Partager

第42話:初診デビュー

Auteur: Sunny
last update Date de publication: 2026-06-03 00:02:27

翌朝、アラームが鳴る少し前に目が覚めた。

カーテンの隙間から入る朝の光は薄く、部屋の中はまだ少し青い。

寝不足というほどではないのに、胸の奥だけが落ち着かず、ベッドの上でしばらく天井を見つめていた。

今日は初診を担当する。

復職してから何度か外来には入っていたけれど、自分が中心になって患者さんを診るのは今日が初めてだった。

患者数は調整されているし、綾瀬先生も近くにいてくれる。頭では理解している。

それでも、4年という空白は簡単に消えない。

言葉は出るだろうか。

患者さんを不安にさせないだろうか。

緊張で、昔できていたことまで抜け落ちたりしないだろうか。

洗面台の鏡に映る自分は、思っていたより落ち着いた顔をしていた。

髪を整え、淡いベージュのブラウスに袖を通す。

久しぶりに丁寧にアイラインを引くと、目元に少し力が戻ったように見えた。

働き始めてから、顔色が変わった気がする。

頬の血色も、目の奥の光も、少し前とは違う。

みかに言われた言葉を思い出す。

『綾香さ、最近ちょっと人間戻ってきた顔してる』

ひどい言い方だと思ったけれど、否定できなかった。

白衣をバッグに入れた時、自然に背筋が伸
Continuez à lire ce livre gratuitement
Scanner le code pour télécharger l'application
Chapitre verrouillé

Dernier chapitre

  • 愛人を選んだ夫が、離婚後に狂い始めました   第311話 お兄さんじゃないかと思って

    「そういえば」話が途切れたところで。綾香は。今日見た名前を思い出した。「病院に来てる先生で」「うん」「前に話した」「最初のオンコールの日に来てくれた外科の先生」隼人くんが頷く。「郁人先生?」「うん」名前を知っていることに。少し驚いた。以前。一度だけ話したことを。覚えていたらしい。「今日」綾香は続けた。「手術予定の書類で」「フルネームを見たの」隼人くんの表情が。少しだけ変わる。「何て?」「綾瀬郁人先生」一度。短い沈黙が落ちた。隼人くんは。驚くというより。頭の中で。何かをつなげたような顔をした。「兄貴だね」やはり。そうだった。「多分」綾香は。少しだけ笑う。「お兄さんじゃないかと思って」「そう」隼人くんが。小さく息を吐いた。「その病院に来てたんだ」「知らなかった?」「どこで手術してるかまでは」「いちいち聞かないから」隼人くんらしい答えだった。「似てる?」隼人くんが聞く。「顔?」「うん」綾香は。少し考えた。「言われたら」「少しだけ」「少しだけなんだ」「雰囲気が違いすぎるから」「兄貴は」隼人くんが。少しだけ笑う。「隙がないでしょう」「うん」すぐに答えると。隼人くんの笑みが。少し深くなった。「やっぱり」「でも」綾香は続ける。「冷たい人ではないと思う」「そうだね」返事は。思っていたより早かった。「郁人兄貴とは」少しだけ間を置く。「別に仲悪くないよ」“郁人兄貴とは”。ほんの少しだけ。言葉に含みがあるように聞こえた。でも。綾香は。そこを追わなかった。家族の中に。それぞれ違う距離があることくらい。不自然ではない。隼人くんが。今。話したいところまででいい。「どういう人?」綾香が聞く。「もう会ってるでしょう」「病院でしか知らないから」隼人くんは。少し考えた。「見たままだよ」「説明になってない」「ちゃんとしてる」「それは分かる」「自分がやることと」少し言葉を探す。「やらないことが、はっきりしてる」郁人先生の。淡々とした話し方を思い出す。必要なことには。きちんと答える。けれど。自分から。余計な説明はしない。「この前」綾香は言う。「別の病院で働いてるんですかって聞いたの」「うん」

  • 愛人を選んだ夫が、離婚後に狂い始めました   第310話 まだクリニック?

