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恋のリスタート

恋のリスタート

By:  ポプラCompleted
Language: Japanese
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交通事故の後、私は地面に倒れたまま、婚約者の早坂公彦(はやさか きみひこ)に助けを求めた。しかし、返ってきたのは彼のうんざりした視線だけだった。 「演技するな。本当に怪我したら、そんなに喋れるわけないだろ?毎日くだらないことで騒いで、疑心暗鬼にしてばかりだ」 彼は助手に命じて私をプライベートクラブに連れて行かせ、密室に閉じ込めた。冷たい顔で鍵をかけ、「三日間冷静になって、しっかり反省しろ」と言い捨てた。 警察に通報して扉をこじ開けてもらって、ようやく救急車が駆けつけ、私を病院へ搬送してくれた。 医者は「脳に損傷がある。すぐに手術が必要で、家族の同意が要る」と告げた。 私は必死に公彦に電話をかけ続けたが、すでに着信拒否にされていた。 その時、SNSで浅野ゆき美(あさのゆきみ)の最新の投稿を目にした。 【社長にご馳走になったミシュランディナー、カップルコース本当に最高!今度のデートも楽しみ】 退院した後、私が最初にしたのは、結婚式のキャンセルと、招待状をすべて処分することだった。 そして母に電話をかけ、ずっと勧められていたお見合いを受け入れることにした。 「お母さん、考え直したの。あの人に会ってみたい」

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Chapter 1

第1章

交通事故の後、私は地面に倒れたまま、婚約者の早坂公彦(はやさか きみひこ)に助けを求めた。しかし、返ってきたのは彼のうんざりした視線だけだった。

「演技するな。本当に怪我したら、そんなに喋れるわけないだろ?毎日くだらないことで騒いで、疑心暗鬼にしてばかりだ」

彼は助手に命じて私をプライベートクラブに連れて行かせ、密室に閉じ込めた。冷たい顔で鍵をかけ、「三日間冷静になって、しっかり反省しろ」と言い捨てた。

警察に通報して扉をこじ開けてもらって、ようやく救急車が駆けつけ、私を病院へ搬送してくれた。

医者は「脳に損傷がある。すぐに手術が必要で、家族の同意が要る」と告げた。

私は必死に公彦に電話をかけ続けたが、すでに着信拒否にされていた。

その時、SNSで浅野ゆき美(あさのゆきみ)の最新の投稿を目にした。

【社長にご馳走になったミシュランディナー、カップルコース本当に最高!今度のデートも楽しみ】

退院した後、私が最初にしたのは、結婚式のキャンセルと、招待状をすべて処分することだった。

そして母に電話をかけ、ずっと勧められていたお見合いを受け入れることにした。

「お母さん、考え直したの。あの人に会ってみたい」

電話の向こうから、母の抑えきれない喜びの声が響いた。

「万由里、やっと分かってくれたのね。

パパも私も前からあのベンチャー企業の男はあなたにはふさわしくないって思ってたんだから。IT企業がどれだけ華やかでも、所詮は浮ついたものよ。実業には到底及ばないわ。

