ログインとある平日。 弥一は仕事へと出勤し、かすみはカフェのオープンへ向けて最終確認をしておきたいからと言って出かけようとしていたので、巴もそれに同行していた。 そんなわけで、御子柴の邸宅には、早苗をはじめとする家政婦や執事が数名とジョンが残っていたのである。 すると、そんな中突如としてインターホンの音がリビングに鳴り響いた。 近くにいた執事がインターホンのモニターを確認する。 それから、執事はジョンに振り返って、 「旦那さま。玄関先に見知らぬ来客のようですが、いかがなさいますか?」 ジョンは「ん?」と言って顔を上げ、 「どんな感じの人?」 執事はもう一度モニターに目をやると、 「黒いスーツを着たガタイの良い男性ですね。見た目は黒髪の短髪で、きっちりとしていそうな方です。また、菓子折りを持っているあたり、礼儀正しい方なのかもしれません。」 執事のその言葉に、ジョンは、どれどれ、というように立ち上がると、執事の横に立ちモニターを覗き込んだ。 ジョンはモニターを見るなり目線を鋭くしたが、すぐさまいつもの顔に戻すと、 「なんだろう、よくないセールスか何かだろうか?これはなんだかdangerな匂いがするから、御子柴家の最終兵器と名高い僕が対応しよう!」 危険、とは言いつつも、ジョンのその話し方からするに、実際は危険でもなんでもないのだろう。 そう思った執事は笑うと、 「では、ジョンさまにお任せいたします。」 と言ったので、ジョンは、「任せなさい!」と言って、胸をドンと叩き、モニターの画面を消す。 リビングを出たジョンは、再び険しい顔つきになると、真っ直ぐに玄関へと向かった。 そして、玄関の戸を開ける前に、巴に向かってメッセージで〈今は家に戻らないでくれ〉と送る。 それからジョンは素早く外へと出ると、後ろ手に玄関の戸を閉めた。 「我が家に何かご用ですか、羽柴さん?」 そう尋ねるジョンは、いつもの温厚な紳士の姿とはかけ離れ、威圧感に満ち満ちていた。 会うなりジョンに最大限警戒されてしまった羽柴は、それでも顔から笑みを絶やさず、 「ご無沙汰しております、ジョンさま。今日は一つお願いがあって参りました。」 「そういったことでしたら、こちらがそちらの期待に添えるとは思えませんので、どうぞお
かすみが御子柴家で暮らし始めて早半月が経とうとしていた。 あれから何度か大家さんに部屋のことを聞いてみたものの、まだまだ時間がかかるとしか言ってもらえなかった。 さすがにこれ以上かかるようなら、新たに部屋でも借りようかな。 そう、かすみが思うであろことなど御子柴家の人々はお見通しであったようで、皆から口々に遠慮はなしだと言われてしまうのであった。 「では、せめて何かお家のことをさせてください。掃除とか、料理とか!」 ジョンは困ったように笑うと、 「家事は一通り家政婦さんたちがしてくれるんだ。それに、彼女たちの仕事は奪えないよ。」 「では、せめて家賃はお支払いいたします!」 「空いてる部屋を貸してるだけだもの。それに、家族同然のかすみちゃんからお金なんてもらえないわ。」と、巴。 咲希は先週A国に帰ってしまっていなかったが、きっと同じことを言っていただろう。 そんな中、弥一は軽く手を上げると、 「毎日とは言わないけど、俺はかすみさんの作るご飯が食べたいです!」 巴は呆れたような表情を浮かべると、 「何を言い出すのかと思ったら。それこそ、お金を払って食べに行ったらいいでしょう?」 その巴の言葉に、かすみは「あ。」と言って反応したが、すかさず弥一が、 「食べに行く、って。どこに?」 巴とジョンは思わず弥一を凝視した。 「あなた知らないの?」と聞く巴に、「何を?」と、弥一は少し眉間にしわを寄せる。 かすみは申し訳なさそうに、小さな声でおずおずと、 「実は、来月からお店を出すんです。」 「はい⁉︎」 驚く弥一に、「大きな声出さないでちょうだい。」と、巴は不機嫌そうに言った。 「いやいやいや、無理でしょう。びっくりしすぎたんだから、そりゃ大きな声だって出るでしょうよ!」 弥一はそう巴に文句を言ってから、かすみに向き直ると、 「お店を出す、ってかすみさんが?」 「はい。」 「どこに?」 「あ、えっと。緑王市に、です。」 "うちの会社があるところの隣の市じゃないか" そう思った弥一は、 「何のお店?」 「あ、カフェです。」 「カフェ!!」 弥一があまりにキラキラとした目でかすみを見るものだから、かすみは黙っていたことへの申し訳なさが増してしまう。
