Masukプレゼントの箱は、ピシリとピラミッド状に積まれていた。いちばん上から順に開けられる仕様だ。明日香の贈り物は、整然として見映えも華やか。けれど、星が「1」から番号を振って用意したものとはまるで違う。こちらには数字札が一切ない。ただ埋め合わせの品を美しく積み上げた――そんな印象だった。山の前に立った怜央の顔に、喜びの色はない。眉間がわずかに寄る。「司馬さん、開けてみないんですか?」はっとして、いちばん手前の箱を取る。最初に出てきたのは、上等そうな万年筆。二つ目はベルト。三つ目はネクタイピン。四つ目はマフラー。残りも次々と開けていく。中には、かなり値の張りそうな銘酒まで入っていた。どれも実用的で、見栄だけの品ではない――ちゃんと考えて選んだのは分かる。それでも怜央の表情は淡い。これだけ数があると、優芽利でさえ福袋を開けるような高揚が湧いてくる。二十九個を選び、しかも外さない――簡単なことではない。最後の箱には巻物が入っていた。広げると、男性の肖像が目に飛び込む。怜央がわずかに目を見開く。明日香はまっすぐ怜央を見る。「司馬さん、これは私が描きました。どう……?」怜央の視線が揺れ、整った顔つきがようやく少し和らいだ。「……気持ちは受け取った」二十九のうち、明日香の手になるものはこれ一つ。今の怜央は金に困っていない。いくら高価でも、心は動かない。明日香はほっと微笑む。「気に入ってもらえたなら、良かったんです」優芽利は驚いたように明日香を見る――どうしたんだろう。急に、兄にここまで手をかけるなんて。埋め合わせだけじゃない。わざわざ肖像まで描くなんて。絵は時間がかかる。価値や名声に直結しないなら、明日香は基本無駄をしない。もちろん、彼女は学べば何でも一流に仕上げる――誰にも真似できない。それでも怜央の機嫌は上がらず、口数も少ない。明日香は眉根を寄せる。言われた通りにしたはずなのに、なぜまだ不満なのか――いったい怜央は、どうしてしまったの。誕生日会は三人だけ。空気はどこか冷たい。いつも場を回す優芽利も、今日は口が重い。一時間ほどで、誕生日は淡々と終わった。怜央は二人を階下まで見送る。運転手はすでに待機中。明日香を車に乗せる前に、怜央は一枚のメモを差し出した。「結羽の今の住所だ」明日香は
振り返ると、怜央が立っていた。明日香は微笑む。「私と優芽利二人とも、この絵に見覚えがある気がして」怜央は眉をわずかに上げた。「お前たちもそう思うのか」明日香が続ける。「司馬さんも?ねえ、三人でどこか一緒に行ったことがあって、そこでこんな景色を見たのかもしれませんね。もしそうなら……summerは、私たちのすぐ近くにいるってことにならないですか?」優芽利がふと思い出したように言う。「そういえば、このsummer、前に明日香の後ろ姿を描いてたよね?」その一言が、明日香と怜央の記憶を刺激する。怜央はかつて、その後ろ姿の絵を明日香に贈っている。怜央が明日香を見る。「summerと、お前は知り合いか?」明日香は首を横に振った。「私も……よく分かりません」明日香は交友関係が広い。誰がsummerなのか、把握し切れるはずがない。優芽利が言う。「summerって、たぶん男だと思う。明日香の後ろ姿を描けるってことは、片想いかも。けど、お嬢様相手に自分は釣り合わないって思って、気持ちをしまい込んで、遠くから見てる――とか?」――優芽利の頭の中は、いつだってロマンチックな妄想でいっぱいだ。明日香は笑って、否定はしない。昔から、明日香に想いを寄せる男は多かった。密かに見守る者も少なくない。怜央がsummerを気に入っていなければ、そもそも気にも留めないだろう。明日香は静かに言った。「司馬さんがsummerを探したいなら、私のほうで調べさせますわ」怜央は淡々と返す。「いや。もう連絡先は手に入れている」明日香は特に驚かず、微笑んだ。「司馬さんがいらしたなら、始めましょう」軽く手を叩くと、照明がすっと落ちる。アシスタントがケーキワゴンを押して近づき、ロウソクの火がゆらゆら揺れた。室内の隅から、「ハッピーバースデー」の旋律がヴァイオリンで穏やかに流れ出す。――その光景を見た瞬間、怜央の意識はふわりと別の場所へ漂った。もし星だったら、仁志のために自分でヴァイオリンを弾くだろう。考えるまでもない。けれど星の手は壊され、弾きたくても弾けない。一方、明日香の手は無傷。なのに彼女は、自分のために一曲を贈ろうとは思わない。ぼんやりしている間に、ケーキは目の前へ。明日香が笑う。「司馬さん、願いごとを」怜央はようやく我に返った。もともと願い事
