LOGIN里奈の父親が痴漢の濡れ衣を着せられて逮捕されたあと、彼女は10回も仁に面会を求めた。 けれど、一度として会えなかった。 ほどなくして判決が下る。 父親は強制わいせつの罪で有罪となり、僻地へ送られることになった。 そして犯罪者の娘である里奈もまた、地元の組織の決定で見知らぬ田舎の男との縁談を押しつけられ、7日後には父親とともに地方へ移住することになった。 薄暗い部屋の中で、父親は肩を震わせながら泣いていた。 「里奈、すまなかった......父さんがお前を巻き込んでしまった......仁のところへ行け。あいつはあんなにお前を大事にしてたんだ、放っておくはずがない......きっと何とかしてくれるはずだ......」 だが里奈は泣かなかった。 父親の残した数少ない古い衣服を丁寧に畳み、色褪せた青い布製のバッグへ詰め込む。 感情を押し殺したような静かな声だった。 「行っても無駄よ。この数日、もう十分すぎるほど会いに行ったから」 「でもお前たちは婚約してるじゃないか!」 父親は痩せ細った手で彼女の腕を掴む。 「仁はお前のことを本当に好きだった。事情を知ればきっと......」 「もういいの、お父さん」 里奈はその言葉を遮り、窓の外へ視線を向けた。 「私の中では、もう終わったことだから。向こうへ行ったら、二人でちゃんと暮らそう」
View More淳が家の中から出てきた。手には湯気の立つミルクを入れた湯呑みを持っている。彼は里奈の隣まで歩み寄り、その茶碗を手渡した。そして彼女の視線を追うように、門の外の土道へ目を向ける。そこにはもう誰もいなかった。しばらく黙った後、淳はそっと彼女の細い肩を抱き寄せ、小さくため息をついた。低く落ち着いた声だった。「泣いてたのか?」里奈は素早く目元をぬぐい、首を横に振った。その声は静かで、感情を感じさせない。「ううん。砂が目に入っただけ」淳はそれ以上聞かなかった。ただ彼女を少しだけ強く抱き寄せ、顎を頭頂に軽く擦り寄せる。そしてまた、小さく息を吐いた。複雑な感情の混じった声だった。「あいつも......少し気の毒だな」里奈は温かく逞しい彼の胸に身を預けた。そして、自分の下腹部にある小さな命の確かな鼓動を感じながら、静かに目を閉じる。しばらくして、まるでため息のように、風の中へ溶けていく声で呟いた。「気の毒な人には、気の毒になる理由があるものよ」――その後、仁は本部へ戻った。彼はすべての処分を受け入れた。そして自ら志願して、北国の最果てにある地方へ異動する。ほとんど仕事のない職だった。給料もわずかで、いてもいなくても変わらないような職務だったが、彼はそこで残りの人生を過ごすことを選んだ。二度とあの村を訪れることはなかった。手紙も出さない。電話もしない。どんな形でも連絡を取ることはなかった。だが毎年、春になり雪解けの季節が訪れると、林家には誰かが荷物を届けてくるようになった。丁寧に包まれた栄養食品だったり。丈夫で着心地の良い子ども服や靴だったり。あるいは新品の子ども向けの図鑑や絵本だったり。差出人の名前はない。添え書きも一言もない。それでも里奈は、それを受け取るたびにしばらく黙って見つめた後、静かに家へ持ち帰った。誰なのか尋ねることもなければ、送り返すこともなかった。彼女には分かっていたからだ。やがて里奈は男の子を出産した。元気いっぱいで、産声も力強かった。淳は子どものように喜び、腕に抱いたままなかなか離そうとしなかった。何よりも大切な宝物だった。さらに時が流れ、時代は変わった。淳の身分も正式に回復された。実は彼
「もう二度と......元には戻らない......」仁はうわごとのように繰り返した。焦点の合わない瞳が虚空を見つめている。淳は立ち上がり、びしょ濡れのズボンを軽く払った。手には泥がべったりと付着した。地面に崩れ落ち、まるで抜け殻のようになった仁を見下ろしながら、彼は酷なほど静かな声で言った。「もう帰れ。そして二度と来るな。本当に里奈に悪いと思ってるなら、男としての意地が少しでも残ってるなら、生きろ。ちゃんと人間らしく生きろ。命を懸けて好きになった相手が、最後には死ぬ死ぬ騒ぐだけの腰抜けだったなんて、そんなふうに思わせるな」そう言い残し、背を向ける。その時、仁がふらつきながら体を起こし、かすれた声で叫んだ。