LOGINそう、ものすごい勢いで尋ねられたものだから、弥一はマダムに気圧される形で、「え、あ、はい?」と答えた。 弥一は疑問形で返したのだが、それを肯定と捉えたらしいマダムは、隣の華奢なマダムの肩を興奮したようにバンバンと叩くと、「ちょっと、本物のミコ様よ!やあだー、メディアで見るよりさらにイケメンじゃないの〜。私、イケメンな子に目がないから、初めてミコ様を見た時からあなたに心を奪われちゃって。やあだ、ミコ様に会えるって知ってたらもっとおしゃれしてきたのに〜。」 そのマダムのよく通る大きな声に、並んでいる他の客たちは何事かと振り返る。そして、最後尾に並ぶ、周りと比べ頭二つ分以上も飛び出たその美青年の姿を目にすると、女性陣は瞬時に色めき立った。 「ミコ様は今日どうしてここに?」そう聞かれ、弥一は引きつりながらも何とか笑顔を浮かべると、「ケーキを買いに。」と、手短に答えた。 むしろ、それ以外に何があるって言うんだ、と思ったがもちろん口にはしなかった。 マダムはいかにも大げさな声で、「まあまあまあ。ダメよお、御子柴グループの御曹司様が行列に並ぶだなんて〜。」 そう言うと、弥一の後ろでプラカードを地面に突き立てている女性店員に向かって、キッと厳しい視線を向けると、「全く最近の若い子ときたら、礼儀ってものがなってないわね。どうしてこんなにも偉い方を平気で並ばせたりするのよ!」と、相変わらずそのよく通る大きな声で叱責したのだった。 大勢がいる人の中で叱責された女性店員は、瞬時にその顔を青ざめさせると、「申し訳ありません。」と言って頭を下げる。 マダムはまるで、「ミコ様の代わりに言って差し上げましたよ。」と言わんばかりの表情を浮かべると、弥一からお褒めの言葉でも頂戴しようと、彼の顔を見つめた。 だが、弥一はそんなマダムに一切構うことなく、女性店員の方を見ると、「やめてください。私が好きでここに並んだんです。あなたが謝るようなことは何もありません。」そう言ってその頭を上げさせようとするが、期待を裏切られたマダムがそれを阻む。 「いけませんよ、ミコ様?こういった人はちゃんと教えてあげないと、どんどんと付け上がるんですから!」 そう弥一に諭すように言うと、萎縮している女性店員に詰め寄っていき、「いい?この方は日本で知らない人がいない御子柴グループの御
弥一は運転手に礼を言って車から降りると、目の前のお店に目をやった。 エートル・カプティヴェ フランス語で虜になるという意味をもつその店の看板を目に、弥一の期待が膨らんだ。ここなら、かすみのお眼鏡に叶うケーキが手に入りそうだと、そう思った。 三雲の言葉通り、店の前には午後三時を過ぎたにも関わらず長蛇の列ができており、ガラス越しに見える店内も大変な賑わいを見せていることが見て取れた。 弥一は生まれてこのかた、行列になど並んだことがなかった。 彼は長期戦になること確実なその行列を前に、ふうと息を吐くと、「よしっ。」と言って気合いを入れ、最後尾と書かれたプラカードを持つ女性店員の前に行った。 そして、「ここに並ぶといいんですか?」と、その店員に声を掛ける。 何時間も外で立ちっぱなしだったこともあり、その店員は何とか気力だけで笑顔を保っているような状態だったが、ふいに視界に入り込んできた美青年に、その驚きと衝撃から、瞬時に彼女の疲れは吹っ飛ぶと、「はいっ!ここが、最後尾となっております。ここに、私の一つ前にお並びください!」と、頬を紅潮させながら、ハキハキと答えた。 弥一は笑顔を浮かべ「ありがとうございます。」と言うと、言われた通り、その店員の前に並んだ。 女性店員は、自分に向けられたその破壊力抜群の笑顔と、その身体からほのかに香るムスクの色気ある香りに、腰から砕けそうな感覚に襲われた。 未だかつて、これほどまでに顔面偏差値の高い人間に出会ったことがなかったのだから、こうなってしまうのも致し方ないように思われる。 彼女はプラカードの持ち手を地面に着くと、それを支えに何とか立つのだった。 弥一はそんな女性店員の様子に気づくことなく、自身の眼前に広がる長蛇の列に目をやった。やはりケーキとあって、並んでいるのは女性がほとんどだった。中には男性もいるが、彼らは女性の付き添いで来ているようで、弥一のように男性一人で並んでいる人はいなかった。 弥一は並んでいる間何をして時間を潰そうかと考えた、ちょうどその時だった。 弥一の目の前には二人組のマダムが並んでいた。その内の丸いシルエットのマダムが、隣の華奢なマダムに話しかける。 「全く、この行列ときたら嫌になっちゃうわよね。ここはいつも並ぶけど、今日はどうやらあのハンサムオーナー
