい家庭を見つけてやりたい。

澪は、ずっと苦労ばかりの人生だった。だから、自分の子供まで巻き込むわけにはいかない。

なのに涼介は、澪を待たせ続けた。「琴音が住み始めたら、連れて行く」そう言われて、澪は待った。

「琴音が落ち着いたら、連れて行く」そう言われて、澪はまた一晩待った。

そして今度は、「琴音が部屋を片付けたら」と言われたとき、澪は、自分の体が限界に近づいていることをわかって、もう待てない。

だから澪は、涼介の前で初めて怒りを爆発させた。澪の冷たい瞳に、涼介の心が揺れ、最終的にようやく彼は、澪を連れて行った。

だが、そこにいたのは、生きている星那ではなく、冷たい墓石だった。

涼介は澪の背後から、淡々と、けれど少しだけ同情をにじませて言った。

「星那の白血病、移植できる骨髄がなかった。助からなかった」

「澪、もうこれ以上、馬鹿な真似はやめろ」

でも澪は、忘れていなかった。あの日、澪が流産したとき。涼介が自ら星那を引き取り、「ここが、あの子の家になるんだ」そう言った。

全身の血が凍るようだった。ただ呆然と、無名の墓石を何度も見上げ、長い時間その場から動けずにいた。

どうやって帰ってきたのか覚えていない。ただ帰宅してからは、一言も話さず、未完成のマフラーを黙々と編み続けていた。

涼介は何も言わず彼女を見続けた。六時に現れては、澪にお粥を差し出した。

「少しは口にしろ。身体がもたないぞ」

でも澪は、何の反応も示さなかった。無表情のまま、深夜までマフラーを編み続けた。

涼介は苛立ちを抑えきれず、目を閉じて、思わず澪の手に触れた瞬間――その冷たさに、はっと息をのんだ。

「薬を買ってくる」

「死ぬにしても、ここで死ぬな。縁起でもない」

そう吐き捨てて部屋を出ていった涼介。その背中を見送りながら、澪はようやく、顔を上げた。窓の外には月明かりが差し込んでいて、澪は溺れるように目を閉じた。

だが、髪を掴まれる激痛に、澪は反射的に目を開いた。いつの間にかそこにいた琴音が、少女のような嫉妬を露わにしながら、澪の髪を乱暴に掴み上げていた。

「またそんな可哀想なふりして、澪、たかが子供が一人死んだだけでしょ?」

「何、白々しくしてるのよ!?」

琴音の叫び声が鋭く響き、澪の頭の中に耳鳴りのように残り、彼女は反射的に目を閉じた。

「澪、あんたのその偽善的な態度、心底ムカつくのよ!」

「死んで当然よ。あの子が生きてたって、私が継母になった時点でどうせ殺してたわ。凍え死ぬか、燃え死ぬか、事故で溺れ死ぬか――方法なんていくらでもある。あんたに、本当に守れると思ってるの?」

琴音は澪に目を合わせさせ、その瞳に潜む悪意に、澪の体が震えた。痛くて、心の奥底が、焼けるように痛んだ。

澪の目が、真っ赤に染まっていく。毒蛇のように琴音を見据えたその目に、琴音はあきれたように鼻で笑った。そして、手を振り上げると、澪の頬を強く打ちつけた。

「まだ睨む余裕があるんだ?本当に調子に乗った女ね」

「涼介にあのクソガキの薬を止めさせたって、あんたに何ができるっていうの?」

その瞬間、澪の中で何かがはっきりと目を覚ました。真っ黒な憎しみが、胸の奥から込み上げる。彼女は弱かった自分を憎んだ。真実を見抜けなかった自分を憎んだ……

でも、どれだけ憎んでも、澪が一番憎んだのは自分が、涼介を愛してしまったという「事実」だった。

澪の手が、床を這うように動いた。鋭く尖った編み針が指先に触れた瞬間――澪は、それを握りしめ、そのまま琴音の体めがけて突き刺した……

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