幸せなんてものはこの世にはない。あるのは残酷な現実だけ。それを知ったのは高校の卒業パーティだった──……
*** 朝倉遥乃には、付き合いたての彼がいた。その人の名は、藤原奏。 目鼻立ちの整った顔に豪門の御曹司。更には学力、運動共に学年トップで文武両道。まさに御伽噺の絵本から飛び出した王子様のような人。 それに比べ遥乃は、ふくよかな体系でお世辞にもお似合いというカップルではなかった。遥乃自身もそれは重々承知している。 それでも自分の気持ちに嘘は付けず、ことある事に奏に自分の存在をアピールし、如何に奏のことを想っているかを伝え続けた。 最初の内は冷たくあしらっていた奏も、日が経つにつれ笑顔を浮かべるようになっていた。 その結果── 「いいよ」 何度目かの告白で想いが届き、付き合う事が出来た。 周りからは批判や嫉妬、嫌がらせなどもあったが、交際は順調だった。奏が傍に居て、笑いかけてくれる。そんな毎日が幸せだった。 そして18歳の誕生日、私は奏の家に呼ばれた。 「誕生日おめでとう」 「ありがとう」 手渡されたのは、小さな箱に入ったネックレス。ハートのモチーフに小さなアメジストがはめられている。 「貸して。付けてあげる」 「え」 奏の手が首に触れる度に心臓が飛び跳ねる。心臓の音が耳について煩い。 カチッ 金具の留まった音が聞こえ「出来たよ」そう耳元で囁かれた。 「ありがとう……」 真っ赤に染まった顔を見られるのが恥ずかしくて、顔を俯かせながらお礼を口にする。 大事そうに手の中に包み、何度も何度も見直しては嬉しそうに微笑んでいる遥乃の姿に奏は、クスッと微笑むと背後から強く抱き締めた。 「か、奏君!?」 驚いた遥乃が後ろを振り向くと「チュッ」と軽く唇が触れた。 「ッ!!」 遥乃は思わず飛び上がりそうになったが、奏がそれを許してくれない。 「ダメ、逃げないで」 頬、耳、首筋と順番に柔らかな唇が触れる。 「遥乃…」 名を呼ぶ彼の瞳はいつになく真剣で、熱を帯びた表情が艶っぽく目が離せない。 どちらともなく顔を近づけ、深いキスを交わしていた。 荒い息遣いとお互いの熱が絡み合う音だけが部屋に響く。初めて感じる快楽と幸福感に遥乃は身を委ね、ただ酔いしれていた。 身も心も奏のものになった遥乃は、毎日が幸せだった。だが、そんな彼女にも不安はある。 (明日は卒業式……) 共に進学するが、大学は別々。今まで学校へ行けば会えていたのに、それが出来なくなる。会えない寂しさと傍に居られない不安に押し潰されそうになる。 そんな時は、胸元にあるネックレスを眺めて気を落ち着かせている。 「大丈夫よ」 あの日、何度も何度も「好きだ」と口にしながら抱いてくれたんだもの。きっと大丈夫。そう、思っていた…… *** 「遥乃?冗談じゃない。あんなの遊びだよ。俺が本気になると思うか?」 次の日、無事に卒業式を終えた遥乃は、卒業パティーが開かれる会場へと来ていた。 忘れ物を取りに戻っていた遥乃が着いた頃には、既に賑やかな声が扉の外まで聞こえていた。自分も早く入ろうと手を伸ばしたが、愛する人の言葉に手が止まった。 「あはは!だよなぁ!だって、相手があの朝倉だぜ?俺は金積まれても無理だわ」 「本当よ!いくら遊びでも、奏くんの品が疑われるわよ?」 「ごめんごめん」 遥乃の耳に入ってくるのは、だらしのない体型を馬鹿にしたり、控えめで卑屈な性格を嘲笑う声…… 唯一の味方だと思っていた奏までもが、一緒になって嘲笑い馬鹿にしている。 優しい瞳で甘い言葉を囁いてくれたのも、身体を重ねて愛し合ったのも全部嘘だったって事? 