六年も付き合ってて、一度だって実家に挨拶に来ようとしなかったじゃない?そんな男、最初からあなたに責任を持とうなんて思ってないのよ……」

母の一言一言が重い槌のように、私の迷いを打ち砕いた。

やはり周りの誰もがはっきり見抜いていたのに、感情に流されて分寸を見失っていたのは私だけだった。

六年間にも及ぶ関係の中で、早坂公彦は一度も私の実家を訪ねようとしなかった。

いつも「結婚式はこっちでやる。今の時代の結婚には、昔ながらの礼儀作法はいらないし、わざわざ両親に会う必要もない」と言っていた。

今思えば、彼が最初から真剣になるつもりなどなかっただけなのだ。

私は深く息を吸い込み、静かに言った。

「お母さん、ごめんなさい。私が頑固すぎた。

その前原家の御曹司、今度会ってみるわ」

言葉が終わった瞬間、書斎のドアが開いた。

公彦がコーヒーを片手に、ドア枠にもたれかかりながら細めた目で私を見ていた。

「今度会ってみる?誰と?」

私は唇を噛み、説明する気はなかった。

「仕事の話よ」

それ以上を語ろうとしない私に、彼はそれ以上は追及せず、ただ何かを考え込むように立っていた。

「警察を呼んだって聞いたけど?」

「ええ」

しばらく沈黙した後、彼は急に口調を和らげた。

「あの日は考えが足りなかった。あんなことをするべきじゃなかった。

ただ、ゆき美が足をくじいてしまって、女の子一人で……」

私はパソコンの画面を見つめ、キーボードを叩く指のリズムを乱すことなく答えた。あの日のことを蒸し返すつもりはなかった。もう何の意味もない。

「いいのよ。過去のことは過去のことよ」

彼は私のこめかみの傷跡に気づき、触れようとした。私は無意識にそれを避け、かつて深く愛したこの男を見上げた。

「傷はだいぶ治ったから、心配しないで」

手術から半月後。

ゆき美はプロジェクト企画を口実に、公彦を誘って海外へ出張に行った。

私は病院のベッドに横たわり、すぐに開頭手術が必要だと告げる医師の言葉を聞きながら、十数回もかけた電話ことごとくが留守電に転送されるのを聞いていた。

「大丈夫、自分でサインします」

主治医の心配そうな眼差しに、私は苦笑を浮かべた。

術後の七日間、私は一人で病室に横たわり、水一杯すら運んでくれる人もいなかった。

麻酔が切れると、痛みは息が詰まるほど激しかった。だがその頃、六年を共に過ごした婚約者は、SNSに南国リゾートでの写真を次々と投稿し、ゆき美との親密なツーショットを次々と上げていた。

私はそれらの写真を見ながら、ただ機械的に「いいね」を押し続けた。

公彦が戻ってきたのはたぶん昨夜、あるいは今朝だっただろう。もうよく覚えていない。そんな細かいことは、とっくにどうでもよくなっていたから。

翌日、お昼近くになってようやく、私はうつろな眠気から覚めた。

ベッドルームから出て、何か食べるものを探そうとすると、ダイニングから美味しそうな料理の香りが漂ってきた。公彦が忙しそうに立ち働き、テーブルには見事な料理が並んでいる。

「起きたか?」

久しぶりに見せる優しい笑顔で、彼は最後の一品をテーブルに置いた。

「今日はわざわざ会社休んで、君と一緒に過ごそうと思ったんだ。全部手作りだよ。食べてみて」

私は少し躊躇したが、結局テーブルに向かった。

公彦はまるで別人のように、熱心にウニパスタを私に勧めた。

「絶品のウニだ。早く食べてみて」

そのウニパスタを見ながら、私は心の奥で冷笑していた。
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Comments