忠は首を横に振った。「お前と怜央は何年も付き合いがある。仁志が出てきて、どれだけ経った?しかもあいつは怜央の宿敵だ。そんな腹に一物ある人間の言葉で、お前に距離を置くなんて、あり得ないよ」明日香は静かに言う。「でも……仁志以外に、思い当たらないの」明日香は滅多に感情を表に出さない。だが、今は心底疲れていた。「最初から、仁志と近づくべきじゃなかった……」この時になって、明日香は認めざるを得なかった――仁志という男は、今の自分では手綱を握れない。忠が探る。「怜央、また変な要求でもしてきた?」明日香は眉間を揉み、息を吐く。「誕生日の埋め合わせはいいの。問題は、その後よ。生まれてから今までのプレゼントを全部、埋め合わせてほしいって。二十九個。選ぶだけで、どれだけ時間がかかるか……」忠も目を丸くした。「怜央、片腕を失ってメンタルやられてるんじゃ?なんでそんな突拍子もない……」困らせているのは確かだが、致命的というほどでもない。ただ――以前の怜央は、万事抜かりなく整えてくれた。心配する余地などなかった。今は違う。こちらから言わなければ動かない。言えば言ったで、理解しがたい要求を次々と出してくる。忠も理由は分からない。だが、とにかく結羽の件を早く片づけたい。「プレゼントの件はそこまで悩まなくていい。俺が相談に乗る。どうせ今ヒマだ。全部任せて」明日香は怜央と疎遠になりたくなかった。だから口にする。「忠兄さん、司馬さんはsummerの絵が好きなの。探して。市場に残っていないか、調べて」「summerがどれだけ良くても、お前が描く絵のほうが意味がある」忠は続けた。「ここ数日、時間を作って、怜央の肖像画を一枚描いてあげたらどうだ?お前が彼のために描いたって分かれば、感動して水に流すかもしれない」明日香の表情がわずかに動く。確かに悪くない案だ。「……分かった。忠兄さんの言う通りにする」……怜央の誕生日会は、すぐやって来た。埋め合わせとはいえ参加者は三人だけ。だが会場は温かく整えられている。もちろん今回は、怜央に言われるまでもなく、会場の手配は明日香が済ませた。怜央に任せるわけにはいかない。飾り付け程度なら、明日香が自分で手を動かす必要もない。指示を出せば、助手や秘書が仕上げる。――お金で解決できることは、問題ではない。
何より厄介だったのは、その患者が大声でわめき、計画の中身をその場で言いふらしたことだ。見つかるのは時間の問題――案の定、即座に捕まった。医師たちは診断に「被害妄想の悪化」に加え、「解離性同一性障害」まで付け足した。それまで中心だったのは電気治療。この一件を境に、項目はさらに増える。専用の椅子に縛りつけ、高速回転。吐いて、気絶するまで止めない。「脳内に原因不明の液体が滞留している。回せば外へ散らせる」――そんな理屈だ。生き地獄だった。輝は他の患者と手を組み、この病院の正体を暴こうとした。ここに閉じ込められているのは、自分と同じ無実の普通の人間ばかり――本気でそう信じていた。だが思い知る。この病院で「普通」なのは、自分だけかもしれない、という現実を。また捕まり、今度は水療法に回される。精神科病院の水療は、スパではない。「落ち着かせたい」と医師が判断すれば、氷の浮いた冷水に長時間浸ける。冷たい湿布布で全身を固く巻き、頭だけ出したまま、延々と冷水に晒す。――彼が思いつくことは、だいたい彼らも思いつく。そして、あの医師たちにできないことはない。高圧の拷問の中で、意志は少しずつ、確実に砕けていった。絶望の底に沈みかけた頃、医師たちは今度、葛西家の「秘史」を囁きはじめる。――葛西家に私生児がいないわけではない。かつて叔父が一人いた。真実の愛のために家を出て、二度と戻らなかった――その話は神経をさらにかき乱した。耳元で、毎日、同じ内容を繰り返し刷り込む。葛西家が行方を突き止めたのは、数年も経ってから。そのときには、彼はもう本物になっていた。屋敷へ連れ戻すや、治療の段取りもないまま、彼は発狂したように家族を指差し、家系ごとの秘密を次々と暴露した。最悪なのは、屋敷を抜け出し、外でも言いふらしたことだ。葛西家は、その狂気に震え上がる。専門家を呼ぶより早く、再び精神科病院へ投げ戻し、監視役を付けた――二度と、逃がさないために。やがて、家の中で「輝」という名は禁句になる。彼の保有株は精神疾患を理由に後見人の管理下へ。数年もせず、戸籍上こそ生きているが、家の中では存在しない者になった。もちろん――それは、ずっと後の話だ。……その頃。明日香は怜央と別れたあと、ショッピングモールに立ち寄っていた。怜央への贈り物をざ