手が震えて視界が涙で滲んでくる。 耐えられなくなった遥乃は会場に入らず、その場から立ち去った。 怒り、悲しみ、絶望……色んな感情が一気に襲いかかってくる。 「はぁ…はぁ…はぁ…ははっ……」 家に戻り、自分の部屋に鍵をかると、力なくその場にしゃがみこんだ。 『遊びだよ』 奏の言葉が呪いのように耳について離れない。チャリと胸元でネックレスが揺れる。 「~~~ッ!」 怒りのままに引きちぎろうと手を伸ばしたが、出来なかった……我ながら往生際が悪いとは思ってる。 初めての恋、初めての彼、初めての…… 舞い上がっていたのは私だけだった。彼の中で、私の存在は単なる暇つぶしの玩具に過ぎなかった。 「……馬鹿みたい……」 自嘲しながら呟いた。 これ以上惨めな思いはしたくない遥乃は、奏の連絡先を全て消し、彼の前から姿を消した。別れも告げず、一方的な別れだった。 遥乃は、自分の事を知る者のいない土地を目指し、国外へと旅立った。 この時、遥乃のお腹には小さな命が宿っていたが、彼女は誰にも伝えず、人知れずひっそりと子供を産んだ。 ──7年後、遥乃は朝倉遥乃と言う名を捨て、高瀬柚と名乗り、故郷の国へと戻ってきた。柚は高校時代に撮った奏との写真を捨てられずに持っている。その写真を結花に見られてしまったことがあった。 子供ながらに写真に写っているのが父だと直感したのだろう。何度も「パパは何処にいるの?」と聞かれた。その度に「パパはね、結花の生まれる前に亡くなってしまったの」と伝えてきた。 それが、今回奏と出会ってしまったことで、写真の人物と同一人物だと気付かれてしまった。 柚は焦る素振りを見せず、極めて冷静に結花と向き合った。 「あのね、結花のパパはもうこの世にはいないのよ。残念だけど、あの先生は結花のパパじゃない」 しっかりと目を見つめながら言い聞かせるように伝えると、結花は黙って頷いた。 悲しい顔で俯く娘の姿を見る度に心が痛む。素直に聞き入れてくれるから尚更だ…… だが、今はそんな事を言っている場合では無い。これから急ぎの会議があるので、会社へと急がなければならない。結花を送って行く時間もなく、このまま会社へ連れて行くしかなかった。 「あっ!」 会社のロビーで結花が声を上げたかと思えば、顔を輝かせて走り出した。その視線の先には、柚の上司である神谷煌がいた。 煌は飛びつく結花を受け止めると、嬉しそうに抱き上げた。 「お転婆娘!重くなったな!」 「もう6歳だもん!」 傍から見れば仲の良い親子のような光景に、周りの目も暖かい。 上司である煌は柚の命の恩人でもある。 7年前、煌は仕事の都合で訪れていた国で、道端に倒れている柚を見つけ病院へと運んだ。すぐに処置をされ大事には至らなかったが、身寄りのない
奏は呆然としたまま、スマホが手から滑り落ちた。 (死んだ……?遥乃が……?) 何度も混乱する頭で理解しようとするが、理解も納得も出来ない。 「おい、奏!?大丈夫か!?おい!もしもーし!」 その場には、スピーカーから流れる心配する声だけが響き渡っていた。 *** 同じ頃、柚もまた電話を取っていた。 相手は、柚の親友である新井瑞希。遥乃(柚)と奏、二人の過去を知る唯一の人物。 「藤原が同窓会に出るって聞いたけど、一緒に行かない?」 「行かない」 考えるまでもなく、即答で答えた。 「遥乃…じゃない、今は柚だったわね。いつまでも過去に囚われてちゃ前に進めないわよ?大丈夫よ、絶対に気付かれないから」 そんな事は言われなくても分かってる。 「余計なお世話よ。