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チロリン
閉じ込められて警察呼んだ時に監禁罪で訴えれば良かったのにね! クズ男と切れて良かった!
2025-10-19 01:18:23
1
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松坂 美枝
主人公の家族にお金出してもらって会社を設立しておきながら六年も実家に挨拶に来ないで浮気する男は確かに消滅するべきだ
2025-10-18 10:57:20
1
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ノンスケ
くだらない男に引っ掛かっちゃったんだね。結婚する前にわかって良かったと思うしかない。いい人と結婚できて安心した。
2025-10-19 14:27:03
0
8 Chapters
第1章
交通事故の後、私は地面に倒れたまま、婚約者の早坂公彦(はやさか きみひこ)に助けを求めた。しかし、返ってきたのは彼のうんざりした視線だけだった。「演技するな。本当に怪我したら、そんなに喋れるわけないだろ?毎日くだらないことで騒いで、疑心暗鬼にしてばかりだ」彼は助手に命じて私をプライベートクラブに連れて行かせ、密室に閉じ込めた。冷たい顔で鍵をかけ、「三日間冷静になって、しっかり反省しろ」と言い捨てた。警察に通報して扉をこじ開けてもらって、ようやく救急車が駆けつけ、私を病院へ搬送してくれた。医者は「脳に損傷がある。すぐに手術が必要で、家族の同意が要る」と告げた。私は必死に公彦に電話をかけ続けたが、すでに着信拒否にされていた。その時、SNSで浅野ゆき美(あさのゆきみ)の最新の投稿を目にした。【社長にご馳走になったミシュランディナー、カップルコース本当に最高!今度のデートも楽しみ】退院した後、私が最初にしたのは、結婚式のキャンセルと、招待状をすべて処分することだった。そして母に電話をかけ、ずっと勧められていたお見合いを受け入れることにした。「お母さん、考え直したの。あの人に会ってみたい」電話の向こうから、母の抑えきれない喜びの声が響いた。「万由里、やっと分かってくれたのね。パパも私も前からあのベンチャー企業の男はあなたにはふさわしくないって思ってたんだから。IT企業がどれだけ華やかでも、所詮は浮ついたものよ。実業には到底及ばないわ。六年も付き合ってて、一度だって実家に挨拶に来ようとしなかったじゃない?そんな男、最初からあなたに責任を持とうなんて思ってないのよ……」母の一言一言が重い槌のように、私の迷いを打ち砕いた。やはり周りの誰もがはっきり見抜いていたのに、感情に流されて分寸を見失っていたのは私だけだった。六年間にも及ぶ関係の中で、早坂公彦は一度も私の実家を訪ねようとしなかった。いつも「結婚式はこっちでやる。今の時代の結婚には、昔ながらの礼儀作法はいらないし、わざわざ両親に会う必要もない」と言っていた。今思えば、彼が最初から真剣になるつもりなどなかっただけなのだ。私は深く息を吸い込み、静かに言った。「お母さん、ごめんなさい。私が頑固すぎた。その前原家の御曹司、今度会ってみるわ」言葉が
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第2章
六年も付き合ってきたのに、公彦は私がウニアレルギーだということさえ覚えていなかった。私は隣に置いてあったパンに手を伸ばそうとしたが、彼はそれを遮った。「それはダメ。人にあげるものだ」私が怒そうのを見て、彼は慌てて声を和らげた。「万由里、テーブルには他にもたくさんあるだろう?何でも好きなものを食べていいんだ。ただこのパンだけは……」私はうつむいてスマホを開き、やはりSNSでゆき美の最新投稿を目にした。【超パン食べたい~この前海外で食べたあの店の、めっちゃ美味しかったなあ……】料理なんて一切しない公彦が、ただその一言のために、こんなに凝った料理を用意したのだ。私はご飯を数口かき込むと、席を立った。「気を使わないで。もう十分頂いたから」夕暮れ時、ガレージから物音で公彦の帰宅を知った。きっとあのパンを誰かの手に渡したのだろう。スマホが震え、ゆき美から写真付きのDMが届いた。写真にはスーツを粋に着こなした公彦が、上品なギフトボックスを抱え、ゆき美と一緒にオフィスビルの前で自撮りしている姿が写っていた。すぐにメッセージは削除されたが、それでも写真の端に二人が手を握り合っているのをはっきりと見た。【万由里さん、ごめん~人違いしちゃった!邪魔しちゃってなかったらいいけど~】そんな見え透いた自慢には、もう心は動かない。私はただ、退職願の作成に集中していた。ちょうどパソコンを閉じようとした時、背後に足音が聞こえた。「万由里、あと七日で俺たちの結婚式だ。今日は空いてるから、一緒にドレスの試着に行こう」今の私は、ドレスを試着する気なんて、これっぽっちもないのだ。「結構よ」冷たい私の反応に、公彦は眉をひそめ、リビングを見回した視線が隅の火鉢で止まった。「あれは何だ?」火鉢の中には、焼け残った紙片がいくつか入っており、豪華な招待状の残骸がかすかに認められる。先週の怒りの痕跡を、まだ片付けていなかったのだ。その時、彼の携帯が鳴った。「社長、ちょっと気分が悪くなっちゃって……さっき食べたデザートが何かおかしいと思いましたが、今ホテルにいるの……来てもらいませんか?」電話の向こうから、ゆき美のわざとらしい弱々しい声が伝わってくる。公彦はすぐにソファに掛けていた上着を掴み、慌ただしい表情