川の水を飲み込み、泣き続けたせいで、その声はひどく途切れ途切れだった。「......どうして......俺を助けた?」淳の足が一瞬止まる。だが振り返らなかった。湿った風に乗って、しゃがれた声だけが届く。「里奈が見てたからだ。俺に助けてやれって」仁はその場で凍りついた。半身を起こしたまま、まるで風化した石像のように動けなくなる。濡れた髪から冷たい雫が頬を伝い落ちる。だが寒さは感じなかった。胸の奥でかろうじて燃えていた最後の灯火が、ぷつりと音を立てて消えた気がした。残ったのは果てしない闇と、凍えるような冷たさだけ。――そうか。自分が死ぬところさえ、彼女は見たくなかったのだ。ただ目に入ったから。だから夫を向かわせて助けさせた。なんという皮肉だろう。なんという......完全な拒絶だろう。仁は川辺で三日三晩を過ごした。食事も取らず、水も飲まず、ほとんど動かない。魂の抜けた抜け殻のようだった。髪は乱れ、髭は伸び、目は真っ赤に充血している。かすかな胸の上下だけが、まだ生きている証だった。その三日間、彼は数え切れないほどのことを考えた。あるいは、何ひとつ考えていなかったのかもしれない。甘かった記憶も、苦しかった記憶も、後悔も。すべてが渦巻き、最後には淳の言葉へと収束していった。――元には戻らない。――もう戻れない。――三日目の夕暮れ。血を流したような夕陽が川面を真紅に染めていた。仁はゆっくりと、実にゆっくりと、冷た
生臭い鉄の味が突然喉の奥までせり上がった。仁は腰を折り、激しくえずいた。だが何も吐けない。胃の奥で焼けるような痛みだけが渦を巻いていた。彼はその場にしゃがみ込み、両手で頭を抱えた。指が髪の中へ深く食い込む。喉の奥から漏れ出たのは、瀕死の獣のような呻き声だった。低く、かすれ、言葉にできない苦しみと絶望に満ちている。どれほど泣いたのだろう。声が出なくなるまで。涙さえ枯れ果てるまで。やがて彼はゆっくりと顔を上げた。真っ赤に充血した目。無数の血管が浮かび上がっている。その視線は、足元の濁流へと注がれていた。川は休むことなく流れ続ける。時を、誓いを運び去り。二度と戻らない過去のすべてを運び去っていく。――死んでしまえばいい。死ねば、もう彼女が他の男に向ける笑顔を見なくて済む。他の男の子どもを宿す姿を見なくて済む。彼女が完全に別の男のものとなり、自分がかつて夢見たすべてを手に入れる姿を見なくて済む。死ねば、楽になれる。その考えが芽生えた瞬間、蔦のように狂った勢いで広がり、彼の理性を瞬く間に絡め取った。仁は川面を見つめた。空虚で、それでいてどこか熱に浮かされたような目だった。そして――何の前触れもなく。何のためらいもなく。一歩、前へ踏み出した。そのまま真っ直ぐに、濁って冷たい川へ身を投げた。水が一瞬で頭上を覆う。口と鼻から流れ込み、激しい窒息感が襲った。肺が焼けるように痛む。冷たい水が全身を包み込み、深みへと引きずっていく。暗闇。冷たさ。そして、解放。――これでいい。このままで。薄れゆく意識の中で、彼はまた18歳の里奈を見た気がした。自分が贈った赤いワンピースを着て、陽だまりの中をくるくると回る彼女。鈴のような笑い声。そのときだった。突然、腕を強い力で掴まれた。そして誰かが必死に彼を水面へ引き上げる。生存本能が勝手に体を動かした。水中でもがく。だがその力は圧倒的だった。大きな水音とともに水面へ引きずり出される。冷たい空気が肺へ流れ込み、仁は激しく咳き込んだ。その直後、顔面に強烈な衝撃が走った。――拳だった。頭が横へ弾かれる。口の中に鉄錆のような血の味が広がった。「この
その瞬間、血が一気に頭へとのぼったかと思うと、次の瞬間にはすべて引いてしまった。手足が冷たくなる。何も考える暇はなかった。意識より先に、体が動いていた。仁は後を追った。全力で走った。淳に追いつきそうになるほどだったが、近づきすぎることはできなかった。ただ少し距離を置いてついて行き、淳の背にぐったりともたれかかる、あの生気のない横顔から目を離せなかった。――どうしたんだ?病気か。それとも倒れたのか。恐ろしい想像ばかりが次々と頭をよぎり、息が詰まりそうになる。そのまま診療所まで追いかけた。小さな診療所はたちまち騒然となった。「先生!彼女を診てください!畑で急に倒れたんです!」