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第2話

作者: 七日雨
哲也は満足そうに帰っていった。

ドアが閉められる。

暗闇の中、ソファに横たわる私だけが取り残された。

壁の時計の秒針が、チクタクと時を刻んでいる。

前に一度別れた時の孤独感が、またぶり返してきた。

でも今回は、前みたいにヒステリックな寂しさを感じることはなかった。

きっと、私の心は――

もうすぐ、この苦しみから解放される。

別れる前の記憶が、津波のように押し寄せてくる。

全ては、ある深夜から始まった。

睦月が哲也にメッセージを送ったのだ。【ねぇ、私、離婚するの】

その時から、哲也の様子がおかしくなった。

彼はインスタのプロフィール写真を、私とのツーショットから変えてしまった。

昇進のかかった大事な時期だから、仕事に集中しているように見せたいんだって。

私は哲也を疑うことなんてしなかった。

私も仕事が忙しかったし、彼だってそうだった。

だから哲也に、睦月のためにあれこれ駆け回る時間があるなんて、考えもしなかった。

私たちは二人とも、ごく普通の家庭で育った。

というか哲也の両親は、むしろ彼の足を引っ張るくらいだった。

哲也の父親がお金を全部愛人に貢いでしまって、離婚する時、哲也の母親は1円ももらえなかったらしい。

哲也の様子がおかしいのは、実は前から兆候があった。

ある日の昼。

哲也とご飯を食べている時、彼が不意に言った。「君もそろそろ、化粧くらい覚えたらどうだ」って。

後になって、トーク履歴を見返して気づいた。

あの日、睦月がうっかり、完璧にメイクした自撮り写真を彼に送っていたんだ。

ある日の夜。

体を重ねた後。

哲也はまだ物足りなそうに、私の体を眺めて言った。「君の腰、もうちょっと細かったら最高なんだけどな」

あの日、睦月はネット通販で一番小さいサイズの下着を注文して、届け先の電話番号をわざと哲也のものに間違えていた。

ある日の夕方。

私たちが住むマンションで、誰かの家から火が出た。

炎は上の階へと燃え広がっていく。

黒い煙がもうもうと立ち上り、空が真っ赤に染まった。

その時の私はまだ、こんなことを考えていた――

よかった、哲也は散歩に行ってる。

よかった、彼は無事だ、って。

黒い煙を吸い込んで、私の意識はどんどん遠のいていった。

消防士に助け出された時、私は哲也が燃え盛る建物の中に飛び込もうとしているのを見た。

そして、黒いレースのネグリジェを着た女の人が、彼を引き止めていた。

私はすぐに気を失ってしまって、後からそのことを深く考えることはなかった。

親切な隣人なんだろうね、くらいにしか思わなかった。

入院していた間、哲也は会社が終わるとすぐに病院に来て、つきっきりで看病してくれた。

軽いやけどだったし、仕事に穴をあけたくなかったから、私はすぐに退院した。

私はずっと、哲也とラブラブだっていう幻想の中で生きていたんだ。

そして。

ある日、大家が家賃の値上げを言ってきた。

私は必死に交渉した。泣き落としをしてみたり、それなら引っ越すって言ってみたりした……

必死にまくし立てる私は、まるで一円でも安くしようとわめく、おばさんのようだった。

そして、大家は冷たく一言、こう言った。「でも、あなたの彼氏、もう一部屋借りるお金はあるみたいだけどね」

私は、一瞬、頭の中が真っ白になった。

大家が鍵をジャラジャラ鳴らしながら帰って行くまで、私は我に返ることができなかった。

その夜、哲也が散歩に行った時。

私は何かにとりつかれたように、彼の後をつけた。

哲也が宅配便を受け取るのを見た。

睦月の家のドアの前で、荷物の外袋を破って、中身を丁寧に消毒している。

家に入る前、彼は自分の靴を下駄箱にしまい、紺色のスリッパに履き替えた。

その一連の動作は、あまりにも手慣れていた。

まるで自分の家に帰るかのように。

私はドアの前で長いこと立ち尽くした。体が固まってしまったみたいに動けなかった。

心の底から冷たいものがこみ上げてきて、頭の中が真っ白になった。

操り人形みたいに、こわばった手でドアをノックした。

中から聞こえてきたのは哲也の声だった。「誰ですか?」って。

「出前が来るにはまだ早すぎるよな……」

彼はそう呟きながらドアを開けた――

なぜ哲也が急に、毎晩散歩したがるようになったのか。

なぜ昼ご飯を外食からお弁当にしてくれと言い出し、自分のお小遣いを切り詰めるようになったのか。

私はやっと、全てを理解した。

その後どうなったのか、もうはっきりとは思い出せない。

ただ覚えているのは、哲也が睦月を自分の後ろに隠して、必死に庇っていたこと。

「君がややこしいこと考えるから言わなかったんだ!案の定、こうやって騒ぎ立てる!」
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