    その日。綾香は。翌週の手術予定を確認していた。病棟へ配られた一覧には。患者の名前。担当医。執刀医。必要な情報だけが。細かく並んでいる。自分が関わる患者の欄へ。順番に目を通す。そこで。一つの名前に。視線が止まった。【綾瀬郁人】一度。目で追い直す。郁人先生。病院では。誰も名字で呼ばない。看護師も。医師も。当たり前のように。郁人先生と呼んでいた。だから。フルネームを見るのは。初めてだった。綾瀬。珍しい名字ではない。けれど。医師で。隼人くんより少し年上に見える。別の病院で働きながら。こちらへ手術に来ている。そして。隼人くんには。医師をしている兄がいる。偶然かもしれない。そう思いながらも。一度気づくと。無関係には思えなかった。「白松先生」近くにいた看護師から呼ばれ。綾香は顔を上げた。「すみません」「来週の患者さん」「こちらで合っています」「ありがとうございます」書類を返す。郁人先生について。その場で尋ねることはしなかった。家族のことを。病院の人に確かめる必要はない。隼人くんへ聞けばいい。そう思った瞬間。最後に顔を見た日を思い出した。メッセージは交わしている。電話も。数分なら何度かした。それでも。落ち着いて会えたのは。少し前だった。隼人くんも。クリニックの拡大準備で忙しい。綾香も。病院勤務へ戻ってから。以前より帰宅が遅くなった。会いたいと思っても。互いの予定を見れば。また今度でいいかと。画面を閉じてしまう日が続いていた。今日も。病院を出た後は。まっすぐ帰るつもりだった。けれど。郁人先生の名字を知ったことで。隼人くんの顔が浮かんだ。確認したいから。それだけではない。久しぶりに。会いたいと思った。***勤務を終え。病院を出る。日中の熱が。まだ道路に残っていた。空は。薄い青から。少しずつ夜の色へ変わっている。駅へ向かう人の流れに入り。途中で。足を止めた。このまま電車へ乗れば。家に帰る。少し早く眠れる。明日の準備もできる。けれど。綾香は。スマホを取り出した。隼人くんとの画面を開く。『まだクリニック?』送る。すぐには。返事が来なかった。忙しいのだろう。やはり。今日は帰ろうかと思

  • 愛人を選んだ夫が、離婚後に狂い始めました   第309話 不思議な人

    「それで」郁人先生が言う。「本当に大丈夫なら」「いいと思います」「そうじゃない時は?」「言わない方がいいでしょう」淡々とした答え。でも。否定されている感じはなかった。ただ。そう考える人なのだと分かる。「郁人先生らしいですね」綾香が言うと。郁人先生が足を止めた。「僕らしい?」「たぶん」「まだ」少しだけ間を置く。「何度かしか会っていませんが」「そうですね」郁人先生は。それ以上聞かなかった。ただ。もう一度歩き出す。綾香も。その隣へ並んだ。何を考えているのか。分かりやすい人ではない。でも。分からないことを。曖昧な言葉で埋めない。その点だけは。とても分かりやすかった。***その週。プロジェクトの会議があった。病院勤務が始まってから。綾香が参加できる回数は減っていた。それでも。臨床側の意見が必要な場には。できる限り出るようにしている。クリニックだけにいた頃とは。見えるものが少し変わった。病院から患者を送り出す側。地域で受け入れる側。両方の流れを。以前より具体的に考えられるようになっていた。会議では。病院から地域へ共有される情報について。話が出た。綾香は。病棟で感じたことを。簡潔に伝えた。現場では。情報が多いことよりも。何が決まっていて。何がまだ決まっていないのか。すぐに分かる方が重要だということ。言いながら。郁人先生との会話を思い出していた。分からないことを。分かるようには言わない。決まっていないことを。決まったようには話さない。当たり前のようで。実際には。簡単ではない。会議が終わった後。大貴から。短いメッセージが届いた。『病院側の視点、前より具体的になったね』綾香は。少しだけ笑った。病院へ戻ったことで。自分の仕事が増えただけではない。プロジェクトで伝えられることも。確かに変わり始めている。翌日。病院の廊下で。郁人先生を見かけた。看護師と話し終え。こちらへ歩いてくる。「郁人先生」綾香から声をかけると。郁人先生が足を止めた。「はい」「この前の話」「どの話ですか」「決まっていないことを」「決まったように言わないという話です」郁人先生は。一度だけ考えるように視線を動かした。「はい」「プロジェクトの会