「ナポリタンすっごく美味しかったね!」 喫茶店を出た弥一は、そう言ってかすみに振り返った。 そして、そんな弥一の目に、かすみがかばんから財布を手に取る姿が映ったので、 「かすみさん、お金なら要らないよ?」 喫茶店の代金は弥一が払った。 もちろん、そうしたかったからだった。 この喫茶店では支払いの際にクレジットカードが使えなかったのだが、弥一は現金をいくらか持ち歩くようにしていたので問題なかった。 「いえ、年下の方に奢らせるわけにはいきません。せめて自分の分だけでも払わせてください。」 弥一はかすみを真っ直ぐに見つめると、 「かすみさんのそういう、人を頼らない自立心?すごくかっこいいと思うよ。俺は、小さい頃からお金は男が払うものだって教わってきたし、なんなら俺って結構お金持ちなほうじゃない?だから一層、払って当然だって思うし、思われてると思う。そんな俺にとって、自分の分は自分で、って徹底してるかすみさんはかっこいいよ。」 弥一に褒められたかすみは、照れたように笑った。 だが、次に弥一はかすみと目線を合わせるべく、少しかがんでみせると、 「けど、俺はかすみさんのことが好きな男だからさ。好きな人からは頼られたいし、デートの時はお金を払いたいもんなんだよ。例え自分のほうが年下だといえどもね。知らなかった?」 弥一のストレートな言葉に、かすみは嬉しいのと恥ずかしいのとで、目が泳いでしまう。 「ーどうしてこんなおばさんを?前にも言いましたが、御子柴さんなら引くて数多です。わざわざこんなのを選ばなくても。」 弥一は小さく笑うと、 「かすみさんって、自分に自信がないみたいに言うけど、いつも意外だなって思ってたんだ。」 「え?」 「だって、かすみさんってかなり我が強いじゃない?俺と会わないようにしようって決めたら、同じ家に住んでても本当に会えないし、この日に出ていくって決めたら、そうしちゃうからさ。我の強い人だな、ってずっとそう思ってたよ。」 「それは、その。すみませんでした。」 「ごめん、ごめん。謝らせるような言い方しちゃった。けどね。過去の自分のせいだって分かってても、好きな人がある日忽然と姿を消しちゃったっていうのは、俺の中でも今もかなりのトラウマでー」 「本当に申し訳ありませんでした。」
部屋の扉がノックされたので、櫂斗は「入れ。」と指示を出した。 「失礼します。」と入ってきたのは、櫂斗の部下の一人で、男はスイートルームのソファに深く腰かける櫂斗の前まで来ると、緊張した面持ちで手を身体の前で組んだ。 「何だ?」 櫂斗は書類から目を離さず尋ねる。 部下はゴクリと一つ唾を飲み込むと、 「かすみ様を見張らせていた男との連絡が、一時間ほど前から途絶えました。」 櫂斗はピタリと動きを止めると、ゆっくりと視線を上げ、部下の男に目をやった。 男は思わずサッと目を伏せると、 「どういたしましょうか?」 櫂斗はクッと笑うと、人差し指をくいくいっと動かして、男に傍へ来るよう指示を出す。 男は慌てて櫂斗の元へと走り寄ったのだったがー 「がっー」 櫂斗に顔面を殴られた男は、痛みに呻いた。 櫂斗はいつも両手の中指にゴツゴツとした指輪を嵌めているのだが、それが見事に前歯に直撃したことで、男の前歯は2本とも折れ、そこからダラダラと血が流れ出す。 男は涙目になりながらも、すぐさま櫂斗に向かって、「申ひはけありまへんでひた。」と、その足元にひれ伏すようにして謝罪した。 櫂斗はそんな男を、まるで汚いものを見るかのような目で見下ろすと、 「何のために金を払ってお前らを雇ってると思ってるんだ?それとも何か?俺は自分の仕事の傍ら、お前らの取るべき行動までも一語一句教えてやらないといけないのか?あ?」 男はブンブンと顔を振る。 