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4.権力という名の追い打ち

last update Last Updated: 2025-10-11 18:01:51

翌日、課長から突然会議室へ来るように呼ばれた。何事かと思い部屋に入ると、ソファに座っている上司は、いつになく表情が硬かった。室内には微かな緊張感が漂っている。

「木村さん、急に呼び出して悪いね……話をしなくてはいけないことがあってね」

課長はそう言って、慣れない様子でソファを深く腰掛けた。

「はい、なんでしょうか」

「実は、木村さんに異動の打診が来ているんだ。私も今日の朝、出勤途中に電話を受けたばかりで正直、驚いていてね。可能なら二週間後に異動出来るように体制を整えて欲しいと上から言われたんだ。」

「異動ですか!?」

突然の出来事に、言葉を失った。だが、数年で異動することはよくあることだし、期の途中で変わるのも珍しいことではない。むしろ、颯と離れることが出来ていいのかもしれない。そう考えると、少し心が軽くなった。

「異動先ってどこなんですか?勤務地は本社のままですか?」

二週間後の異動なら勤務地は変わらないことが多い。念のため聞いたつもりだったが、課長はとても言いにくそうに視線を外し、下を向いている。

「それが……海外なんだ」

「え……海外、ですか。」

「私も詳しくは分からないが、新興国で現地滞在員として行って欲しいとのことだった。」

海外での勤務自体が異例だ。しかも二週間後というのは、通常の企業の人事ではありえない急ぎ方だ。佐奈の心臓が不規則なリズムを打ち始めた。

「待ってください。海外も異例なのに、あと二週間で異動って話が急すぎませんか?」

「私もそう思って部長に確認したんだよ。そうしたら部長も寝耳に水で急遽決まったらしい。部長よりもっと上の階級で決まったらしく誰の提言からは分からないのだけれど、決定事項とのことらしい。」

昨日トイレで会った璃子の冷酷な笑顔と、颯が私に告げた脅しの言葉が脳裏によぎる。

―――変なことをしたところで危害が及ぶのは俺じゃなくてお前だけど―――

颯との別れ、新しい婚約者で社長の孫娘である七條璃子に颯と私の関係を疑われた翌日に、急な海外への異動勧告。――――偶然にしては出来過ぎている。

「急に海外と言われて戸惑っていまして、もう少し詳細を教えて頂けませんか。」

課長は、小さな声で国名を告げた。それはこれから十年から二十年の歳月をかけてインフラの整備を整えようとしている、日本からは遠く離れた馴染みのない新興国の国名だった。

「先進国には海外拠点はいくつかありますが、なぜインフラが未整備の国にするのですか。視察を重ねて状況を確認しながらなら、まだ分かります。今の段階で、現地滞在してまで行う意味が今あるのでしょうか。」

「木村さんには大変申し訳ないが、私もそれ以上の詳細を教えてもらえなかった。ただ決定事項で承諾を得るように、とのことなんだ」

知っている人の少ない国での現地滞在は、キャリアの終わりを意味する。私への見せしめとして、璃子が社長の権力を利用して仕組んだのだとしか思えなかった。

「そんな……」

決定事項に背けばどうなるか私だって分かっている。ここで感情的に訴えることもできるが、会社に残ることを考えたら賢明な判断ではない。

(璃子の言いなりになって、遠い異国の地で働くなんて絶対に嫌だ)

心に燃えるような怒りと、颯の裏切りに対する憎しみと衝撃で、悲しみはもう居場所がなくなっていた。

「分かりました。その話を受けることは出来ないので退職させてください」

「木村さん、突然の話でショックなのも自暴自棄になる気持ちも分かる。今の言葉が聞かなかったことにするから、もう一度冷静になって考えた方がいい。」

課長はそう言って、退職を引き留めたが私の気持ちは変わらなかった。このままこの会社に居続ける気も、璃子の指示に従うつもりもなかった。

元々、あと三年で辞める予定だった。予定より少し早くなったが、事情も大きく変わっている。私は颯の隣から離れることにした。

―――それからは周りに迷惑はかけないように丁寧に引継書を作り、全てが終わった最終営業日、颯が取引先へと訪問中に、私は荷物をまとめて静かに会社を去っていった。

(愛よりもお金を選ぶのなら、どうぞご自由に、さようなら)

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