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第10話

Auteur: 結奈々
「……」

遥真は何も言わなかった。

どう考えても、彼女がわざとやったに決まっている。

「どうして遥真がくれた物を、そんなふうに扱えるの?」玲奈が慌てて拾い上げ、まるで宝物のように大事そうに撫でる。「だって、これは……」

彼女の言葉が終わらないうちに、柚香はもうスーツケースを持って車に乗り込んでいた。

家には戻らず、真帆の家へ向かった。

まだ住む場所が決まっていない今、彼女のところに置かせてもらうのが一番安全だ。

半日ぶりに顔を見た真帆は、やつれた柚香の様子にすぐ気づいて、胸を痛めた。「またあのクズ男に何かされたの?」

「うん」柚香はうなずく。

「最低。ほんっとにどうしようもないやつ!」真帆は怒りを隠さず吐き出す。

「今日の昼、荷物を取りに戻ったときに、玲奈の前でスーツケースを開けろって言われたの。私が何か盗んだんじゃないかって」柚香は淡々と話す。心の中は空っぽのようだった。

「午後に電話したとき、向こうで玲奈が『お風呂あがった』って言ってるのが聞こえた」

「は?頭おかしいんじゃないの!」真帆はテーブルを叩きそうな勢いで立ち上がる。

そんなふうに自分の代わりに怒ってくれる友人を見て、柚香は唇をきゅっと結び、しばらくの沈黙のあと、ぽつりと呟く。「真帆」

「なに?」

「……抱きしめてくれる?」落ち着いた声の奥には、心の奥底をえぐるような痛みがあった。

真帆は何も言わず、ぎゅっと柚香を抱きしめた。

その腕はあたたかくて、安心できる場所だった。

柚香はもう少しだけ頑張ろうと思っていたのに、この二日の出来事が頭をよぎった瞬間、鼻の奥がつんと痛くなった。

泣きたくなかったが、涙は勝手にこぼれ落ちていく。

肩が小さく震えた。

胸の奥が痛くてたまらなかった。

「泣きたいときは泣いていいんだよ。無理しないで」真帆は背中を優しくさすりながら、包み込むように言った。

「泣いたら、きっと新しいスタートができる。そのときは、私がずっとそばにいるから。いっぱい甘やかしてあげる!」

その言葉を聞いた瞬間、柚香は堰を切ったように声を上げて泣いた。

真帆はそのまま抱きしめ続け、十数分ほどして、ようやく泣き声が静まった。

真帆はティッシュで柚香の涙を拭き、少し乱れた髪を指で整えながら言った。「柚香には、私がいる。忘れないでね」

「……うん」柚香の声は
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