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第4章
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第5章
「ダーリン」ゆき美は参列者の前で公彦の腕に絡みついた。「もう彼女を探さないで。万由里さんは社長を私に譲ってくれたの。今日は、私たちの結婚式よ」公彦の表情は驚愕から歪んだ怒りへと変わった。彼は勢いよくゆき美を振り払った。「何て妄想をしているんだ!俺が娶るのは万由里だ!結婚が子供の遊びだと思ってるのか?お前なんかが何様のつもりだ?出て行け!」ゆき美は呆然と立ち尽くした。公彦がこれほど取り乱した姿を見たことはなかった。普段はどんなわがままも聞き入れ、寵愛してくれるのに――今は人前で「出て行け」と突き放されたのだ。無数の視線の中で、彼女の顔色は青ざめていった。「社長、何て言うの?私を抱いた時は何も文句言わなかったくせに!今や婚約者の万由里だって社長を見捨てた。社長と結婚できるのは私だけなのに!それを出て行けって?」もともと新婦が万由里ではないと知った時点で、参列者たちはすでにざわめいていた。今のやり取りを聞いて、会場はさらに騒然となった。「なるほど、噂の愛人の成り上がりってやつか。本当に社長を骨抜きにしてたんだな」「そりゃ新婦が逃げ出すわけだ。私だってこんな女と毎日一緒なら耐えられない」「ちっちっ、このスタイルじゃ仕方ないさ。道理で社長が夢中になって婚約者まで捨てたわけだ……」公彦の顔色は最悪だった。警備員に指示して場を収めさせ、自分はホテルを飛び出し、狂ったように私の行方を探し始めた。スマホをかけ続け、その声はかつてないほど取り乱していた。「万由里!電話に出てくれ!頼む、出てくれ!」だが何度かけても応答は同じ。――「お掛けになった電話は電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないためかかりません」最後に彼は何かを思い出し、ごみ箱からあの手紙を掘り出した。くだらない悪ふざけだと思って、丸めて捨てたものだ。拾い上げた手紙にはすでに汚れが染みついていた。彼はそれを震える手で広げた。そこにあったのは、たった一行。【さようなら。お幸せに】その瞬間、彼の足は力を失い、崩れ落ちた。この茶番は瞬く間にビジネス界へ広がった。その頃の私は、すでに故郷へ向かう飛行機の中にいた。母と運転手の幸さんが空港で待っていてくれた。私の姿を見るなり、母は目に涙を浮か
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第6章
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第7章
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第8章
彼は出来たばかりの部下のために、ブレスレットで私の頬を傷つけ、大げさだと言って責めた。交通事故に遭ったときも、彼は窓をピシャリと閉めて冷たく立ち去った。ただそれが、彼とゆき美との約束を台無しにしたからだというだけで。密室に閉じ込められたことさえあった。そういうことを思い出せば、心は張り裂けるほど痛むはずだった。だが今の私は、もう何の動揺も感じない。私は静かに言った。「公彦、かつてあなたを愛したのは私の選択だった。それを悔やんではいない。今愛していないのも私の選択で、それも後悔はない。縁というものは、ここで終わるのがいいこともある」彼はそれを聞き入れないらしく、後ろで声を張り上げた。「どうして心変わりしたんだ?俺とゆき美は本当に何もないんだ……」私は口元に冷たい笑みを浮かべた。ああ、そうなの?公彦は知らないのだ。数日前、ゆき美がわざわざ私を訪ねてきたことを。彼女は、得意げに病院の診断書を広げながら、こう言ったのだ。「万由里さん、お祝いしてくれませんか?これ、公彦の子供です」おそらくは、公彦が私との結婚を約束したころ、彼はすでに浮気をしたのだ。思い返すと、吐き気がする。人がどうしてここまで偽れるのか。だがそれももう私には関係のないことだ。私と司朗の結婚式は、十月の晴れた日に予定どおり行われた。教会のステンドグラスから差し込む陽光が会場を温かく包み、選んだ生花があちこちを飾り、薔薇の香りがほのかに漂う。参列者たちは席について、会場は笑顔と祝福で満ちていた。私は司朗と一緒に選んだシャンパン色のドレスをまとい、レッドカーペットの端に立って彼が一歩ずつ近づいてくるのを見つめた。「本日はお忙しい中、また遠方より前原司朗さんと逢沢万由里(あいざわ まゆり)さんとの結婚式にご列席いただきまして、まことにありがとうございます……」司会者の温かな声が教会に響き渡る。指輪を交換するその瞬間、壇下で母が涙を拭う姿が目に入った。父は母の肩に腕を回して満足そうな顔をしていた。これこそが結婚式のあるべき姿だ。家族の祝福と、偽りのない愛に包まれて。披露宴では司会者が場を盛り上げる。「ではここで、どちらが家庭の主導権を握るか、ゲームで確かめてみましょうか?」司朗がマイクを取り
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