三雲は弥一の肩に触れると、優しく揺さぶった。 幸いにも、他の客はそれほど多くはない。それでも、三雲は早くこの場を離れることが懸命と思い、 「御子柴、大丈夫か?とりあえず店を出よう、な?」 と、声をかける。弥一はそれに応えるよにふらりと立ち上がると、会計をしようとスーツの内側の胸ポケットから財布を取り出した。 大将は慌てて、「御子柴さま、お代は結構です。お代をいただくことは私のプライドが許しません。」 「いや、払わせてください。」 「御子柴さま、どうか私の顔を立てると思って。」 そう言われ、弥一は渋々ながらも財布をしまうと、「ごちそうさまでした。」そう言って、ふらふらと戸口に向かって歩いて行った。 三雲も「ごちそうさまでした。それと、申し訳ありませんでした。」と頭を下げ、足早に弥一を追いかける。 三雲が店から出ると、数歩先のところで弥一が呆然とした様子で立ち尽くしていた。 「御子柴?」と、背後から三雲は声を掛ける。 弥一は地面の一点を見つめたまま、「三雲、どうしよう。俺はとんでもないことをしてしまった。思いもしてなかったんだ、断られることがこんなにも辛いだなんて。」 先程の話が自分のことなのだと打ち明けてしまっていることにも気づかずにそう話す弥一に、三雲は、 「御子柴、起きてしまったことはどうしようもない。ただ、俺たちは人間だ。人間である俺たちは誠心誠意、謝ることができる。」 そう言い、御子柴の肩に手を掛けた。 「もちろん、ただ言葉で謝るだけじゃダメだ。貢ぎ物がいる。」 「貢ぎ物?」 「そう。古くから、謝罪には言葉と共に詫びる物がセットだと言われている。言葉は自身で考えてもらうとして、物は大抵その人が最も欲しているものを渡すのがベストだ。ブランド好きな女ならブランドのカバンやアクセサリーといった具合にな。」 そう言われた弥一は、かすみの好きな物について考えてみた。 彼女の普段の服装から見るに、ブランド物に興味があるとは到底思えなかった。 「ブランド物が好きそうでなかった場合はどうするんだ?」 「いい質問だ。正直、ブランド好きな女のほうが男としてはわかりやすくてありがたい。そういった人にはとりあえず有名ブランドの何か高そうな物をあげとけばいいんだからな。けど、そうでなかった場合が厄介だ
弥一は答えを急ぐあまり、そもそもでこれが自分の話ではないということを前提に話しをするのを忘れてしまっていた。 なので、今さらながらも、「いや、これは俺の友達の話しであって、俺のじゃないんだ。」と、苦し紛れにそう付け加える。 そこに大将が、「旬のカツオを使ったお造りになります。」と、差し出す。 弥一がそれを食べるのを見てから、三雲も箸を伸ばした。 旬とあって、何の生臭さもないカツオは、ただただ美味しかった。 先程の弥一の話しに戻るが、 もちろん三雲にはバレていた。しかし、三雲は物分かりがいい。 だから彼は、「なんだ、友達の話か。ごめん、早とちりした。てっきりお前の話かと思ったわ。」と、言ってあげる。 「そんなわけないだろっ。」と、弥一は顔を赤くする。 三雲は笑って、「だから、ごめんって。で?そのお友達は断ったことで女性側を傷つけたんじゃないかと、そう悩んでるのか?」 「まあ、そうだ…」 「ふーん。」と答える三雲に、「蒸し鮑のあん肝ソースがけになります。」と、大将が二人に差し出す。 二人はそれを黙って食べた。 鮑は柔らかく蒸し上げられ、濃厚なあん肝ソースとよく合っている。 うまい そう味わっていたのも束の間、弥一が三雲に問いかける。 「やっぱり、傷つけるものなのか?」 「え?あ、うーん、まあ…そりゃ、傷付くことには傷付くんじゃないか?やっぱり、それなりに勇気のいることだと思うし。」 「そう、か。」 やっぱり傷付けたのか。そう思った弥一の顔が曇る。 その後、次々と大将が握った寿司が出されていった。三雲はそれらが出されると同時に食べていったが、弥一はなかなか手を伸ばさなかった。 「食べないのか?」と、聞く三雲に、「食べていいよ。」と、弥一が答える。 弥一のその落ち込んだ様子に、察したらしい三雲は、おもむろに、 「自分のこととして考えてみたらどうだ?」と、言った。そして、弥一の分の寿司をありがたく頂戴する。 弥一は顔を上げると、 「自分のこととして?」と、尋ねる。 「そ。もし誘ったのが自分だったらって、そう考えてみる。勇気出して誘って、それを相手に断られたんだとしたら、まあ、その日の体調とか気分とかあるだろうけどさ、でも、やっぱり傷付く部分はあるんじゃない?」 そう言われ、弥
