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復讐のために彼をレンタルしたら、まさかのCEOに溺愛契約で雇われました
復讐のために彼をレンタルしたら、まさかのCEOに溺愛契約で雇われました
Auteur: 花柳響

第1話 恋人と親友に裏切られた夜

Auteur: 花柳響
last update Date de publication: 2025-12-29 13:26:02

「……拓也?」

 金曜の夜、ホテルラウンジの奥で、私の声だけがひどく小さく響いた。

 丸いテーブルには、まだ氷の溶けきっていないグラスが二つ。低く流れるジャズと、カトラリーの触れ合う音。大人ぶった静けさの中で、三年付き合った恋人は、私の親友の腰を当たり前のように抱いていた。

 相手は、美咲だった。

 大学の頃からの親友。私の部屋で深夜まで恋バナをして、同じコンビニのプリンを半分こして、泣きながら「朱里がいてくれてよかった」と言った、あの美咲。

 二人は、キスをしていた。

 偶然、唇が触れた。そんな言い訳はできない。肩の寄せ方も、指の絡め方も、私と目が合った瞬間にほどけた距離も、全部があまりに慣れていた。

 私だけが知らない時間の匂いがした。

「朱里……?」

 拓也の顔から、さっと血の気が引いた。

 美咲は一瞬だけ目を見開き、それから、泣きそうな顔を作った。昔なら、私が一番弱かった顔だ。美咲がそういう顔をすると、いつも先に折れるのは私だった。

「違うの、朱里。これは……」

「何が違うの?」

 指先は震えていた。けれど涙は出なかった。悲しいよりも先に、胸の底が冷たくなっていく。怒りは、熱いものだと思っていた。違った。本当に傷ついた時、人は何も感じられなくなる。

「……私の誕生日に、仕事だって言った夜も、美咲の部屋にいたわけ?」

 拓也が答えない。

 美咲の唇が、ほんの少しだけ引きつった。

 謝罪ではない。ばれた、という顔だった。

 ああ、そう。

 私が馬鹿だっただけなんだ。

 恋人の嘘も、親友の優しさも、都合よく本物だと信じていた。

「私が相談していた時、楽しかった?」

「朱里、やめて。ここ、人が見てるから……」

「人前だから困るの?」

 私の声は、自分のものではないみたいに低かった。

「私の前では、困らなかったくせに」

 拓也が立ち上がった。

「朱里、俺が悪かった。でも、美咲を責めるのは――」

 その一言で、もう十分だった。

 私ではなく、美咲を庇うのだ。

 三年間の最後に、拓也が選んだのは、やっぱり彼女だった。

「もういい」

 喉の奥が詰まった。これ以上ここにいたら、二人の前で泣いてしまう。

「別れて。二度と、私に連絡しないで」

「待てよ、朱里。話を――」

「聞きたくない」

 伸ばされた手を避け、バッグを掴んだ。

 美咲が、か細くすすり泣く声を出した。

 まただ。美咲はいつも、都合が悪くなると先に泣く。

 私は踵を返した。

 背中に拓也の声が追いかけてくる。美咲の小さな嗚咽も聞こえた。けれど振り返らなかった。

 泣くのは、家に帰ってからでいい。

 ここで崩れたら、あの二人の物語の中で、私はただの惨めな脇役になる。

 それだけは、死んでもごめんだった。

 ◇

 その夜、家に帰ってから、私は洗面台にしがみつくようにして泣き崩れた。

 泣いて、吐いて、水を飲む。少し落ち着いたと思えば、また涙が戻ってくる。夜明け前の部屋は薄青く、床に落ちたバッグの中でスマートフォンだけが何度も震えていた。

 拓也からの着信。

 美咲からのメッセージ。

『誤解なの』

『ちゃんと話したい』

『朱里を傷つけるつもりはなかった』

 傷つけるつもりはなかった。

 あれほど便利で、残酷な逃げ道を、私はほかに知らない。

 傷つけた事実は、そのままなのに。

 週が明けた月曜の朝。私はいつも通り、黒のパンツスーツに袖を通した。

 コンシーラーで目の下の赤みを消し、鏡の前で口角を上げる。笑え。仕事に持ち込むな。そう言い聞かせても、胃のあたりはまだ重かった。

 私は、茅野朱里。二十五歳。

 高級ブライダルサロン『Felice Luce(フェリーチェ・ルーチェ)』のチーフコーディネーターだ。

 誰かの一生に一度の幸福を整える。それが、私の仕事だ。

 たとえ、自分の幸福が粉々になったばかりでも。

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