  • 愛人を選んだ夫が、離婚後に狂い始めました   第308話 病院には慣れましたか

    郁人先生とは。その後も。病院で何度か顔を合わせた。毎週いるわけではない。決まった曜日に来るわけでもない。手術がある日。術後の確認が必要な日。呼ばれた時だけ現れ。必要なことを終えると。いつの間にかいなくなっている。それでも。姿を見かければ。もう誰なのか迷うことはなかった。「郁人先生」看護師が呼ぶ。その声に。自然と視線が向く。いつも。服装はきちんとしている。白衣を着ていても。着ていなくても。どこか整って見えた。髪。袖口。持っている書類。歩く速さ。何一つ。乱れているところがない。だからといって。近寄りがたいわけではなかった。看護師が話しかければ。足を止める。若い医師が質問すれば。短くても答える。患者へも。必要な説明はきちんとする。声を荒らげることも。不機嫌そうにすることもない。ただ。余計なものがない。笑わせようとしない。親しげに振る舞わない。自分をよく見せようともしない。それなのに。冷たくは見えなかった。不思議な人だと思った。***その日。綾香は。手術を終えた患者の記録を確認していた。午後の病棟は。午前中より少しだけ静かだった。窓から差し込む光が。廊下の床へ長く伸びている。近くでは。看護師が小さな声で申し送りをしていた。「白松先生」呼ばれて。顔を上げる。郁人先生が。少し離れたところに立っていた。片手には。薄いファイル。「はい」綾香が近づくと。郁人先生は。開いていたページをこちらへ向けた。「この患者さん」「明日の朝」「ここだけ確認してください」指された部分を見る。術後の経過に関する。簡単な確認だった。「分かりました」「変化がなければ」「そのままで大丈夫です」「はい」郁人先生は。ファイルを閉じた。話は。それで終わったように見えた。けれど。その場を離れなかった。綾香も。なぜか動くタイミングを失った。少しだけ。沈黙が落ちる。気まずいわけではない。郁人先生は。沈黙を気にしている様子もない。ただ。窓の外へ一度視線を向けた。「もう」郁人先生が言う。「病院には慣れましたか」突然の問いだった。「少しずつ」綾香は答えた。「最初よりは」「そうですか」それだけ。もう少し続くのかと思ったが。郁人

  • 愛人を選んだ夫が、離婚後に狂い始めました   第307話 一か月少しです

    「必要なことは入っています」郁人先生が答える。「なので」少しだけ間。「今の方が分かりやすいです」褒められている。やはり。言われてから少し経たなければ。分からない。「ありがとうございます」答えると。郁人先生は。それ以上何も言わず歩き出した。相変わらず。淡々としている。けれど。初めての夜から。自分が変わっていることを。見ていたらしい。そのことが。思っていたより胸へ残った。***別の日。夕方の病棟で。綾香は。若い医師から相談を受けていた。患者への説明について。どの順番で話すべきか迷っているという。以前の自分なら。正しい答えを伝えようとしたかもしれない。今は。まず。その医師が。何を気にしているのかを聞いた。患者本人の希望。家族の受け止め方。まだ決まっていないこと。全部を整理してから。「分からないことまで」「決まったように言わなければいいと思う」そう答えた。医師は。少し考えてから頷く。「一緒に来てもらえますか」頼まれて。綾香は。少しだけ驚いた。それでも。「いいですよ」と答えた。以前の自分なら。誰かの説明に同席することを。まだ早いと思ったかもしれない。今は。自分にできる役割なら。受け取ってもいいと思えた。話を終え。病室から出る。廊下の先に。郁人先生が立っていた。壁際で。別の医師と話している。会話が終わり。こちらへ歩いてくる。「今の患者さん」郁人先生が尋ねる。「説明は終わりましたか」「はい」「どうでした」「まだ決まっていないことと」「今分かっていることを分けて伝えました」郁人先生は。短く頷いた。「そうですか」それだけで。通り過ぎる。少し進んでから。また足が止まる。「白松先生」「はい」「病院へ戻って」「どれくらいですか」突然の質問だった。「一か月少しです」「そうですか」表情は。変わらない。「もう少しいるように見えます」綾香は。思わず郁人先生を見る。冗談を言っている様子はない。褒めているのかも。やはり分かりにくい。「それは」少し迷う。「良い意味ですか」郁人先生が。初めて。ほんのわずかに目を細めた。「悪い意味で言う必要はないでしょう」それだけ答え。今度こそ歩いていった。綾香は。その