淳の叫び声は今にも泣き出しそうだった。白衣に眼鏡の医師が、半ば引っ張られるようにして簡素な診察室へ連れて行かれる。扉が閉まり、外の喧騒は遮断された。仁は廊下の壁にもたれた。冷たく剥げかけた壁だった。全身の力が抜け落ちたようで、耳の奥ではブーンという耳鳴りが続いている。聞こえるのは、自分の荒く重い心臓の鼓動だけだった。鼓膜を叩くような激しい音。どれほど経ったのか分からない。数分だったかもしれないし、一世紀にも感じられた。やがて診察室の扉が開いた。医師は聴診器を外しながら、ほっとしたような笑顔を浮かべていた。そして、落ち着かず待っていた淳に向かって言った。「おめでとうございます、林さん。心配はいりません。見たところ、もうすぐ妊娠二か月ですね。倒れたのは栄養不足と過労、それに軽い熱中症が重なったためです。帰ったらしっかり栄養を取らせて、無理はさせないようにしてください」「に、妊娠......?」淳は意味が理解できないように呆然と繰り返した。医師は笑いながらうなずく。「そうです。お父さんになりますよ」淳の表情が変わった。呆然。困惑。信じられないという顔。そして次の瞬間、巨大な歓喜が目の中で爆発した。顔全体が一気に輝く。仁は扉の隙間から、その光景をはっきり見ていた。淳は診察室へ飛び込み、簡易ベッドから起き上がったばかりの里奈を力いっぱい抱き締めた。まるで全身全霊を込めるように。彼は彼女の首筋に顔を埋め、肩を激しく震わせながら、泣いているのか笑っているのか分
泣きたかった。叫びたかった。どうしてそんなことができるのか、問い詰めたかった。けれど言葉が喉元まで込み上げたところで、里奈は目の前の男を見つめる。相変わらず整った顔。それなのに、もう別人みたいに遠かった。その瞬間、全部がどうでもよくなった。彼女は深く息を吸い込み、喉奥へ込み上げた血の味も、荒れ狂う感情も、無理やり押し殺す。顔に残ったのは、死んだような無表情だけだった。「今日来たのは、その話をするためじゃない」里奈は淡々と言った。「地方移住者と同行家族の名簿よ。確認して、署名を」仁は少し意外そうに眉を寄せ、名簿を受け取った。「なんでお前がこれを
労働更生施設で、里奈に割り当てられた仕事は下水掃除だった。一日目。悪臭に耐えきれず、彼女は三度も吐いた。手のひらの皮は擦り剥け、焼けるように痛む。二日目。腰が曲がったまま伸ばせないほど疲れ切り、夜は冷たい雑魚寝部屋で、周囲の人たちのいびきを聞きながら朝まで眠れなかった。三日目の午後。清美がやって来た。上品なウールのコートを着込み、手には小袋のお菓子。後ろには、仁からつけられた部下が控えている。彼女は作業場のそばで鼻を押さえながら、泥と汚れにまみれた里奈を上から下まで見回し、くすりと笑った。「もっと手強い相手かと思ってたのに」豆を口へ放り込みながら
仁の目つきが鋭く変わった。その視線が、その場にいる全員をゆっくり見渡していく。彼はただ立っているだけで強い威圧感を放つ男だった。ひとたび表情を曇らせれば、庭全体が息苦しいほど静まり返る。「清美のネックレスは大切な形見だ。必ず見つけてくれ」低い声だったが、有無を言わせぬ圧迫感があった。「全員の潔白を証明するためにも、捜索に協力してもらう。男性は俺が確認する。女性は――」彼は近くにいた年配の婦人会の代表へ視線を向けた。「申し訳ありませんが、お願いできますか」つまり、持ち物検査だ。だが仁の立場を考えれば、誰も正面から反対などできない。しかも「遺品」ともなれ
里奈は呆然とした。彼を見つめる。相変わらず整ったその顔が、今はひどく見知らぬものに思えた。そして突然、涙が出なくなった。胸いっぱいに溜まっていた悔しさも、苦しさも、伝えたかった言葉も――全部が喉元で塞がり、最後には深い絶望だけが残る。――そう。全部、解決したのだ。彼女は涙を拭い、背を向けて静かに目を閉じた。その後の数日間、仁は病院へ泊まり込みで彼女を看病した。食事を食べさせ、薬を塗り替え、夜は病室の椅子で眠りながら付き添う。けれど里奈は、もう彼に一言も話さなかった。......退院の日。仁は車で彼女を商店街へ連れて行った。彼はスキンク
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