そんな三人の会話を盗み聞きしていた弥一は、ふと、自分は既に胃袋を掴まれた状態にあるのではないかと思った。 なんせ、かすみの作り出す料理は美味しいものばかりなのである。未だかつて、彼女が弥一に出した料理ではずれのものなどなかった。 正直今だって、弥一の口はかすみの作る料理を求めていた。 というのも、あの今朝の料理。あれは早苗が作ったものだということに、弥一は気付いていた。 昨日のことでどうやらかすみの機嫌を損ねてしまったか、あるいは気恥ずかしさや後ろめたさからか、まあ、理由は何にせよ、今朝の朝ごはんをかすみは作らなかったらしい。 朝も感じたことだが、早苗の料理は決して不味くはない。むしろ美味しいのだと思う。が、やはり弥一の口が求めるのはかすみの作る料理だった。 彼女の料理は高級料亭のような、豪華な食材がふんだんに使用されているわけでもなければ、繊細な味わいを楽しむそれとも違っていた。かといって、変に中毒になるような濃い味付けをしているわけではない。 あの味を表現する言葉があるとすれば、それは安心感と優越感だ。 かすみの料理を食べると、ほっと息を吐くことができる。家に帰ってきたんだな、そう思える。 そして、こんなに美味しい料理が主に自分のためだけに用意されたものだということに、何とも言えない優越感を感じる。 今だって、奥さんの料理に対してぼやく片山に、かすみの料理を食べている自分のことを自慢したくて堪らなかった。 うちのは何を作らせても美味しいけどな、と。 そして弥一は確信するのだった。 そんな自分はやはり、かすみの料理に胃袋を掴まされたのだな、とー 弥一と三雲を乗せた車は、御子柴御用達の高級寿司屋に到着した。 格式高い暖簾をくぐると、二人はカウンター席に案内される。 この寿司屋には個室などなく、カウンター席のみだったが、そもそもで高級すぎるが故に各界の著名人と呼ばれるような人々しか出入りできないため、プライバシーを気にする必要がないからであった。 そのため、弥一は席に着くと、大将に向かって、「コース料理とは別に、うにといくらとえんがわを二枚ずつ、彼に出して下さい。」と、言った。 それに対して大将が「かしこまりました。」と言うと、弥一は素早く隣にいる三雲の方を向いて、 「女性から誘われたとして
午前の業務を一頻り終えた弥一は、ふうとため息を吐くと、椅子の背もたれに深く沈んだ。 今朝は時間がなかったため朝食を食べられなかったことと、仕事で頭を使ったことで、弥一のお腹は究極に空いていた。 お昼には少し遅くなってしまったが、昨日約束したこともあり、三雲を誘って行きつけの寿司屋に行こうと椅子から立ち上がる。 ついでに、昨日と今朝の出来事について、三雲に意見を求めよう、とそう思った。 弥一があの家に帰るようになって以来、弥一にとって三雲は、自分の置かれた境遇を知る唯一の同期であり友として、信頼し、重宝していた。 その証拠に、一年前、自身が社長に就任することになった時も、自身の秘書に迷わず三雲を選んだのだった。 弥一が社長室を出たとき、ちょうど中に入ろうとしていた三雲と鉢合わせた。 「ちょうど良かった。約束通り寿司をご馳走するから、これから一緒に食べに行こう。」 そう、弥一は三雲に声を掛ける。 三雲は、「社長、毎回毎回そんな風にしてもらわなくても大丈夫ですよ。接待だって重要な仕事の一つなのですから、私は単に仕事したにすぎませんし。」と、気を遣う。 弥一はそんな三雲の耳に顔を近づけると、ヒソヒソ声で、「相談したいことがあるんだ。つべこべ言わずに行くぞ。」と、言った。 三雲は呆れたような顔をすると、「マーケティング部から企画書のことでお前のサインが欲しいと頼まれた。それにサインしてくれたら、俺がそれをすぐマーケティング部に届ける。そうしたら、晴れてお前の相談とやらに付き合えるけど?」と、小声で返す。 「どれだ?」と間髪入れず尋ねる弥一に、三雲は書類を差し出す。 弥一は書類を受け取ると、サッと目を通した。 企画書は、新しくデザインした下着の展示会についてのものだった。 よくまとめられた資料に、弥一は万年筆を取り出すと、最後のページに流れるようにサインをした。 そしてそれを、「ん。」と言って、三雲に差し出す。 三雲は書類を受け取ると、「先に車の方へ向かっていてください。」と、そう言って、走り去って行った。 弥一は言われた通り、先に車へ向かおうと思い歩き出した。 と、休憩室の前を通り掛かった時だった。 中から聞こえてきた話し声に、弥一は思わず足を止める。 ちらりと中に目をやると、そこには男が三