  • 愛人を選んだ夫が、離婚後に狂い始めました   第306話 病院の日常

    ***最初のオンコールを終えてから。病院での時間は。少しずつ。特別なものではなくなっていった。朝。職員用の入口から入り。更衣室で白衣へ着替える。首から職員証を下げ。スタッフルームへ向かう。最初の頃は。廊下を歩くだけで。周囲の音をすべて拾っていた。誰かに呼ばれるたびに。自分ではないかと振り返った。院内の放送。足早に通り過ぎる看護師。開閉するエレベーター。それだけで。身体のどこかが緊張していた。今は。必要な音だけを。自然に聞き分けられるようになった。「白松先生」名前を呼ばれれば。すぐに顔を上げる。確認を頼まれたことへ答え。分からないことは。その場で尋ねる。一日の流れも。少しずつ見えるようになった。以前の自分へ戻ったわけではない。以前より。速く動けるようになったわけでもない。それでも。病院の中で。何を優先するべきか。少しずつ判断できるようになっていた。最初は。一つのことが終わるまで。次へ移れなかった。今は。途中の仕事を頭に残したまま。急ぐものへ先に向かえる。誰へ確認するのかも。迷う時間が減った。帰宅した後。自分が何もできなかったように感じる日も。少なくなっていた。患者の顔。交わした言葉。自分で判断できたこと。助けを求められたこと。それぞれが。一日の中へ。きちんと残るようになった。病院へ戻ったのだと。ようやく。身体の方も理解し始めていた。***専門医取得に向けた研修についても。少しずつ話が進んだ。以前の研修記録。経験した症例。認められる部分と。改めて積み上げる必要があるもの。まだ。全体が決まったわけではない。取得まで。どれだけ時間がかかるのかも分からない。それでも。自分がこれから何をするのかは。以前より見えるようになった。急いで。失った時間を埋める必要はない。一つずつ。必要な経験を積む。記録を残す。分からないことを学ぶ。病院の勤務へ慣れることも。その一部だった。以前なら。もっと早く。もっと多く。そう考えたかもしれない。今は。今日できることを。翌日へ残さず終える。それで十分だと思える日が増えていた。「最近」昼食を取りながら。真帆がこちらを見る。「顔が戻ってきたね」「何の顔?」「病院で働いて

  • 愛人を選んだ夫が、離婚後に狂い始めました   第6話:知らない名前

    「……誰それ?」優の声に、思わず指が止まった。寝室へ向かおうとしていた足も、その場で止まる。振り返ると、優はソファに座ったままこちらを見ていた。正確には、私ではない。私の手の中にあるスマホ。そこに表示されている名前を見ている。【綾瀬隼人】たった四文字の名前。それだけなのに、優は珍しく視線を外さなかった。私は少し戸惑う。こんなこと、今までなかった。私が誰と会おうと。誰と連絡を取ろうと。優は興味を示したことがない。会社の同僚。学生時代の友人。みかのことだってそうだ。誰とどこへ行くのか聞かれた記憶はほとんどない。だからこそ、その反応が妙に不自然だった。「……知

  • 愛人を選んだ夫が、離婚後に狂い始めました   第5話:逃げる準備

    「逃げる準備、始めよっか」綾瀬先生がそう言った瞬間、その言葉だけが妙に耳に残った。逃げる。たったそれだけの言葉なのに、胸の奥がじくりと痛む。離婚する。家を出る。今の生活を終わらせる。頭では何度も考えていたはずなのに、「逃げる」という表現にすると急に現実味が増した。同時に、どうしてか罪悪感も湧いてくる。私は被害者のはずだった。夫は愛人を家に住まわせている。結婚生活なんて、とっくに壊れている。誰が見てもおかしい状況なのに。「逃げるのは悪いことなんじゃないか」という感覚が残っていた。ずっと我慢することが当たり前だったからだ。気づけば、自分の気持ちより相手を優先する癖が染

  • 愛人を選んだ夫が、離婚後に狂い始めました   第4話:離婚、手伝ってあげる

    「……それ」綾瀬先生の視線が、スマホに落ちた。そして。少しだけ、眉が寄る。「旦那さんですか?」反射的に、スマホを伏せた。「……違います」ほとんど条件反射だった。見られたくなかった。惨めな自分を。既婚者なのに。全然、大事にされていない現実を。家に帰るかどうかを、愛人の都合で決められる妻。そんなもの。第三者に見せられるほど、強くない。数秒だけ。静かな空気。ちょっと変な空気になる。そして。綾瀬先生が、少し困ったように笑った。「いや、それはちょっと無理あるよね」みかが横から吹き出す。「先生、正解です」身を乗り出して言う。「しかも超最低なんですよ、この人の旦

  • 愛人を選んだ夫が、離婚後に狂い始めました   第3話:妙に距離が近い男

    「返信しなよ、このタイミングだし」みかが、にやにやしながらスマホを指差した。「いや、無理でしょ」即答した。「なんて返すのよ、そもそも」「普通に、“どうしました?”でいいじゃん」「え、でもそんな感じの距離じゃないし」言いながら、スマホの画面を見る。【綾瀬隼人】『こんばんは。 この前の学会ぶりです。 急だけど、今少し話せたりする?』おかしい。なんで、このタイミングなんだろう。学会で少し話しただけの相手だ。連絡先だって、半ば強引に交換された。『現場戻りたくなった時のため』そう言って、名刺を渡されて。ついでみたいにメッセージアプリまで聞かれた。断るほどの理由もなく

Plus de chapitres
Découvrez et lisez de bons romans gratuitement
Accédez gratuitement à un grand nombre de bons romans sur GoodNovel. Téléchargez les livres que vous aimez et lisez où et quand vous voulez.
Lisez des livres gratuitement sur l'APP
Scanner le code pour lire sur l'application
DMCA.com Protection Status