仁志は医師たちへ視線を移した。「輝さんは精神錯乱で、支離滅裂な発言が続いています。まずは軽い治療から」医師たちは恭しく頷く。「承知しました、溝口さん」二人がベッド脇に進み、拘束ベルトで輝の手足を固定する。輝の顔色が、はじめて変わった。「おい、何を――」医師は穏やかに告げる。「治療です。ご安心を。命に関わることはいたしません」言葉が終わるより早く、電流が頭から全身へ走った。身体が勝手に痙攣し、声も出ない。別の医師二人が電気治療器を構え、頭部へ電撃を加える。意識が落ちかけるタイミングでぴたりと止める――その間合いは異様なほど正確だった。三十分後。輝は白目をむき、泡を吹き、失禁していた。世間に晒され、醜聞の渦中に立ったことはある。だが、ここまで尊厳を剥がされ、肉体の痛みまで叩き込まれたのは初めてだ。汗に濡れた視界の向こうで、仁志が意味ありげに見下ろしている。「輝さん。星野さんはあなたに何もしていません。それなのに星野さんが自分を害すると決めつける――被害妄想が過ぎます」声は淡々としていた。「これからは、ここで治療に専念してください。ここを家と思えばいいんですよ。医師たちは家族のように、あなたを扱ってくれます」そう言い終えると、返事も待たず部屋を出た。数秒後――バチバチ、と電流音がまた走り、凄惨な叫びが室内から漏れた。廊下では藤原謙信が静かに待っていた。仁志が出てくると、すぐ寄る。「溝口さん、他にご指示は?」仁志は感情の起伏なく答えた。「ここをしっかり監視して、あの人が逃げたり死んだりしないようにしてください。そして、ちゃんと治療も受けさせてください」期間は告げない。つまり、残りの人生を精神科病院で過ごすということだ。葛西家が失踪に気づき、見つけ出したら?――構わない。気づく前に本物にしてしまえばいい。治療の合間に、葛西家の秘話を少しずつ流してやる。家の恥を抱えるくらいなら、向こうから厄介者を捨てに来るだろう。用意している秘密はいくらでもある。とくに――朝陽に関するものは。……それから輝には、終わりの見えない「治療」が続いた。電気けいれん療法だけではない。回転療法、水治療、薬物療法……ありとあらゆる手段が並ぶ。星や仁志を罵れば、それは「発作」と判断され、頭
輝は傲慢だが、頭が空っぽではない。その一言に含まれた意味を、瞬時に嗅ぎ取った。仁志を睨み、歯ぎしりする。「……前の件、やったのはお前か?」仁志は横目で一瞥する。「言ったはずです。恨みがあるなら僕に来てください。星野さんに手を出すのはやめて」声は丁寧だが、刃のように冷たい。「女性をいたぶって、楽しいですか?」あまりのあっさりした自白に、輝は一瞬言葉を失う。だがすぐ、鼻で笑った。「お前でも星でも変わらないだろう。星は自分の手を汚したくないから、お前に指示しているんだろ」低い笑いが洩れる。「誰がやったにせよ、全部、あいつが原因だ」目を細めて続ける。「お前だって、星のために俺を潰したんだろ。なら、俺が星を狙うのは間違ってない」さらに、ねっとりと。「それに……」仁志の目を射抜くように見据え、一語ずつ刻んだ。「お前、必死に恨みを自分に引き受けたがってる。誰かが星を傷つけるのを、死ぬほど怖がってる」口角が歪む。「確信したよ。星に復讐するのが正解だって。お前が一番恐れているのは、星が傷つくことだろ?」仁志の瞳が、ゆっくりと氷点へ落ちていく。その変化がたまらないのか、輝は笑いを深くした。「星に手を出すな?お前が嫌がれば嫌がるほど、やりたくなるよ」低く粘つく声。「息がある限り、星を一生、安らがせない。お前らはずっと、恐怖の中で生きろ」仁志は、逆に軽く笑った。「輝さん。自分を買いかぶりすぎです。誰が恐怖の中で生きるのか――まだ分かりませんよ」淡々と続ける。「脅す前に、そもそもその機会が残っているか、確認しては?」その言葉で、輝はようやく周囲を見回した。ここは診察室のような部屋。医療機器が並ぶ、見た目だけなら普通の医務室。――その時。廊下の向こうから、異様な叫び声。「うわああっ!」続く慌ただしい足音。「患者がそっちに走った!押さえろ!」「ロープ!縛れ!」「抵抗が激しい!鎮静剤、急げ!」凄惨な叫びが響き渡り、背筋が冷える。さすがの輝も、ここが普通ではないと悟った。勢いよく仁志を見る。「ここはどこだ?!」仁志は淡々と告げる。「M国最大の精神科病院です。感謝してください。星野さんと葛西先生の関係が悪くないから、あなたはまだ生きていられますよ」