そんな男に、腹の虫が治らない櫂斗は瞳孔を開いて、 「お前、俺を舐めているのか?俺にはジェスチャーだけで十分だとでも?」 再び拳を強く握り締めた櫂斗の姿に、男は口を抑え、そ両目から涙を流して必死に詫びた。 その時だった。 軽いノックの後、櫂斗の返事を待たずして、部屋のドアがそっと開けられた。 扉を開けた人物は、櫂斗よりもずっとずっと身体の大きな男が、その足元で怯える様を目にし、眉根を寄せた。 その男は血を流す男に近づくと、胸ポケットからハンカチを取り出し、男の口に充てるようにした。 それから、「歯はあるのか?」と、血を流す男に聞き、男が首を横に振ると、 「ならば、さっさと病院に行くことだ。急ぎなさい。」 男の言葉に、血を流す男はちらりと櫂斗を見たので、 「人の顔
コンビニに降ろされた二人はというと、一定の距離を保ったままその場に立ち尽くしていた。 そんな中、弥一はおもむろに携帯電話を取り出すと、 「今タクシー呼ぶね。」 そう言って、いつものアプリを開こうとしたのだったがー かすみが「あっ。」と言ったことに、その手を止めた。 「どうかした?」 「あ、いえ。そのー」 時刻はまもなく午後の七時を迎えようとしていた。 弥一は明日仕事なわけで、早く帰るに越したことはない。 だが、まだ帰りたくない、とかすみは思ってしまったのだった。 とはいえ、一向に弥一の方を見れないくせにまだ帰りたくないだなんて、一体自分は何がしたいというのだろうか。 かすみは「ごめんなさい。」と言って謝ると、 「帰りましょう。」そう、口にした。弥一はそんなかすみの横顔をじっと見ていたが、何も返すこともなく、顔を携帯電話に戻すと、アプリを起動して操作を再開した。しばらくしてタクシーが到着すると、弥一はかすみを後部座席に乗せ、自身は助手席にと乗り込んだ。かすみはそんな弥一を後ろから見つめていたが、自身の態度のせいだと理解すると、その視線を下へと移す。二人を乗せたタクシーは、ゆっくりと事前に伝えられていた目的地へと向かって走り出した。「着きましたよ。」そう言われ、かすみが顔を上げ窓の外を見ると、「え?」 驚くかすみに、運転手にお礼を言って先に降りていた弥一は、後部座席のドアを開けると、何も言わずかすみに向かって手を差し出した。かすみはその手にそっと自身の手を添えると、弥一は乗せられたかすみの手を、優しくそっと包む。弥一にリードされ、かすみも運転手に向かってお礼を言ってタクシーを降りた。そして、降りた先に佇むお店を前に、かすみは弥一に目をやる。「この間食べられなかったでしょ?あれからずっと気になってたんだ。」そのお店は、この間定休日のために入ることができなった、かすみが弥一を連れて行こうとしていたあの喫茶店であった。「中入ろ?」そう言って、弥一は喫茶店のドアを開けて中へと入ったので、かすみも後へと続いた。店は昭和レトロな趣きのある雰囲気で、弥一は物珍しいその店内に、楽しそうに目を輝かせた。この店のマスターである、白髪の紳士的な男性がカウンターから、「いらっしゃい。」と言うと、弥一もかすみも微笑を浮かべて会
その後、四人は加島のおすすめのお蕎麦屋さんで美味しいお蕎麦を食べ、海沿いをドライブしながら所々でサービスエリアに寄っては買い物などを楽しんだ。 時間はあっという間に過ぎ、時刻は間もなく、加島がディナーにと予約したレストランの予約時間へと近づいていっていた。 加島はハンドルを握りながら、バックミラーにちらりと視線を向け、後部座席に座るかすみに目をやる。 そんな彼女は、目の前の助手席に座る弥一を見つめていた。 赤信号で車を止まると、加島が唐突に、 「あーっと、いけない。俺としたことが忘れてた。」 助手席の弥一は加島を見ると、 「何をです?」 「店のことだよ。今日休みなの忘れてて、納品頼んじゃったんだった。」 「そんなことあります?」 「あるんだよ、ごくごくたまーにな。年に一回あるかないかくらいでさ。てことで、次のコンビニでお前とかすみのこと降ろしていい?」 「良ければ手伝いますけど?」 加島はしっしっと手を振って、 「いらない、いらない。