なんて言われようと私は行かない。今病院だから切るわよ」 「あ、ちょっと待って!もし、気が変わったら連絡してよ!絶対よ!」 電話口で何やら言っていたが、気付かぬフリをして電話を切ってやった。 柚は待合室の椅子に腰掛けながら、ふぅと深く息を吐くと、遠い昔を思い出すように天を仰いだ。 7年前のあの日、奏の為に数ヶ月小遣いを貯めてあの万年筆を買った。 奏の喜ぶ顔を思い浮かべながら、卒業パーティーの会場まで走って行った。息を整え、扉を開けようとした時に聞こえた絶望とも言える言葉。
「高瀬さん、高瀬結花ちゃん」 娘の名前が呼ばれ、柚が診察室に足を踏み入れた瞬間、世界が冷たい風に打たれたかのように凍りついた──7年前、自分を裏切ったあの男が、そこに座っている。白衣を身にまとい、医師として冷静に。 心臓が激しく跳ね、柚は立ちすくんで目を疑った。あの見覚えのあるようで見覚えのない顔──かつて全てを捧げても惜しくなかった相手が、今、目の前に冷静な医師として現れている。 胸を重いハンマーで打たれたかのような痛み。目の前の光景に体が震え、思考は瞬く間に混乱した――怒り、憎しみ、胸の痛みがほぼ同時に押し寄せてくる。 *** この日、6歳になったばかりの娘、結花の検診の日だった。結花には生まれつき心臓に疾患があり、定期的な検診が欠かせない。 「高瀬さん、すみません。本日から担当医がこちらの藤原先生に変更となりました」 急な担当医変更の説明を看護婦から受けるが、柚の耳には入ってこない。 新しくなった担当医を一目見た瞬間、奏だと気が付いた。 まさか、こんな場で再開するとは思っていなかった柚は、茫然としながら緊張と焦りでその場に立ち竦む事しか出来ない。 高校の時より大人びて色気が増しているが、生まれ持った雰囲気や整った目鼻立ちはそう変われるものじゃない。 「小児科医の藤原です。これから一緒に頑張っていきましょう」 一方の奏の方は、目の前いるのが自分の娘である事も、遥乃(柚)だという事にも気付かない。 それもそのはず、今の柚は名前も変わっている上、かつての太った少女ではない。 今の彼女は背が高くほっそりとし
幸せなんてものはこの世にはない。あるのは残酷な現実だけ。それを知ったのは高校の卒業パーティだった──…… *** 朝倉遥乃には、付き合いたての彼がいた。その人の名は、藤原奏。 目鼻立ちの整った顔に豪門の御曹司。更には学力、運動共に学年トップで文武両道。まさに御伽噺の絵本から飛び出した王子様のような人。 それに比べ遥乃は、ふくよかな体系でお世辞にもお似合いというカップルではなかった。遥乃自身もそれは重々承知している。 それでも自分の気持ちに嘘は付けず、ことある事に奏に自分の存在をアピールし、如何に奏のことを想っているかを伝え続けた。 最初の内は冷たくあしらっていた奏も、日が経つにつれ笑顔を浮かべるようになっていた。 その結果── 「いいよ」 何度目かの告白で想いが届き、付き合う事が出来た。 周りからは批判や嫉妬、嫌がらせなどもあったが、交際は順調だった。奏が傍に居て、笑いかけてくれる。そんな毎日が幸せだった。 そして18歳の誕生日、私は奏の家に呼ばれた。 「誕生日おめでとう」 「ありがとう」 手渡されたのは、小さな箱に入ったネックレス。ハートのモチーフに小さなアメジストがはめられている。 「貸して。付けてあげる」 「え」 奏の手が首に触れる度に心臓が飛び跳ねる。心臓の音が耳について煩い。 カチッ 金具の留まった音が聞こえ「出来たよ」そう耳元で囁かれた。