素人がほいほい触っていいもんじゃないの!悪いけど、コンビニで降ろすから、自力でタクシーでも捕まえてくれる?」 「俺は構いませんけど。って、あれ?今日ってディナー予約してるんじゃなかったんですか?」何で知ってるんだよ、と加島は思いながら、 「あー、するの忘れてたわ。ダメだな、今日はなんかうまくいかねーわ。疫病神が付いてるからかな?」 そう弥一を揶揄うと、加島は宣言通りにさっさとコンビニに車を停め、 「はい、じゃあ降りて。」 と、弥一に言ってから、かすみに振り返ると、 「てことで、ごめんね、かすみ?彼と一緒にここで降りるてくれる?」 かすみはハッとすると、 「え、あ、うん!こちらこそ、ごめんね、約束守れなくってー」 加島はフッと笑って、 「大丈夫だよ、なんとなくそんな気はしてたからー」 「え?」 「なんでもないよ!ほら、降りた降りた!業者さん待たせちゃってるかもだからさ!」 そう加島に言われ、かすみは急いで後部座席から降り、弥一も「楽しかったです。」と言って車から降りた。 そして、かすみに続いて愛蘭も降りようとすると、 「お前は俺と一緒に来るんですー。」 「嫌よ。」 「それぐらい付き合えっての。共同経営だろ?」 その言葉に、愛蘭は唇を軽く噛むと、 「誰と組むかはちゃんと考え
そんなことに気づく由もない孫を尻目に、八重子はソファから立ち上がると、「じゃあ、あたしはそろそろお暇しようと思うのだけれど、その前に。かすみちゃん、荷物はもう部屋に運んだのかしら?」 かすみはゆったり微笑むと、「はい、荷物は全て午前の内に業者さんに手伝っていただいて運び終わりました。」 その返答に八重子は安心したように微笑むと、 「それなら良かった。弥一にはこの後すぐ荷物をまとめさせるけれど、それでもなんだかんだこの別荘に来るのには二、三日かかると思うわ。その間大丈夫?いつでも早苗はいてくれるとしても、何か心配事はない?」 かすみは首を横に降ると、「早苗さんが居てくださるので
見知らぬ女の唐突の挨拶に面食らった弥一はしばらくお辞儀したままの女を見つめていたが、女が顔を上げて再度自分と目が合うと、すぐさまハッとしたように我に返って女の挨拶を無視して八重子に向かって言った。 「おばあさま、誰ですかこの人?てか、何なんですかこの状況!」 そう尋ねながら、ちらりと女を見る。 その後、弥一は女のそばに寄りたくないのを隠す様子もなく、女から距離を取るようにわざと迂回して八重子に近づいていった。 その様子を見ていた八重子はこちらも不快な気持ちを一切隠すことなく、ありありとその顔に浮かべると、 「あんたみたいな女の見る目もなければ礼儀もなってないような人間を孫
接待を終えた御子柴弥一(みこしば やいち)はいつもよりだいぶ遅くなったものの、ちゃんと帰宅しようとしていた。 今日の相手は得意先の中でもダントツで厄介な質で、酒好きな上に女好きとあって、そいつの接待には必ず美味しいお酒と華やかな女を用意しなければならなかった。 弥一自身もかなり酒を飲まされた上に、そのルックスから女たちは皆彼をロックオンすると、あからさまなボディタッチをするなどしてアピールしてきた。 残念ながら弥一がそれに釣られることはなく、むしろベタベタ触られたことで彼女たちの付ける香水の匂いが自分からもしていることにかなり苛立っていた。 車の空気を入れ替えようと後部座席の窓を
過去に思いを馳せていた弥一の耳に、「社長、着きましたよ。」と、三雲の声が響く。 一気に現実に引き戻された弥一は、反射的に「ああ。」と返して、シートベルトを外した。 そして、運転手が開けてくれたドアからその長い足を外に出しながら、 「今日は厄介な接待に付き合わせて悪かったな。明日の昼にでもこの埋め合わせをしたいから、予定空けといてくれよ。お前の大好きな寿司でも一緒に食いに行こう。じゃあ、お前も早く帰って休め。」 そう三雲に言って車を降りると、今度はドアを開けてくれた運転手に向かっていつものように「ありがとう。」と言った。運転手もまた、「とんでもございません。」と言って微笑む。弥一







